その人物にまつわるイメージは広く流布していて知っているつもりだけれど、作品をよく知らないので見に行った。けど、どうもピンとこなかったのが正直なところだ。
さいきん「エイブル・アート」ということばがよくつかわれる。知的なハンディキャップのある人々がつくりだした美術作品ということだ。エイブル・アートの範疇内であれば山下清の作品は、疑いなくすばらしい。しかし、そのくくりのなかからひっぱり出して、すべてのアートのなかで評価しようとすれば、そんなにすごいものとも思えない。
たしかに「スイスの町」や「長岡の花火」などの、貼り紙の細かさには目を見張らされる。しかし、細かいからといって評価するというのは、スーラを細かくて、根気のある画家だと評価するようなもので、どこかちがうんじゃないかという気がする。あるいは、伝統工芸を評価するみたいなものか。この種の、手先の器用さみたいなものについ目が行ってしまうのは、日本人の習い性なのかもしれない。
展覧会で気になったのは、山下清という人は筆マメでじつに多くの文章をのこしており、その文章を紹介するパネルがたくさんあった。そのこと自体は良いのだが、そのパネルがすべて横書きなのだ。会場に陳列されていた自筆の手紙や日記などはすべて縦書きで、山下清は基本的に縦書きでしか文章を書かない人のように思われるのに、である。文章というものに、展覧会企画者が無頓着なのだなあと、嘆かわしく感じた。
山下清展 時代を歩いた放浪画家の生涯
5月17-29日
大丸札幌店(中央区北5西4)
さいきん「エイブル・アート」ということばがよくつかわれる。知的なハンディキャップのある人々がつくりだした美術作品ということだ。エイブル・アートの範疇内であれば山下清の作品は、疑いなくすばらしい。しかし、そのくくりのなかからひっぱり出して、すべてのアートのなかで評価しようとすれば、そんなにすごいものとも思えない。
たしかに「スイスの町」や「長岡の花火」などの、貼り紙の細かさには目を見張らされる。しかし、細かいからといって評価するというのは、スーラを細かくて、根気のある画家だと評価するようなもので、どこかちがうんじゃないかという気がする。あるいは、伝統工芸を評価するみたいなものか。この種の、手先の器用さみたいなものについ目が行ってしまうのは、日本人の習い性なのかもしれない。
展覧会で気になったのは、山下清という人は筆マメでじつに多くの文章をのこしており、その文章を紹介するパネルがたくさんあった。そのこと自体は良いのだが、そのパネルがすべて横書きなのだ。会場に陳列されていた自筆の手紙や日記などはすべて縦書きで、山下清は基本的に縦書きでしか文章を書かない人のように思われるのに、である。文章というものに、展覧会企画者が無頓着なのだなあと、嘆かわしく感じた。
山下清展 時代を歩いた放浪画家の生涯
5月17-29日
大丸札幌店(中央区北5西4)
私は貼り絵の細かさよりも、自然の物の完全に規則的でもなく、逆にランダムでもない繰り返しを表現している所はなかなかだと思いましたよ。
SHさんのおっしゃっているのがどんな描写だったか、具体的に思い出せないのです。ゴメンナサイ。
具体的にどの画のどの描写と言うこともないのですが、樹木や空の描写が自然っぽいなと思いました。
わたしは、眠いです。(ーー)