![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/83/9f5b2c0deadd5517a97415f1d1b672b1.jpg)
(承前。画像は関係ありません)
4.若手は「脱・ギャラリー」
札幌では、スカイホールや時計台ギャラリーなどが歴史のある貸しギャラリーだが、どういう美術家が利用しているのだろう。
これは、ちょっと決めつけ過ぎかもしれないけど、典型的なパターンとしては、
(1)教育大学か大谷短大、首都圏の美術系大学などを卒業して、
(2)道内の学校で教壇に立つか、カルチャーセンターで講師を担当し
(3)道展や全道展、新道展、もしくは全国の団体公募展に出品を重ねるとともに、
(4)上記のギャラリーで毎年あるいは隔年で個展を開き、団体公募展に出品した100号大の絵と、新作小品を展示する
というものであろう。
こういうパターンで活動する、セミプロの画家や彫刻家が、北海道の(札幌の)美術史のメーンストリームをつくってきたといえる。
しかし、いまの40歳未満の美術家で、このようなライフスタイルをとっている人は少なくなっている。
外的な条件としては、少子化や、学習指導要領の変化で、美術教員のわくがどんどん狭まっているということがある。
高い倍率を超えて先生になれたとしても、美術準備室をアトリエがわりに自作を描く-というような悠長なやりかたは昔話になっているらしい。
より本質的な現象は、若い世代の、アート制作に対する考え方が微妙に変化しているということではないか。
若い世代は、団体公募展で「上」をめざしたりそのために100号大の絵(ほとんど売れる可能性はない)を描いたりすることには興味がない人が多い。そうやって、耐えた後の栄光を求めるよりも、マイペースで活動を続ける人が多いように感じる。また、スキル(技術)を向上させることよりも、自分の気持ちを表現することのようを優先するようである。
したがって、彼(女)らの行動パターンは
(1)100号の絵のような、日本の住宅事情からは必然性のない作品はつくらず、小品をもっぱら制作する
(2)団体公募展などで競争することを好まない
(3)よって、貸しギャラリーはあまり利用しない。むしろ、カフェや、小品を置いているお店を発表の場とする
ということになる。
ここで、やっと「カタログ」の話になる。
5.アートイベントの可能性
「カタログ vol.1 ~sodatsu~」
とは、9月12、13の両日、モエレ沼公園ガラスのピラミッドで初めてひらかれた催し。
アート展と、エレクトロニカをメーンとした音楽ライブの2本立てで、アートは入場無料だった。
主宰者の方と偶然すこし立ち話できたのだけれど、けっこうな入場者数だったらしい。
もちろん、このイベントを目がけてきたのではなく休日に公園にやって来てたまたま入った人も多いのだろうが、2日間で数百人も入る展覧会は、札幌ではそれほど多くない。
美術系大学の出身でもなく、小さな手作り品を手がけたり、イラストを描いたり、写真を撮ったり-といった若い人々にとっては、なんとなく入りづらいギャラリーよりも、こういうイベント会場の方が気軽に足を運べるのだろう。
筆者は、ギャラリーのほうが慣れているから、出品者ひとりひとりのスペースがずいぶん狭いと感じたけれど、若い出品者にとってはこれぐらいでちょうどいいのかもしれない。
「カタログ」は、早くも10月にクラブイベントとのコラボ企画を行うことが決定している。
こんどは入場料がかかるそうだ。
ライブやDJイベントなら有料、アート展なら無料というのは慣例にすぎないのかもしれない。
筆者は正直なところ、或る期間内ならいつでも行ける-というのが、展覧会の良い点だと思っているので、先日のマジカル・キャンプにせよ、こんどの「カタログ」にせよ、短い日程のイベントが増えるのは、正直言って困る。
しかし、アートと日常の距離を縮めたいと感じており、音楽などと一緒の舞台で活動することに抵抗のない若い世代にとっては、自然なことなのだろう。
http://catalog.kibaco.net/
(いちおう、この項おわり)
4.若手は「脱・ギャラリー」
札幌では、スカイホールや時計台ギャラリーなどが歴史のある貸しギャラリーだが、どういう美術家が利用しているのだろう。
これは、ちょっと決めつけ過ぎかもしれないけど、典型的なパターンとしては、
(1)教育大学か大谷短大、首都圏の美術系大学などを卒業して、
(2)道内の学校で教壇に立つか、カルチャーセンターで講師を担当し
(3)道展や全道展、新道展、もしくは全国の団体公募展に出品を重ねるとともに、
(4)上記のギャラリーで毎年あるいは隔年で個展を開き、団体公募展に出品した100号大の絵と、新作小品を展示する
というものであろう。
こういうパターンで活動する、セミプロの画家や彫刻家が、北海道の(札幌の)美術史のメーンストリームをつくってきたといえる。
しかし、いまの40歳未満の美術家で、このようなライフスタイルをとっている人は少なくなっている。
外的な条件としては、少子化や、学習指導要領の変化で、美術教員のわくがどんどん狭まっているということがある。
高い倍率を超えて先生になれたとしても、美術準備室をアトリエがわりに自作を描く-というような悠長なやりかたは昔話になっているらしい。
より本質的な現象は、若い世代の、アート制作に対する考え方が微妙に変化しているということではないか。
若い世代は、団体公募展で「上」をめざしたりそのために100号大の絵(ほとんど売れる可能性はない)を描いたりすることには興味がない人が多い。そうやって、耐えた後の栄光を求めるよりも、マイペースで活動を続ける人が多いように感じる。また、スキル(技術)を向上させることよりも、自分の気持ちを表現することのようを優先するようである。
したがって、彼(女)らの行動パターンは
(1)100号の絵のような、日本の住宅事情からは必然性のない作品はつくらず、小品をもっぱら制作する
(2)団体公募展などで競争することを好まない
(3)よって、貸しギャラリーはあまり利用しない。むしろ、カフェや、小品を置いているお店を発表の場とする
ということになる。
ここで、やっと「カタログ」の話になる。
5.アートイベントの可能性
「カタログ vol.1 ~sodatsu~」
とは、9月12、13の両日、モエレ沼公園ガラスのピラミッドで初めてひらかれた催し。
アート展と、エレクトロニカをメーンとした音楽ライブの2本立てで、アートは入場無料だった。
主宰者の方と偶然すこし立ち話できたのだけれど、けっこうな入場者数だったらしい。
もちろん、このイベントを目がけてきたのではなく休日に公園にやって来てたまたま入った人も多いのだろうが、2日間で数百人も入る展覧会は、札幌ではそれほど多くない。
美術系大学の出身でもなく、小さな手作り品を手がけたり、イラストを描いたり、写真を撮ったり-といった若い人々にとっては、なんとなく入りづらいギャラリーよりも、こういうイベント会場の方が気軽に足を運べるのだろう。
筆者は、ギャラリーのほうが慣れているから、出品者ひとりひとりのスペースがずいぶん狭いと感じたけれど、若い出品者にとってはこれぐらいでちょうどいいのかもしれない。
「カタログ」は、早くも10月にクラブイベントとのコラボ企画を行うことが決定している。
こんどは入場料がかかるそうだ。
ライブやDJイベントなら有料、アート展なら無料というのは慣例にすぎないのかもしれない。
筆者は正直なところ、或る期間内ならいつでも行ける-というのが、展覧会の良い点だと思っているので、先日のマジカル・キャンプにせよ、こんどの「カタログ」にせよ、短い日程のイベントが増えるのは、正直言って困る。
しかし、アートと日常の距離を縮めたいと感じており、音楽などと一緒の舞台で活動することに抵抗のない若い世代にとっては、自然なことなのだろう。
http://catalog.kibaco.net/
(いちおう、この項おわり)
プロもアマも、凄い人は凄いし、そうじゃない人もたくさんいる。いい作品を作る人は「偉い」のかもしれないですね。
でも、やっぱり「偉い」「偉くない」ではないかなと思います。
イベントの件についてですが、ヤナイさんのおっしゃるとおり、日程が短いとなかなか行きづらいですし、個人的には勿体ない気がします。
長ければ良いという訳ではないかも知れないけど、ある程度の期間は必要ですよね。せめて2週間とか。
その分運営が大変になるのは当然ですが、ボランティアスタッフを増やす方法は幾らでもあるし、現状はそれが出来ていない。
せっかく自治体や企業からお金を貰っても、スタッフの確保や期間の問題など、運営面を改善して行かないといいイベントは作れないと思います。
素晴らしい作家を呼ぶことは大切ですが、まずはその受け皿を作らなければ始まらない。幾ら美味しいお酒でも、紙コップで飲むのとグラスで飲むのとは違うということです。
追記:パンフレット送れていなくてすいません。会期は終了してしまいましたが、近日中に送りたいと思います。
「偉い」
ということばは、たしかにあんまりふさわしくないかもしれないですね。
まあ、あまりニュアンスは考えないでいただければ。
2週間もあればうれしいですが、最低4、5日はあって、そのなかに土、日曜があればいいと思いますよ。
すばらしい作家をよぶ、というのは、北海道ではまだまだ大事です。
こうしてみると、まだ北海道は、イベントはこれからというか、発展途上だと思います。