昨年10~12月に、東京の目黒区美術館で開かれた展覧会(概要はこちら)の、唯一の巡回先が、大阪でも名古屋でもなく、人口三千数百人の置戸町だというだけで、なんとなく痛快な感じがするのは、筆者だけだろうか。
この巡回展が置戸で実現したのは、秋岡が、置戸の名物である「オケクラフト」の生みの親にして、名付け親であったという縁による。
また、秋岡はおもにプロダクトデザイナーとして活躍したが、長年かけて蒐集した日本の道具類およそ1万8千点を置戸町に寄贈している。
デザイナーといっても、グラフィックデザインについては、アートに興味のある人はいきおいふれる機会が多くなるだろうし、また若い女性などがファッションデザインに関心を抱くのはふつうだと思う。
しかし、美術館で、工業デザインや家具デザインを正面切ってとりあげることは、まだまだ少ない。
今回の展覧会には、三菱鉛筆の「モノ」、ミノルタの一眼レフカメラ、学研の「科学」の付録、国鉄の「あさかぜ」など、じつに多方面に及ぶ秋岡芳夫のデザインしたものが並ぶ(ただし「モノ」のあずき色などはメーカー側で最終決定した由である)。
わたしたちの暮らしの中にとけこんで、作者の存在を声高に主張はしないが、確実に暮らしを豊かに、かつストレスの少ないものにしている…。それが、工業のデザインなのだと思った。
今回の展覧会で驚かされたのは、秋岡芳夫という人の幅の広さである。
若い頃は、駒井哲郎などとともに銅版画に取り組んでいたし、絵本の挿絵、本の装丁などもある。他のデザイナーとの共同作業も多く、写真も早くから撮り、著書も数多い。そんな多忙な日々の合間を縫って、竹とんぼをたくさん作っている(ちなみに、膨大な竹とんぼを挿している容器はすべてニッカのモルトウイスキーの瓶で、秋岡さんはお酒も好きだったんだろうなあ)。
秋岡芳夫と置戸のつながりは、1983年2月、講演のために置戸を訪れたことがきっかけ。
なおらいの席で秋岡は、旧知の時松辰夫を派遣することを提案し「工芸的発想を基に置戸から新たな生活文化発信の重要性を説いた」(パンフレット3pより)という。
時松は3カ月後から置戸に足しげく通い、工芸品に向かないとされてきた針葉樹で、曲げ桶や椀、どんぶりなどを、受講者たちと試作する。さっそく秋岡は「芸術新潮」で、これらを「オケクラフト」として紹介するとともに、11月には、日本橋高島屋で「北ッ子-白い器オケクラフト展」開催にこぎつける。
いまあらためて、このスピード感に驚嘆せざるを得ない。
と同時に、北海道のあらゆる商品に共通する「作っても、販路が…」という悩みを、スタート時点で解消しようとしていることには、驚いてしまう。
それからおよそ30年。
過疎化と人口の一極集中、さらに、生活全般を安価な大量生産品が覆う傾向は、相変わらずである(というか、ますます強まっている)
秋岡芳夫の、生活を変えてみないかという現代人への問題提起はいまなお有効なのだろうと思う。
2012年8月11日(土)~9月9日(日)
オホーツク管内置戸町中央公民館
併設展「生涯教育から秋岡さんとの出会い」:置戸町生涯学習情報センター
なお、中央公民館から旧国鉄の線路を挟んで反対側の商店街では、「謎解き道具展」と題し、秋岡芳夫の道具コレクションを1点ずつ、店頭のショーウインドウに展示していた。
「これは、何の道具でしょう?」
と通行人に問いかけ、次のお店で答えを提示するという、なぞなぞの形式をとっている。
機械化が浸透した上、生産現場と消費現場がすっかり離れてしまった現代人には、難問ぞろいであった。
しかし、道具コレクションは地味な存在なので、こういう光の当て方はとてもおもしろい。
せっかく、日本にほかに例を見ないコレクションがあるのだから、おりにふれて活用していってほしい。
「謎解き道具展」
8月1日(水)~9月17日(月)
置戸町商店街
この巡回展が置戸で実現したのは、秋岡が、置戸の名物である「オケクラフト」の生みの親にして、名付け親であったという縁による。
また、秋岡はおもにプロダクトデザイナーとして活躍したが、長年かけて蒐集した日本の道具類およそ1万8千点を置戸町に寄贈している。
デザイナーといっても、グラフィックデザインについては、アートに興味のある人はいきおいふれる機会が多くなるだろうし、また若い女性などがファッションデザインに関心を抱くのはふつうだと思う。
しかし、美術館で、工業デザインや家具デザインを正面切ってとりあげることは、まだまだ少ない。
今回の展覧会には、三菱鉛筆の「モノ」、ミノルタの一眼レフカメラ、学研の「科学」の付録、国鉄の「あさかぜ」など、じつに多方面に及ぶ秋岡芳夫のデザインしたものが並ぶ(ただし「モノ」のあずき色などはメーカー側で最終決定した由である)。
わたしたちの暮らしの中にとけこんで、作者の存在を声高に主張はしないが、確実に暮らしを豊かに、かつストレスの少ないものにしている…。それが、工業のデザインなのだと思った。
今回の展覧会で驚かされたのは、秋岡芳夫という人の幅の広さである。
若い頃は、駒井哲郎などとともに銅版画に取り組んでいたし、絵本の挿絵、本の装丁などもある。他のデザイナーとの共同作業も多く、写真も早くから撮り、著書も数多い。そんな多忙な日々の合間を縫って、竹とんぼをたくさん作っている(ちなみに、膨大な竹とんぼを挿している容器はすべてニッカのモルトウイスキーの瓶で、秋岡さんはお酒も好きだったんだろうなあ)。
秋岡芳夫と置戸のつながりは、1983年2月、講演のために置戸を訪れたことがきっかけ。
なおらいの席で秋岡は、旧知の時松辰夫を派遣することを提案し「工芸的発想を基に置戸から新たな生活文化発信の重要性を説いた」(パンフレット3pより)という。
時松は3カ月後から置戸に足しげく通い、工芸品に向かないとされてきた針葉樹で、曲げ桶や椀、どんぶりなどを、受講者たちと試作する。さっそく秋岡は「芸術新潮」で、これらを「オケクラフト」として紹介するとともに、11月には、日本橋高島屋で「北ッ子-白い器オケクラフト展」開催にこぎつける。
いまあらためて、このスピード感に驚嘆せざるを得ない。
と同時に、北海道のあらゆる商品に共通する「作っても、販路が…」という悩みを、スタート時点で解消しようとしていることには、驚いてしまう。
それからおよそ30年。
過疎化と人口の一極集中、さらに、生活全般を安価な大量生産品が覆う傾向は、相変わらずである(というか、ますます強まっている)
秋岡芳夫の、生活を変えてみないかという現代人への問題提起はいまなお有効なのだろうと思う。
2012年8月11日(土)~9月9日(日)
オホーツク管内置戸町中央公民館
併設展「生涯教育から秋岡さんとの出会い」:置戸町生涯学習情報センター
なお、中央公民館から旧国鉄の線路を挟んで反対側の商店街では、「謎解き道具展」と題し、秋岡芳夫の道具コレクションを1点ずつ、店頭のショーウインドウに展示していた。
「これは、何の道具でしょう?」
と通行人に問いかけ、次のお店で答えを提示するという、なぞなぞの形式をとっている。
機械化が浸透した上、生産現場と消費現場がすっかり離れてしまった現代人には、難問ぞろいであった。
しかし、道具コレクションは地味な存在なので、こういう光の当て方はとてもおもしろい。
せっかく、日本にほかに例を見ないコレクションがあるのだから、おりにふれて活用していってほしい。
「謎解き道具展」
8月1日(水)~9月17日(月)
置戸町商店街
コメントありがとうございます。
秋岡さんの資料は目黒区美術館にもあると思いますよ。いま、彼の撮影した写真の展覧会を、開催中です。
置戸は小さいマチですが、駅舎跡をギャラリーにしてしまったり、学校給食のおばさんが二度と同じメニューを出さない名物栄養士だったり、「人間ばんば」という全道的なイベントがあったり、図書館の人口当たり図書貸し出し数で日本一になったり、不思議なところです。