(承前)
ところで、経済学の世界であれば、先に挙げたアダム・スミス「国富論」やマルクス「資本論」あたりが押しも押されもせぬ古典であろうし、教育学ならルソー「エミール」、ペスタロッチ「隠者の夕暮」、フレーベル「人間の教育」などは、どんな関係者が選んでも古典に位置づけられるだろう。
しかし、芸術、美術の世界で
「これを読んでおかなくちゃ」
という本って、あまりきかないような気がする。
筆者が無知なだけなんだろうか。
10冊挙げられれば美しいのだが、とりあえずいま考えられるのは…
岸田劉生「美の本体」
ベンヤミン「写真小史」
柳宗悦「民藝四十年」
「ロダンの言葉」
「ゴッホの手紙」
カント「判断力批判」
あたりだろうか。
自信ないなあ。
「これはおもしろい!」
という本はけっこうあると思うのだが、それが「古典」とよぶにふさわしいかどうかは、まったく別の問題なのである。
ところで、経済学の世界であれば、先に挙げたアダム・スミス「国富論」やマルクス「資本論」あたりが押しも押されもせぬ古典であろうし、教育学ならルソー「エミール」、ペスタロッチ「隠者の夕暮」、フレーベル「人間の教育」などは、どんな関係者が選んでも古典に位置づけられるだろう。
しかし、芸術、美術の世界で
「これを読んでおかなくちゃ」
という本って、あまりきかないような気がする。
筆者が無知なだけなんだろうか。
10冊挙げられれば美しいのだが、とりあえずいま考えられるのは…
岸田劉生「美の本体」
ベンヤミン「写真小史」
柳宗悦「民藝四十年」
「ロダンの言葉」
「ゴッホの手紙」
カント「判断力批判」
あたりだろうか。
自信ないなあ。
「これはおもしろい!」
という本はけっこうあると思うのだが、それが「古典」とよぶにふさわしいかどうかは、まったく別の問題なのである。
っていうのがすごいですね!
漢字が新しくても、読むのは大変だと思います。ヘーゲルの本って、読みづらい哲学書の代名詞ですよね。
資本論も1巻だけ
ゼミのテキストで使っていた、エンゲルスの「猿が人間になるについての労働の役割」は見事に自分があたったところだけ黒くなっていて、他は真っ白です。
エンゲルス「猿…」は、読み物としてはともかく、ネタ本になっているモルガン「古代社会」の「群婚」という概念が、レヴィ=ストロースらの文化人類学の研究によって完全に否定されましたから、もはや過去の書物といえそうです。
というカテゴライズが、どうなんだろうか。
学として美を考えるなら美学、芸術学、美術史などの古典的名著があると思うし
技法論や画家が論じる評論や精神論もいろいろ。
そしてまた、古典とは何かと考えると、ルネッサンスにまで遡れそう。
ヤナイさんが挙げた近代日本美術に関わるような古典…
「資本論」と同時代の本なら、西洋あるいはアメリカ近代美術における古典…みたいな感じでいろいろ本は出てきそう。
あるいは「古典が今面白い!」という企画があって提案すべきものなら「今面白い」の部分もかなり重要なんでしょうね。アクチュアルな古典って、なんだろう。
ロザリンド・クラウスが「ヴィデオのメディウムはナルシシズムである」と言っていたので(「ヴィデオを待ちながら」展図録)
ビデオアート関連でアルベルティ『絵画論』(1436年刊。「あの花に化身したナルキッソスこそ、絵画の発明者であった」)とか、どうだろう…○○氏が読み直すアルベルティ。読みたい。誰が読み直すんだろう?
「必読文献で、しかもある程度年月の評価に耐えてきた本」
を想定したもので、あまりアカデミスム一辺倒でもないのですよ。
カントはちょっと異質かもしれないけど。
アルベルティとか、ヴァザーリ、「本町画人伝」、バシュラールといったあたりも、ちょっと脳裡をよぎりましたが、なにせワタシが読んでないもので…。
お恥ずかしいです。
「新しい古典」については、項をあらためた方が良さそうですね。
たとえば、ロラン・バルト「明るい部屋」はちょっと新しすぎるかなと思い、入れませんでした。