2010年8月15日の北海道新聞朝刊から。
日本のプロレタリア美術を代表する画家であり、戦後は手稲(現札幌市)に転じて、生活に根差したリアリズム絵画を追求した大月源二の、これは現在記録が残っているうちで最も早いものでしょう。
おそらく、新収蔵品展が来春開かれ、そこで見られるものと思います。
この記事では、大月の一般的な知名度が低いので、小林多喜二に絡ませた書きかたになっています。それは誤りではないのですが、多喜二の存在なしでも、道内の美術史に残る画家です。
【小樽】小林多喜二の代表作「蟹工船」の挿絵で知られるプロレタリア画家、大月源二(1904~71年)が、旧制小樽中学(現小樽潮陵高)時代、16歳で描いた水彩の風景画が見つかった。所有者は市立小樽美術館に寄贈の意向で、10日に届けられた。同美術館は「多喜二と知り合って間もないころの、大変貴重な作品」と位置づける。
大月は函館生まれで小樽育ち。1歳年上の多喜二とは、小樽中学時代に水彩画サークルで親交を深めた。
東京美術学校(現東京芸大)を卒業後、1924年(大正13年)に多喜二が雑誌に「蟹工船」を発表した時、挿絵を描いた。
見つかった水彩はB4判の画用紙に描かれた林道の風景画。1920年7月30日の日付と大月の署名が絵の右下に記されているほか、裏面に作品名と思われる「緑陰の道」との筆書きがある。
絵は、旧制小樽中出身の画家武石文樹さん(81)=茨城県取手市=が、戦後間もなく同中美術室の大掃除の際に見つけ、自宅に保管していた。「うまい絵だと思ったが、当時は大月のことも、彼の絵ということも知らなかった」と話す。(以下略)
日本のプロレタリア美術を代表する画家であり、戦後は手稲(現札幌市)に転じて、生活に根差したリアリズム絵画を追求した大月源二の、これは現在記録が残っているうちで最も早いものでしょう。
おそらく、新収蔵品展が来春開かれ、そこで見られるものと思います。
この記事では、大月の一般的な知名度が低いので、小林多喜二に絡ませた書きかたになっています。それは誤りではないのですが、多喜二の存在なしでも、道内の美術史に残る画家です。
ぜひ行きたいと思いますので、その節には
情報をいただけますよう宜しくお願いいたします。
ただ、来年も開催されると決まったわけではありませんので、同館のサイトなどをご覧いただければと思います。
わたしも注意は払いますが、ここでは、現地に行ったり、小樽の美術館のチラシを入手することはほぼ不可能なので…。ご了承ください。