外山欽平さんは函館の画家。
毎年この時期に、札幌時計台ギャラリーで個展を開いている。
1998年からアルファベットをテーマにしており、今年は「Q」まできた。毎回F100号を12枚出品。それ以外に小品やシルクスクリーンも展示している。
今年のこの週は、外山さんしか借り手がいなかったので、C室には「アジサイ」を描いた小品を並べた。手法は、アルファベットと変わらないそうだ。
筆を走らせるのではなく、キャンバスを左に右に傾けることで表面の絵の具を滑らせて線を描く。背景の緑に、絵の具が流れた跡が見えるのは、そのためである。あとは、筆ではなくナイフで着彩する。
今回は、「Q」なので、オバケのQ太郎を意識して、左右上方に目のような明るい色の模様を入れている。また、色の数自体、以前よりも増やしており、楽しさが加わったような印象を受ける。
「遊びを入れてみた」
と外山さんも言う。
しかし、よくわからないのは、外山さんから聞いたお客さんの反応である。
札幌時計台ギャラリーは、市内でギャラリーまわりを趣味とする人や、カルチャーセンターなどで絵を習っている人にとっては、定番の行き先なのだが、抽象画というだけで、すぐに会場から出て行ってしまう人や、拒否反応を示す人が思いの外多いというのだ。
外山さんがあらためて聞くと、もう一室のアジサイの絵は「わかる」と言うのだそうだ。
筆者にはぜんぜん理解できない。
「絵がわかる」
というのは
「絵になにが描いてあるかわかる」
ということと、全く別のことだろう。
「アジサイが描いてあるんですね」
と納得したら、その絵の良さもわかるのだろうか。
「いや、これは抽象画なんです」
と画家が訂正したら、とたんにわからなくなるのか。
アジサイだろうとアルファベットだろうと抽象だろうと、目の前にある線や色が、題名しだいでぱっと変わるはずもない。
森村泰昌氏は、抽象画はネクタイを選ぶことと同じようなものだと言った。うまいことを言うと思う。
「アジサイなら分かる」という人は、レジメンタルのネクタイをどうやって選んで買っているのだろうか。シャツやカーテンやカーペットはどうするのだろうか。
ところで、外山さんは、自閉症の人などの施設に通って絵を指導している。
ただし、別に何を教えるでもなく、一緒になって作業をしているだけだそうだ。
たしかに、「教え」てどうにかなるものでもない。
このモビールのような作品は、その際の副産物で、施設の通所者と一緒に根気強く線をマーカーで引いたもの。それだけでは面白くないので、紙に切り込みを入れて、立体にしている。「でも、誰もほめてくれないんだよな」と外山さん。
個人的には、すごくおもしろいと思った。いわば、フランク・ステラがアール・ブリュットに出合ってしまってできあがった作品みたいなものだから。
2014年4月7日~12日(土)午前10時~午後5時
札幌時計台ギャラリー(札幌市中央区北1西3)
■外山欽平油絵個展(2010)
■第三十三回北海道抽象派作家協会秋季展(2009年10月)
■第36回北海道抽象派作家協会展(2009年4月)
■外山欽平油絵個展(2009年3-4月)
■2008年の個展
■07年の個展
■06年の個展
■04年の個展
■03年の個展
■02年の個展(画像なし)
■01年の個展(画像なし)