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■青塚誠爾回顧展 木田金次郎とともに (9月24日で終了)

2007年09月25日 23時53分05秒 | 展覧会の紹介-絵画、版画、イラスト
 
 木田金次郎の最後の弟子で、岩内港を現場で描き続けた青塚誠爾さん(1923-2005年)の個展。
 1943年の「風景」から2005年の「元朝の漁港(遺作)」まで20点を展示した。ただし、20点のうち、「美国・茶津海岸」(58年)「漁港」(75年)「アイリス」(2004年)は1-12日のみ、「網のある風景」(59年)「揚船場」(76年)「元朝の漁港」(04年)は13-24日のみの展示となった。

 木田金次郎美術館の設立に奔走し、初代館長、のち名誉館長を務めた青塚さんは、北海道新聞に2000年に連載されたインタビュー「私のなかの歴史」で、木田先生とおなじ屋根の下で展示するなんて恐れ多くてできない-と答えていることから、同館での展覧会は、おそらく最初で最後のものになりそうだ。

 生前の青塚さんには、スカイホール(中央区南1西3、大丸藤井セントラル7階)での個展や、「グループ環」の展覧会の際に、何度かお会いしたが、木田金次郎への敬慕の念は、こちらにもひしひしと伝わってくるほど、強いものであったと記憶している。
 毎年元旦から港で絵筆を執り、その篤実かつ謙虚な人柄で、木田亡きあとの岩内派をささえた人であった。

 ところで、筆者は、2000年の「元朝の漁港」をとおして、おだやかだった青塚さんの内にひそむ情熱というか、画家魂にふれ、おどろいたのだった。

 この作品は、ポスターにも採用されて、青塚さんの代表作といってもよい1枚だと思うのだが、じつはポスターや図録に印刷されている絵と、展示されている絵が、細部で微妙に異なっているのだ。

 たとえば、左側の船。
 空をつきさしているマストの高さの配置が、印刷の絵と実物ではすこしずつ違う。
 先頭のマストの左側まで斜めのロープが延び、赤い旗がふたつひるがえっている。
 前方の左右に穴があいているが、実物の絵ではそこから舷側にロープが連なっている。
 その周辺の、白の筆触のめだつ部分は、丁寧に筆が置きなおされ、筆触がわからなくなっている。
 舷側から垂れ下がっている黄色の太いロープは、オレンジに塗り替えられている。
 そのロープよりも後ろ側に、もう1本同様の太いロープが垂れ下がっており、さらに後ろに、船体に色の濃い部分がある。
 船尾にぶらさがっている緑の布を支えるひもが1本増えている。

 右側の船も、先頭のロープが長くえがかれ、赤い旗が2つ増えている。
 舷側から先頭部のふたつの穴にのびるロープが加わっているのも同様だ。

 岸辺に目を移すと、ふたつの船の間に見える空間に、紫色の建物と煙突がかきくわえられている。
 右端に立っている塔のようなものが1本増えている。

 しかし、何より異なっているのは、空の色調だろう。
 印刷の画面では、青と薄い灰色が基調なのだが、実物では、青が薄くなり、白い雲は薔薇色を帯びている。
 これで、全体の画調が、「朝の港」から「早朝の港」に変わり、あたたかみを増した。
 そして、右下に入っているサインが、印刷物では見られないのも、大きな違いだ。

 ところで、念のため、道展75周年記念会員展の図録にもあたってみた。
 そうしたら、おどろいたことに、今回のポスターの写真とも、実際の絵とも、違っていたのだ。
 おそらく、両者の中間で撮影されたものと思われる。船の左右前方の穴と舷側をつなぐロープは、左側の船では描かれているが、右側の船にはまだない。
 前方の赤い旗もまだ描かれていないし、舷側から垂れ下がる茶色の太いロープも1本しかない。
 最大の違いは、サインが赤茶色の絵の具で左下にあることだろう。
 題も「朝の漁港」となっている。
 出品と巡回が終わって、じぶんの手元に戻ってきてから、さらに手を加えたために、異同が生じたのかもしれない。その際、一度は入れたサインを消して、あらためて右下に入れなおしたのかもしれない。
 なお、この作品は、第75回道展には出品されていないようだ。

 もちろん、全体の構図などはかわっていない。しかし、最後の最後まで修正を続ける姿勢に、感服したのだった(まあ、もとより絵描きというのは、そういうものなんだろうけど)。

 この展覧会で見る限り、初期の絵は、おなじ時期の木田の絵にわりとよく似ている。
 木田の画歴では、めずらしく、明度の高い色を、輪郭線を用いずに、画布上に配していた時代だ。
 その後、青塚さんの絵は写実が基調となり、絵の具をたたきつけるような激しいタッチの木田の絵とは、やや離れていく。
 青塚さんがほんとうの意味で自立した画家になるのは、やはり木田歿後のことだったような気がする。

 今回、最後まで筆を入れつづけた青塚さんの姿勢を確認して、「一水会ふうの写実」などということばで青塚さんの絵をかんたんに見ようとしていたじぶんの不明を恥じた。
 とくに晩年の諸作では、おだやかさと雄渾さがみごとに同居しているのだ。


07年9月1日(土)-24日(月)
木田金次郎美術館(後志管内岩内町万代51-3)


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2 コメント

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大変恐縮ですが (岡部里佳子)
2007-09-26 03:01:20
TB申請ありがとうございます。
拙ブログは(内容は雑ですが)、おそらく貴殿の方がお詳しいことでしょうが、いちおう公のサイトの一部となっておりまして、コメント並びにTB承認の際に、申請いただいた方並びにブログ等を確認させていただいております。
貴殿がどなたか、だいたいの見当はついておりますが、万が一ということもございますし…

できればTBと同時にコメントもいただければ幸いでしたが、申し訳ございませんがこちらからご連絡させて頂きました。

お気を悪くなされるかもしれませんが、一応確認のためコメント差し上げます。

私本人の行動ならびに発言はがお気に召さないかもしれずこのような事を言うのも失礼でしょうが、今後とも木田金次郎美術館をご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。
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コメントありがとうございます (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2007-09-27 23:44:44
 べつに気に召さないことはないのですが、正直申しましてわかりかねるところがあります。

「TBといっしょにコメントも」
というのは、一般的ではないルールだと思います。
 自らのblogでローカルルールを主張されるのであれば、それはわかりやすいところに明示しておくのが筋ではないでしょうか。

「blog主の承認のないトラックバックは反映されません」
という但し書きであれば、一般的ですが。
 岡部様が承認する、しない、について、わたしがなにかを申し上げるつもりはございません。

 わたしは氏素性を隠しているわけではなく、本館(北海道美術ネット)をさがせばすぐにわかります。
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