北海道美術ネット別館

アート、写真、書など展覧会の情報や紹介、批評、日記etc。毎日更新しています

「福井爽人の絵 美しくて少し悲しい」(土岐美由紀著)

2010年07月16日 02時31分35秒 | つれづれ読書録
 美しい本である。
 北海道の美術に関する本はこれまでに何十冊も出版されているが、筆者が目にしたうちで最も美しい造本であるといっても過言ではないだろう。

 絵本を思わせる横長の判型。函から出すと、白い瀟洒しょうしゃな、厚手の表紙の本が顔を出す。
 12の章にわかれ、それぞれにカラーで絵の図版が印刷されている。
 画家の歩みにこと寄せて絵にまつわる文章をつづったのは、道立旭川美術館の学芸員、土岐美由紀さん。2006年、当時勤務していた札幌芸術の森美術館で「福井爽人展 紫の雨」を学芸員として担当した。
 以前から福井さんには注目していて、20年近い学芸員のキャリアを経てようやく実現した展覧会だったという。

 それだけに、画家に寄せるまなざしはあたたかい。
 画家の歩んできた道筋を羅列するのではなく、12の絵をいとぐちとして、画家の歩みと作品世界の魅力を語っていくというスタイルになっている。
 文章は平易で、読みやすい。評論というよりもエッセーに近いといえそうだ。しかし、そこには、通り一遍の解釈ではない、深い考察がにじみ出ている。

 福井のシルクロードへの旅は二〇数回を数える。画家は果てなくつづく黄金の砂地に座り、ひたすら描く。容赦なく照りつける陽射しに、ともすれば素手は火傷し、喉は乾ききる。それでも画家は旅しつづけた。壮大な歴史的ロマン、あるいは神秘的な自然現象を描くためとも違うように思われる。

 福井の絵には、いつも「生」への問いかけがある。たとえば、生の行きつくところ、その寸前、あるいはゆるやかな末期への助走をめぐって。それは慌ただしい日常の中で人々が忘れているもの。無意識に忘れようとしているのかもしれない。それを想うことがすこし怖くて悲しくて-。しかし、だれの心の奥底にもひっそりと巣くうそんな想いをゆさぶり、精神を波立たせるイメージがそこには紡がれている。 (62ページ「煌」)


 また、画家が院展で大観賞を受賞し、奥村土牛と面会の機会を得たとき、老大家から寄せられた励ましの言葉
「世間を気にするな-」
「古い新しいを気にするな-」
「写生をしなさい」
も忘れがたい。


 筆者(ヤナイ)は、福井爽人の絵を見るたびに
「甘美な絵だなー」
という感想を抱いていた。
 あえて言えば、昔ヘッセやシュトルムの文学を読んだときの甘酸っぱい心もちを回想しているかのような、そんな郷愁に近い思いである。

 甘美、郷愁というのは、大筋としては間違っていないとは思う。
 しかし、そういう手ごろな形容詞を見つけた段階で安心しちゃうというのは、あまりいいことじゃないだろう。
 福井爽人は、単に意匠として甘美で郷愁を誘う描法を選択しているわけではない。彼の「生」からにじみ出るものが、必然的に絵を、郷愁を感じさせるものたらしめているのだ。
「デミアン」が単に甘ったるいだけの作品ではないように。

 そういう、芸術に触れるにあたって非常にたいせつなことを、土岐さんの本が気づかせてくれたのだ。


 最後に指摘しておくと、北海道は道立美術館の学芸員が20人以上おり、全国の都道府県でも多い方だと思う。面積が広いという特殊性ゆえであるが、そのわりには、彼(女)らの著書はあまり見かけない。北海道新聞社の「ミュージアム新書」シリーズを除くと、中堅の学芸員の単著は初めてではないかと思う(学芸部長であれば以前、鈴木さんが神田日勝について1冊上梓している)。
 日々の仕事が忙しいのは承知の上で、これからも時々本を世に問うてくれれば、と期待している。


2010年5月25日発行
響文社(札幌)
1680円

関連ファイル
6月3日の日記(2)・紫の雨-福井爽人展オープニング
6月3日の日記(3)・紫の雨-福井爽人展つづき


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。