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■伊藤慶二展「土を思うがままに」 (3月12日~4月21日、札幌)―2015年4月18日は10カ所(3)

2015年04月19日 11時42分09秒 | 展覧会の紹介-工芸、クラフト
※お名前を訂正し、おわびします。

(承前)

 札幌市民ギャラリーから中心部まではバスで行こうと思い、北1条通まで出たら、ちょうどジェイアール北海道バス(JR札幌駅行き)が目の前を走りすぎていく。
 サッポロファクトリー前の停留所までは100メートル以上、距離があったので、次のバスを待たなくてはならないかと思っていたが、意外と乗り降りに時間がかかり、ぎりぎりで乗車することができた。
 なお、サッポロファクトリー前から終点までの区間は、現金に限り100円で乗ることができる。

 時計台前でおりて、札幌時計台ギャラリー。

 次に、札幌グランドホテル本館1階ロビーのグランビスタギャラリーサッポロ

 伊藤慶二展「土を思うがままに」を見た。
 一昨年7月に同ギャラリーがオープンしてから拝見した中で、いちばん良かったと思う展覧会だ。

 伊藤さんは鯉江良二さんと2人展を開いたことがあるそうだが、土という素材のもつ可能性に迫ると同時に、時代というものに切り結ぼうとする姿勢において、鯉江さんと共通する資質があると思う。

 とくに
「HIROSHIMA ─ 土」
「NAGASAKI ─ マスク」
の両シリーズには考えさせられた。
 前者は陶板5点だが、黄色や黒っぽい色など色がそれぞれ異なり、土の持つ可能性を感じさせる。

 後者は、人の顔をモティーフにした8点。
 受ける印象は、アフリカのマスクなどとは違う。目をつぶった顔、目をカッと開いた顔、何か叫ぼうとしている顔…。
 何万人という単位で語られがちな原爆の犠牲者だが、その一人ひとりすべてに顔があり、固有の人生の物語があったという、当たり前だが忘れられてしまいそうな事実を、あらためて目の前に突きつける作品だ。
 そして、土という素材が、人が単に「描かれている」というものとしてより「現に存在している(していた)」ものとしての重みを与えているのだと思う。

 その重みは、たとえばフォートリエやデュビュッフェの絵画の持つ重みと比べても、まったく遜色ない。


 ほかに、人体の彫刻に共通する「面(つら)」、床に展開した陶器と磁器タイルによるインスタレーション「閉じられた間(ま)」、ドローイング2点が展示されていた。


2015年3月12日(木)~4月21日(火)午前11時~午後7時(最終日~午後5時)
グランビスタギャラリー サッポロ(札幌市中央区北1西3 札幌グランドホテル)

□伊藤慶二の世界 http://www.itofam.net/

【告知】伊藤慶二展「土を思うがままに」

 




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