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高橋英生さんの半生記(北海道新聞「私のなかの歴史」)がおもしろすぎる件について

2014年04月17日 01時11分11秒 | 新聞などのニュースから
 北海道新聞夕刊の総合ニュース面(おおむね3面)は、つい見落としてしまいがちな面であるが、左肩の長寿コーナー「私のなかの歴史」が、人目を引く。北海道ゆかりの各界の人の半生を、2~3週間にわたって語ってもらうコーナーである。
 美術関係者もこれまで多数登場している。今年になってからも、札幌の画家、伏木田光夫さんが掲載されている。

 4月7日からは、稚内在住の画家の高橋英生えいせいさんのシリーズが始まっているが、これがめっぽうおもしろい。画家・美術家として偉いかどうかというよりも、人生が波瀾万丈で、行動が突拍子もないので、とくべつ美術が好きという人でなくても、おもしろいと思う。
 先週は、画家になりたいばかりに国鉄職員の身分をなげうって北海道に家出した話が載っていて驚いた。札幌駅についた時、所持金が10円しかなかったとか。

 4月16日は、北海道の美術史に残る、新道展(新北海道美術協会)の内紛の話題だ。
 こうしてまとまったかたちで文字になることは珍しい。びっくりしながら読んだ人も多いのではないか。

 詳しくはぜひ紙面を読んでほしいのだが、要約すると…。
 1982年のこと。
 高橋さんが陳列の責任者として新道展の会場設営をしていると、会長がやってきて、陳列をしなおせという。かわいがっている後輩を自分の近くに並べたいらしい。高橋さんが拒否したら、会長が「何このやろー」と殴りかかってきた。さっとよけたら、止めに入った事務局長に拳が命中。これを見た若い会員たちが会長に飛びかかり、会場は乱闘騒ぎになったという。
 展覧会のあと、総会が開かれて、会長の罷免と、会からの除名が全員一致で議決された。

 記事にはないが、同じ頃に規約が改正されて、そもそも「会長」という職がなくなった。
(ちなみに、道展、全道展には昔から「会長」とか「理事長」はいない)

 それにしても、創立会員のひとりで、ほかの創立会員の多くが退会していたこともあって、ワンマン会長として権勢をふるっていたのだろうけど、新道展は真っ二つになるどころか、ほとんど誰も会長の後を追って退会することもなかった。当時の北海道新聞によると、入賞など当落をひっくり返したり審査も牛耳っていたというから、ワンマンぶりに会の内部で鬱積がよっぽどたまっていたのだろうなあ。

 ひどい会長がいて追い出されたという話は、筆者はこれまで何度か、新道展関係者から「昔話」として聞いていた。
「私はけっこう会長からかわいがられていたのよ」
なんて振り返る女性会員もいる一方で
「事務局とか、周りが大変だったみたいだ」
と云う男性会員もいる。
 しかし、英生さんが発端だったとは! 知らなかったなあ。

 なお、くだんの道新の記事にも「会長」の名は出てなかったので、ここでもあえて記さなかった。まあ、故人なので、載せてもかまわないと思うんだけどね。
 興味のある向きは、新道展の図録の年表を見れば、1977年に誰それが「会長」になったと、ちゃんと書いてあります。 


□あとりえ華 http://blog.livedoor.jp/hanadono/

高橋英生水彩画展 (2009)

(以下、いずれも画像なし)
高橋英生油彩画展(2007年)
03年の個展
02年10月の個展
02年6月の個展(旭川)
01年の個展


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