(写真は記事と関係ありません)
「読売新聞北海道版の札幌国際芸術祭総括記事がひどすぎる件について」
という記事を書いたら、アクセスが多くて、びっくりしています。
ただ、なんか、じぶんの真意が伝わってないなあ、という気も、ちょっとしてます。
書きたかったのは、こういうことです。
ある会社に営業マンがいたとします。
話の都合上、仮にワタナベ君としておきましょう。
ワタナベ君は、ある商品のセールスに努めましたが、わずかに目標に及びませんでした。
事前の予想では、かなりの不人気とされていましたから、まあ善戦です。
しかし、上司は認めてくれません。
ワタナベ君を含む課の全体では、目標を大幅に上回る数字が出ました。
しかし、上司は
「『失敗した』といわれないように、売り上げの目標を、あえて低めに設定していたんじゃないか」
と言いだして、まったく評価してくれません。
ワタナベ君は
(えっ、そんなこと事前に聞いてないし)
とがっかりです。
上司は、低めに設定していたのではないかという疑いについて、それまで何も言っていませんでした。
ワタナベ君と彼の課は、目標を下回っても、上回っても、どっちになっても評価されないのです。
今回の読売新聞北海道版の記事は、この上司と同じではないでしょうか。
ワタナベ君の商品は、納期ぎりぎりになってしまったこともあって、改善すべき点もいろいろありました。
そこを指摘したり批判したりするな、と、筆者は言っているのではないのです。
アートが好きな人は、まわりにもそういう友人が多いから
「自分が行って、楽しかったし、人数もけっこう来たんだったら、成功ってことでいいんじゃない? なんで文句を付ける人がいるの?」
ぐらいの気持ちでいるんじゃないかな~と想像します。
でも、別に興味ないよ、って人は、やっぱりそういう人とのつきあいが主になることもあって
「自分の周囲で芸術祭に行った人なんていないよ。なんか難しそうだし、成功したなんていえるわけ?」
という反応が普通なのではないでしょうか。
越後妻有(えちごつまり)アートトリエンナーレも、スタート当初は、地元の大反対にあいました。
それを思うと、札幌人はむしろ優しいといえるのかもしれません。
明確な反対派のほうが、無関心派よりもまだしも、対話が成立しやすいのかもしれないですが。
アート好き派としては、無関心派を少しずつ説得して、自分たちの輪に引き入れていかなくてはいけません。
国際芸術祭を続けていくのであれば、そういう努力は欠かせないのだと思います。
「読売新聞北海道版の札幌国際芸術祭総括記事がひどすぎる件について」
という記事を書いたら、アクセスが多くて、びっくりしています。
ただ、なんか、じぶんの真意が伝わってないなあ、という気も、ちょっとしてます。
書きたかったのは、こういうことです。
ある会社に営業マンがいたとします。
話の都合上、仮にワタナベ君としておきましょう。
ワタナベ君は、ある商品のセールスに努めましたが、わずかに目標に及びませんでした。
事前の予想では、かなりの不人気とされていましたから、まあ善戦です。
しかし、上司は認めてくれません。
ワタナベ君を含む課の全体では、目標を大幅に上回る数字が出ました。
しかし、上司は
「『失敗した』といわれないように、売り上げの目標を、あえて低めに設定していたんじゃないか」
と言いだして、まったく評価してくれません。
ワタナベ君は
(えっ、そんなこと事前に聞いてないし)
とがっかりです。
上司は、低めに設定していたのではないかという疑いについて、それまで何も言っていませんでした。
ワタナベ君と彼の課は、目標を下回っても、上回っても、どっちになっても評価されないのです。
今回の読売新聞北海道版の記事は、この上司と同じではないでしょうか。
ワタナベ君の商品は、納期ぎりぎりになってしまったこともあって、改善すべき点もいろいろありました。
そこを指摘したり批判したりするな、と、筆者は言っているのではないのです。
アートが好きな人は、まわりにもそういう友人が多いから
「自分が行って、楽しかったし、人数もけっこう来たんだったら、成功ってことでいいんじゃない? なんで文句を付ける人がいるの?」
ぐらいの気持ちでいるんじゃないかな~と想像します。
でも、別に興味ないよ、って人は、やっぱりそういう人とのつきあいが主になることもあって
「自分の周囲で芸術祭に行った人なんていないよ。なんか難しそうだし、成功したなんていえるわけ?」
という反応が普通なのではないでしょうか。
越後妻有(えちごつまり)アートトリエンナーレも、スタート当初は、地元の大反対にあいました。
それを思うと、札幌人はむしろ優しいといえるのかもしれません。
明確な反対派のほうが、無関心派よりもまだしも、対話が成立しやすいのかもしれないですが。
アート好き派としては、無関心派を少しずつ説得して、自分たちの輪に引き入れていかなくてはいけません。
国際芸術祭を続けていくのであれば、そういう努力は欠かせないのだと思います。
「批判ダメ」じゃなくて「ダブルスタンダード、ダメ」なのは普通に読めば分かりますよ。
ところで、札幌国際芸術祭の開始直前・直後はこれがトリエンナーレ方式なのは、なかったことになったのかと思っていましたが、後半には「2017」という言葉も聞こえて来たので、良かったと思います。
私はもう次回が楽しみですが、無関心派も多いのだろうなと、確かに思われます。
少々無理はないでしょうか?
読売新聞は第三者的な存在であり、ワタナベ氏に「こういうイベントをやりなさい」と言ったわけではないでしょうから。
こんにちは。
>「ダブルスタンダード、ダメ」なのは普通に読めば分かりますよ。
そうだと思っていたのですが、SHさんのような常識的な判断力をみんなが持っているとは限らないのです。残念ながら。
3年後、やるのはいいんですが、今度はもう少し準備を早くしたほうがいいと思いますねえ。
>通りすがりのものですさん、こんにちは。
上でSHさんが正確に述べておられるとおり、私がここで置き換えているのは、ワタナベ君に対するダブルスタンダード、ダブルバインド的な非合理性についてです。
この比ゆに「人間関係」を持ち込むことは意味がありません。
会社の「上司」を、マスコミとか、他の誰かに変えたとしても、ワタナベ君が置かれている状況には全く変化はないのです。
「もともと目標値が低すぎるんじゃないの」
「」
わたじゅんさんのは、金曜夜6時半とかからやってほしかったよね…。