書画もすこしあるが、ほとんどが陶磁器なので、陶芸ファンにはたまらない催事であると同時に、もどかしさもある展覧会だ。
なぜか。
全点がガラスケース内に陳列され、ふれることができないからだ。
まあ、巨匠の作品だから、あたりまえである。
仮に、ふれることができたとしても、万一落として破損でもしたらいったいいくら弁償しなくてはならないか-と考えたら、おそろしくて、安心して手にすることなどできないであろう。
それでも、陶芸好きのみなさんは、ふれることができないというのは、なんとも残念な思いがするのではないだろうか。
ガラスケースで残念なことがもうひとつある。
むろん、これは主催者を批判しているのではなく、この手の展覧会の性質上、やむをえないことだということは重々承知しているのだが。
北大路魯山人(1883-1959年)が陶芸に興味を抱いたのは、料理がきっかけだとされている。
ということは、魯山人芸術は、ほんとうは、食器として使ってはじめて真価がわかるという面があるのではないか。
とはいえ、さっきも書いたけれど、実際そんな機会にめぐまれたとしても、とても怖くて心の底から料理をたのしむことなんてできないだろうけど。
会場の最後のほうに、東京・紀尾井町の料亭「福田屋」で撮影した食卓の写真や、八畳間を再現して卓の上に食器をならべた一角などがあり、そこでは、魯山人のうつわが実際につかわれる場面を、ありありと想像することができる。
この配慮はありがたい。
魯山人は織部で人間国宝に推挙された(本人は固辞)とのことだが、会場には、織部だけでなく、黄瀬戸、信楽、久谷風、三島、志野、赤絵、備前などがならび、この大家のオールマイティぶりがうかがえる。
意外と、意匠は簡素。といって、ワンパターンでもない。最低限のデザインで最大の効果を発揮しているというべきか。たしかに目を引くうつわだが、しかし、盛られた料理をぶち壊しにするたぐいのものではけっしてないだろう。
作家が、実用ということをないがしろにしなかったことは、「備前牡丹餅文長方小皿」が14枚もならんでいたことからも、なんとなく想像がつく。
だれかが「古陶とならんでいても違和感がない」という意味のことを書いていた。たしかに。といって、いわゆる「写し」ともちがい、オリジナリティがある。ご本人は性格の狷介(けんかい)さが有名になってしまったが、作風は、じつはオーソドックスなのであった。
織部は、釉薬の掛け方があっさりしたものが、わりと多い。
たまりがごってりあるのは、あまり好まなかったのかもしれない。
わりとめずらしい意匠としては、壺に漢詩などを染付したものがある。魯山人の能筆ぶりがうかがえる。
個人的好みでは、信楽花入。ふくらみのプロポーションが美しく、釉薬の垂れぐあいも決まっている。
出口の物販コーナーに、漫画「美味しんぼ」が全巻平積みになっていたのが、笑えた。
やっぱり、海原雄山=魯山人ってわけ?
展覧会の概要について、毎日新聞社のサイトからコピペ。
07年3月28日(水)-4月9日(月) 10:00-19:30(閉場20:00) 会期中無休
大丸札幌店(中央区北5西4 地図A)
なぜか。
全点がガラスケース内に陳列され、ふれることができないからだ。
まあ、巨匠の作品だから、あたりまえである。
仮に、ふれることができたとしても、万一落として破損でもしたらいったいいくら弁償しなくてはならないか-と考えたら、おそろしくて、安心して手にすることなどできないであろう。
それでも、陶芸好きのみなさんは、ふれることができないというのは、なんとも残念な思いがするのではないだろうか。
ガラスケースで残念なことがもうひとつある。
むろん、これは主催者を批判しているのではなく、この手の展覧会の性質上、やむをえないことだということは重々承知しているのだが。
北大路魯山人(1883-1959年)が陶芸に興味を抱いたのは、料理がきっかけだとされている。
ということは、魯山人芸術は、ほんとうは、食器として使ってはじめて真価がわかるという面があるのではないか。
とはいえ、さっきも書いたけれど、実際そんな機会にめぐまれたとしても、とても怖くて心の底から料理をたのしむことなんてできないだろうけど。
会場の最後のほうに、東京・紀尾井町の料亭「福田屋」で撮影した食卓の写真や、八畳間を再現して卓の上に食器をならべた一角などがあり、そこでは、魯山人のうつわが実際につかわれる場面を、ありありと想像することができる。
この配慮はありがたい。
魯山人は織部で人間国宝に推挙された(本人は固辞)とのことだが、会場には、織部だけでなく、黄瀬戸、信楽、久谷風、三島、志野、赤絵、備前などがならび、この大家のオールマイティぶりがうかがえる。
意外と、意匠は簡素。といって、ワンパターンでもない。最低限のデザインで最大の効果を発揮しているというべきか。たしかに目を引くうつわだが、しかし、盛られた料理をぶち壊しにするたぐいのものではけっしてないだろう。
作家が、実用ということをないがしろにしなかったことは、「備前牡丹餅文長方小皿」が14枚もならんでいたことからも、なんとなく想像がつく。
だれかが「古陶とならんでいても違和感がない」という意味のことを書いていた。たしかに。といって、いわゆる「写し」ともちがい、オリジナリティがある。ご本人は性格の狷介(けんかい)さが有名になってしまったが、作風は、じつはオーソドックスなのであった。
織部は、釉薬の掛け方があっさりしたものが、わりと多い。
たまりがごってりあるのは、あまり好まなかったのかもしれない。
わりとめずらしい意匠としては、壺に漢詩などを染付したものがある。魯山人の能筆ぶりがうかがえる。
個人的好みでは、信楽花入。ふくらみのプロポーションが美しく、釉薬の垂れぐあいも決まっている。
出口の物販コーナーに、漫画「美味しんぼ」が全巻平積みになっていたのが、笑えた。
やっぱり、海原雄山=魯山人ってわけ?
展覧会の概要について、毎日新聞社のサイトからコピペ。
「美と食の探求者 魯山人の宇宙」展を大丸札幌店で開催します。京都生まれの北大路魯山人(1883-1959)は多くの陶芸作品を残しました。本展で紹介するカワシマ・コレクションは、米国で魯山人が評価されるきっかけとなったシドニー・カドーゾ氏の収集品を中心とした、ほとんど未使用の名品です。アメリカ・サンディエゴから里帰りし、北海道では初公開となります。併せて笠間日動美術館所蔵の作品や、魯山人とゆかりの深い料亭、紀尾井町・福田家で現在も愛用され続けている名品など約100点を展示します。
07年3月28日(水)-4月9日(月) 10:00-19:30(閉場20:00) 会期中無休
大丸札幌店(中央区北5西4 地図A)
絶対信じないと思うけど、私の子供時代と魯山人の晩年は時代的にも場所的にも少しかぶってる。
鎌倉市の山崎、田んぼのむこうに「北大路さんち」があった。魯山人が何者か、親も知らなかっただろうが
「偉い人」で「大変な変わり者」であること、だけは大人達の口調でわかっていた・・
北大路邸の前には大きな大きな桜の樹があって、
子どもの私が桜吹雪の中であそんでいる。
どうして、そこに思い至らなかったのかなあ。