Ausstellung Gruppe Sehen
2010 Jun 14 - 19
Sapporo Tokeidai Gallery
(長文です)
1981年から毎年、札幌時計台ギャラリーで続けてきた展覧会もこれが最終回となった。
会場の入り口で、立派な図録をいただいた。
詳細に記された沿革を読み、これまでの筆者の認識が誤っていたことが分かり、反省した。
自分は、結成当時から「グルッペ・ゼーエン」は7人(33回展から現在まで6人)だとばかり思っていたのだ。
実は、1964年に、道学芸大(現在の道教育大)特設美術課程・美術科専攻課程を卒業したメンバーによって第1回展のときには、なんと25人もいたというのだ。
この中には、現メンバーの西本久子、丸藤信也、野崎嘉男、多田紘一、玉木憲治の5氏と、33回まで出品していた照井栄一氏が名を連ねているが、井上象元氏の名が見当たらない。ただ「井上康」という名はあるから、あるいは「象元」は号なのかもしれない。
メンバーのうち、筆者がほかに知っているのは、道内を代表する抽象画家である杉山留美子氏と、ときおり「ゆうざん展」と題した2人展をひらいている山本美次氏、全道展に出品している波田道則氏、道展会員の猪狩肇基氏の4人。筆者が知らないだけの人もいるかもしれないとはいえ、半数以上は、表だった作家活動から手を引いてしまったのだろうと思われる。
「創作を継続することの困難さ」をあらためて感じざるを得ない。
沿革によると、第1回展は、1964年8月4~9日、HBC3条ビルギャラリーで開かれた。
「グルッペ・ゼーエン」の名付け親であり、美術教育の第一人者である鬼丸吉弘道教大名誉教授は、第1回展の案内状に次のような文を寄せている。
アートの根源を射抜くような深さのある言葉だと感じる。
1965年には2回、66年には3回開催されているが、67年1月の第7回展の後、少し間があく。
70~72年に、札幌大丸ギャラリー(スカイホールの前身であろう)で年1回開催されている。72年の第10回展では、猪狩肇基、伊藤一雄、竹内督人、多田紘一、玉木憲治、照井栄一、野崎嘉男、丸藤信也、山本美次の10氏となっており、西本さんが不参加なのが意外だ。
この後、10年近いブランクがあり、1981年の第11回に、猪狩、井上、多田、玉木、照井、西本、野崎、丸藤の8氏が、札幌時計台ギャラリーを会場にするという、ほぼ現在に近いスタイルになったのである。猪狩氏が第16回の直後に退会したので、7人による時期が最も長い。
たまたま時計台ギャラリーが7室あるのを利用して、ひとり1室ずつの個展形式で展覧会を開いたことが、第23回(93年)、第27回(97年)、第30回(2000年)、第33回(2003年)と、計4度もある。このことからしても、「ゼーエン」が、よくある「おつきあい」のグループ展などでは決してなくて、作家による真剣勝負の舞台であることがわかる。
図録の後半は、最終メンバー6人の紹介である。
井上象元さんは、毎年岐阜からはるばる参加しておられた。ほぼ一貫して抽象の版画である。
近年の「きざし」シリーズは、前進色と後退色をたくみに織り交ぜた画面。規則的ともランダムともいえる模様の配置は、まさに「見る悦楽」を感じさせる名人芸だと思う。
多田紘一さんは木彫。
1963年に道展協会賞を受けておられる。現在は会員。
筆者には、2001年「風と祭りシリーズから 行列」の写真が印象に強い。過剰な重い意味づけから解き放たれた軽やかさとたくまざるユーモアが感じられるからだ。しかし、バランスや造形はしっかりと骨太なものがある。
1981年の「早春」は石膏着色の裸婦像、93年「白い環」は石膏の抽象作品で、近年とはかなり作風が異なるのが意外だった。
玉木憲治さんは木版。岩見沢在住。
道展会員だが、道版協には所属していない。
玉木さんも一貫して抽象である。単純な図形の反復がその基調だが、幾何学的・機械的な繰り返しではない、そこに生まれるゆらぎのようなもの、あるいは、ズレのようなものに、作品の肝があるように感じる。
西本久子さんはテキスタイル。道展会員。
この分野では北海道を代表するひとりといっていいだろう。
筆者が見始めてからずっと取り組んでいる「ふぁー」のシリーズは、オーガンジーのような軽量の薄い布をさまざまな色で染め上げ、インスタレーション的に配置するもの。
とりわけこの数年は、筒のような形にして会場のあちこちに取り付けている。空調のために布がゆらゆら動くのが心地よい。
図録には、1983年の「にゅうー」の図版も掲載されている。格子模様と手の絵の組み合わせで、この時代はまだ具象のしっぽを引きずっていたのだろう。
「ふぁー」シリーズになってからの軽みは、本当に心地よい空間を形成していると思う。
野崎嘉男さんは油彩。
「ゼーエン」以外にも、1970年代を代表するグループ「12稜空間」のメンバーでもあった。81年には第4回北海道現代美術展で優秀賞を得て、これにより道内を代表する抽象画家のひとりと目されるようになった(ということであってますか?)。
野崎さんはその後画風を一変させ、正方形という幾何学的な図形を規則的に配置する作品に取り組み始めた。さらに90年代後半からは、それぞれの正方形の中で絵の具をシンプルなまるやギザギザ線などでひっかくようになった。近年は、それぞれの正方形が傾いたり、画面の一部に絵の具が流れるような模様が横断したりして、幾何学的な画風からの脱却を図っているように見えて、最終的には離れていない。
ここで野崎さんは、単純に、幾何学的な抽象画を仕上げるのではなくて、冷たい抽象性と軽やかな即興性という、本来は両立しがたいふたつの属性を、おなじ画面のなかでなんとか止揚させようと苦心を続けているように筆者には見える。なかなか前例のない試みであろう。
丸藤信也さんも「12稜空間」の一員。作品はアクリルだ。
道展の会員だったが、その後退会。どちらかというと、「THE VISUAL TIME」や「アーティストユニオン」「TODAY」といった、団体公募展とは一線を劃した各種グループ展で、道内外や韓国などで活躍していたという印象がある。
なんといっても昨年のこの展覧会で発表した「366日」が圧巻。ツイード織りのような、細い線を連ねた模様と、円を重ね、色彩の交響をさまざまに実現させているのだが、それを1日1枚、1年間にわたって制作したのだからものすごい。古今和歌集とはだいぶ違うけれど、それでも、北国の微妙な季節感が十全に表現されている。北海道美術史の2009年の項に特筆されるべき意欲作であると断言したい。
意匠によって日本的なものに回帰する人はちょくちょくいるが、純粋な色彩の方法論によって日本人ならではの絵画に挑んでいる丸藤さんの姿勢は、すごいと思う。
こうしてみると、グルッペゼーエン最後のメンバーは、具象作家がひとりもおらず、比較的軽やかな抽象作品に取り組んでいる人ばかりであるといえそうだ。
抽象でも、たとえば小谷博貞や難波田龍起のように存在の重みを感じさせる作風もある。しかし、そういう人生論的、哲学的な深刻さから解き放たれて、純粋な造形追求の世界にあそぶ作品も良いものだ。
長い間お疲れ様でした。また機会があれば作品を拝見させてください。
2010年6月14日(月)~19日(土)10:00~6:00(最終日~5:00)
札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3 地図A)
■第34回(2004年)
■第33回 七つの個展(2003年)
■第32回 (2002年)
■第31回(2001年)
■土と布の対話-下沢トシヤ・西本久子二人展 (2006年)
■丸藤信也個展(2003年)
2010 Jun 14 - 19
Sapporo Tokeidai Gallery
(長文です)
1981年から毎年、札幌時計台ギャラリーで続けてきた展覧会もこれが最終回となった。
会場の入り口で、立派な図録をいただいた。
詳細に記された沿革を読み、これまでの筆者の認識が誤っていたことが分かり、反省した。
自分は、結成当時から「グルッペ・ゼーエン」は7人(33回展から現在まで6人)だとばかり思っていたのだ。
実は、1964年に、道学芸大(現在の道教育大)特設美術課程・美術科専攻課程を卒業したメンバーによって第1回展のときには、なんと25人もいたというのだ。
この中には、現メンバーの西本久子、丸藤信也、野崎嘉男、多田紘一、玉木憲治の5氏と、33回まで出品していた照井栄一氏が名を連ねているが、井上象元氏の名が見当たらない。ただ「井上康」という名はあるから、あるいは「象元」は号なのかもしれない。
メンバーのうち、筆者がほかに知っているのは、道内を代表する抽象画家である杉山留美子氏と、ときおり「ゆうざん展」と題した2人展をひらいている山本美次氏、全道展に出品している波田道則氏、道展会員の猪狩肇基氏の4人。筆者が知らないだけの人もいるかもしれないとはいえ、半数以上は、表だった作家活動から手を引いてしまったのだろうと思われる。
「創作を継続することの困難さ」をあらためて感じざるを得ない。
沿革によると、第1回展は、1964年8月4~9日、HBC3条ビルギャラリーで開かれた。
「グルッペ・ゼーエン」の名付け親であり、美術教育の第一人者である鬼丸吉弘道教大名誉教授は、第1回展の案内状に次のような文を寄せている。
≪見えるものを写すのではなく見えるようにするのだ≫と言ったのはパウル・クレーでしたが、彼の立場に賛成するかしないかにかかわらず、見るという一つのことがらの中には常に美術家の全存在がかけられていると言ってよいでしょう。ゼーエン(視)という言葉には、そういった深い響きがこもっています。年々新たな世界を華開かせてほしいというのが、このグループの名にこめられた願いです。
アートの根源を射抜くような深さのある言葉だと感じる。
1965年には2回、66年には3回開催されているが、67年1月の第7回展の後、少し間があく。
70~72年に、札幌大丸ギャラリー(スカイホールの前身であろう)で年1回開催されている。72年の第10回展では、猪狩肇基、伊藤一雄、竹内督人、多田紘一、玉木憲治、照井栄一、野崎嘉男、丸藤信也、山本美次の10氏となっており、西本さんが不参加なのが意外だ。
この後、10年近いブランクがあり、1981年の第11回に、猪狩、井上、多田、玉木、照井、西本、野崎、丸藤の8氏が、札幌時計台ギャラリーを会場にするという、ほぼ現在に近いスタイルになったのである。猪狩氏が第16回の直後に退会したので、7人による時期が最も長い。
たまたま時計台ギャラリーが7室あるのを利用して、ひとり1室ずつの個展形式で展覧会を開いたことが、第23回(93年)、第27回(97年)、第30回(2000年)、第33回(2003年)と、計4度もある。このことからしても、「ゼーエン」が、よくある「おつきあい」のグループ展などでは決してなくて、作家による真剣勝負の舞台であることがわかる。
図録の後半は、最終メンバー6人の紹介である。
井上象元さんは、毎年岐阜からはるばる参加しておられた。ほぼ一貫して抽象の版画である。
近年の「きざし」シリーズは、前進色と後退色をたくみに織り交ぜた画面。規則的ともランダムともいえる模様の配置は、まさに「見る悦楽」を感じさせる名人芸だと思う。
多田紘一さんは木彫。
1963年に道展協会賞を受けておられる。現在は会員。
筆者には、2001年「風と祭りシリーズから 行列」の写真が印象に強い。過剰な重い意味づけから解き放たれた軽やかさとたくまざるユーモアが感じられるからだ。しかし、バランスや造形はしっかりと骨太なものがある。
1981年の「早春」は石膏着色の裸婦像、93年「白い環」は石膏の抽象作品で、近年とはかなり作風が異なるのが意外だった。
玉木憲治さんは木版。岩見沢在住。
道展会員だが、道版協には所属していない。
玉木さんも一貫して抽象である。単純な図形の反復がその基調だが、幾何学的・機械的な繰り返しではない、そこに生まれるゆらぎのようなもの、あるいは、ズレのようなものに、作品の肝があるように感じる。
西本久子さんはテキスタイル。道展会員。
この分野では北海道を代表するひとりといっていいだろう。
筆者が見始めてからずっと取り組んでいる「ふぁー」のシリーズは、オーガンジーのような軽量の薄い布をさまざまな色で染め上げ、インスタレーション的に配置するもの。
とりわけこの数年は、筒のような形にして会場のあちこちに取り付けている。空調のために布がゆらゆら動くのが心地よい。
図録には、1983年の「にゅうー」の図版も掲載されている。格子模様と手の絵の組み合わせで、この時代はまだ具象のしっぽを引きずっていたのだろう。
「ふぁー」シリーズになってからの軽みは、本当に心地よい空間を形成していると思う。
野崎嘉男さんは油彩。
「ゼーエン」以外にも、1970年代を代表するグループ「12稜空間」のメンバーでもあった。81年には第4回北海道現代美術展で優秀賞を得て、これにより道内を代表する抽象画家のひとりと目されるようになった(ということであってますか?)。
野崎さんはその後画風を一変させ、正方形という幾何学的な図形を規則的に配置する作品に取り組み始めた。さらに90年代後半からは、それぞれの正方形の中で絵の具をシンプルなまるやギザギザ線などでひっかくようになった。近年は、それぞれの正方形が傾いたり、画面の一部に絵の具が流れるような模様が横断したりして、幾何学的な画風からの脱却を図っているように見えて、最終的には離れていない。
ここで野崎さんは、単純に、幾何学的な抽象画を仕上げるのではなくて、冷たい抽象性と軽やかな即興性という、本来は両立しがたいふたつの属性を、おなじ画面のなかでなんとか止揚させようと苦心を続けているように筆者には見える。なかなか前例のない試みであろう。
丸藤信也さんも「12稜空間」の一員。作品はアクリルだ。
道展の会員だったが、その後退会。どちらかというと、「THE VISUAL TIME」や「アーティストユニオン」「TODAY」といった、団体公募展とは一線を劃した各種グループ展で、道内外や韓国などで活躍していたという印象がある。
なんといっても昨年のこの展覧会で発表した「366日」が圧巻。ツイード織りのような、細い線を連ねた模様と、円を重ね、色彩の交響をさまざまに実現させているのだが、それを1日1枚、1年間にわたって制作したのだからものすごい。古今和歌集とはだいぶ違うけれど、それでも、北国の微妙な季節感が十全に表現されている。北海道美術史の2009年の項に特筆されるべき意欲作であると断言したい。
意匠によって日本的なものに回帰する人はちょくちょくいるが、純粋な色彩の方法論によって日本人ならではの絵画に挑んでいる丸藤さんの姿勢は、すごいと思う。
こうしてみると、グルッペゼーエン最後のメンバーは、具象作家がひとりもおらず、比較的軽やかな抽象作品に取り組んでいる人ばかりであるといえそうだ。
抽象でも、たとえば小谷博貞や難波田龍起のように存在の重みを感じさせる作風もある。しかし、そういう人生論的、哲学的な深刻さから解き放たれて、純粋な造形追求の世界にあそぶ作品も良いものだ。
長い間お疲れ様でした。また機会があれば作品を拝見させてください。
2010年6月14日(月)~19日(土)10:00~6:00(最終日~5:00)
札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3 地図A)
■第34回(2004年)
■第33回 七つの個展(2003年)
■第32回 (2002年)
■第31回(2001年)
■土と布の対話-下沢トシヤ・西本久子二人展 (2006年)
■丸藤信也個展(2003年)