胆振管内厚真町を中心に大きな被害をもたらした北海道胆振東部地震が9月6日未明に発生してから2週間がたった。
震度5ないし6弱を記録し長時間の停電に見舞われた札幌でも、停電要請が解除されて大型店などを中心に明るい照明が戻り、地下鉄・市電の間引き運転も終わり、スーパーマーケットの棚にはさまざまな食品が戻りはじめて、ほとんど以前の日常が戻りつつある。陥没していた東15丁目通の応急工事も終わって、全線が通れるようになった。
ただし、海外客などからキャンセルが相次ぎ観光地はどこも苦戦しているようだ。酪農も搾乳が一時滞っていたことによる牛の不調で、生産量が平年に比べ大幅に落ち込んでいるという。
JR北海道の被害は11億円に達し、さらに増える見込みという。
そして、厚真町などではまだかなりの戸数が断水しており、今も避難所生活を送っている人もいる。
地震が北海道に残したつめ跡は、大きい。
なんだかんだいって、札幌市民は、液状化現象で自宅が傾いたりした人もいるけれど、大半は「被災者」と呼べるような人ではないだろう。
今回の地震でおよそ2日間、筆者の家では、電気と、スマートフォンの電波が通じなかった。ほかにもライフラインのうち、水やガスが使えなかったという人が多い。
しかし、衣食住というのは、ライフラインを上回る重要性があると、あらためて思った。実際問題として、衣服だけを失うという事態は考えにくいので、食と住が暮らしに占める位置は本当に大きい。
「住んで寝るところ」と「食料」を奪われることのつらさは、ケータイの電波が来ないことに比べて想像を絶する。
さて、地震以降、札幌市民のあいだでは
「大丈夫だった?」
「揺れはひどかった?」
「停電はいつまでだった?」
などと聞きあうのがあいさつ代わりとなっている。
筆者の聞いたところでは、ト・オン・カフェが自然光を生かして9月6日、7日も休まず営業していたということだが、ギャラリーミヤシタも同様に、両日開けていたとのこと。もっとも、来客はほとんどなかったらしい。
ギャラリー犬養も、停電が早めに終わったことも幸いし、一日も休まなかった。
築100年になろうとする古い建物だけに犬養康太さんは
「(建物がつぶれて)オレ職探ししなきゃな~と思って、やってきたら、壊れていないどころか、小さい置物が1個落ちていただけ。展示中の作品も、傾いてはいたけど、ひとつも落ちていなかった」
と笑っていた。
こんどの地震について聞いた範囲ではどうやら、中央区と、それに隣接した地域(豊平橋付近とか札幌駅北口とか)、西区の地盤の固さが際立っている―という印象を受ける。
カフェ北都館ギャラリーは6日のみ停電で休んだとのこと。
筆者も職場で
「余震が続いて眠れない」
とこぼすと
「ヤナイさん、どこに住んでるんですか?」
と驚かれることもあった。
一方で、冒頭画像のように、東区の茶廊法邑では駐車場の塀の一部が倒れたところもある。
筆者が住んでいるのは豊平区の南のほうで、本来は北方の泥炭地に比べて地震に強いはずの火山灰・凝灰岩の地層なのだが、なんだか余震を強めに感じることが多い。
シャッターが伸びきって外に出てしまい、つっかえ棒で支えたまま営業している飲食店もある。
中学校の近くでは、道路の舗装が一部はがれているし、グラウンドには亀裂が走っているのが見える。
公園のテニスコートのフェンスも倒れていたが、これはその前日の台風が原因かもしれない。
被害がなかったように思われる近所でも、仔細に見ていくと、いろいろな被害が出ているのだった。
もちろん詳細な調査を経ないと確たることはいえないのだが、個人的な印象として「三里川のこと」でも書いたように、かつて川が流れていたところでも、それがわかるくらい低地を残している場合に比べ、川の跡がわからないほど土を積んだところは、何らかの液状化現象が起きているといえるように見える。
今後、いくら「日常」が戻ったとしても、それは、地震以前の「日常」と同じ顔つきでは、二度と筆者の前に現れないような気がする。
関連記事へのリンク
2018年9月6日、北海道で大地震が起きた
【追記有り】電気と電波なお使えず。
北海道胆振東部地震の続き。明かりのない札幌で
北海道胆振東部地震、その後
2018年9月3~14日。ギャラリー巡りどころではなかった日々
震度5ないし6弱を記録し長時間の停電に見舞われた札幌でも、停電要請が解除されて大型店などを中心に明るい照明が戻り、地下鉄・市電の間引き運転も終わり、スーパーマーケットの棚にはさまざまな食品が戻りはじめて、ほとんど以前の日常が戻りつつある。陥没していた東15丁目通の応急工事も終わって、全線が通れるようになった。
ただし、海外客などからキャンセルが相次ぎ観光地はどこも苦戦しているようだ。酪農も搾乳が一時滞っていたことによる牛の不調で、生産量が平年に比べ大幅に落ち込んでいるという。
JR北海道の被害は11億円に達し、さらに増える見込みという。
そして、厚真町などではまだかなりの戸数が断水しており、今も避難所生活を送っている人もいる。
地震が北海道に残したつめ跡は、大きい。
なんだかんだいって、札幌市民は、液状化現象で自宅が傾いたりした人もいるけれど、大半は「被災者」と呼べるような人ではないだろう。
今回の地震でおよそ2日間、筆者の家では、電気と、スマートフォンの電波が通じなかった。ほかにもライフラインのうち、水やガスが使えなかったという人が多い。
しかし、衣食住というのは、ライフラインを上回る重要性があると、あらためて思った。実際問題として、衣服だけを失うという事態は考えにくいので、食と住が暮らしに占める位置は本当に大きい。
「住んで寝るところ」と「食料」を奪われることのつらさは、ケータイの電波が来ないことに比べて想像を絶する。
さて、地震以降、札幌市民のあいだでは
「大丈夫だった?」
「揺れはひどかった?」
「停電はいつまでだった?」
などと聞きあうのがあいさつ代わりとなっている。
筆者の聞いたところでは、ト・オン・カフェが自然光を生かして9月6日、7日も休まず営業していたということだが、ギャラリーミヤシタも同様に、両日開けていたとのこと。もっとも、来客はほとんどなかったらしい。
ギャラリー犬養も、停電が早めに終わったことも幸いし、一日も休まなかった。
築100年になろうとする古い建物だけに犬養康太さんは
「(建物がつぶれて)オレ職探ししなきゃな~と思って、やってきたら、壊れていないどころか、小さい置物が1個落ちていただけ。展示中の作品も、傾いてはいたけど、ひとつも落ちていなかった」
と笑っていた。
こんどの地震について聞いた範囲ではどうやら、中央区と、それに隣接した地域(豊平橋付近とか札幌駅北口とか)、西区の地盤の固さが際立っている―という印象を受ける。
カフェ北都館ギャラリーは6日のみ停電で休んだとのこと。
筆者も職場で
「余震が続いて眠れない」
とこぼすと
「ヤナイさん、どこに住んでるんですか?」
と驚かれることもあった。
一方で、冒頭画像のように、東区の茶廊法邑では駐車場の塀の一部が倒れたところもある。
筆者が住んでいるのは豊平区の南のほうで、本来は北方の泥炭地に比べて地震に強いはずの火山灰・凝灰岩の地層なのだが、なんだか余震を強めに感じることが多い。
シャッターが伸びきって外に出てしまい、つっかえ棒で支えたまま営業している飲食店もある。
中学校の近くでは、道路の舗装が一部はがれているし、グラウンドには亀裂が走っているのが見える。
公園のテニスコートのフェンスも倒れていたが、これはその前日の台風が原因かもしれない。
被害がなかったように思われる近所でも、仔細に見ていくと、いろいろな被害が出ているのだった。
もちろん詳細な調査を経ないと確たることはいえないのだが、個人的な印象として「三里川のこと」でも書いたように、かつて川が流れていたところでも、それがわかるくらい低地を残している場合に比べ、川の跡がわからないほど土を積んだところは、何らかの液状化現象が起きているといえるように見える。
今後、いくら「日常」が戻ったとしても、それは、地震以前の「日常」と同じ顔つきでは、二度と筆者の前に現れないような気がする。
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2018年9月6日、北海道で大地震が起きた
【追記有り】電気と電波なお使えず。
北海道胆振東部地震の続き。明かりのない札幌で
北海道胆振東部地震、その後
2018年9月3~14日。ギャラリー巡りどころではなかった日々