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■第57回 日本現代工芸美術展 北海道会展ー折原久左エ門をしのんで (2018年7月25~29日、札幌)

2018年07月26日 13時51分26秒 | 展覧会の紹介-工芸、クラフト
 函館の金属造形作家で、道内在住者としては史上初めて日本芸術院賞を受賞(1986年)した折原久左エ門(おりはら・きゅうざえもん)さんが2月に86歳で亡くなっていた。筆者はお恥ずかしいことに、新聞で見逃していた。日展の理事を務めるなど、金工の重鎮であり、道内外各地にモニュメントが設置されている。
 折原さんは、発足から44年間にわたって日本現代工芸美術展北海道会の会長を務めており、今年の同会展の会場では、スペースの半分以上を使って追悼の作品展を開いている。
 正確には、同会メンバーの作品を会場中央に並べ、その両翼にコーナーを設けている。

 さらに奥の、予備室には、献花台がしつらえてある。
 美術団体で作品・作者名の横に黒い喪章がつけられたり、略歴のパネルが添えられたりすることはあるが、献花台の設置はきわめて珍しく、同会での折原さんの存在感の大きさがわかる。



 向かって左側の一角には、代表作の「道標」(同題3点)や「連作―祀跡―」などが展示されている。
 いずれも直方体に近い形状をしており、堂々とした重量感が印象的だ。

 奥にあるアーチ型の作品は「眩」。

 壁には折原さんが折々に残した言葉や、年譜、在りし日の写真などが貼られている。

 なかでも、折原さんが現代的な姿勢を持ち合わせていたことがうかがえるのが、次の言葉だ。サイトスペシフィックな現代アートに通じる精神がある。

モニュメント制作の依頼があると、私は依頼者つまりは地域の人たちの考え方を、充分に聞くようにします。地域にモニュメントを設置するというのは、そこに住んでいる人たちが、何か自分たちの思いを具体的なかたちにしたい、そしてその地の風景として永久に残していきたいという気持ちであるわけです。ですから、その土地に住んでいない者が、安易に自分の作品を押しつけてはいけない。地域の人々の考えがあり、私の考えもある。そこから制作が始まります。作家と住民との共同制作でもあるということもできるでしょう。



 向かって右側はおもにモニュメント関連の展示。
 「響」「花器」「煌」「翔」「飛翔」といった作品のほか、大きな写真で野外モニュメントを紹介している。

 大型写真は、次の5点。
「響」 1993(山形市総合学習センター)
「北国に躍る友がき」1975(第30回冬季国体スキー競技富良野開催記念シンボル塔)
「青史の道標」1991(野村證券高輪研修センター)
「波遊」1993(洞爺湖ぐるっと彫刻公園)
「潮笛」1995(乙部町道の駅)

 このほか、渡島管内上磯町や函館のモニュメントの写真もあり、実物を見に出かけたくなってくる。
 道教大函館分校で教授を長年務めていたせいか、道南地方の仕事が比較的多いようだ。


 折原さんは1931年(昭和6年)、山形県南村山郡南沼原村(現山形市)の農家に、3男7女の7番目の次男として生まれた。
 46年、山形師範に進み、51年に東京教育大(のちの筑波大)に入学し、55年卒業。
 福島大の助手を経て58年に道学芸大(現教育大)岩見沢分校の助手になる。62年に函館分校に転じ、助教授に就任。74年に教授となる。
 全道展でも会員で、工芸部を牽引したが、選考などをめぐって他部門とのあいだに意見の相違が生まれ、99年に折原さんをはじめ工芸部の会員が大量脱退した。
 現在の日本現代工芸美術展には、そのときに全道展会員を退いたメンバーが少なくない。

 あらためて、ご冥福を祈ります。

 通常の日本現代工芸美術展北海道会展については、稿を改めます。


2018年7月25日(水)~29日(日)午前10時半~午後5時半(最終日~3時)
札幌市民ギャラリー(中央区南2東6)




折原久左エ門「抱」

□後志管内神恵内村にあるモニュメント http://www.vill.kamoenai.hokkaido.jp/hotnews/detail/00000321.html

□江差小学校開校記念の塔 http://www.hokkaido-esashi.jp/sekihi/monument/06/index.htm


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