(承前)
6月8日の網走行きの続き。
モヨロ貝塚館を出て歩きだす。
直射日光がきつくて、暑い。
飛び出し危険の看板が貝塚の近くにあった。
すっかりさびているが、電話番号の市内局番が一桁で、「CD」ではなく「レコード」になっているあたり、かなり古そうだ。
網走川沿いの造船所はなくなったが、海の近い風情は変わっていない。
エコーセンターでは、オホーツク2dayマーチの参加者たちが次々とゴールしていた。2日間かけて北見や網走をひたすら歩く、という催しである。
次の行き先は道立北方民族博物館だが、網走川沿いに野外彫刻があったことを思い出して川べりを歩く。中央橋のあたりに来て、見つけたので、別の記事で紹介する。
新橋まで来て、乗るはずのバスが目の前を通り過ぎていったのに気づいた。
やれやれ。
反対側の岸辺を歩いて、バスターミナルに戻るが、しばらく市内線も来ないようだ。
(ここらへんの記憶がすでにあいまいなのだが、ターミナルへの途中、ほとんど人通りのないアプトフォー商店街を歩き、フジヤ書店で岩波文庫の「病床六尺」を買った。それから、たぶんバスで、潮見まで行き、はぜや珈琲へ行った)
はぜや珈琲で、少しの間、コーヒーを飲んでほっと一息。
これは、かなり幸福なひとときだった。
6月8日の網走行きの続き。
モヨロ貝塚館を出て歩きだす。
直射日光がきつくて、暑い。
飛び出し危険の看板が貝塚の近くにあった。
すっかりさびているが、電話番号の市内局番が一桁で、「CD」ではなく「レコード」になっているあたり、かなり古そうだ。
網走川沿いの造船所はなくなったが、海の近い風情は変わっていない。
エコーセンターでは、オホーツク2dayマーチの参加者たちが次々とゴールしていた。2日間かけて北見や網走をひたすら歩く、という催しである。
次の行き先は道立北方民族博物館だが、網走川沿いに野外彫刻があったことを思い出して川べりを歩く。中央橋のあたりに来て、見つけたので、別の記事で紹介する。
新橋まで来て、乗るはずのバスが目の前を通り過ぎていったのに気づいた。
やれやれ。
反対側の岸辺を歩いて、バスターミナルに戻るが、しばらく市内線も来ないようだ。
(ここらへんの記憶がすでにあいまいなのだが、ターミナルへの途中、ほとんど人通りのないアプトフォー商店街を歩き、フジヤ書店で岩波文庫の「病床六尺」を買った。それから、たぶんバスで、潮見まで行き、はぜや珈琲へ行った)
はぜや珈琲で、少しの間、コーヒーを飲んでほっと一息。
これは、かなり幸福なひとときだった。
(この項続く)