![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/7a/f1af913419d49ab83fadf7f2d790d0de.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/3f/fad53a8d4ca55cb3885d8a522ee7547c.jpg)
しかも、左の画像のように「三つの噓」というテキストが付されています。
ただ、せっかく文章をつけて、訪れた人に思考を促すような仕立てになっていますが、筆者は純粋に「火を楽しんだ」という感じでした。
文章が邪魔だというつもりはないのですが、なくてもじゅうぶんに見ごたえがあったと思います。
おそらく、火は、じっと見つめていると(そして、いつまで見つめていても飽きないのが火の不思議なところなのですが)、内省を促す作用があるようなので、こういうテキストがついていても、不自然ではないのでしょう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/55/4b8dcf12911b057ea5a7d39926be82b9.jpg)
右側の部屋。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/e9/1020d76b70716e2a0bd5901e681e1078.jpg)
その向こう側に、ろうそくをつめこんだような古びた鳥かごが配されています。
左側の部屋との仕切りに吊り下げられている不織布は、パートナーのこんのあきひとさんが設営を手伝ったものでしょうか。
木の箱の中には、鳥の形をしたろうそくが隠れていて、先述した鳥かごとの関係を考えさせられます。
この展覧会では、マッチがおいてあって、火をつけるのは自由にできました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/c8/539fe83cc4aa058a210b111a56a4866a.jpg)
左側の部屋の手前、かつて押し入れだったとおぼしきスペースには、水槽が置かれて、その水の上に、色とりどりのろうそくが浮かんでいました。
先ほどの展示のキャンドルがすべて白だったのとは、対照的です。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/91/4e33235b4290a2b6fc83cd8272e315b1.jpg)
最後は、左側の部屋の奥に設置されていた、たてに長い作品。
冒頭の画像は、この作品の一部です。
トランクのような箱の中で燃える火が、どこか遠い場所や遠い時への思いをかきたてます。
天井に近いほうには、マティスの切り絵を思わせる、人間のかたちに切り抜いた紙がゆらゆらと踊っています。
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実は、美術作品に火を用いるということは、どの会場でもできることではないと思います。
悪臭や騒音を発するものはほぼすべての場合ご法度ですが、火を使うことも、いつでもどこでも可能ではありません。
(アートが自由であるならば、あまり制約が多いのも、いかがなものかと思いますが)
今回、キャンドルもさることながら、火それ自体が、個展のおおきなポイントになっていたのは間違いないことでしょう。
(話はすこし変わりますが、火を使ったアートというと、1986年ごろ、東京・品川の原美術館が企画したグループ展「ハラアニュアル」で見た遠藤俊克の作品を思い出します。やはり建物の中では難しかったようで、庭の芝生に埋め込んだ装置から円形の炎が上がっているというものでした)
もうひとつ、今回の会場では、BGMがなかなかよくて、作品の世界にぴったりと合っていたということを書き添えておきます。
ユニット「木箱」のキーボード、SAyAさんが担当したもののようです。
長い時間、しずかな音楽を聴きながら、ゆらゆらとゆれる炎を見ていたい。
そんな気持ちにさせられる展覧会でした。
2016年10月20日 (木)~27日(木)午後1時~8時
pecoranera gallery(札幌市中央区南6西23 http://pecoranera117.jimdo.com )
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