北海道新聞の3月31日付おくやみ欄によると、帯広の全道展会員で画家の渡邉禎祥さんが30日亡くなったようです。89歳でした。
渡辺禎祥さんは、本名は「さだよし」ですが、「ていしょう」と呼ばれていました。
札幌では2014年に札幌時計台ギャラリーで個展を開いています。
また、十勝管内鹿追町の福原記念美術館でも2019年、個展「昭和の音色」を開催しました。
その頃の作品で、筆者の印象に残っているのは、イタリアのベネチアの風景に材を得てそれを再構成した「追想ー013」などです。
2011年、道立帯広美術館が企画・開催した「十勝の美術クロニクル」には、1966年作の「鋼矢板」が出品されていました。
当時の筆者は
「高さの異なるH字鋼がいくつも並んでいる光景を描いているだけなのだが、妙に記憶に残る。」
と記しています。
全道展では1970年に奨励賞を受け、翌71年、会友になりました。
会員に推挙されたのは2005年でした。
独立展にも何度か出品しています。
渡邉禎祥さんについて知る人ぞ知るエピソードといえば、神田日勝の有名な肖像写真を撮影したことです。
渡邉さんは日勝の「ゴミ箱」に感銘を受け、66年の全道展で初めて対面。70年に日勝が急逝するまで親交を深めたということです。
ネット検索しても出てきませんが、たばこをふかしている、やや横向きの笑顔の写真を、見たことがある人も多いでしょう。
成人男性の過半数が喫煙者だった当時でも、日勝はたばこをのまなかったそうですが、実はこのときはヤラセなどではなく実際に吸っていたという証言もあります。
十勝で若い画家・彫刻家が次々と出て、元気だった時代です。
昨年秋に同町の神田日勝記念美術館で開かれた開館30周年記念展Ⅲ「第2回躍動する十勝の美術作家展」にも出品していたと聞いています。
ご冥福をお祈りします。
渡辺禎祥さんは、本名は「さだよし」ですが、「ていしょう」と呼ばれていました。
札幌では2014年に札幌時計台ギャラリーで個展を開いています。
また、十勝管内鹿追町の福原記念美術館でも2019年、個展「昭和の音色」を開催しました。
その頃の作品で、筆者の印象に残っているのは、イタリアのベネチアの風景に材を得てそれを再構成した「追想ー013」などです。
2011年、道立帯広美術館が企画・開催した「十勝の美術クロニクル」には、1966年作の「鋼矢板」が出品されていました。
当時の筆者は
「高さの異なるH字鋼がいくつも並んでいる光景を描いているだけなのだが、妙に記憶に残る。」
と記しています。
全道展では1970年に奨励賞を受け、翌71年、会友になりました。
会員に推挙されたのは2005年でした。
独立展にも何度か出品しています。
渡邉禎祥さんについて知る人ぞ知るエピソードといえば、神田日勝の有名な肖像写真を撮影したことです。
渡邉さんは日勝の「ゴミ箱」に感銘を受け、66年の全道展で初めて対面。70年に日勝が急逝するまで親交を深めたということです。
ネット検索しても出てきませんが、たばこをふかしている、やや横向きの笑顔の写真を、見たことがある人も多いでしょう。
成人男性の過半数が喫煙者だった当時でも、日勝はたばこをのまなかったそうですが、実はこのときはヤラセなどではなく実際に吸っていたという証言もあります。
十勝で若い画家・彫刻家が次々と出て、元気だった時代です。
昨年秋に同町の神田日勝記念美術館で開かれた開館30周年記念展Ⅲ「第2回躍動する十勝の美術作家展」にも出品していたと聞いています。
ご冥福をお祈りします。