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神田小川町から上野へ=東京'18ーイ(12)

2018年02月11日 20時40分29秒 | つれづれ日録
承前)

 2017年1月28日。

 朝、所用で神田小川町へ。

 次の目的地は上野公園の東博(東京国立博物館)だったが、電車で行ったら、開館時間には早すぎる。
 ぶらぶらと散歩がてら、歩いて行くことにした。

 このコースはこれまで一度も歩いたことがない。
 かつて「神田カルチェラタン」と称されたことからもわかるように日大や明治など大学の建物が多い。しかも、やたらと高層だったりする。 
 冒頭画像は通称ニコライ堂。東京の名物建築であるが、初めて見た。美しいドームは、関東大震災で壊れたらしい。

 道なりに進んでいくと、聖橋ひじりばしがあって、神田川とJR中央線の御茶ノ水駅を渡る。
 聖橋は関東大震災の復興事業として架けられたという。
 例によって、神田川はかなり深いところを流れている。
 橋を渡ると、左手は東京医科歯科大で、かつては昌平坂学問所などがあった日本の大学の発祥地。お茶の水大学は、ここの地名をかぶせられているとのことで、女子大が創立してからお茶の水にたっていたことがあったというわけではない。

 道を挟んで右側(東側)は湯島聖堂で、これもなかなか由緒のありそうなところで一度見たかったのであるが、まだ10時になっておらず、門があいていなかった。


 湯島聖堂前の交叉点を過ぎると、急に道幅が狭くなる。
 この道の入り口あたりに、木版画出版で有名な芸艸堂うんそうどうがあった。もちろん日曜なので閉まっている。

 この狭くなった道路が、下り坂になっているのは、画像をご覧になるとわかるとおり。
 高低差から判断する限り、信号機の見えるあたりに昔、小さな川が流れていたのではないかと推察されるが、くわしいことはわからない。

 画像の手前右は文京区湯島1丁目、ちょっと進むと千代田区外神田2丁目で、小さい街路が自治体の境界になっているあたりは北海道人の想像を絶する。

 このまままっすぐ坂を下っていけば良かったのかもしれないが








という看板を目にして、つい小道を右に入ってしまった。


 すると、小さな児童公園があった。

 宮本公園というらしい。

 東京の都心では貴重なスペースだと思われる。

 積もった雪がなかば氷になったまま、解けきらずにいた。
 こんな光景を東京で見るのは珍しい。
 いかに今年の冬が厳しいかということを示している。


 公園の端には胸像が台座に載って建立されている。
 地域の教育に尽くした実業家の三谷長三郎(1869~1932)という人らしい。

 なぜこんな像の写真を撮ったかというと、この作者が北村西望であると明記されていたからである。

 北村西望が、長崎平和祈念像などで知られる日本近代彫刻の大物であることは、言うまでもあるまい。


 さて、小さな公園を出てふらふら歩いていると、神田明神(神田神社)が見えてきた。

 この神社は「ラブライフ」の舞台となったことでアニメファンになじみ深い存在となっているらしく、筆者が訪れたときには「ご注文はうさぎですか」ののぼりが林立していた。
 正直なところ、これって神様のやしろにふさわしい光景なんだろうかと首をひねってしまったが、むしろ、憲法改正の署名を求める看板などが目立っていることもある近年の神社よりもよっぽどいいのではないかと、考え直した。

 境内には、銭形平次の碑(この近所に住んでいた)もあった。


 


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