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(承前)
電車通りの1本山側を通っているのが「弁天末広通」である。
この通りは、古い建物が多く、散歩しているだけでもじつに楽しい。まあ、弥生坂から函館どつくの方にくらべると、いささか観光客向けの地区ではあるのだが。
さて、アートの祭典やイベントというと、現代美術が招かれることが多いように思う。
団体公募展系の絵画などは、イベントのプロデューサーやキュレーターの視野にあまり入っていないのかもしれない。
しかし、函館・道南では、現代アート系だけでは作家の頭数がそろわないだろう(いま「函館・道南」と書いたけれど、道南地方における函館の地位は圧倒的であり、北海道全体における札幌の一極集中の比ではない。極論すれば、都会イコール函館、あとはすべて地方と呼んで差し支えなく、文化的な人も施設も要素もほぼとんど函館に集まっている)。
とはいえ、幅広いフィールドの作家を招くことで、かえって
「現代アートだけがアートじゃない」
ということが自明になる効果があるような気がする。
つまり、けっして「頭数の問題」だけではないのだ。
ハコトリでは、次のエントリでも書くけれど、インスタレーションや映像のほか、書や生け花なども招かれている。
とくに、この「函館元町ホテル」ロビーの一角に設けられた小さなギャラリーの会場で作品を発表している黒川千晶さんと赤崎真由美さんのうち赤崎さんは、ビーズ、クレイドール、ネイルアート、トールペインティング(?)を並べており、
「アート」
というよりも
「カルチャーセンターの作品」
と呼びたくなってしまう。
筆者は以前、この手の作品を「CCアート」と呼び、批判したことがある(「CC」はカルチャーセンターの略)。
特徴として、技術的にうまく作ることには熱心だがオリジナリティーに興味がないことなどをあげ
「一言で言うならば、お稽古事感覚なのである」
と断じた。
このときは述べなかったけれど、この種の「CCアート」の特徴として、すぐ家元制度になってしまう-というのもある。
その業界でしか通用しない「師匠」「師範」制度ができて免状がつくられる。しかも、業界は年を追って細分化していくのである。
ただし、筆者は、CCアートを頭から否定しているのではない。
その人の日々の暮らしを豊かにしてくれるものであれば、べつにCCアートでもいい-と思う。
「作る人」すべてが、オリジナリティーを追求する天才でなくてはならない-ということにもなるまい。
そもそも「その業界でしか通用しない免状」とは、どんどん増えていく絵画の団体公募展における「会員」というのと、原理的にいかほどの違いがあるというのだろう-と、言いたくなってくる。
だとしたら、CCアートだからといって頭から無視するのではなく、守備範囲を広げてみることは、十分意味があるのではないか。
そこにも、オリジナリティーのある表現が埋もれているかもしれない。
あるいは、刺繍やシャドウボックス、トールペインティングといった技法の中に、現代アートの未来が潜んでいないともかぎらないだろう。
その意味では、赤崎さんの作品は、けっこうおもしろかったと思う。
黒川「私の日常、私との暮らし」
赤崎「おしゃれ2」「おしゃれ1」「クリスマス」「怒り」「ネイルフラワー」「時空を超えて」「3びきのこぶた」「アプローチ」「麦わらぼうし」「ベジタブル」
(この項続く)
電車通りの1本山側を通っているのが「弁天末広通」である。
この通りは、古い建物が多く、散歩しているだけでもじつに楽しい。まあ、弥生坂から函館どつくの方にくらべると、いささか観光客向けの地区ではあるのだが。
さて、アートの祭典やイベントというと、現代美術が招かれることが多いように思う。
団体公募展系の絵画などは、イベントのプロデューサーやキュレーターの視野にあまり入っていないのかもしれない。
しかし、函館・道南では、現代アート系だけでは作家の頭数がそろわないだろう(いま「函館・道南」と書いたけれど、道南地方における函館の地位は圧倒的であり、北海道全体における札幌の一極集中の比ではない。極論すれば、都会イコール函館、あとはすべて地方と呼んで差し支えなく、文化的な人も施設も要素もほぼとんど函館に集まっている)。
とはいえ、幅広いフィールドの作家を招くことで、かえって
「現代アートだけがアートじゃない」
ということが自明になる効果があるような気がする。
つまり、けっして「頭数の問題」だけではないのだ。
ハコトリでは、次のエントリでも書くけれど、インスタレーションや映像のほか、書や生け花なども招かれている。
とくに、この「函館元町ホテル」ロビーの一角に設けられた小さなギャラリーの会場で作品を発表している黒川千晶さんと赤崎真由美さんのうち赤崎さんは、ビーズ、クレイドール、ネイルアート、トールペインティング(?)を並べており、
「アート」
というよりも
「カルチャーセンターの作品」
と呼びたくなってしまう。
筆者は以前、この手の作品を「CCアート」と呼び、批判したことがある(「CC」はカルチャーセンターの略)。
特徴として、技術的にうまく作ることには熱心だがオリジナリティーに興味がないことなどをあげ
「一言で言うならば、お稽古事感覚なのである」
と断じた。
このときは述べなかったけれど、この種の「CCアート」の特徴として、すぐ家元制度になってしまう-というのもある。
その業界でしか通用しない「師匠」「師範」制度ができて免状がつくられる。しかも、業界は年を追って細分化していくのである。
ただし、筆者は、CCアートを頭から否定しているのではない。
その人の日々の暮らしを豊かにしてくれるものであれば、べつにCCアートでもいい-と思う。
「作る人」すべてが、オリジナリティーを追求する天才でなくてはならない-ということにもなるまい。
そもそも「その業界でしか通用しない免状」とは、どんどん増えていく絵画の団体公募展における「会員」というのと、原理的にいかほどの違いがあるというのだろう-と、言いたくなってくる。
だとしたら、CCアートだからといって頭から無視するのではなく、守備範囲を広げてみることは、十分意味があるのではないか。
そこにも、オリジナリティーのある表現が埋もれているかもしれない。
あるいは、刺繍やシャドウボックス、トールペインティングといった技法の中に、現代アートの未来が潜んでいないともかぎらないだろう。
その意味では、赤崎さんの作品は、けっこうおもしろかったと思う。
黒川「私の日常、私との暮らし」
赤崎「おしゃれ2」「おしゃれ1」「クリスマス」「怒り」「ネイルフラワー」「時空を超えて」「3びきのこぶた」「アプローチ」「麦わらぼうし」「ベジタブル」
(この項続く)