(承前)
7月10日の斜里への小さな旅の記録も、この記事を含めて残り2本となりました。
JR知床斜里駅からほど近い、道道沿いに、小さな園地があり、テーブルといすが置かれていました。
近づいてみると…。
「ギャラリーアド」の名は、北海道新聞夕刊文化面の「美術メモ」欄でちょくちょく見かけていました。
ギャラリーが都市に集中するなかで、町村部にあった貴重な存在でした。
冒頭画像の中央にも見えますが、看板が立っています。2枚目はその画像です。
いままで姿を消したギャラリーなんていくつもあるはずですが、このように「ここにあった」ことをしっかりと記録しているギャラリーは、極めて珍しいのではないでしょうか。
そして、さらにおどろいたことに、過去の北海道新聞をめくってみると、このギャラリーアドを1981年に開設したのが、のちに「北のアルプ美術館」を開く山崎猛さんだったのです。
2006年までの間に335回の展覧会を開催。最後は、同美術館で見た、二科展の重鎮画家・田中良さんの個展だったとのこと。
(ギャラリーとしての活動は2006年まで。建物が道道拡幅に伴い取り壊されたのが2007年ということです)
このほか、地元の陶芸家などはもちろん、主体美術の石井公彦さんの個展や、山下清・竹久夢二などの展示も開かれており、山崎猛さんは「北のアルプ美術館」を開くよりもはるか以前から斜里の地に文化の種をまき続けていたのだなと、感慨を新たにしました。
7月10日の斜里への小さな旅の記録も、この記事を含めて残り2本となりました。
JR知床斜里駅からほど近い、道道沿いに、小さな園地があり、テーブルといすが置かれていました。
近づいてみると…。
「ギャラリーアド」の名は、北海道新聞夕刊文化面の「美術メモ」欄でちょくちょく見かけていました。
ギャラリーが都市に集中するなかで、町村部にあった貴重な存在でした。
冒頭画像の中央にも見えますが、看板が立っています。2枚目はその画像です。
いままで姿を消したギャラリーなんていくつもあるはずですが、このように「ここにあった」ことをしっかりと記録しているギャラリーは、極めて珍しいのではないでしょうか。
そして、さらにおどろいたことに、過去の北海道新聞をめくってみると、このギャラリーアドを1981年に開設したのが、のちに「北のアルプ美術館」を開く山崎猛さんだったのです。
2006年までの間に335回の展覧会を開催。最後は、同美術館で見た、二科展の重鎮画家・田中良さんの個展だったとのこと。
(ギャラリーとしての活動は2006年まで。建物が道道拡幅に伴い取り壊されたのが2007年ということです)
このほか、地元の陶芸家などはもちろん、主体美術の石井公彦さんの個展や、山下清・竹久夢二などの展示も開かれており、山崎猛さんは「北のアルプ美術館」を開くよりもはるか以前から斜里の地に文化の種をまき続けていたのだなと、感慨を新たにしました。
(この項続く)