昨夜も書いたけれど「まさに、これぞ彫刻展」と言いたくなるような、充実した個展だと感じた。
この感覚を、文章で言い表すのは難しい。
緊張感と、癒やしの感覚とが、共存している―くらいのことは言えそうだが、かといって、それでこの彫刻展の魅力を表現しつくしたことにはならないだろう。
ただ、饒舌ではないのに、いつまでも、じっと見つめていたくなる、そんな作品群なのだ。
椎名さんは1972年生まれ。札幌在住の彫刻家だ。
以前はテラコッタに取り組んでいたが、その後はブロンズに転じた。
近年は、そもそも具象彫刻を制作している人が少しずつ減っているのに加え、ブロンズのかわりにFRPで代用する作家も多い。
これほど、ブロンズ制作を守っている作家も、道内では少数だろう。
個展は3年ぶり。
ブロンズ10点、色鉛筆ドローイング8点を出品している。
たとえば、この「風の子」の1点。
筆者は、じっと見ながら、時間について考えていた。
写真よりも絵や彫刻のほうがリアリティを持っている、と時に思われているのは、写真が、対象の、60分の1秒などの短い瞬間だけを切り取って提示するのに対し、絵や彫刻は、その前後の時間も対象を観察し、その成果を総合して表現するからであろう。
「一瞬とは何だろう」
と素朴に考えるとどんどん無限に短い時間になっていくように思えるが、実は、そういう一瞬を想定するのはあまり意味がない。
そのことを、筆者は、現象学の本で学んだ。音楽の旋律を考えれば分かるように、現実の世の中では、ある一定の長さを持った時間の長さを想定しないと意味がないのだ。
この女の子は、本当に短い一瞬を体現している。
そして、それと同時に、その前後の時間、前後の体躯の動きも、しっかりと表現されている。
誤解を恐れずに言えば、彼女は、停止しつつ、しかも、いきいきと動いている。
特に、はらりと左右に開いた、結んだ髪の毛。これは、作者の鋳造型づくりの技術のたまものだろう(他の素材なら、こうはいかない)。
しかも、椎名さんによると
「実際はあり得ないポーズなんです。これではバランスは取れない」
とのこと。
「リアル」とは、無造作に一瞬を切り取ることから、なんとほど遠いのだろう。
手前の作品も、ちょっと見ただけでは、静かなイメージ。
だが、よく見ると、こんな細い茎で全体を支えているのだからすごい。
作者によれば、茎を8センチだけ長くして、木の台の天板に差し込んでいるのだそうだが、8センチは決して長くない。ものすごく緻密なバランス計算のもとに作られた作品であることがわかる。
彫刻は、言うまでもなく、不動である。
しかし、椎名澄子さんの彫刻は、風を受けて動いているように見える。
安定感と動き。緊張感と安らぎ。
それらが、なんの違和感もなく、同居しているのだ。
2014年9月23日~28日(日)午前10時~午後8時(最終日~7時)
コンチネンタルギャラリー(中央区南1西11 北洋銀のビル地下)
【告知】椎名澄子展 (2011) ※年譜などはこちらをご覧ください