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北見・屯田公園にある彫刻の続き。
先に見たのは、初代公選市長と屯田兵関連のものでしたが、こんどは、どちらかというと民間人です。
北見というマチは、いまの中心部を屯田兵という「官」が、南部を北光社という「民」が開拓したという歴史を持っています。
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前田駒次について、やはり、北海道新聞社編の「北海道歴史人物事典」から引用することにします。
1858(安政5)~1945年(昭和20) 北光社農場管理人。政治家。高知県長岡郡本山村生まれ。1894年(明治27)浦臼の武市農場の指導者として北海道に渡り、余年陸路北見地方を踏査、開拓に有望なことを認めた。1897年北光社農場の指導者として112戸の移民とともに野付牛(現北見市、訓子府町)に入植した。土地の墾成と経営は困難を極めたが、社長らが現地を去った1904年からは農場の一切の経営を委ねられ、その責務を果たし、後年北見開拓の父と称えられるにいった(原文ママ)。1907年(明治40)から北海道会議員を7期、うち副議長2回、議長1回を務め、政友会系の論客としても知られた。また北見地方の鉄道敷設、農事試験場、中学校、銀行支店の誘致、常呂川治水、水稲栽培の促進などに尽力、町長も務めたが、清貧恬淡たる生涯を貫いた。北見市博物館前に銅像がある。
末尾に「博物館前」とありますが、現在はこの建物は、図書館だけで、博物館の機能は有していません。
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前田駒次の像が立っている緑地は「高知広場」という名がついています。
北光社は高知県出身者が中心であり、社長(代表)は、坂本龍馬のおいの直寛でした。
いまも北見市と高知市は姉妹都市の間柄です。
現在では屯田公園の図書館前に立っていますが、1954年(昭和29年)までは、市役所庁舎(10月から解体中)前の小公園にあったそうです(ヌプンケシ181号=北見市史編さん室ニュース)。
裏面の碑文を記します。
翁夙に公事に盡痒し北見の基を築く
市民其の徳を頌え之を後世に傅う
昭和二十四年六月
ルビは筆者がふりました。ちなみに「盡」は「尽」、「傅」は「伝」の正字(旧字)です。
なお、このブログでも何度も言及している小冊子、札幌彫刻美術館編「北海道の野外彫刻」に「前田駒次郎像」とあるのは、誤りです。
像の作者は不明です。
(11月20日追記。林弘尭さんにお聞きしたところ、伊谷半次郎翁像などと同じく、中野五一の作ではないかということでした)
□北見の観光情報 http://www.kitamikanko.jp/kanko/see/see18.html