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「オヤジ的」なるものについて考える 週刊文春の安藤美姫選手アンケート炎上事件をきっかけに

2013年07月08日 14時19分42秒 | つれづれ日録
 (フィギュアスケートの安藤美姫選手の出産をめぐる週刊誌のやり方については、あくまで話のきっかけなので、そのことについて述べるエントリではない。また、「オヤジ的」といっても自分の父親や誰か特定の男性のことではない)

 若い頃、列車の中で出張中とおぼしきスーツ姿の男性を見ることがしばしばあった。

 彼らは見事なまでに共通の外観を有し、同様の行動をとった。
 席に坐ると上着を脱いでネクタイを緩め、革靴を脱いだ。足にはビジネス用の黒っぽい靴下(「ふぞろいの林檎たち II」で、時任三郎がはいていて柳沢慎吾にからかわれたやつ)をはいていた。
 そして、きまって、車内販売の売り子の女性から横柄な口調で缶ビールを買って飲み、スポーツ新聞か週刊誌を読むのであった。

 自分は、ああいうふうにが年をとらないと、ひそかに心に誓ったものだ。

 そして、以下は半ば想像なのだが、彼らは、仕事が終わってもおなじ職場の仲間と縄のれんをくぐって上司の悪口や人事情報をさかなに酒を飲み、休日は接待か娯楽かを問わずゴルフにいそしんでいただろう。
 あるいは、女性との話し合いが滞ると電話口で「男性を出せ」と言っていたかもしれないし、遅くなって帰宅して子女の教育問題について相談しようとする妻に対し「それはお前の仕事だろう」と酒臭い息で答えていたかもしれない。

 おかげさまで、わたしはすでに老人であるが、日常はほとんどネクタイを締めないしスーツも着ない。職場の公的な飲み会にはつきあうけれどもそれ以外なら社外の飲み会を優先する。たばこはのまないしゴルフもやらない。
 そして、列車に乗って、文庫本や新書本を開いたり新聞を読むことはあっても、週刊誌を読むことはまったくない。

 あの頃見た「オヤジ」には、ならずに済んだわけだ。

 あの頃以来、自分にとっての週刊誌は「オヤジ」の読み物である。
 ここでいう週刊誌には「an・an」「ダイヤモンド」などは含まない。
 時には、新聞などが取り上げない、真偽が定かでない記事で、権力を撃つ。
 だが、それは、家庭を顧みずに仕事にまい進し、女性を蔑視する、オヤジの暇つぶしの道具なのだ、と思う。

 今回、フィギュアスケートの安藤美姫選手が、妊娠・出産を公表したことについて、週刊文春webが、「支持か、不支持か」というアンケートをとろうとして、ネットで炎上状態となった。若い女性に対してそういう目線で見ているということが、わたしの言う「オヤジ的」な視線であり、いかにも週刊誌的だなと思えてしかたない。

 …というわけで、とくに結論のない文章になっているが、ただいえることは、自分の周囲を見渡す限り、自分よりも若い世代で週刊誌を読んでいる人はほとんどいない。新聞(や電車)の広告を見ても、週刊誌のターゲットとする世代は相当高い年齢(60、70代以上)になっていることは容易に見て取れる。
 少なくても男女平等に関しては、まだまだ実現していない部分は多いとはいえ、ここ2、30年ほどで劇的に改善されてきているのも事実で、そこらへんの時代の変化に追いついていけない世代の読み物が、オヤジ系の週刊誌なのだ、ということもできそうだ。

(ついでにいえば、新聞に載らない真偽あやふやな情報は、いまやインターネットでいくらでも読めるのだ。まあ、通常読まないメディアをあれこれ偉そうに批評するなといわれれば、それまでですけど)


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