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2017年12月1日のこと

2017年12月10日 22時34分24秒 | つれづれ日録
 この日はさいとうギャラリーである若手の個展を見た。

 高校時代から近作までの銅版画などが展示してあった。
 若い人っていいな、と正直思ったのは、誰が見ても、技術的な水準が年を追って向上しているのが一目瞭然なこと。これははたち前後の世代の特権だろう。年をとると、こうはいかない。

 絵のなかには村上春樹『羊をめぐる冒険』に題材を得たものなどがあり、読書などからインスピレーションを得ているようだった。これは、やっている人がいそうであまりいない。
 近代美術が挿絵や宗教といった「他の文脈」からの独立とともに成立したという歴史的経緯をかえりみれば当然のことかもしれないが、取り組む人がそろそろ出てきてもよいのではないかと、漠然と思う。文学と美術(絵画)は、もともと疎遠な仲じゃない。

 ところで、作品の中に「どうすることもできない仕組み II」と題した版画があった。
 チャプリンの映画『モダン・タイムス』に触発されて作ったものだという。
 古い工場などがデフォルメされて表現されていた。

 筆者はこの題を目にしたとき、ものすごい違和感を抱いた。
 なぜならチャプリンには「どうすることもできない」という諦念はみじんもないからだ。彼は、あの非人間的な大量生産システム・資本主義的生産様式が、人間の生んだ仕組みであるならば、必ず人間の手で改善しうる―、そう信じていたに違いない。『チャップリンの独裁者』でも彼のデモクラシー擁護は誤解の余地のないほど明らかだし、『ライムライト』ではヒューマニズムをうたうストレートなメッセージがちょっとうざったいと感じないこともないほどで(ごめんなさい)、要するにチャプリンには、あきらめや冷笑やニヒリズムはまったく似合わないのだ。

 筆者は一度「ラ・ガレリア」の建物を出たのだが、やはり作者にひとこと聞いてみたほうが良いと考え、ふたたびエレベーターに乗って5階のギャラリーにもどった。

 作者にこの題の意図を尋ねたが、どうにも話はかみあわなかった。
 数年前の旧作で、当時は古い工場などの雰囲気が好きだったらしいと、自作ながら他人の作品のように話す。若い人だから、数年前でも大昔で、他人のような感覚なのかもしれないと思った。

 「人間のつくったものなら必ず人間がただせるはずだ」
という考えには、おそらくフリードリヒ・ハイエクが反論するであろう。
 もし人間が直せるのなら、たとえば不景気や恐慌などは存在しないだろうからだ。

 しかし、チャプリンの映画から「どうすることもできない仕組み」という結論を得たくはないし、やはり人間という存在を信じていきたいなあと思ったのだった。人類はすこしずつでも進歩すると思いたいし、思わなくてはやっていられないのだ。
 あるいは細かいことにこだわりすぎかもしれず、申し訳ありません。


 なお、これは個人的な意見ですが、チャプリンの映画、なかでも『モダン・タイムス』『チャップリンの独裁者』は絶対に見ておいた方が良いと思います。古典中の古典であり、ものを作る人にとっての超基礎的教養です。

(画像と文章は関係ありません)


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