まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

穏やかに 夕日の落ちる 枯れ野かな

2009年12月25日 | 日常
 町ではクリスマス気分一色なんだろうけれど、こどもの姿が全くない・・・過疎のこの里では・・どこにもクリスマスの気配すらない・・。私らの娘たちの時代が華やかであった最後かも知れない・・・。

 

 さて・・、今日は牛島研修の参加者が17名だという連絡が入ったもので、追加の資料の印刷とか新しい情報の印刷とかに午前中を費やした・・・。ま、そこまでやらなくてもいいとは思うのだが、「牛島」という・・一種、近寄り難いというか、交通的に寄りつきがたい島だけに、一生に一度・・・ここに到達できるか・・・みたいな島だけに・・・、ここに来られた方には大サービスをしたい・・・みたいなことで。

 というのも・・丸亀港からフェリーで塩飽本島(ほんじま)にはフェリーで5往復、客船2往復があるが、丸亀ー牛島航路は客船で一日一往復しかない。丸亀を12時10分に出て・・・牛島には12時25分に着く。帰りは16時58分の客船で17時03分に丸亀港に着く。それだけ・・・。

 島には商店もなければ自動販売機もない。民宿もあるにはあるが完全予約制の完全持ち込みの自炊生活・・・。こんな島には誰も寄りつかないし、立ち寄る意味がない・・・。この島に立ち寄るのは・・・釣り人か、アメリカ人のカートさんの民宿にお世話になる方か・・・島の関係者くらいなもの。

 それだし・・、一人でこの島に降り立っても・・・案内板があるわけではなく、尋ねる人影にも出会えない・・。どこに何があるのかさえわからない・・・。道さえわからないし、家が崩れていて道さえふさいでしまっている・・。これでは・・身動きすらできなくなってしまう・・。一歩・・山道に踏み込めば・・・くずや雑草が生い茂っていて・・・道がその草むらに呑み込まれてしまう・・・。

 

 だから・・・普通の方は・・・この島にあこがれはあるものの・・この島に降り立つことはまずない・・。かくいう・・この私も・・この島にあこがれてはいたのだけれど、どうやれば、この島に入れるのかと思い悩んだものだった・・。

 たまたま・・広島の自治会長さんの漁船に乗せてもらって、けいこばぁと・・三人で牛島に降り立ったのが最初・・・。その後は何度も・・・マイボートでお墓探しとかで上陸するようになった・・。

 

 そういうことを知ってか知らずでか・・、明日の「牛島研修」のガイド役を仰せつかった・・・。で・・先々週だかには・・・横瀬さんの案内で・・・下見もやったし、資料との整合性もとった・・・。準備は万端なんだけれども・・明日の天気が気にかかる・・。

 

 牛島というのは、丸亀市沖にあって、塩飽本島のすぐ南側にある周囲四キロほどの小さな島。今の人口は十数人で十世帯ほど。里浦では漁業が行われ、反対の小浦では農業が主体・・・。

 江戸時代前半には廻船業で栄え、丸尾五左衛門や長喜屋伝助などの船が御城米を運んでにぎわった・・・。その豪商になった両家が寄進して檀那寺の極楽寺を建て、聖神社を建立した・・。海上安全・家内安全・商売繁盛を祈願するためだった。小浦の池神社も建立した・・・。

 しかし・・政権交代・・によって、江戸時代から明治になると・・帆船の時代ではなくなり・・海上輸送の姿は一変し、牛島の両家は撤退を余儀なくされて転身した。

 

 さて・・、今日のお昼は・・高松市香川町浅野にある「かめや」さん・・。ここは一般店で・・・駐車場が狭いのでなかなかに立ち寄ることができない・・。

 で・・、マイブームになりきっている・・「しっぽくうどん」を注文した・・。

 

 一般店だからという訳でもないのだろうけれど、なかなかに上品な仕立て上がりになっている・・。さすが・・・プロ・・・みたいなものか。そういうと、セルフのお店がプロではないみたいな印象になるけれど、それは決してそういう意味ではない・・。セルフのお店も・・・ほとんどこのタイプのおうどんはプチセルフ・・・みたいに完成品が出されて・・料金先払いで・・自分で運んで食べて片付ける方式になっている・・。だから・・・食器を自分で片付けるのか、そのまま、置いておくのか・・が、セルフと一般店との違いくらいなものか・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。 

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