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美鉄バス「千年町」停留所

2009年04月03日 21時04分31秒 | つれづれ日録
 先月末、
 「Nico hanaaguraってどうなったの?」
のエントリを書きながら思いだしたことがある。

 いろんな店が入っているNicoの廊下に、バスの停留所が置いてあったのだ。

 古物屋の売り物だったらしい。

 「千年町」ってどこなんだろう。

 「角川日本地名大辞典」で調べてみる。

かしまちとせまち 鹿島千年町〈夕張市〉
 昭和44年~現在の夕張市の地名。もとは夕張市鹿島の一部。昭和45年の世帯数420・人口1413。同48年三菱大夕張炭鉱が閉山。同53年鹿島東小学校閉校。(「北海道」上)

 世帯131、人口296。(中略)夕張岳の西麓、シュウパロ川右岸に位置する。主要道道夕張芦別線が走り、同道から川までの河岸段丘上に町並みが発達。商店街と住宅街に分かれる。(中略)主要道道沿いに、市役所鹿島連絡所・鹿島警察官派出所・郵便局・市立図書館鹿島分館・北宝建設夕張営業所がある。(「北海道」下)


 1987年発行の本なので、現況とは差がある。
 道道は国道に昇格しているし、そもそも鹿島地区には住民はすでにいないのではないか。



 「美鉄」とは、「美唄鉄道」の略である。
 アルテピアッツァ美唄へ行く途中、「東明駅」の旧駅舎を見かけた人もいるだろう。
 美鉄バスは、もちろん美唄が拠点だったが、夕張市の大夕張・鹿島地区でも運行していた。

 また、1973年までは、三菱石炭鉱業大夕張線の「千年町駅」があった。
 この鉄道は、73年に南大夕張~大夕張炭山間が廃止され、残る清水沢~南大夕張間も87年に姿を消している。

 筆者はもちろん、往時の雰囲気を肌で知る者ではないが、大夕張・鹿島地区は三菱系炭鉱のおひざ元であったので、北炭系炭鉱の夕張市本町地区などに対しては、独立心を持っていたのではないだろうか。


 かつて札幌の北5西6の踏切近くに、美鉄バスの古い車庫があり、そこから大夕張地区へ直行する特急バスが出ていた。
 1980年代初頭、その車庫を見ながら、一度は美鉄バスに乗りたいと思っていたが、とうとうかなわなかったことを思い出す。
 路線は1997年11月限りで廃止された。
 美唄市内に残っていた美鉄バスの路線も2002年に姿を消した。


2002年、美唄で、アルテピアッツァ美唄に行くため乗った美鉄バス


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (たくま)
2009-04-04 04:12:48
鹿島地区、子供の頃行ったことがあります。
母が子供の頃住んでいて祖父は三菱炭鉱で働いていたと聞いています。
一度行ったことがあるだけですが記事を見て懐かしさを感じました。
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こんにちはー (ねむいヤナイ@北海道美術ネット)
2009-04-04 07:29:47
すごい時間にコメントどうもです。

筆マメ日記、冬眠を経てすごい更新ですねー。
やっぱりリコーGRはいいですね。大道さんが使ってるというだけで、持ってみたくなります。

南部・鹿島方面はいちどカメラを片手に行ってみたくなるのです。夕鉄バスに乗って。
でも、もっと昔に行っておきたかったです。
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