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■島田鮎子展(4月16日まで)

2007年04月16日 07時36分07秒 | 展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト
 不勉強な人間のたわごととして、読み流していただければ幸いなのですが、今回島田鮎子さんの個展を拝見し、あるいはキュビスムは、こういうかたちへの発展もありえたのかな-という思いを持ちました。
 彼女の絵を評するときは、この個展の副題も「たおやかな詩情」と題されていることからもわかるように、ムード的な側面を語られることが多いようです。もちろん、絵をどうやって見るかは、各自の自由ですが、もうすこし造形的な面からも見ないと、不十分なのではないかという気がするのです。
 キュビスムの運動には、立体をキャンバスという平面上に表現するとは、そもそもどういうことなのか-という問題意識があったのではないかと愚考するのですが、島田さんの絵にも、同様の問題の設定があるのではないでしょうか。彼女の絵は、多くが、室内風景を大胆に解体し、真上から、あるいは真横からの角度で見たような図柄になっています。直線が画面をいくつかに区切り、その各ブロックの中に弧がいくつも引かれています。さらに、アクセント的に、星のような形や人の顔などが添えられ、画面を硬直的な感じから救っています。「詩情」をうんぬんされるのは、あるいはこの顔などのためかもしれませんが。
 本来、立体のものを、平面の上にうつすというのは、すごく不自然で、アクロバティックな行為です(そのことを最初に自覚したのは、たぶんセザンヌ)。平面に移植した際に、解体されたモティーフで、なお絵画が構築し得るのか。島田さんの絵には、そういう問いかけが宿されているように、筆者には読み取れるのです。

 もうひとつ、目を引いたのが、筆触の跡です。
 いうまでもなく、西洋の絵画では、筆の跡を目立たせず、鏡のように塗り上げた画面が良しとされてきました。その伝統を最初に崩したのがマネだと思います(あらためてさかのぼればゴヤやエル・グレコなどにも筆触の跡があるけれど)。とりわけ、セザンヌの場合は、筆触の跡を、絵の要素として、活用していたようです。
 これは、いろんな意味があると思うのですが、空間の震えのようなものの表現にも一役買っているし、「絵であること」の自己言及性もあるでしょう。ちょっとむつかしい話になりますが、かつては絵は、あたかも現実そのもののような顔をしていたのですが、それが19世紀末ごろ、嘘であることが暴露され、絵は絵に過ぎないことが明らかになった-。筆触の跡は、そういう事態の表明であるとも考えられるのです。

 なんだか、りくつっぽい話になってしまいました。
 ふだん、日展系の穏当な写実絵画の小品がならんでいる会場に、抽象に近い、色数も乏しい絵が展示されています。それも100号が6点もあるのは、壮観です。「三越、やるじゃん」と思いました。

 島田さんは1934年、東京生まれ。東京藝大卒。名古屋在住。国展会員。
 97年に、安田火災東郷青児美術館大賞を受賞しています。


07年4月10日(火)-16日(月)10:00-20:00(最終日-17:00)
三越札幌店(中央区南1西3 地図B) 


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2 コメント

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Unknown (コバヤシ)
2007-04-16 20:43:57
みれなくって、すごく残念です…
写真などあれば、是非みせてください。
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Unknown (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2007-04-17 00:17:32
なんだか、わけのわからない文章になってしまって、すいません。
ようするに書いた本人も、いまいちわかってないんだと思います。

写真は、デパートの中なので、ありません。
このへんを見てください。

http://images.google.co.jp/images?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rls=GGLD,GGLD:2005-10,GGLD:ja&q=%E5%B3%B6%E7%94%B0%E9%AE%8E%E5%AD%90&oe=UTF-8&um=1&sa=N&tab=wi
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