まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

冷たくも 花に嵐の 例えもあるさ

2010年04月12日 | 日常
 今日は一日雨になった・・・。それも重苦しい雨の一日だった・・・。

 親戚のおじさん・・・と言っても、母のいとこにあたるような人だが、年格好が似ているせいもあって、親しくさせてもらっていた目川さんが亡くなった・・・。私と一個違いだから・・・62歳か63歳か・・。長いこと・・・郵政関係のお仕事をしていて・・うちの町の郵便局にも最近まで勤務していた・・・。

 

 つい・・先日にも町内のコンビニで出会って挨拶をしたばかりなのに、突然の訃報だった。聞けば・・「心筋梗塞」だったとか・・。心臓の弱い私にすれば他人事ではない。彼も私も元はといえば血筋は同じ・・・。同じような心臓疾患を背負わされたような一族の流れなのだ・・・。

 

 葬儀にも参列したが・・・たまらなくなって、途中で式場を出た・・・。

 永年勤めてきた会社を退職し、これから・・自分の本来の生き方を探すはずの未来を・・突然に断ち切られた思いはいかばかりであっただろうか・・・。それを思うと、無性に悔しさがこみ上げてきた・・・。

 そんな想いとは別に・・葬儀は粛々と行われていく・・。その非情さに、僧侶でありながら・・・なんと無力な自分なのだろうか。なんと失礼な・・自分なのだろうかと思うと・・・いても立ってもいられなくて式場を出た・・・。

 明日は我が身かも知ないと思うと・・・たまらなくなった・・・。

 

 おりしもあたりは桜吹雪・・・。「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ・・・」みたいな気持ちで花びらの乱舞を眺めていた・・・。咲いた花なら・・散るのは覚悟と言いながら、その覚悟ができない私たち・・・。春の嵐は厳しいな・・・。

 でも・・なんだかんだと言いながら、私たちは日常に戻って、ありきたりの毎日に埋没する・・。

 

 で、今日は奥方がお休みなもので、リサイクルショップへ行きたいという。なんでも施設で使うバスタオルを安価にたくさん買いたいのだとか・・・。「あんたは・・どこでもドアを持ってるんだから、リサイクルショップに案内しなさい・・」というのだ。

 で、近くのリサイクルショップに連れて行って、バスタオルだとかなんだとかをたくさん買い込んだご褒美に、このおうどん屋さんに行くことになった。

 ま、珍しいお店ではないのだが、「うどん亭・いわせ」という一般店。一般店だから・・少しばかりお値段がはる・・。だから・・お呼ばれの場合にはここがいいかなぁと。自分で食べる場合にはセルフのお安いお店ばかりなんだけれど。

 

 で、注文したのが、このおばけきつねうどん・・・。おうどんが見えないくらいな大きな揚げが乗っかっている。これで・・600円。この大きさは・・香南町の「宝山亭」のおばけうどんに匹敵するくらいなもの・・。

 

 今日は一日雨だったもので、朝夕のぽちの散歩に行っただけで、あとは・・ブログ巡りやらHPの更新作業に明け暮れてしまった。HPも、ああだこうだと手をいれていけば行くほどに、あれもしたい、これもしたいと・・・範囲が広くなって。今日は・・咸臨丸関係のサブメニュー作りに明け暮れてしまった。お暇があれば、のぞいてみてくださいな。

 

 でも・・、そのおじさんのように、突然に明日がなくなってしまうのかと思うと、身辺整理とかHP周辺とかもある程度は整理をしておかねばならないのかなあぁとは思う昨今。

 「明日有りと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかわ」は、我が御開山さまの親鸞聖人でありますが、これは、親鸞聖人が、九歳の時、得度される前夜に詠まれた歌と聞いており、九歳でこんな歌が出て来るとは信じ難いですが、『明日桜を見ようとしても、夜に嵐が来て、桜は散ってしまうかも知れない、桜の運命と同様、明日の事は私達人間には分らないのですから、今、得度させて下さい』と言う松若丸(親鸞の幼名)の心情を表わしたものであると言われている有名なお話。

 

 若松丸(親鸞聖人)が得度(僧侶になること)するために青蓮院の慈円和尚のもとを訪れた時、すでに夜は更けていた。得度には時間もかかるし、たくさんのお弟子を集めなければならない。「もう遅いから明日にしよう」といった慈円和尚に、わずか九歳だった若松丸(親鸞聖人)が和歌を詠んで答えたというお話。

 明日ありと
 思う心のあだ桜
 世半に嵐の吹かぬものかは

 「この世は無常であり、今を盛りと咲く桜が夜中の嵐で散ってしまうかもしれません。同じように、私の命もいつなくなってしまうかわかりません。どうか、今ここで得度の儀式を執り行って下さい」という聖人のそのことばに心打たれ、慈円和尚はすぐに得度の手配をされたということ。

 

 ま、そのようなお話に感動をして、私も得度の儀式を受けて僧侶にはなったものの・・「持ったまま」「ありのまま」に生かされている毎日。「毎日毎日がその日暮らし」、「今日この日こそが最高の一日」みたいな毎日でありたいなぁとは思っていたりする。

 

じゃぁ、また、明日会えるといいね。

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