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栃内忠男さんの訃報に思う

2009年09月12日 00時46分50秒 | 新聞などのニュースから
承前

1.略歴

 栃内さんは1923年、札幌生まれ、札幌在住。
 旧制北海中学を卒業し、戦後は北海高校の教壇に長く立って、美術部顧問として後進を育成した。

 戦争直後に発足した全道展には、創立展から出品。55年に会員となった。
 61-70年、10年間の長きにわたって事務局長を務めている。近年は2年ほどで交代するのが通例なので、おそらくこの記録は二度と破られないだろう。

 また、独立展にも出品して、59年に最高賞である「独立賞」を受賞(なお、おなじ年に、故砂田友治さんも受賞している)。64年に独立展会員に推挙された。

 賞関係では、1969年、第2回北海道秀作美術展に「翼」を出品して道立美術館賞。
 1982年に札幌市民芸術賞、86年に北海道立近代美術館賞、1997年に北海道文化賞、2007年に北海道新聞文化賞を、それぞれ受賞している。
 また、1993年には、「栃内忠男展」が札幌芸術の森美術館で開催され、98年には、共同文化社から大冊の画集も出版されている。

 独立展に出品したのは、札幌第二高等小(現柏中)の先生からもらった美術雑誌「みづゑ」で独立展の特集をしていたのがそもそものきっかけとなっている。

 以前、筆者の取材に対して栃内さんは

しばらくの間、白黒の写真図版を毎日見ていたなあ。独立展の名が強く印象に残るとともに、絵画とは単にものを写すのではなく、創造するものだということが分かったんです。
 よく一人で絵をかきに出かけました。赤い自転車の荷台にイーゼルとキャンバスと絵の具箱を載せて、中島公園や円山公園に行ったものです。学校が終わってからだから、日没まであまり時間がない。集中してかきました。自宅の周囲も畑ばかりで広々としており、絵になる風景がたくさんありました。


と話していた。(北海道新聞1998年3月10日「私のなかの歴史」第2回)


2.栃内さんの絵画観

 そうだ。
 筆者は夕刊の連載シリーズ「私のなかの歴史」を書くため、西線沿線にある栃内さんの31.5畳(!)もあるアトリエに何度か通ったものだった。
 じぶんで言うのもなんだが、いま読んでも、よくまとまっており、ここで全10回の全文を引用したくなる。

 最終回の第10回で、栃内さんは、次のように語っておられる。

 リンゴだけを題材にした絵を描き始めたのは八五年ごろです。リンゴは、構図を勉強するのにとてもいいんですよ。自由に並べ換えられるし、置く場所をちょっと変えただけで全然別の構図になる。それに、リンゴはほぼ球体でしょう。球体はいわば形の根源です。単純なだけに、絵にするのは難しいですね。

 ぼくがいちばん描きたいのは、形です。リンゴはあくまでもモチーフ。北国の風土とか、物語性などはあまり考えない。風土を表面的にとらえるのではなく、もっと普遍的なところを目指したい。

 抽象、貝、自画像など、いろいろ絵が移り変わってきました。でも画家は、外に表れるものは変わってゆくのが本当だと思う。ピカソだってめまぐるしく画風が変化していったでしょう。自己模倣になったらだめなんです。

 ただ、心の奥深くに、意識というか感情というか、自分に絵をかかせる何かがある。それは十代のころから変わらないし、ぼくにとってはずっと以前から、絵イコール形。絵画とは、形の美の追求なんです。


 ここに、まさに栃内さんの絵画観の核心が込められていると思う。

 「形」か「色」か、というのは、(すくなくとも西洋近世・近代にあっては)絵画をめぐって永遠の二項対立ともいえるが、ここで栃内さんは、はっきりと「形」の側に立っている。
 これは、キュビスムとピカソが「形」重視であったことと、符牒が合っているともいえる。
 栃内さんは、ロマン派的な思考・嗜好とはついに無縁であった。どこまでも「絵画」の美を追究した点では、モダニストであったと思うのだ。


3.大正・戦後は遠く

 栃内さんは、1977年から10年間、札幌時計台ギャラリーで年1度ひらかれたグループ展「玄の会」のメンバーであった。
 大正生まれの画家・彫刻家の集まりとして注目を集めた「玄の会」の、ほかの顔ぶれは、伊東将夫、小谷博貞、砂田友治、亀山良雄、坂坦道、本田明二の各氏。これで全員が鬼籍に入ったことになる。

 栃内さんの記憶力はおそるべきもので、戦後いつの独立展にどんな作品が出ていたとか、全道展創立のころはどうだったとか、じつによくおぼえておいでであった。
 戦後の北海道美術の流れを肌で知る人がまたひとりいなくなってしまった。
 さびしく、また残念でならない。


市立札幌病院で(作品画像あり)


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2 コメント

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お通夜に参列して (ichigo)
2009-09-12 21:36:31
昨年、入院先の病室からお手紙を頂きました。
便箋の原稿用紙には、病室の番号が書かれ、すぐお見舞いに行きました。
1階のスターバックスの珈琲をごちそうして下さって、他愛のない私の話をおもしろそうに聞いて下さって、気がつくと、2時間も経っていました。
祭壇のお写真はあの時と同じ優しさがこぼれ、ただ涙・涙・涙のお別れをしてきました・・・
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こんばんは (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2009-09-13 02:40:08
ichigoさん、コメントありがとうございます。
晩年は、さいとうギャラリーでの個展などで顔をあわせる機会がなかったのですが、独立北海道展やどんぐり会展では元気に顔を出していらしたという話を聞いていたので、まさか入院なさっているとは、まったく知らなかったです。

お通夜に出て、もう1本エントリを書きました。
あらためてご冥福をお祈りいたします。
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