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2009年5月13日、仕事の帰りに大沼英樹写真展の会場へ

2009年05月14日 21時21分21秒 | 展覧会の紹介-写真
 仕事を急いで終わらせ、小走りで富士フイルムフォトサロンへ向かう。

 自動ドアが開いたときは、閉館8分前だった。
 会期6日間の写真展の最終日。

 少し、迷う。
 こんなに短い時間しか会場にいられないのは、作家に失礼ではないか。
 いや、終了間際にかけつけてきた客でもうれしいのではないか。

 大沼英樹写真展「SAKURA」 幸せの樹の下で-九州・沖縄編-。

 常々思っていることがある。
 人間や風景は、時として実物よりも写真の方が美しく見えることがあるが、桜の花にかぎっては、逆立ちしたって写真は本物にかなわないのではないか、と。

 でも、この展覧会は、桜の美しさに焦点をあわせた、よくあるタイプのものではなく、桜と周囲の人間のかかわりあいにレンズを向けたものだった。

 ブランコが大好きな子どもたち、車いすに乗って人を待つ老人、あした小学校へ入る新1年生…。
 人と桜がともにある風景がならぶ。
 みんなが桜をめでる気持ちがつたわってきて、胸がきゅんとなる。

 桜の花や木じたいは、まったくフレームに入っていない作品もある。

 第二次世界大戦で若い命を落とした特攻隊員の墓に手向けられた花。
 その上に、桜の花びらが舞い散る。

 写真家の、平和を祈る気持ちが静かに伝わってきて、じんとなった。

 絵や工芸を見て涙が出そうになることはないのに、どうして写真を見ると泣きそうな気持ちになることがあるんだろう。

 閉館時間が近づき、写真家ご本人かどうかはわからないが、会場の方が、これから掃除が始まりますが、気になさらずにぜんぶごらんになってください-と、わざわざおっしゃってくだすった。

 しかし、あまり長い時間居座るのもなんだか申し訳なくて、題名パネルの撤去などの作業が始まった会場を、礼を述べて辞した。

 これが最終日でなければ、あした出直せたのに。

 もっと早く来れば良かった…。

 ギャラリーをまわっていて、しょっちゅう胸にきざす反省。

 もちろん筆者はさぼっているというよりは、時間がない中でひとつでも多く見ようとしてついつい遅くなってしまうというのが実情なのだ。とはいえ、やっぱり悪いことをしたなあと思う。


2009年5月8日(金)ー13日(水)10:00-18:30 富士フイルムフォトサロン(中央区北3西3、札幌北三条ビル 地図A)

□大沼英樹の桜旅2009 http://sakuratabi.jugem.jp/


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
桜は見ている (sue)
2009-05-14 23:31:53
作家ご本人がいたので話をしました。小生も仙台に住んでいたことがあるので、ローカルな話題など楽しかったです。桜は結構長生きで、千年以上のものもあるそうです。そんな木が見おろす個人の暮らしなど、あっという間のことなのでしょう。特攻隊の基地があった町の桜並木、いまは夜桜の下で花見の宴会真っ盛り。考えさせられる光景でした。
返信する
Unknown (田中)
2009-05-15 12:22:08
次のようなイベントをやっております。
もしよろしければご参加ください。

4.28 パール判事の日本無罪論購入イベント2
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/event/1241496768/

現在amazon25位です。

『パール判事の日本無罪論』(小学館文庫) 560円
http://www.amazon.co.jp/dp/4094025065

非常に有名な本です。

右寄りの方は「基礎知識」として、
左寄りの方は「敵を知る」ために、
ぜひ御一読ください。
返信する
Unknown (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2009-05-16 00:43:43
>sueさま

いつもありがとうございます。
大沼さんは仙台の方なんですね。

たしかにいろいろ考えさせられる写真展でした。
でも、あの花見は、基本的には、いまの平和の象徴なので、肯定したいなと思いました。


>田中さま

コメントありがとうございます。

わたしはネトウヨも2chも嫌いです。






・・・で終わってしまうと
「お前はレッテル張りを否定するくせに、ネトウヨのひとことで片付けるのは問題ではないか」
とツッコマれそうなので、少し付け加えます。

わたしは日本が良い国だと思っていますが、それは1930-40年代の戦争を否定して、平和を国是として歩んできたからです。

1930-40年代の日本は悪くなかった-という議論になると、つまり戦後の日本を否定することになってしまいます。わたしは、そのような説にはくみしません。

東京裁判は、罪刑法定主義の立場からすれば、非常に問題があります。
しかしそれは、30-45年の日本がとってきた行動を肯定する論拠にはなりません。

もちろん、米英の帝国主義がインドにとって耐え難いものであったことは間違いありませんが、では、そのかわりに日本がとった行動はどうであったか。

無益な膨張主義と軍部専断は断じて繰り返してはならないことだと思いますが。
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