6月8日の朝日新聞より。
なぜ朝日かというと、出席した選考委員の名前が出ているから引用しました。
今回の盗作問題について圧倒的な情報量を誇るblog「天漢日乗」さんが、
ちなみに、このニュース、毎日と読売はベタ記事。
東郷賞は、安井賞(今はない)はもちろん、VOCAや損保ジャパン賞なんかとくらべても知名度の低い賞だと思うし、芸術選奨取り消しの時点で盗作のニュースもひと区切りついた感があるので、まあそんなもんかと。
で、上で言及した「天漢日乗」、盗作問題について、なかなかすごいですよ。
和田氏の絵を「現代美術」と形容しているあたり、ちょっと違和感はありますが。新聞記事から2ちゃんねるまでソースも豊富です。
「盗作」の和田氏 東郷青児美術館大賞も取り消し
洋画家和田義彦氏(66)の盗作疑惑で、損保ジャパン美術財団は7日、02年に和田氏に贈った「第25回安田火災(現・損保ジャパン)東郷青児美術館大賞」の取り消しを決めた。
同財団は選考委員を集めて再検討した結果、和田氏の受賞作「想」(01年)が、イタリア人画家アルベルト・スギ氏(77)の「交差点のバー」(97年)と酷似し、審査基準の「独自の世界の形成」などから逸脱していると判断。理事会で取り消しを決定した。
再検討には当時の選考委員5人のうち、陰里鉄郎・女子美術大教授、米倉守・多摩美術大教授、石井敏彦・元同館長が出席。同館の宇野智久館長は「和田氏に対しては、残念さを超えて悲しさを覚える。今後このようなことが起きないよう、選考方法を考え直し、不名誉を克服していきたい」と話した。(以下略)
なぜ朝日かというと、出席した選考委員の名前が出ているから引用しました。
今回の盗作問題について圧倒的な情報量を誇るblog「天漢日乗」さんが、
委任状だけ出して「芸術選奨」の審査会を欠席した瀧悌三氏よりはマシですな、米倉守氏。と書いていたけど、同感です。
ちなみに、このニュース、毎日と読売はベタ記事。
東郷賞は、安井賞(今はない)はもちろん、VOCAや損保ジャパン賞なんかとくらべても知名度の低い賞だと思うし、芸術選奨取り消しの時点で盗作のニュースもひと区切りついた感があるので、まあそんなもんかと。
で、上で言及した「天漢日乗」、盗作問題について、なかなかすごいですよ。
和田氏の絵を「現代美術」と形容しているあたり、ちょっと違和感はありますが。新聞記事から2ちゃんねるまでソースも豊富です。
専門家たちがおのれの美的判断力の真価をためされたわけだが、このケースを見て、判断力が主観的であることが今回の本質的な問題でないと思う。それ以前の、選考段階での、事前の予備調査をきちんと100パーセントしていないことが問題の真相なのだと思う。その事前の調査をきちんと遂行したなら、これは未然にふせげたケースではないのか。そこのきわめて初歩的な手続きを(何らかの理由によって、あるいは何らかの政治的力学によってか)省略したことにこそ、真の原因があると思うのだが。
賞選定の評決を私は一度も経験したことがないから、ほんとの事はわからない。だがおなじ人間世界の事象であるから、想像することはできる。
美的判断の世界ほど、好き嫌い、快不快の判断が幅をきかす領域もないであろう。俺の判断もお前の判断も主観的にはまちがってはいない。根拠がある。お前の根拠が間違っていると、言葉の勢いで言った所で、所詮、その差は五十歩百歩である。強く出たほうが勝ちである。弱く受けたほうが負けである。
多分、きわめて短い時間で審議し選考するのだから、力関係で、多数決で、紳士的に決めるしかない。談合のようなものだ。それは仕方がない。それで問題が起きなければだが。
今回の場合、唖然とする結末が選考した後になってひょっこり出てきたものだから、引っ込みがつかなくなり、再審議となった。それもいたし方がないことだ。だからといって、談合はなくならないだろう。
→http://iori3.cocolog-nifty.com/tenkannichijo/2006/06/31_0a68.html
この記事を読むと、ほぼ、私の想像通りですよ。
しかも、ネット上には、下記の、奇怪な噂が流れています。
『瀧梯三(美術評論家)、米倉守(多摩美教授)、島田章三(国画会)が
和田を強く推した3人のようだ。』
『裏にある構造としては
1. 今回の芸術選奨洋画部門は「国画会」の年、「国画会」の重鎮がしかるべき人物を部内で推薦、会として更に推薦。
2. 日本現代絵画評論の重鎮で、芸術選奨選考審査員の瀧悌三氏が、国画会などの意を受けて、強く推す。
3. 他の審査員で、「生きる日本近現代美術史」瀧悌三氏の意見を覆すだけの人物がおらず、「芸術選奨」授賞決定てな流れですかね。』
これが今回の楽屋裏の真相なのですかね。
「今回の芸術選奨洋画部門は「国画会」の年」
こんなことはありえません。
あるなら、どういうサイクルになっているのか、教えてほしいものです。
そもそも芸術選奨に「洋画部門」なんてありません。
こんなことはありえません。
あるなら、どういうサイクルになっているのか、教えてほしいものです。
で、私も調べてみました。結果は以下のとおりです。
「芸術選奨大臣賞受賞者一覧」洋画
年度
1949年度 木下義謙(1898~1995)
1950年度 三岸節子(1905~99)
1951年度 岡鹿之助(1898~1978)
1952年度 小林和作(1887~1974)
1953年度 中村琢二(1897~1988)
1954年度
1955年度 鳥海青児(1902~72)
1956年度 福沢一郎(1898~1992)
1957年度
1958年度
1959年度 山口薫(1907~68)
1960年度
1961年度 山口長男(1902~83)
1962年度 麻生三郎(1913~2000)
1963年度 海老原喜之助(1904~70)
1964年度
1965年度 菅井汲(1919~96)
1966年度
1967年度
1968年度 牛島憲之(1900~97)
1969年度
1970年度 岡田又三郎(1914~84)
1971年度
1972年度 野口彌太郎(1899~1976)
1973年度
1974年度
1975年度
1976年度
1977年度
1978年度
1979年度
1980年度 杉全直(1914~94)
1981年度 小野末(1910~85)
1982年度 奥谷博(1934-)
1983年度
1984年度 須田寿(1906-2005)
1985年度
1986年度 高橋秀(1930-)
1987年度
1988年度 西村龍介(1920~2005)
1989年度
1990年度 松樹路人(1927ー)
1991年度 野見山暁治(1920-)
1992年度
1993年度
1994年度
1995年度
1996年度 三尾公三(1924~2000)
1997年度 宮崎進(1922-)
1998年度
1999年度
2000年度
2001年度 宇佐美圭司(1940-)
2002年度
2003年度
2004年度
2005年度 和田義彦(1940-)(取り消し)
「芸術選奨大臣賞受賞者一覧」日本画
年度
1949年度 山本丘人(1900~86)
1950年度 吉岡堅二(1905~90)
1951年度 橋本明治(1904~91)
1952年度 金島桂華(1892~1974)
1953年度 岩橋英遠(1903~99)
1954年度 小倉遊亀(1895~2000)
1955年度
1956年度
1957年度
1958年度 上村松篁(1902~2001)
1959年度
1960年度 片岡球子(1905ー)
1961年度
1962年度
1963年度
1964年度 高山辰雄(1912-)
1965年度
1966年度
1967年度
1968年度
1969年度
1970年度 石本正(1920-)
1971年度
1972年度
1973年度
1974年度 小松均(1902~89)
1975年度
1976年度 福王寺法林(1920-)
1977年度
1978年度
1979年度 加山又造(1927~2004)
1980年度
1981年度
1982年度
1983年度
1984年度 下保昭(1927ー)
1985年度 荘司福(1910~2002)
1986年度
1987年度 工藤甲人(1915-)
1988年度
1989年度
1990年度
1991年度
1992年度
1993年度
1994年度
1995年度
1996年度
1997年度
1998年度 小野具定(1913~2000)
1999年度
2000年度 小嶋悠司(1944-)
2001年度
2002年度
2003年度
2004年度 中野嘉之(1946-)
2005年度
酒井忠康(選考委員長・世田谷美術館館長)、草薙奈津子(平塚市美術館館長)、建畠哲(国立国際美術館館長)、瀧梯三(美術評論家)、鈴木博之(東京大学大学院工学系研究科教授・建築史)、福田繁雄(グラフィックデザイナー)、吉田喜重(映画監督)。
1月19日の選考審査会では、受賞者が2名以内とされている「大臣賞」候補者11名の中から、選考がおこなわれ、まず、建築家の妹島和世氏が全会一致できまったそうである。2人目は写真家の杉本博司氏が有力であったが、前年度の受賞者が写真家の宮本隆司氏であったことに委員から難色がでて、「しばらく具象の画家が選ばれていない」という声におされ、昨年、巡回展を開催した和田氏を瀧梯三氏が強烈に推した結果、全会一致ではなく、多数決(賛成4名反対3名)で決まったそうである。
ただしここで、6日付の読売の記事についても、註を加えるなら、和田氏の表決が全会一致であったのか、それとも多数決で票が割れたのか、そのことについては全くふれていない。したがって、反対者が誰であって、賛成者が誰であったのか、反対の理由が何であって、賛成の理由が何であったのたか、その事実にせまる裏づけ調査をしたのか、それは読者には皆目分らないようになっている。上記の文章のなかで「表決が4対3に割れた」という情報は読売以外の別のメディアソース(道新)から入手したものである。
誰が和田に反対し、誰が賛成したのかの一次資料がない。で、二次的資料として、5月5日の再審査会に欠席した者の名前ははっきりしている。で、欠席した者が、多分、和田に賛成した者たちと仮定する。(誤っているかも知れぬが。)
5月5日に、「芸術選奨受賞者盗作疑惑問題」(前代未聞のスキャンダル)に決着をつけるための再審査会がひらかれたのだが、そこで出席したのは酒井忠康(選考委員長・世田谷美術館館長)、草薙奈津子(平塚市美術館館長)、建畠哲(国立国際美術館館長)の3名だけで、和田を強く推した瀧梯三をふくめて、4名の選考委員がなぜか欠席した。
記事では、なぜこの4人が欠席したのか、その個々の欠席理由は具体的に明らかにされていない。私は人間的に普通に想像するのだが、1月19日の正規の選考審査会で賛成票を投じた委員が、このスキャンダルにまで発展した「芸術選奨」の選考当事者としての幾分かの責任感から、しかも(何らかの理由によって)賛成票を投じたことの応答責任をやはり回避したいという心情から、まさしくバツが悪くなって、欠席したのだと考えるのが、心の動きとしてはたぶん素直な解釈であると思う。
反対票を投じた(と思われる)委員が3人とも美術館の館長職であることに注意したい。彼らの和田の絵画を批評する目が「芸術選奨」にふさわしくないと判断したと受け取るしかない。その美術専門家の意見に対して強力に和田推挙の論を述べたのが美術評論家の瀧梯三ただひとりである。この関係構図に今回のスキャンダルへの秘密のなにかを暗示してはいないか。当事者の瀧梯三はけっして秘密(真相)を暴露することはしないであろう。それがこの美術ジャーナリズム業界の暗黙のルールである。秘密はあくまで秘密なのだ。
さて、1月19日の受賞決定を5月5日の再審査会で覆すという前代未聞の事態にまで発展した今回の「芸術選奨受賞者盗作疑惑問題」はこれで一応幕が引かれたのであるが、一読者としては、読売新聞その他の記事を読む限り、真相は全然語られていない(徹底的な裏付け調査にもとづく)という感じをぬぐいきれない。
「姉歯事件」のときと同じ性質の問題構造が透けて見えるからである。内部告発があっても、それは関係者によって蟻をつぶすように握りつぶされる。関係者の団体は利権が絡んでいるから、その内部告発が社会問題になることを極度に警戒する。内部告発の第一発見者の声が社会の表層に届くまで、ずいぶんと時間が経過する。告発が社会的表面に届くまで、その告発された犯罪行為は誰からも怪しまれないで着々と日々すすめられていく。堰を切るようにして、事件が発覚し、当事者たちが事実を隠し通せなくなったその場面でも罪を悔いてすべてを自白するなんてことぜったいにおこらない。ああ、みなさんの精神構造はきわめてタフです。和田さんはそのことを全的に証明しましたね。総研の内河さんと同じタイプかな。
美を創造するものも、美を批評するものも、何か人間性の汚いところを見せつけられた今回の事件にたいしてあまり怒っていないみたいだ。またか、という感じで、幕になるのか。
6日の読売の記事を熟読したが、記者のペン先はけっして冴えていない。とおりいっぺんのところでおちゃをにごしている。そうは思いませんか。やないさん。
>美を創造するものも、美を批評するものも、何か人間性の汚いところを見せつけられた今回の事件にたいしてあまり怒っていないみたいだ。
そうですか。みんな怒って、あきれてるんじゃないですか。