(承前)
札幌国際芸術祭ファイナルトークの最中、ケータイが胸ポケットで何度も震えているのには気がついていた。
しかし、客席ならともかく、話者の立場で、途中で
「もしもし」
とやるわけにはいかない。
控え室に戻って、また浅田さんと二言三言話したあと―こんなことなら、古本屋で買ってまだ読んでない「構造と力」を持ってきてサインしてもらえばよかったと、思わないこともなかったけど―、会社に折り返し電話する。
きょう出ているべき短い原稿が出ていないのだった。筆者の担当だ。
ほんとうは、ほかの出演者の皆さんともう少しお話をしたかったのだが、やむを得ず、会社(市役所のすぐとなり)に戻って仕事をする。
それから、タクシーでギャラリー創へ。筆者がギャラリー回りでタクシーを使うのはめずらしい。
加藤宏子展の終了30分前、すべりこみセーフ。
これは、いい個展だった。
南9条通を西に歩いて、南7西11からじょうてつバスに乗り、西11丁目駅前で降車。
大通公園では、札幌国際芸術祭とおなじく、オータムフェスタが最終日を迎えていた。
筆者が行ったさきは、札幌市資料館。
エホンカイギと、とくいの銀行というのが、正直言ってよく分かっていなかったので、せっかくだから確かめに行こうと考えたのだ。
ボランティアスタッフの方が親切に説明してくださって、よく雰囲気がつかめた。
「とくいの銀行」の部屋では、5歳の女の子の誕生日パーティーが行われていた。
この「銀行」が、それぞれの「とくい」を預けた人が、他の人の「とくい」を引き出せるというのは知っていた。
しかし、ただ引き出して、たとえばコンサートを開くだけではつまらない。
頭取が明治初期にタイムスリップして、その結果、札幌の史実がちょっと変わってしまった、という設定にしたのだ。
たとえば
「流しそうめんできます」
という「とくい」を引き出す。そのとき、単に流しそうめんをやるんじゃなくて、札幌の人は開拓に尽くした大友亀太郎に敬意を表するため、流しそうめんの流路を、大友堀の形になぞらえて流しそうめんをするようになった―という物語をこしらえるのだ。
会場には、実際に資料館の裏庭で、大友堀の形に組み立てたセットで流しそうめんをした際の写真と、そのセットの実物が設置されていた。
ほかにも、「おどりができます」という「とくい」から発想して、真駒内のエドウィン・ダン記念館で「オオカミと馬のおどり」をやってみたり、「さっぽろ文庫」の新刊をあったり、結婚式の際におどる「玉葱音頭」の写真が貼ってあったり、どうもいろいろなことをしていたらしい。
史実は黒いペンで、虚構史実は赤いペンで文章が書かれて、段ボールの壁にべたべた貼ってある。
預けられた「とくい」はまだ1300とか1500とかあるらしい。
これなら、筆者も預ければ良かった。
「人の顔を忘れるのがとくいです」
とか(笑)。
そんなの誰も引き出さないか。
でも、たとえば「シャトルバスで札幌の歴史について語ります」とか書いても、対応できる時間が無いもんな。残念。
この膨大な預金について、そして札幌の「とくいの銀行」について、今後どうするかをこの晩の会議で話し合うと言ってたけど、どうなったんだろう。
さて、隣室(通常はギャラリーB室)のサッポロエホンカイギにもおじゃました。
置いてある絵本に、子どもたちが、自由に続きをかいて、後ろに挟んでいけるという。人気のある絵本は、どんどん続きが挟み込まれて、ずいぶん厚くなっていた。
たしか6回続きをかくと「えほんししょ」の資格をもらえ、壁になまえが書ける。
部屋の中には、巨大なえほんも完成して置かれていた。
そのうちに、絵本の読み聞かせ会となり、天井への影絵投影、キーボードの演奏とともに、そこにいる人たちが順番に絵本を一冊ずつ読んでいった。ほかの人たちは、カーペットの上に寝そべりながら、朗読を聞いていた。
(筆者も、長新太の絵本を朗読しました)
この二つをのぞいてみて
「こりゃ、自分が子どもだったら、資料館は楽しいだろうなあ。コロガル公園もあったし、ひみつ基地みたいなもんだよなあ」
としみじみ思った。
筆者は小学校時代、この資料館から60メートルぐらいのところに住んでいた。
きっと、毎日放課後に通っていただろう。
そして、通った日の思い出は、一生の宝物となったに違いない。
「札幌国際芸術祭はここに行け! 独断と偏見の会場紹介」で、「何やってるかわからない」とか書いて、すみませんでした。
この日、午後6時半から、資料館のとなりの市教育文化会館小ホールで「茶廊法邑10周年のつどい」が開かれたので、出席してきた。
左の画像で、オーナーの法邑美智子さんが、スライドとともに、10年を振り返っている。
コシノジュンコのファッションショーと写真展を企画開催したとき、彼女に「平屋なのね~」と驚かれた話、日野原重明さんが来店した際の思い出など、楽しい話であった。
あとは、邦楽やジャズの演奏、クラシックギターとバレエの共演など。
(よく考えると、「美術」のギャラリーなのに、ふだんあまり縁のない「音楽」が中心なのは、なんだか不思議な感じがしないでもない)
※追記。考えてみれば、カフェを利用してギャラリーとは縁のない人も多いので、いろいろな人が楽しめて、祝えるような構成ということで、音楽がメーンになるのは、自然なことでした。
ジャズバンドが、チック・コリアの名盤「リターン・トゥ・フォーエバー」の収録曲「ラ・フィエスタ」で盛り上がっている最中、法邑さんが踊りながらステージに出てきた。とても67歳とは思えない身のこなしだ。
Chick Corea - La Fiesta
(なにも、こんな難しいリズムの曲で出てこなくても…笑)
フォトグラファーのY岸さんが写真担当で客席を行ったり来たりしていた。
教育文化会館を出たら、資料館はまだあかりがついていた。
ボランティアと関係者の皆さん、お疲れさまでした。
心の中でそう言って、帰路に着いた。
札幌国際芸術祭ファイナルトークの最中、ケータイが胸ポケットで何度も震えているのには気がついていた。
しかし、客席ならともかく、話者の立場で、途中で
「もしもし」
とやるわけにはいかない。
控え室に戻って、また浅田さんと二言三言話したあと―こんなことなら、古本屋で買ってまだ読んでない「構造と力」を持ってきてサインしてもらえばよかったと、思わないこともなかったけど―、会社に折り返し電話する。
きょう出ているべき短い原稿が出ていないのだった。筆者の担当だ。
ほんとうは、ほかの出演者の皆さんともう少しお話をしたかったのだが、やむを得ず、会社(市役所のすぐとなり)に戻って仕事をする。
それから、タクシーでギャラリー創へ。筆者がギャラリー回りでタクシーを使うのはめずらしい。
加藤宏子展の終了30分前、すべりこみセーフ。
これは、いい個展だった。
南9条通を西に歩いて、南7西11からじょうてつバスに乗り、西11丁目駅前で降車。
大通公園では、札幌国際芸術祭とおなじく、オータムフェスタが最終日を迎えていた。
筆者が行ったさきは、札幌市資料館。
エホンカイギと、とくいの銀行というのが、正直言ってよく分かっていなかったので、せっかくだから確かめに行こうと考えたのだ。
ボランティアスタッフの方が親切に説明してくださって、よく雰囲気がつかめた。
「とくいの銀行」の部屋では、5歳の女の子の誕生日パーティーが行われていた。
この「銀行」が、それぞれの「とくい」を預けた人が、他の人の「とくい」を引き出せるというのは知っていた。
しかし、ただ引き出して、たとえばコンサートを開くだけではつまらない。
頭取が明治初期にタイムスリップして、その結果、札幌の史実がちょっと変わってしまった、という設定にしたのだ。
たとえば
「流しそうめんできます」
という「とくい」を引き出す。そのとき、単に流しそうめんをやるんじゃなくて、札幌の人は開拓に尽くした大友亀太郎に敬意を表するため、流しそうめんの流路を、大友堀の形になぞらえて流しそうめんをするようになった―という物語をこしらえるのだ。
会場には、実際に資料館の裏庭で、大友堀の形に組み立てたセットで流しそうめんをした際の写真と、そのセットの実物が設置されていた。
ほかにも、「おどりができます」という「とくい」から発想して、真駒内のエドウィン・ダン記念館で「オオカミと馬のおどり」をやってみたり、「さっぽろ文庫」の新刊をあったり、結婚式の際におどる「玉葱音頭」の写真が貼ってあったり、どうもいろいろなことをしていたらしい。
史実は黒いペンで、虚構史実は赤いペンで文章が書かれて、段ボールの壁にべたべた貼ってある。
預けられた「とくい」はまだ1300とか1500とかあるらしい。
これなら、筆者も預ければ良かった。
「人の顔を忘れるのがとくいです」
とか(笑)。
そんなの誰も引き出さないか。
でも、たとえば「シャトルバスで札幌の歴史について語ります」とか書いても、対応できる時間が無いもんな。残念。
この膨大な預金について、そして札幌の「とくいの銀行」について、今後どうするかをこの晩の会議で話し合うと言ってたけど、どうなったんだろう。
さて、隣室(通常はギャラリーB室)のサッポロエホンカイギにもおじゃました。
置いてある絵本に、子どもたちが、自由に続きをかいて、後ろに挟んでいけるという。人気のある絵本は、どんどん続きが挟み込まれて、ずいぶん厚くなっていた。
たしか6回続きをかくと「えほんししょ」の資格をもらえ、壁になまえが書ける。
部屋の中には、巨大なえほんも完成して置かれていた。
そのうちに、絵本の読み聞かせ会となり、天井への影絵投影、キーボードの演奏とともに、そこにいる人たちが順番に絵本を一冊ずつ読んでいった。ほかの人たちは、カーペットの上に寝そべりながら、朗読を聞いていた。
(筆者も、長新太の絵本を朗読しました)
この二つをのぞいてみて
「こりゃ、自分が子どもだったら、資料館は楽しいだろうなあ。コロガル公園もあったし、ひみつ基地みたいなもんだよなあ」
としみじみ思った。
筆者は小学校時代、この資料館から60メートルぐらいのところに住んでいた。
きっと、毎日放課後に通っていただろう。
そして、通った日の思い出は、一生の宝物となったに違いない。
「札幌国際芸術祭はここに行け! 独断と偏見の会場紹介」で、「何やってるかわからない」とか書いて、すみませんでした。
この日、午後6時半から、資料館のとなりの市教育文化会館小ホールで「茶廊法邑10周年のつどい」が開かれたので、出席してきた。
左の画像で、オーナーの法邑美智子さんが、スライドとともに、10年を振り返っている。
コシノジュンコのファッションショーと写真展を企画開催したとき、彼女に「平屋なのね~」と驚かれた話、日野原重明さんが来店した際の思い出など、楽しい話であった。
あとは、邦楽やジャズの演奏、クラシックギターとバレエの共演など。
(よく考えると、「美術」のギャラリーなのに、ふだんあまり縁のない「音楽」が中心なのは、なんだか不思議な感じがしないでもない)
※追記。考えてみれば、カフェを利用してギャラリーとは縁のない人も多いので、いろいろな人が楽しめて、祝えるような構成ということで、音楽がメーンになるのは、自然なことでした。
ジャズバンドが、チック・コリアの名盤「リターン・トゥ・フォーエバー」の収録曲「ラ・フィエスタ」で盛り上がっている最中、法邑さんが踊りながらステージに出てきた。とても67歳とは思えない身のこなしだ。
Chick Corea - La Fiesta
(なにも、こんな難しいリズムの曲で出てこなくても…笑)
フォトグラファーのY岸さんが写真担当で客席を行ったり来たりしていた。
教育文化会館を出たら、資料館はまだあかりがついていた。
ボランティアと関係者の皆さん、お疲れさまでした。
心の中でそう言って、帰路に着いた。