(承前。長文です)
26日。
紀伊國屋書店ギャラリーで中橋修展を見た後、タクシーで札幌宮の森美術館へ。
明るい時間帯にタクシーを利用するのはめずらしい。
急いでいたし、疲れてもいたのだ。
この日は森山大道展の初日。
写真展はいずれゆっくり見ることにして、チャペルでのアーティストトークに参加する。前から2列目!
以下、だいたいこんなことを話しておられた(要約の文責はすべて筆者にあります)。箇条書き風に。
いやー、大道さん、やっぱカックイイよなあ。
お話のあいだ、写真が投影されていて、あらためて写真展の会場で見ることになると思うのだが、どれも良い。
1970年代の北海道なのに(あるいは、であるから)、異様に既視感ありまくりなのだ。
どの風景も、自分が見たことがあるのでは!?と思えてくる。
投影されるのはほんの数秒なので、確実に場所を特定できたのは、札幌の西4丁目電停など、ほんの一部なのだが。
といって、いたずらにセンチメンタルさを盛り上げるのでもない。まさに、大道さんのいう「記録」の性格が、ぐっと前面に出てきてるんだろうと思う。
それにしても、実際に見たはずのない風景なのに、なつかしいのだ。
大道さんは、北海道にひかれた理由として、田本研造らの開拓写真の存在を挙げ(この話は「犬の記憶」にも書かれている)、武田泰淳「森と湖のまつり」を読んだときに北海道に興味を持った話もしていた。
また、民俗学者の宮本常一が農山漁村での調査のかたわらオリンパスPENで撮った膨大な写真についても「かなわないなあ」と絶讃していた。
大道さんのお話のつづき。
質問コーナーになったので、筆者は、ずっと疑問に感じていたことを尋ねた。
代表作の犬の写真に、どうして左向きと右向きがあるのか?
初出は「アサヒカメラ」で、大道さんは雑誌が左開きだったので、あえて裏焼きしたという。
そのうち、海外の美術館やコレクターから、ほんとはどっちなんだという問い合わせが来たので、原則「頭は左」と決めたとのこと。
大道さんは
「まあ、犬だしさ」
と言って、会場を爆笑させていた。
こういう柔軟な、こだわらない姿勢って、筆者は大好きです!
会場からはいろいろな質問が出ていたが、最後に若い女性が
「じぶんの写真は好きですか?」
と、シンプルな問い。
大道さんは
「好きですよ。だって、じぶんでじぶんの写真を愛さなきゃ、誰が好きだって言ってくれるの?」
と答えながらも
「この質問は初めてだなあ」
と、やや照れ笑いぎみのように見えた。
大道さんともなると、きっと
「どうしてモノクロなんですか?」
など、おんなじ質問を何度も何度もされているだろう。いやがらずに答えている大道さんは偉いと思う。しかし、いままで出たことのない質問をした彼女もすごいな。
会場に入ってきたときのように、リコーのコンパクトカメラを首からさげて、大道さんは会場を出ていった。
うーん、かっこいいなあ。
筆者が美術館を出ると、彼は、じぶんの写真展の看板の陰で、煙草をのんでいるのだった。
サイン会が始まる前の一服なんだろう。
バス停までくると、月が見えた。
(長くなったので、以下別項)
26日。
紀伊國屋書店ギャラリーで中橋修展を見た後、タクシーで札幌宮の森美術館へ。
明るい時間帯にタクシーを利用するのはめずらしい。
急いでいたし、疲れてもいたのだ。
この日は森山大道展の初日。
写真展はいずれゆっくり見ることにして、チャペルでのアーティストトークに参加する。前から2列目!
以下、だいたいこんなことを話しておられた(要約の文責はすべて筆者にあります)。箇条書き風に。
こんどの展覧会は、北海道の人にちょっとお返しをする気分です。
三十数年ぶりに全部をコンタクト(べた焼き)で見るわけです。ぼくが撮ったものであることは確かなんです。でもね、ざっと全部見たときに、自分から離れたものだなっていう感覚が出るんですよね。どれを見てもおもしろいという、フラットなものになっている。30年という年月が作用してると思うんです。こういう経験は初めてですね。
でも、日々の写真のスタイルには影響はないですね。
体調とか日々のコンディションを抱えて現場で撮るしかないわけで。あらかじめいろいろ考えてもつまらないから、撮るときはvividじゃないとね。
写真というのは、コマーシャルなものでも記録にもどっていく。
それが写真の原点であり宿命であり、強みでもあると思うんです。
時代が写っていることが写真の魅力です。
ぼくはスナップカメラマン、ストリートカメラマンですから、視線よりも指のほうでシャッターを切っちゃう。だからいちいち何が写っているかとか、気にしないこともあるんです。
コンタクトを見ると言うことは、もう一度街を歩き直すことです。
いやー、大道さん、やっぱカックイイよなあ。
お話のあいだ、写真が投影されていて、あらためて写真展の会場で見ることになると思うのだが、どれも良い。
1970年代の北海道なのに(あるいは、であるから)、異様に既視感ありまくりなのだ。
どの風景も、自分が見たことがあるのでは!?と思えてくる。
投影されるのはほんの数秒なので、確実に場所を特定できたのは、札幌の西4丁目電停など、ほんの一部なのだが。
といって、いたずらにセンチメンタルさを盛り上げるのでもない。まさに、大道さんのいう「記録」の性格が、ぐっと前面に出てきてるんだろうと思う。
それにしても、実際に見たはずのない風景なのに、なつかしいのだ。
大道さんは、北海道にひかれた理由として、田本研造らの開拓写真の存在を挙げ(この話は「犬の記憶」にも書かれている)、武田泰淳「森と湖のまつり」を読んだときに北海道に興味を持った話もしていた。
また、民俗学者の宮本常一が農山漁村での調査のかたわらオリンパスPENで撮った膨大な写真についても「かなわないなあ」と絶讃していた。
大道さんのお話のつづき。
僕はね、計画ってできないんだよね。北海道に来るときは、歴史の本を読もうとか思ってたけど、けっきょく何も読まないまま歩き回ってた。それが僕のやりかたなんだろうね。調べるとつまんなくなっちゃうんだよね、きっと。良くも悪くもぶっつけ本番。きちんと調べていい仕事する写真家もいるわけだから。
でも、現場に行って、調べてきたことを確認して撮るよりも、そこを通り過ぎた女のほうにカメラを向けたりするよね。
質問コーナーになったので、筆者は、ずっと疑問に感じていたことを尋ねた。
代表作の犬の写真に、どうして左向きと右向きがあるのか?
初出は「アサヒカメラ」で、大道さんは雑誌が左開きだったので、あえて裏焼きしたという。
そのうち、海外の美術館やコレクターから、ほんとはどっちなんだという問い合わせが来たので、原則「頭は左」と決めたとのこと。
大道さんは
「まあ、犬だしさ」
と言って、会場を爆笑させていた。
こういう柔軟な、こだわらない姿勢って、筆者は大好きです!
会場からはいろいろな質問が出ていたが、最後に若い女性が
「じぶんの写真は好きですか?」
と、シンプルな問い。
大道さんは
「好きですよ。だって、じぶんでじぶんの写真を愛さなきゃ、誰が好きだって言ってくれるの?」
と答えながらも
「この質問は初めてだなあ」
と、やや照れ笑いぎみのように見えた。
大道さんともなると、きっと
「どうしてモノクロなんですか?」
など、おんなじ質問を何度も何度もされているだろう。いやがらずに答えている大道さんは偉いと思う。しかし、いままで出たことのない質問をした彼女もすごいな。
会場に入ってきたときのように、リコーのコンパクトカメラを首からさげて、大道さんは会場を出ていった。
うーん、かっこいいなあ。
筆者が美術館を出ると、彼は、じぶんの写真展の看板の陰で、煙草をのんでいるのだった。
サイン会が始まる前の一服なんだろう。
バス停までくると、月が見えた。
(長くなったので、以下別項)