ことし1月18日の朝日新聞道内面から。
地名のふりがなは筆者がふりました。
上雨粉は、砂澤一家が戦後の一時期、農業を営んでいた場所です。
ただ、道新の旭川版にでていた同趣旨の記事を見ると、所蔵・展示場所はこれから決める、みたいなことを書いていました。
たしかに、上雨粉の公民館に所蔵しても、あまり人は見に来ないでしょう。とくに、「砂澤ビッキ館」みたいなものを整備するなら別ですが。
もし、そうしたとしても、市街地から遠く離れ、しかも中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館とは反対側の上雨粉地区では、かなり魅力的な施設にしないと、集客はきびしいものがあると思われます。
おなじ道新の記事に、旭川市は砂澤ビッキの彫刻を1点も所蔵していない、とあり、まさかと思って、市彫刻美術館のサイトでしらべてみたら、ほんとなんですね。
なお、道立旭川美術館には、代表作の「集呼吸A」「ニツネカムイ」などがあります。
旭川市は彫刻のまちづくりをすすめていますが、報道が地方版にとどまることが多いので、札幌までなかなか情報がつたわってきません。
道新あたりで、まとめてくれないですかね。
旭川出身の彫刻家・砂澤ビッキさん
作品、生まれ故郷へ
遺族、市に寄贈申し出
旭川市生まれのアイヌ民族の前衛彫刻家、砂澤ビッキさん(1931-89)の遺族が17日、旭川市に西川将人市長を訪ね、彫刻作品約10点などを寄贈することを申し出た。
札幌市に住む妻の涼子さん(64)は「作品が安らかに落ち着ける場所は生まれ故郷と思った」と説明した。寄贈するのは、涼子さんが所蔵する彫刻作品やデッサン、写真など数百点にのぼるという。
旭川市は「学術的にも大変貴重なものをありがたい」としており、市彫刻美術館の学芸員などが作品を調査したうえで、年内にも正式寄贈が決まる。砂澤さんが青春時代を過ごした同市神居町上雨粉(かむいちょうかみうぶん)にある公民館分室に所蔵する方針だ。
(以下略)
地名のふりがなは筆者がふりました。
上雨粉は、砂澤一家が戦後の一時期、農業を営んでいた場所です。
ただ、道新の旭川版にでていた同趣旨の記事を見ると、所蔵・展示場所はこれから決める、みたいなことを書いていました。
たしかに、上雨粉の公民館に所蔵しても、あまり人は見に来ないでしょう。とくに、「砂澤ビッキ館」みたいなものを整備するなら別ですが。
もし、そうしたとしても、市街地から遠く離れ、しかも中原悌二郎記念旭川市彫刻美術館とは反対側の上雨粉地区では、かなり魅力的な施設にしないと、集客はきびしいものがあると思われます。
おなじ道新の記事に、旭川市は砂澤ビッキの彫刻を1点も所蔵していない、とあり、まさかと思って、市彫刻美術館のサイトでしらべてみたら、ほんとなんですね。
なお、道立旭川美術館には、代表作の「集呼吸A」「ニツネカムイ」などがあります。
旭川市は彫刻のまちづくりをすすめていますが、報道が地方版にとどまることが多いので、札幌までなかなか情報がつたわってきません。
道新あたりで、まとめてくれないですかね。