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聖心女子学院の裏に並んだ針葉樹を見て、半世紀以上前の記憶がよみがえる

2024年05月31日 06時54分00秒 | つれづれ日録
 急な坂を下りてきて、札幌聖心女子学院の裏手に針葉樹の大きな木が並んでいるのを見て、ふいに昔のことを思い出した。

 市電が円山公園まで走っていたころ。
 筆者はまだ学校に上がる前で、おそらく家族で円山公園か動物園に行っていた帰りだと思う。
 父親が唐突に、円山バスターミナルからバスに乗ってみようと言いだした。

 札幌市内には西野、啓明などいくつかの市営バスのターミナルがあった(啓明ターミナルは現存する)。
 地下鉄開通の前にも、都心部まで乗り入れず、バスターミナルどまりの路線も存在した。
 円山バスターミナルはのちに拓銀の社宅が建つ場所にあった。当時、わずか1路線が発着していた。
 現在のジェイ・アール北海道バス「円14 荒井山線」の前身である。
 マイクロバスと呼ばれる小さな車体で運行していたのではないだろうか。

 当時も、現在の「円15 動物園線」が、バスセンターからアフターケア(円山西町2丁目)まで走っていた。どうして荒井山線だけが円山公園の電停のバスターミナルどまりだったのかは、よくわからない。

 荒井山線は宮の森シャンツェ行きだが、かつては、札幌聖心女子学院のあたりが終点だった。
 札幌冬季五輪のあと、宮の森地区は急速な宅地化が進んだ。しかしそれ以前は、動物園のあたりから西側は、人家もまばらな田舎だった。
 バスの終点附近も、同学院ぐらいしか建物がなく、針葉樹の黒々とした姿が強い存在感を帯びて、そこに在ったことが、なぜか記憶に刻まれている。

 あたりになにもなく、べつに用事もなかったので、折り返しのバスに乗って円山バスターミナルへ戻ったのだった。

 宮の森2条16丁目周辺は、小学校でも中学校でも遠足で通った、懐かしさを感じる一帯である。
 ただ、小学3年生のとき、上述のささやかなバス旅行のときとあまりに周囲の様相が一変していたので驚いた記憶が鮮明だ。

 山奥のお嬢さま学校だった札幌聖心女子学院は来春、閉校の予定である。

 なにもかもが変わっていく中で、針葉樹林だけが半世紀前の面影を残している。不思議な感覚におそわれる。




(アートに関係のない個人的な話題で失礼しました)


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