目をつむる。
じっとしていると、茫漠とした光が、まぶたの裏をゆっくりと移動していくのがわかる。
わたしは、それを「見て」いるのか。
残像は、実体のあるものではないだろう。
目を開ければ、それは跡形もなくなってしまうものだから。
でも、たしかにそれは、見えているのだ。
ふいに脳裡をよぎる遠い記憶。
あるいは、風のように心の中を吹きすぎる、たいせつな人へと寄せる思い。
それらは残像に似ていないだろうか。
佐藤さんは1936年、空知管内雨竜町生まれ。
女子美短大を卒業、札幌で教壇に立ちつつ、自由美術展に出品を続けてきた。
1975年には会員推挙、2003年には自由美術賞を受賞している(自由美術は、会員も対象)。
また、89年以降は隔年、99年から2006年までは毎年、札幌時計台ギャラリーで個展を開いてきた。
この間、描いてきたのは、一貫して抽象画である。
今回、同ギャラリーの2階3室すべてを使って開いた「自選展」にも、1961年の作から近作までが並ぶが、すべて抽象画だ。
ただ、この10年ほど描いている、パステルを用いて鮮烈な色彩を表現した「さくらさくら」や「finish」の連作を先に陳列し、過去へとさかのぼる構成になっている。
筆者もその展示の仕方に共感した。
初めて見るC室の旧作も見ごたえがあるが、やはり真骨頂は、A・B室の作品だと思うからだ。
明滅するフラッシュのように、あざやかな色が、綿密なストロークの中に点在する画面。
そこには、かたちもモティーフもないのに、画家の思いが光っている。
ちょうど残像のように。
「さくらさくら」(2000年)
今回、最も大きな作品で、縦は116センチ、横は390センチにもおよぶ。
パステルとは思えないほど堅牢なマティエールと、鮮やかな色彩は、写真ではとうてい再現できない。
はらはらと舞い、ほんの数日のうちに散ってしまう桜の花。
それは、まさにわたしたちの記憶の破片のようであり、残像のかけらのようでもある。
ついにことばにならない、切れ切れの思いが、画面のあちこちにちらばる光と色に、しずかにこめられているのだと思う。
最新作「からみあう情景」(2008年)
163.0×163.0センチ。
こちらは一転して、沈んだ色調。しかし、鈍くかったるい発色ではない。
雨の日を思い出させるかのようなストロークが画面を覆っている。
彼女の絵は、ピンクや灰色のほか、白やレモンイエローなども用いられている。ときには鮮烈すぎるように感じられても、バランスはとれ、不自然さはない。
繰り返しになるが、なにも描かれていないようで、多くのことが描かれているのだ。
2009年4月27日(月)-5月2日(土)10:00-18:00(最終日-17:00)
札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3 地図A)
(以下別項。過去の展覧会のリンクも別項に)