まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

霞立つ 清水の富士に 旅の夢

2011年10月29日 | たまには旅など・・。

 金曜日の夜から屋島の娘の家に泊まり込んでいて、朝の5時前に高松駅まで送ってもらって、孫のはやてちゃんと、いよいよ・・静岡への旅に出発・・・。「咸臨丸子孫の会静岡旅行2011」の旅が始まる・・・。

 

 五時半過ぎにマリンライナーで高松から岡山へ出発。岡山からはのぞみで名古屋まで。名古屋からはこだまに乗り換えて静岡には9時45分に定刻通りに到着・・・。そこで皆さんに合流。

 

 静岡では宝寿院に参詣。ここに「海舟庵」という建物があり、海舟の母の隠居所として建てた物らしい。

 

 ここには勝海舟のピストルとか書簡、長火鉢などがある。その後、地元の白鳥家が譲り受け、菩提寺の宝寿院内に移築されたのだとか・・・。子孫のみな子さんも興味深く見学をされていた。

 

 その後、清水中央図書館に寄って、そこにある「徳川文庫」から咸臨丸関係の図書を何点か見せていただいた。これは海軍省編纂になる「海軍歴史」全9巻。咸臨丸の記事も当然ながら載っていた。徳川家が持っていた貴重な本や珍しい本が保管されている。

 

  で、昼食はここ。「浮月楼」という料亭で、昔の徳川の代官屋敷があった場所。一時徳川慶喜がここに住んでいたというお屋敷。だから、慶喜が愛用したカメラとか自転車とかが保管されている。この日はこの池の横で結婚式が幾組も行われていた。

 

 昼食後は、清水の次郎長関連建物見学。佐々倉桐太郎子孫の佐々倉さんの案内で船宿「末広」、次郎長の生家、咸臨丸乗組員の戦死者のお墓「壮士の墓」などを見学。

 

 これが次郎長生家前での歴史作家の植松三十里さんと北海道の輪島さん、それに孫のはやてちゃん。

 

 こちらが「壮士の墓」、メガネのおじさんが乗組士官「佐々倉桐太郎」の子孫の洋一さん。榎本武揚軍として脱走した咸臨丸は嵐で壊れ、ここに逃げ込んで官軍に銃撃されて捕縛された。その時に戦死した水夫などを引き上げたのが清水の次郎長。そして作られたのがこのお墓。この文字は官軍の将、山岡鉄舟が書いたもの。

 

 これはみな子さんと東京龍馬会のみながわさん。

 

 午後4時には駿河湾フェリーに乗ってサンセット・クルージング。清水から土肥に向かう。富士山が少しばかりかすんで見えた・・・。

 

 ここが今夜の宿。「たたみの宿・湯の花亭」というだけあって、玄関を入ったら畳・畳・畳。廊下から階段からトイレからエレベーターからお風呂からベッドまで畳み敷き。

 

 ここでの夕食も豪華なもの。お世話してくださった「富士宮人づくりの会」の方がたに感謝です。で、ま、宴会というか歓談というかで二時間はあっという間・・・。

 

 で、さらに二次会・・・。楽しい時間は夢のように過ぎてゆく・・・。

じゃぁ、また、あとで。


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