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■南隆雄 コレクション・サーベイー北海道立北方民族博物館 (2019年10月26日~11月10日、網走)

2019年11月09日 15時23分23秒 | 展覧会の紹介-現代美術
(長文です)

 大阪出身でパリ在住の南隆雄さん(1976~)が、道立北方民族博物館所蔵品を題材に制作した映像作品と、その素材全点を、同館ロビーに展示している。
 さっぽろ天神山アートスタジオ(https://www.facebook.com/sapporotenjinyamaartstudio/)が招き、そこでアーティスト・イン・レジデンスをしていたとのこと。同じ北海道とはいえ、札幌と網走は特急列車で片道5時間半かかる。

 なお、同じ期間、網走市立美術館でも、南さんの旧作を展示している。


 筆者は、10月27日に同館で開かれたアーティストトークに参加してきた。

 これが、南さんをはじめ、聞き手が同館の笹倉いる美学芸主幹、ゲストが天野太郎・札幌国際芸術祭2020統括ディレクターと、同芸術祭2014のキュレーターだった四方幸子さんという豪華メンバーで、非常に示唆に富んだ内容だった。
 というか、筆者は非常にボーッとしているので、このトークを聞かなければ、作品のツボをまったく理解しないまま、帰ってきたに相違ない。

 冒頭画像と次の画像を見れば分かるとおり、正面やや左側にあるモニターが映像作品。
 縦長のものを四つ、間隔を開けずにつなげている。
 所蔵品が、もっぱら上の方からスクロールするように登場しては、流れていく。8分間のループとのことだ。

 字幕はなく、スタティック(静的)な印象を受けた。音声は…どうだったかな、記憶にないです。


 冒頭画像の左側に見えるものは監視カメラ4台で、ぐるぐると動いている。
 南さんのインスタレーションにはしばしば登場するアイテムで、「見る側」と「見られる側」の関係を考えさせる小道具となっている。

 作者によると、北方民族の民話を紹介した本にあった「あの世に行く話」という物語が、映像の下敷きになっているという。
 主人公が雪の中でキツネだかウサギだかを追って狩りをしていたら、穴にはまってしまった。
 見ると、横に穴があり、そこを抜けてふたたび地上に出ると、そこは夏だった。
 漁師が魚を捕っており、しばらく行くと、死に別れた妻がいる。
 軒先にあった干し魚をもらって帰り、またさっきの穴から変えると、干し魚は葉に変わっていた…。

 もっとも、映像を見ているぶんには、あまり物語のことは念頭に浮かばなかった。

 撮影は、2018年12月半ばから19年2月半ばまで、網走に2カ月ほど滞在して行われた。
 目録から、撮影したいものをピックアップし、それを笹倉さんが収蔵庫から持ってくる。
 二百数十点をブツ撮りし、そのうち100点ほどを使用したとのことだ。


 筆者がいちばん気になったのは、作者は、それぞれの映像そのものを変形・加工はしていない(たとえば、イクスパイを曲げたりはしていない)が、異なる民族のアクセサリーを同一人物に組み合わせたり、大きさを変更させたりしていること。
 これは批判しているのではなく、こういう使い方もあるのかと新鮮に感じた。

 したがって、この映像を見ていても、博物館的な知識はまったく得られない。
 文化の広がり(それは時として、人為的な国境を越えて存在する)みたいな感覚が得られると言うべきか。

 ただ、博物館の展示品の並べ方も、館の学芸員が考えた或る文脈(時代順か、テーマ別かなど)に沿っているわけで、南さんの並べ方が作為的で、博物館の展示がニュートラルで客観的だと断定することはできないわけだ。


 天野さんの話は、監視カメラから入っていく、興味深いものだった。
 以下、筆者なりに要約すると…。

 収蔵庫の中に入って作業できるというのはたぐいまれな話。収蔵庫というのは聖域のようなもので、たとえ知事や市長でも、簡単には入れないもの。外の空気に触れさせずに保管する場所なので。
 ただ、宮城県美術館は外側から収蔵庫が見られるようにリニューアルするそうだし、オランダのボイマンス美術館は2年後、収蔵庫にお客さんが入れるよう改修すると聞いており、収蔵庫イコール聖域という風潮も変わってきた。

 ジェレミー・ベンサムが1791年に提唱したパノプティコンという監視装置は、放射状になった獄舎の囚人は中央の塔から監視されているが、誰が監視しているかは囚人からは見えないシステムになっている。これは監視カメラの構造と同じ。
 ルーブル美術館は1793年に開館したが、それまで博物館・美術館というものはなかったので、公開していないから見られない。二条城のふすま絵なんて、秀吉しか見られなかった。国立東京博物館は1872年にできたが、あそこの作品の99%は、それまでは全く違う場所にあったのではないか。お城や寺とか。
 展示品はもともと博物館のために存在しているわけではない。この博物館にあるものも、生活の場にあったもので、北方民族の人はやがて自分の使っているものが収蔵されるなんて想像もしていなかったのではないか。

 国という単位ができると、博物館ができる。
 ほかに始まるものは、病院。生まれてから死ぬまでの管理ですね。それと、犯罪の管理。
 学校と工場の成立。自由を制限する場所です。
 美術館や博物館も、もう一つの管理するシステムになっている面がある。例えば、静かにしなくてはいけない、なんとなくの雰囲気がある。お互いの振る舞いを監視しやすいようにできている。
 下駄や短パンを着ていかないのも同じで、国民を陶冶・訓練する規律の場所なんです。でも、誰かから強いられているというわけでもない。


 天野さんはミシェル・フーコーの名前は一度も口にしなかった。
 ただ、パノプティコンとルーブル美術館の誕生(そもそも2年しか違わない)が、『言葉と物』で論じられるエピステーメーの変換の時期とぴったり重なることに気づいて、ひとりで興奮していた。

 こういう高度な内容をとても易しく語るのは天野さんのすごさだと思う。


 四方さんも
「たしかアドルノかベンヤミンが、美術館は野蛮の歴史である、みたいなことを言ってましたよね」
と、そもそもミュージアムの成り立ちが植民地主義時代の収奪・動員によるものだという指摘に始まり、監視カメラが登場時には反発を受けていたのにいまや「あった方が安心」というふうに変化していることなど、興味深い発言をばんばんしていた。
 「まなざしの権力性」ということは、ちゃんと勉強しなくてはならないと思う。

 笹倉さんの発言で感心したのは、南さんの申し出に対し
「博物館の規則にのっとれば、断る理由がない。博物館はすべての人にひらかれている。公平性が重要である。友だちだったら収蔵庫に入って作品をつくっていい―というのはおかしい。どういうふうに使うのか聞いた上で、それなら大丈夫だろうと判断した」
というところ。

 南さんが撮影したものの中には、めったに収蔵庫から展示室に出ないものもあって
「これを選ぶんだ~」
と思ったこともあったそう。
「日の目が当たらないものが選ばれて、活用という面では良かった」
と話していた。

 ただ、ごく一部に著作権の処理が必要になるものがあって、それはNGになったとのこと。
 そして、著作権とは別に、少数民族からの「文化盗用」ということも考えなければーと付け加えていた。


 というわけで、作品自体はわりとシンプルなのだが、「美術館」と「博物館」の垣根を崩す劃期的な試みであり(博物館でのアートの展示)、それ以上に、たくさんの問題を提起する展示なのであった。
 そもそも、網走でパノプティコンと囚人の話、っていうのが、ニクイというか、ぴったりというか。
 網走監獄は、まさにパノプティコンの形をしているのだ。



2019年10月26日(土)~11月10日(日)午前9時半~午後4時半、無休
道立北方民族博物館(網走市潮見309-1 @HoppohmMuseum )ロビー



・JR網走駅から約4.2キロ、徒歩53分 (駅前にタクシーとまってます。利用推奨)
・網走バスターミナルから約4.4キロ、徒歩56分

・網走駅、網走バスターミナルから網走バス「観光施設めぐり線」で、北方民族博物館で降車



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