その1. けさの新聞の社会面に、シド・バレットの死亡記事が出ていた。
超有名ロックバンド「ピンク・フロイド」の初代ボーカリストである。
1967年のファーストアルバム「夜明けの口笛吹き」に参加しただけで、間もなく精神のバランスを崩し、バンドを脱退している。
ファーストアルバムは、サイケデリックロック全盛期のシーンにあってかなりの売れ行きを示したとはいえ、のちのピンク・フロイドの巨大なあゆみにくらべれば、それほどの傑作とはいえないと思う。
じゃ、シド・バレットって大したことないじゃん、60年代にちょっとだけメジャーだっただけじゃん、ということになりそうだけど、決してそうではない。
ピンク・フロイドの73年のアルバム「狂気」(原題The Dark Side of the Moon)は、全世界で1千万枚以上を売り上げ、ビルボードのチャート(ベスト200)に700週以上ランクインしたというお化けアルバムだが、このアルバム全体が、まさに「月の暗い側=狂気」の渕へと去ったシドに捧げたかのような作品になっているのだ。
さらに次のアルバム「炎」(75年)でも、シドをテーマにした「狂ったダイヤモンド」が計約26分も演奏される。おなじアルバム中の曲「あなたがここにいてほしい」も、シドへの呼びかけではないのだろうか。
ピンク・フロイドは、シド脱退後も、彼の不在をめぐって歌い、プレイしてきたようなバンドといえなくもないのだ(彼らのものすごいところは、79年に、「The Wall」というピークをもう1回つくったところだが)。
その2。
7月9日の読売新聞日曜版に岡林信康のインタビューが出ていた。その一節。
「フォークの神様」がキング・クリムゾンのマネをしていたのか。知らなかったぜ(藁)
ところで、ロックとはあまり関係ない話だが、読売新聞といえば、最近安部晋三官房長官への肩入れが過ぎないか。
12日の紙面を見ると…
「毅然とした姿勢」
「総裁へのイスへの挑戦は、半ば宿命だった」
『心配するな、おれは戦う。断固として立つ』
「スマートで、人当たりの良さに定評がある」
「時に骨のあるところを見せる」
なにさ、これー。ちょっとやりすぎなんじゃないの?
超有名ロックバンド「ピンク・フロイド」の初代ボーカリストである。
1967年のファーストアルバム「夜明けの口笛吹き」に参加しただけで、間もなく精神のバランスを崩し、バンドを脱退している。
ファーストアルバムは、サイケデリックロック全盛期のシーンにあってかなりの売れ行きを示したとはいえ、のちのピンク・フロイドの巨大なあゆみにくらべれば、それほどの傑作とはいえないと思う。
じゃ、シド・バレットって大したことないじゃん、60年代にちょっとだけメジャーだっただけじゃん、ということになりそうだけど、決してそうではない。
ピンク・フロイドの73年のアルバム「狂気」(原題The Dark Side of the Moon)は、全世界で1千万枚以上を売り上げ、ビルボードのチャート(ベスト200)に700週以上ランクインしたというお化けアルバムだが、このアルバム全体が、まさに「月の暗い側=狂気」の渕へと去ったシドに捧げたかのような作品になっているのだ。
さらに次のアルバム「炎」(75年)でも、シドをテーマにした「狂ったダイヤモンド」が計約26分も演奏される。おなじアルバム中の曲「あなたがここにいてほしい」も、シドへの呼びかけではないのだろうか。
How I wish,how I wish you were here.
We're just two lost souls swimming in a fish bowl,year after year.
ピンク・フロイドは、シド脱退後も、彼の不在をめぐって歌い、プレイしてきたようなバンドといえなくもないのだ(彼らのものすごいところは、79年に、「The Wall」というピークをもう1回つくったところだが)。
その2。
7月9日の読売新聞日曜版に岡林信康のインタビューが出ていた。その一節。
歌謡ポップス、フォーク・ロックと様々なジャンルに挑んだが、行き詰まった。自分を見つめ直すため81年、ロンドンに飛んだことが運命を変えた。
現地で世界的なロック・ギタリスト、ロバート・フリップに「おれたちのマネをやめて日本のロックを聴かせろよ」とバカにされたのだ。何とか独自のものを、と苦しんだ末に思い至ったのが、古里・滋賀県の江州音頭だった。
「フォークの神様」がキング・クリムゾンのマネをしていたのか。知らなかったぜ(藁)
ところで、ロックとはあまり関係ない話だが、読売新聞といえば、最近安部晋三官房長官への肩入れが過ぎないか。
12日の紙面を見ると…
「毅然とした姿勢」
「総裁へのイスへの挑戦は、半ば宿命だった」
『心配するな、おれは戦う。断固として立つ』
「スマートで、人当たりの良さに定評がある」
「時に骨のあるところを見せる」
なにさ、これー。ちょっとやりすぎなんじゃないの?
シド・バレット死す、私も感慨深いです。プログレの中でピンクフロイドにはあまり興味が行かなかったのですが、ファーストだけ持っているんです(ま、確かに傑作とは言いがたいですよね)。
岡林インタビューは意外な事実にビックリです。まさか、クリムゾンとは・・・。やっぱりプログレは「新しい衝撃」だったんでしょうかね。私はもうすっかり古びてしまってから聞き出したので、ピンときませんけど。
いや、これは、岡林信康が「エレファント・トーク」や「ディシプリン」をコピーしたとか、そういうことじゃなくて、ようするにフリップが、英米の音楽の真似をするなとたしなめたんだと思いますよ。
ただ、この2人にいったいどういう接点があったのかは、不思議な感じがしますよね。
さすがに完全コピーじゃないですよね。分かってます。
「暗黒(スターレス)」とかを引きまくる岡林信康を見てみたい気もしますが。
できれば制約のない海外で。
シド・バレットが亡くなってこの辺でまた新たな世界を聞いてみたいものです。
あはは。
「山谷ブルース」をプログレでやったら、たしかに怖いですね。
>ohtaさん
ことしロンドンで復活ライブがあり、ユーミンがわざわざ見に行ったという話は聞いてます。
でも永続的な再結成はむずかしいでしょうね。