まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

つれなくも 友も去りゆく 花曇り

2010年04月19日 | 自然
恩徳讃(讃佛歌より)in光明寺~今泉ひとみ~


 全く・・・春の天気は猫の目のように変わる・・・。昨日はいい天気だと思っていたら、今日は曇って肌寒い一日になった・・・。だから・・鼻水が出たり止まったり・・・。身体の調子もおかしくなるというものだ・・。

 で・・、今日は高松市内へ出かけて行って、咸臨丸に乗り組んだ水夫の子孫の方を訪ねて行こうとしたんだけれど、教えてくれてた住所も電話番号も違うみたい・・・。でも、私の送った「咸臨丸と塩飽諸島」という本は届いた・・という連絡があったのだから、住所はそんなにもは違わないのだと思うのだけれど・・・。

 

 でも、「このあたりでは、そんな方は知らないわねぇ・・」とか、「その方はずっと先の方よ~」などと・・相手にもしてくれない。最近は・・個人情報なんたらだから・・うかつに・・知っていても教えない人が多くなったせいもある・・。

 確かに・・教えられた場所には・・大きな倉庫会社があったが、そんな会社に押しかける訳にもいかず・・・。倉庫会社だとは聞かされていなかったせいもあったし・・。

 電話番号も少しばかり違うようで・・・呼び出し音は出るが、誰も出てはくれないし・・。ということで、今日の作業はあきらめた。

 

 で、今日のお昼はここになった・・。高松市多肥下町になるんだろうか・・。「国安うどん」っていうお店。

 

 ここも案外とマイナーなうどん屋さんなのか、検索エンジンでも引っかからない・・。けっこう早くから開店してるんだけれど、場所が場所なものか、どうなんだか、あんまりメジャーにはなっていないが、そこそこ・・お馴染みさんでやってるみたいなお店。

 

 これが店内の様子。ま、一般的なお店風で、カウンター席もあればテーブル席もあって。おうどんがあがるまでに間があれば、新聞なども持ってきてくれて、細やかなサービスもある。

 
 
 で、注文したのは・・きつねうどん・・。少しばかり・・マイブームかな。かけ小ばかりでは能がないし、かといって、カレーうどんばかりでもおもしろくないし。しっぽくうどんの時期は終わったし、ざるうどんの季節でもないしね・・。

 で・・・。

 

 こんな・・デザートまでサービスしてくれた。みかん系のものを寒天でかためたもの。どういう表現をすればいいものかわからんけれど。朝の間のサービスみたいだった・・。

 

 で、午後からは・・、お坊さんたちが集まっての「組内会:そないかい」という会合に出席した。ま、うちのお寺の場合、北海道教区・大和教区・阪神教区・東讃教区・西讃教区・鹿児島教区・特設中央教区という七つのブロックがあって、私らは・・「東讃教区」に属する。その東讃教区にも、十の組(班みたいなもの)がある。今日は、その「東讃第一組」、いわゆる、昔の「大川郡」に相当する地区のお寺さんの会合やね・・。

 

 で、いつもは・「お佛讃」っていうことで、短いお経をあげるのだけれど、今日は・・「真宗宗歌」になった・・。こういうのも新鮮でいいね。最後は・・「恩徳讃」だったし。そんな話をされても、一般の人にはわからんと思うけれど・・。ま、お経ばかりではなくて、お坊さんも歌も歌うよ・・・みたいなことかな・・・。

 ここの地域に、およそ十六の寺院があって、そこいらのお坊さんたちが集まって、いろんな相談をする場やね・・。

 

 ま、ご本山の法要をどうするかだの、高松別院の修理をどうするか・・みたいなお話だとか・・いろいろやね。

 先には・・塩飽本島とさぬき広島の話をして、横に動けば簡単なのに、縦・縦に動くから時間の浪費だって書いたけれど、今日は・・お坊さんたちの横と横のつながりのお話。お寺対本山・・・という縦の社会に対して、個々の寺院や僧侶らの横の連携をつなげる場。

 

 で、ようやくに咸臨丸乗り組み水夫さんのご子孫に連絡がついて、明日の午前十時に・・今朝方に見た・・倉庫会社の事務所にお伺いすることが決まった。やはり、あの・・倉庫会社だったんだ・・。で、目が覚めたら会社の事務所に行くっていうのだから・・家に電話してもいないはずらしい・・・。働き者のやねぇ・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

時代 だね 春のみゆきは 忙しい

2010年04月18日 | 自然
時代     中島みゆき


 昨日の御大師参りの筋肉痛には参った・・・。たった・・四キロほどを歩いただけで足がパンパンになってしまって・・。毎日・・一時間近くを歩いていたはずなのに、なんでだろ・・。これには・・自分の老化現象をしっかりと教えられた格好になった・・・。

 

 昨日は・・塩飽本島のお接待の日・・。島四国の御大師参りの日で、それをお昼でやめて、お昼過ぎのフェリーで丸亀港に戻り、そこから・・さぬき広島に戻ってきた・・・。なかなかにお隣の島なのに、横には動けずに、縦・縦・・に動くから時間的に大きな無駄ができてしまう・・・。

 

 で、また、咸臨丸の話題なんだけれども、咸臨丸に乗り組んだ水夫は50名。そのうちの35名が塩飽の水夫だったと言うことは有名なお話。その内の11名が、私らの島のさぬき広島の出身者だ。その内の不明だった・・・子孫の方が見つかったという情報が入ってきた。

 で、その情報を確かめるべく・・さぬき広島に戻ってきたという訳だ・・。

 

 ところがだ・・、うちの軽トラが動かないのではどうにも動きがとれない・・。どうしたものだかと思案中・・・。ま、とりあえずは情報の確認ほかをやっておいて・・。自治会長さんほかに確認依頼をしておいて・・。自治会長さんも・・「そんな・・屋号は知らないし、小林なんていう姓は知らない」という・・・。え~・・・、連合自治会長さんでもわからないこと、知らないことがあるんだ・・と、妙な・・納得をした・・。

 

 そのあたりは・・また、調べてもらっておいて、私は高松の子孫さん探しをやらないと・・。

 

 この日は・・ひとまず、島を出て・・さぬき市にもどる。明日の月曜日には、お坊さんの会合・・「組内会:そないかい」というものがある・・。ま、一種の「班会議」みたいなもんやね。その後・・、新しく見つかった子孫の方をお伺いして取材をしなくては・・。

 24日からの咸臨丸フェスティバルには、頭取(会長)さんほかには報告できるといいね。

 だから・・、ここんところは・・いろんな情報が錯綜してきて・・、メールボックスもわやわや状態・・・。

 

 で、今日のお昼はここになった・・。綾歌郡宇多津町・・・というてもわからんかね。わかるかね・・。昔の・・宇多津町だ。宇多津町役場だの、郷照寺だのという古くからる建物が建ち並ぶ中にある「うぶしな神社」「宇夫階神社」にある・・「うぶしな」やね・・。


 
  そうそう・・、神社の中にある・・おうどん屋さん。神社の神職さんが・・神社内の納屋を改造して・・おうどん屋さんをやってる・・。

 

 かけうどん小で・・250円。肉ごぼうぶっかけうどん・・ていうのがおいしいらしいのだけれど、ごぼう・・ていうのが苦手だからと・・やや・・控えめの注文・・。全く・・シャイなわたしだからね・・。

 

 「郷に入れば、郷に従え・・」というのが常識らしいけれど、なかなかに・・その「郷には入れないのだけれど・・」
 
じゃぁ、また、来週に会えるといいね。

春めいて  川の流れの ようにゆく

2010年04月17日 | 自然
美空ひばり - 川の流れのように


 天候が不順で安定しないのだけれど、天気予報では天候も曇りから晴れになるというてるし、ただ・・、この時期の海上の濃霧が少しばかり気にはなるのだけれど・・。

 で、丸亀港に早くに着いたもので、まずは朝食を食べておかねば・・ということで、「まごころうどん」に行ってみた。

 

 ここは朝の6時からやってるらしくて、造船所などにお勤めの方らしき制服姿のおじさんたちがずらりと並んで食べてはる・・。ここは完全セルフ式で、どんぶりに入った大小のうどんやおそばが置いてある。その好みのどんぶりをつかんであたためて、トッピングをしてお金を支払って出汁をかけて席について食べる・・。

 

 お店は温室みたいだし、倉庫みたいだし、鯉の養殖場みたいでもあるが、ちゃんとした製麺所である。「宮武製麺所」の看板もちゃんとかかっている。

 

 で、かけ小(200)+あげ(100)+生たまご(50)=350円なり。これでおなかをおこして、フェリーに乗り込んだが・・ものすごい人・・人・・人・・。7時40分の臨時便も押すなおすなの大盛況・・・。

 

 今日は・・塩飽本島・・丸亀市沖にある・・「丸亀市本島町」で行われるお大師まいりに行くことになっている。というのも、長崎歴史文化協会の一行として、写真家の吉田幸男先生一行が本島のお大師参りを楽しまれ、塩飽本島の名所旧跡を散策されるそうで・・。

 

 ま、その先生のご案内もあるし、私的(?)にも、本島の御大師参りははじめてだし・・ということで、勇気を出して・・本島に向かうことになった。

 それだし・・今・・「山崎先生」をキーワードにして、塩飽の歴史が賑やかになってきていることもあって、一度、吉田先生ともお話しておきたいと思って・・。天候も回復したことだしということで・・。

 

 これが・・吉田先生の有名な備讃の海の夕景・・・。ま、無断転載にはなるのだけれど。先生のメールに添付されていた写真だから・・・私信の一部だと解釈して・・。まだ、橋になっていない頃の・・ラットウォークというか、メインロープが流された当時の写真やね・・。

 でも、メールだ、掲示板だ、ブログだではお仲間みたいにはさせていただいてはいるものの・・実際には逢ったことがない人なんだが、今日は緊張するね・・・。

 

 さて・・、フェリーを降りてから、どちらに向かって歩き出せばいいんだろうかね。ま、吉田先生ほか長崎一行さまを探すんだけれど、みんな同じような服装だし・・誰が誰だかわからない・・・。まずは、吉田さんご一行を見付けないといけない・・・。でも、フェリーを降りてしまえば蜘蛛の子を散らすみたいなもので、どちらに行けばわからない・・・。まずは、順路に沿って行くとしましょうかね・・・。

 

 このお大師まいりが終われば、さぬき広島で打ち合わせやら、咸臨丸乗組員の子孫捜しをやってから戻るもので・・・日曜日の夕方か、月曜日の朝には戻れるかな・・・。ま、美空ひばりさんの歌のように「川の流れのように」・・・ゆったりと行きましょうかね・・。

 

 で、ようやく・・吉田先生には会えたものの、私の足がぱんぱんに張ってしまって歩きにくくなってしまって、先生一行とはお別れ・・・。全く、何をしに来たものやら・・・。

 結局、14番札所の「来迎寺」でリタイヤ・・・。12時45分かのフェリーに乗って本島を後にした・・・。

 

じゃぁ、また、来週に会えるといいね。



 

春雨に 裏戸から来る お客さん

2010年04月16日 | 自然
 さて、今日はまた・・・小雨の降り続く肌寒い一日になった・・。全く・・・体調管理が難しくて・・・やはり・・水ばなが流れ出て困る毎日・・・。

 昨日は「レオナルドダビンチ・デー」だったが、今日、4月16日は「チャップリン・デー」なのだという・・・。1889(明治22)年のこの日、20世紀最大の映画作家・喜劇俳優のチャールズ・チャップリンがイギリスで生まれた。

   
 口ひげ、だぶだぶのズボン、どた靴、ステッキ、山高帽という独特のスタイルで社会を風刺し、世界的な人気者になった。『モダン・タイムス』『ライムライト』等多数の作品を作ったというのだが、団塊の世代の私には・・うっすらとしか記憶がない・・・。だから・・どうだと言われても・・わからない。

 

 一方、こちらは年代こそ古いのだが有名な言葉。「ボーイズビーアンビシャスデー」。1877(明治10)年のこの日、札幌農学校(現在の北海道大学農学部)の基礎を築いた教頭・クラーク博士が、「Boys,be ambitious.(少年よ、大志を抱け)」という有名な言葉を残して北海道を去った。

 

 中学生だかのころに習った英語で・・・わくわくしながら連呼したものだった。誰もが一度は通る熱病の時期かも知れない・・。

 『青年よ、大志を抱け!それは金銭に対してでも、自己の利益に対してでもなく、また世の人間が名声と呼ぶあのむなしいものに対してでもない。人間が人間として備えていなければならぬ、あらゆることをなし遂げるために大志を抱け』

  

 W・S・クラーク (アメリカの教育者・マサチューセッツ農科大学学長/札幌農学校教頭)の有名な言葉である。

 

 ついでに今日は「女子マラソンの日」でもある。1978(昭和53)年のこの日、日本初の女子フルマラソンの大会が東京・多摩湖畔で開かれた。しかし、その時の参加者はわずかに49人だったという・・・。女子マラソンって、そんなに新しいスポーツだったのか・・。

 また、「国民年金法公布記念日」でもあるらしい。1959(昭和34)年のこの日、「国民年金法」が公布されたのだという。

  

 それから・・今日は「康成忌」小説家・川端康成[かわばたやすなり]の1972(昭和47)年の忌日。川端 康成(かわばた やすなり、1899年〈明治32年〉6月14日 - 1972年〈昭和47年〉4月16日)は日本の小説家。

 大阪府大阪市北区此花町(現在の天神橋付近)生れ。東京帝国大学文学部国文学科卒業。横光利一らと共に『文藝時代』を創刊し、新感覚派の代表として活躍。『伊豆の踊子』『雪国』『千羽鶴』『山の音』『眠れる美女』『古都』など日本の美を表現した作品を発表し、1968年(昭和43年)に日本人初のノーベル文学賞を受賞した。

     
  1972年(昭和47年)、門下の三島由紀夫の割腹自殺等による強度の精神的動揺から、ガス自殺した。

 それはさておいてだ・・。今日は雨なもので何もできず、どこにも行けずで・・、仕方がないもので、仏生山に行ってきた。仏生山には浄土宗のお寺、「仏生山来迎院法然寺」という立派なお寺がある。江戸時代の高松藩松平家の菩提寺で、代々藩主のお墓がある場所。そこに五重塔が建設されているというので行ったのだが、白いネットで覆われていて全く何も見えない・・。

 そこで・・「竜雲うどん」に寄っておうどんを食べた。

 

 ここも最近、リニューアルされて立派な一般店になって高級感が漂うようになった。以前には食券方式の簡易な、うどん店という雰囲気だったのだけれど。

 

 だから・・お箸も使い捨ての割り箸ではなくて、塗りのお箸で、しかも、箸置きまでがセットになっている。

 

 で、「ちくわ天うどん」を注文したのだけれど、聞いてれば・・「和風中華そば」を注文する人が多い。うどん屋さんで中華そばを食べるんかなぁ・・と思った。

 

 これがその・・ちくわ天うどん・・。ちくわの天ぷらだけじゃなうて、タケノコの天ぷらも入っていた。で、感想なんだけれど・・麺がやわらかいの・・。やわらかいけれどべちゃべちゃはしないんだけれど、なんか妙な感触。上品な柔らかさっていうんだろうか。でも、さぬきうどんにしては頼りない柔らかさ・・・。女性やお年寄りにはやさしいのかも・・・。

じゃぁ、明日は塩飽本島へ行ってくるので、また、来週に会えるといいね。

いかばかりかと 春のしずくに 数える明日

2010年04月15日 | 自然
 今日はまた一転して雨の一日になった。その雨の中、空き缶のゴミ出しをやったり、段ボールの片付けをやったりした・・・。主婦ならぬ主夫もなかなかに多忙だ・・・。

 

 ザーザーと降る雨ではなくて・・・パラパラ・・・と降る小雨なんだけれど、やはり、雨はうっとおしい・・。それでもぽちは散歩に連れて行けとばかりにあくびを繰り返す・・・。で、雨の中を傘をさして散歩を済ませると、こんどはエサをくれと催促をする・・・。

 

 今日は珍しく・・メールがたくさん入っていた・・・。その中に咸臨丸子孫の会からのものがあった。五色台ににある瀬戸内海歴史民俗資料館に咸臨丸関係の資料が眠っているというのだ・・・。「う~ん、これかなぁ・・」と手元の資料を見た。

 

 小笠原・・・咸臨丸・・・山崎・・・というと、これらしい。先日に、さぬき広島の自治会長さんに預かったファイルの中にあるものだが、あいにくと・・、私は古文書が読めない。確かに・・小笠原・・・咸臨丸御船日誌と書いてあるし、小十人格 小野友五郎とも書いてはあるが・・。明治参拾六年三月・・・とも書いてあるので咸臨丸とは関係ないみたいだし・・。よくわからんが・・・北米合衆国桑港・・・とも書いてあるし・・。それだし、大日本国香川縣仲多度郡高見島村・・・濱根常吉云々とある。ま幹事さんにコピーを送っておいた。

 

 この日誌に、「山崎蔵書」というハンコを押してあるのはいけないと思うし、私どものさぬき広島にあるレキの墓に関して、英国から届いた感謝状を・・自分のものにし、借金のカタに売ってしまったともいう・・・。貴重な歴史資料を私物化し、あるいは歴史をねつ造し、歴史をゆがめてしまうことは許せないことやなぁと思ったことだった。

 

 で、今日のお昼はここになった。さぬき市津田の羽立(はりゅう)峠にある「美登庵:みとあん」という一般店。ここは少し前まで、同名の鴨料理の割烹店だった。だから、送別会だ、忘年会だというと、ここを使ったものだった。

 

 ま、経営者が変わったものか、時代の流れなのか、いまは・・うどん屋さんになっている。で、そんなに売れっ子でもないみたいで、うどん通の間でも、そんなに名前の挙がるお店でもない。そこそこやってるようなお店。で、今日は・・「ぶっかけ温いんの小」をお願いした。それでも450円だった・・。

 

 ま、お客が少ないということは、麺が新しくないっていうことだろうし、雰囲気的にも暗い感じだし・・・。お客さんがたくさんいる時間帯に行けばいいのだろうけれど、混んで待つというのも嫌いだから・・・どうしようもないか・・。ま、可もなく不可もな・・みたいなところかな・・・。

 

 食べた後で思ったんだけれど、看板にある「たらいうどん」にすればおいしかったのかん・・と。たらいうどんというのは、釜揚げうどんを・・お風呂の木桶のような容器に入れて持ってきて、それを「つけ出汁」につけて食べるもの。たらい・・たって、洗濯をするようなたらいではない・・。

 

 でも、言うと言わないと・・メダカの泳いでいる水桶の睡蓮の葉っぱが緑がかってきた。つい、先日までは枯れてしまった落ち葉のようになっていたのだけれど・・。山の雑草が萌え出すように、水草も少しずつ・・・春の準備をはじめたみたい・・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

朝寝坊 今日は起きたぞ オレンジデー

2010年04月14日 | 自然
 今日も肌寒い風の吹く一日になった。春の訪れは遠いような気がする。

 そんな今日、四月一四日は、「オレンジデー」なのだそうだ。愛媛県の柑橘類生産農家が1994年に制定した日で、二月一四日の「バレンタインデー」で愛を告白し、三月一四日の「ホワイトデー」でその返礼をした後で、その二人の愛情を確かなものとする日。オレンジ(またはオレンジ色のプレゼント)を持って相手を訪問するのだそうだ。

 欧米では、オレンジが多産であることから繁栄のシンボルとされ、花嫁がオレンジの花を飾る風習があり、オレンジは結婚と関係の深いものとなっている。

 

 関連するものとして、「メイストームデー(5月の嵐の日)」 <5月13日>、「恋人の日」 <6月12日>、「サマーバレンタイン」 <7月7日>、「セプテンバーバレンタイン・メンズバレンタイン」 <9月14日>、「恋人達の日(くつしたの日)」 <11月11日>、「ダズンローズデー」 <12月12日>、「遠距離恋愛の日」 <12月21日>・・・などと忙しい。全く、誰が決めたんやろうかね。

 

 ついでに、こんな日でもある。「パートナーデー」が、それ。佐賀県佐賀市が1998(平成10)年に制定したもので、2月14日がバレンタインデー、3月14日がホワイトデーであることから、その一箇月後を「パートナーデー」としたのだとか。家庭・職場・地域等で互いを思い遣り、男女が共に参画する社会を目指す日らしい・・・。

 ま、そんなで、うちの事務員さんにもご機嫌伺い・・・。全く、さぼってばかりだからねぇ・・・。

 

 それはそうと・・、こんな記念日もあった。「タイタニック号の日」は、1912(明治45)年のこの日、初航海中のイギリスの大型客船タイタニック号が、北大西洋ニューファントランド沖で氷山に激突し、翌日未明に沈没した。乗客乗員2208人のうち1513人の儀牲者を出した。事故の原因や被害には、救命設備・流氷の監視・無線電信等さまざまな問題が関連しており、その後の船の安全確保について多くの教訓が得られたという。

 

 そうそう・・、ついに・・前の会社から使ってきた健康保険証の有効期限が切れた。43年間使ってきた保険証ともついにお別れ・・・。今までは当たり前に使ってきたんだけれど、お別れとなると・・なんだかね・・。

 

 だから・・先日の県立病院での診察は・・この保険証で支払って、今日以降は、国民保険の支払いになるんだそうだ・・・。ま、平行する支払いはないのだけれども・・。

 
 
 で、カードは切除して返送した・・・。なんか、これで一つの時代が終わったみたいな気持ちになった。そんなに深く考えることでもないのだけれど・・。

 ま、そうは言うても・・・紙べースの保険証が永くて、こんなカード形式になったのは最近のことだから、そんなに思い出もないのだけれど・・。

 

 で、今日のお昼はここになった。東かがわ市落合の「讃岐屋」さん。ここも珍しくもないのだけれど、ま、通りがかったから寄ってみただけ。とはいうもの・・ここも久しぶりだ。ここのおうどんもお値段するもので、なかなかに立ち寄れない。

 

 西讃岐地方にはおいしいうどん屋さんがあるのだが、東讃岐地方にはお店が少ない。だから、どうしても同じお店ばかりになってしまって・・・。で、今日は違うメニューで決めてみようと意気込んで入ったのだけれど・・。

 

 これがまた・・・陳腐な・・「たまごとじうどん」・・・。もっと、おいしそうなメニューを選べばいいのにね。まるで、こどもみたいな選択だな。でもねぇ・・、わかめうどん・きつねうどん・・かけうどん・ざるうどん・・ゆだめうどん・・・と並ぶとね・・・。ついつい・・落ち着く先が決まってしまう・・。策士、策に流される・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


さわらびを 摘みつつ偲ぶ 啄木忌

2010年04月13日 | 自然
 春眠暁を覚えず・・・と、昔に習ったことがあるが、先週末だかに風邪を引いて寝込んだことがあって以来・・・、よく眠るようになった。今朝も目が覚めたのは八時前だった・・・。寝ぼけ眼で・・「げげげの女房」をぼんやりと見ていた。若い頃から・・五時前には眼を覚ましていたのに・・これは大きな変化。ますます・・おばかさんになりつつあるなぁと思う今日この頃・・・。

 

 で、ぽちにせがまれて朝の散歩に出かけてみたら、そこいらじゅうに・・わらびがにょきにょき・・・。子供の頃からの習性かなぁ・・。ぽちをそこいらに置いて、ワラビ採りに夢中・・・。こどもの頃には、学校から戻ると・・一目散に自分の持ち場に駆け込んでワラビ採り・・・。人差し指と親指との円ほどの量のワラビが1円。十束で10円、20束で20円・・・。これはいいお小遣いになった・・・。学生服を脱いで、そこにわらびを包み込んで意気揚々と引き上げたものだった。

 

 その後も数カ所でワラビを採って・・レジ袋いっぱいになった。おかげでKappaのシューズがずぶぬれになった・・。しまったな・・。靴下までがずぶずぶになった。

 仕方がないので、安いシューズを買いに出たついでにおうどんを食べた。

 

 ここもお馴染みになったかも知れないが・・さぬき市津田にある「羽立:はりゅう」という一般店。カウンター席があるばかりで、十人も入ればいっぱいになるような小さなお店。駐車場も十台ほどの小さなお店。でも、入れ替わり立ち替わりお客が集まってくるから、そんなに困ることもないらしい・・・。

 

 お店の中はこんな感じ。若い店長とおばちゃんが二人・・・。店長がうどんを打ち、切り、湯がいて洗って盛りつけて出して・・おばちゃんが天ぷらや後かたづけを担当している。で、今日は・・「かきあげ天うどん」おうどんの上にかき揚げ天ぷらが載ったもの・・。これで350円。ま、一般店にすればお安い方かな・・。

 

 でも・・かきあげ・・て割にはおイモ・・サツマイモばかりだったような気がする。それはそれでいいのだけれど。

 それはそれとして、今日の天気はめまぐるしく変化して・・。晴れたり曇ったり、小雨が降ったり・・暑くなったり寒くなったり・・蒸し暑くなったり・・・おかげで体調がなんか・・変・・・。風邪気味がぶりかえしたみたいで・・・。

 

 で、今日は「決闘の日」なんだそうだ。1612(慶長17)年のこの日、美作の浪人・宮本武蔵と細川家指南役・佐々木小次郎の決闘が、豊前小倉沖の無人島・巌流島(舟島)で行われたという記念日なんだそうだ。でも・・「決闘」なんて言葉も「死語」みたいな世の中になった。「決闘」なんていう言葉は、もはや映画の中の言葉なんやろうね。

 そうそう・・、今日は「啄木忌」あの・・歌人の石川啄木の1912(明治45)年の忌日。肺結核により27歳で亡くなったそうだ。あの時代には・・たくさんの惜しい人が肺結核なんぞで亡くなっているなぁと思う・・・。

 

 石川啄木の本名は「一(はじめ)」。岩手県生まれ。1歳の時に父が渋民村・宝徳寺の住職となり同村が啄木の「ふるさと」になる。小学校を首席で卒業し、地元では神童と呼ばれる。盛岡の中学では4歳年上の金田一京助(後の言語学者)から文学の面白さを教えられ、文芸雑誌『明星』を熟読して与謝野晶子に影響を受け、また初恋にも夢中になった。高まる文学熱と情熱的な恋!反面、学業がおろそかになり、カンニングが2回連続でバレ、落第が決定となったため16歳の啄木は自主退学して上京する。『明星』に投稿した短歌が掲載されたこともあって文学で身を立てるつもりだったが、与謝野鉄幹・晶子夫妻の知遇を得たものの仕事は何も見つからず、家賃を滞納して下宿を追い出され半年も経たずに帰郷する。17歳の時に初めて“啄木”の号を名乗り『明星』に長詩を発表、注目された・・・。

 代表的な《一握の砂》という歌集にはこんな歌が連ねてあった。

1.東海(とうかい)の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる

2.たはむれに母を背負ひて そのあまり軽きに泣きて 三歩あゆまず

3.草に臥(ね)て おもふことなし わが額(ぬか)に糞して鳥は空に遊べり

4.やはらかに積れる雪に 熱(ほ)てる頬を埋むるごとき 恋してみたし

5.路傍(みちばた)に犬ながながと呻(あくび)しぬ われも真似しぬ うらやましさに

 ・・・ま、はるか昔に習ったことのあるようないようなお話・・・。明治は遠くなりにけり・・・やね。

  

 そうそう・・・若い頃に・・新システム構築の研修で仙台に行ったことがあって、そのついでに休暇を利用して雪の盛岡に遊びに行ったことがあった。その時に・・盛岡城址だかに、この啄木の記念碑だかがあったように記憶している。

 でも・・俳句と短歌というのは似ているようだけれど、こうして読み返してみると・・大きな違いがあるなぁと思う・・・。五・七・五・七・七・・と、五・七・五・・・の違いなんだけれどもね。七・七の十四文字の重さっていうものが胸に迫って来るものね・・。

 この上の二人で写っている写真の左側が・・あの、金田一京助(後の言語学者)さんらしい・・。

 

 さわらびを 摘みつつ偲ぶ 啄木忌 森にうぐいすの 声高く啼く   暁光

じゃぁ、また、明日、会えるといね。

 

冷たくも 花に嵐の 例えもあるさ

2010年04月12日 | 日常
 今日は一日雨になった・・・。それも重苦しい雨の一日だった・・・。

 親戚のおじさん・・・と言っても、母のいとこにあたるような人だが、年格好が似ているせいもあって、親しくさせてもらっていた目川さんが亡くなった・・・。私と一個違いだから・・・62歳か63歳か・・。長いこと・・・郵政関係のお仕事をしていて・・うちの町の郵便局にも最近まで勤務していた・・・。

 

 つい・・先日にも町内のコンビニで出会って挨拶をしたばかりなのに、突然の訃報だった。聞けば・・「心筋梗塞」だったとか・・。心臓の弱い私にすれば他人事ではない。彼も私も元はといえば血筋は同じ・・・。同じような心臓疾患を背負わされたような一族の流れなのだ・・・。

 

 葬儀にも参列したが・・・たまらなくなって、途中で式場を出た・・・。

 永年勤めてきた会社を退職し、これから・・自分の本来の生き方を探すはずの未来を・・突然に断ち切られた思いはいかばかりであっただろうか・・・。それを思うと、無性に悔しさがこみ上げてきた・・・。

 そんな想いとは別に・・葬儀は粛々と行われていく・・。その非情さに、僧侶でありながら・・・なんと無力な自分なのだろうか。なんと失礼な・・自分なのだろうかと思うと・・・いても立ってもいられなくて式場を出た・・・。

 明日は我が身かも知ないと思うと・・・たまらなくなった・・・。

 

 おりしもあたりは桜吹雪・・・。「花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だ・・・」みたいな気持ちで花びらの乱舞を眺めていた・・・。咲いた花なら・・散るのは覚悟と言いながら、その覚悟ができない私たち・・・。春の嵐は厳しいな・・・。

 でも・・なんだかんだと言いながら、私たちは日常に戻って、ありきたりの毎日に埋没する・・。

 

 で、今日は奥方がお休みなもので、リサイクルショップへ行きたいという。なんでも施設で使うバスタオルを安価にたくさん買いたいのだとか・・・。「あんたは・・どこでもドアを持ってるんだから、リサイクルショップに案内しなさい・・」というのだ。

 で、近くのリサイクルショップに連れて行って、バスタオルだとかなんだとかをたくさん買い込んだご褒美に、このおうどん屋さんに行くことになった。

 ま、珍しいお店ではないのだが、「うどん亭・いわせ」という一般店。一般店だから・・少しばかりお値段がはる・・。だから・・お呼ばれの場合にはここがいいかなぁと。自分で食べる場合にはセルフのお安いお店ばかりなんだけれど。

 

 で、注文したのが、このおばけきつねうどん・・・。おうどんが見えないくらいな大きな揚げが乗っかっている。これで・・600円。この大きさは・・香南町の「宝山亭」のおばけうどんに匹敵するくらいなもの・・。

 

 今日は一日雨だったもので、朝夕のぽちの散歩に行っただけで、あとは・・ブログ巡りやらHPの更新作業に明け暮れてしまった。HPも、ああだこうだと手をいれていけば行くほどに、あれもしたい、これもしたいと・・・範囲が広くなって。今日は・・咸臨丸関係のサブメニュー作りに明け暮れてしまった。お暇があれば、のぞいてみてくださいな。

 

 でも・・、そのおじさんのように、突然に明日がなくなってしまうのかと思うと、身辺整理とかHP周辺とかもある程度は整理をしておかねばならないのかなあぁとは思う昨今。

 「明日有りと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかわ」は、我が御開山さまの親鸞聖人でありますが、これは、親鸞聖人が、九歳の時、得度される前夜に詠まれた歌と聞いており、九歳でこんな歌が出て来るとは信じ難いですが、『明日桜を見ようとしても、夜に嵐が来て、桜は散ってしまうかも知れない、桜の運命と同様、明日の事は私達人間には分らないのですから、今、得度させて下さい』と言う松若丸(親鸞の幼名)の心情を表わしたものであると言われている有名なお話。

 

 若松丸(親鸞聖人)が得度(僧侶になること)するために青蓮院の慈円和尚のもとを訪れた時、すでに夜は更けていた。得度には時間もかかるし、たくさんのお弟子を集めなければならない。「もう遅いから明日にしよう」といった慈円和尚に、わずか九歳だった若松丸(親鸞聖人)が和歌を詠んで答えたというお話。

 明日ありと
 思う心のあだ桜
 世半に嵐の吹かぬものかは

 「この世は無常であり、今を盛りと咲く桜が夜中の嵐で散ってしまうかもしれません。同じように、私の命もいつなくなってしまうかわかりません。どうか、今ここで得度の儀式を執り行って下さい」という聖人のそのことばに心打たれ、慈円和尚はすぐに得度の手配をされたということ。

 

 ま、そのようなお話に感動をして、私も得度の儀式を受けて僧侶にはなったものの・・「持ったまま」「ありのまま」に生かされている毎日。「毎日毎日がその日暮らし」、「今日この日こそが最高の一日」みたいな毎日でありたいなぁとは思っていたりする。

 

じゃぁ、また、明日会えるといいね。

久々の 桜の宮に はずむ声

2010年04月11日 | 自然
夢の途中/来生たかお・MoviePhoto


 このこんぴらさんの「お頭人」さんは子供である。だから、当番にあたった地区では、丸亀や坂出に出ている、息子や娘さんの家から、孫やひまごを呼び返しての祭礼になる。

 

 だから・・おみこしも小さくて軽い。これをこども二人でかついで港までお練りをする。おみこしの後にはサカキみこしも続く。その前後をおとなたちがついて歩く。

 

 私たちが最初に、この島の土地を見るためにやってきたのが、この「おとおかのまつり」の日で、「ちょうさじゃ、ちょうさじゃ・・・」という声とともにやってきた行列に驚いたものだった。こどもが正装をしておみこしをかついで歩く姿は珍しかったし、奇妙に見えた。あれが・・平成5年の春だったから・・ずいぶんと昔のことになる。

 

 で、一行は港近くにある「濱恵比寿宮」で、御旅所神事を行う。その後、港に向かい、「こんぴら船」という船に乗り込み、海上渡御(とぎょ)を行う。二隻から数隻の漁船に分譲して・・立石地区の「白石」、沖にある「羽節(はぶし)岩」、釜の越の「小羽節」の三カ所を三回ずつ回って海上安全を祈願する。

 

 その昔には、沖を通る本船にも御神輿を担ぎ上げて、その船上で「ちょうさじゃ、ちょうあじゃ・・」とはやしたてて、初穂料をいただいた・・・ということもあったらしい。また、新しく船を作った場合にも、その船上で、お祝いをしてもらったともいう。

 

 これが、羽節岩灯台。航路法により船舶は、この灯台を左舷側に見て航行しなければならない・・・と定められている。

 例祭が終わると・・残ったものたちで片付けが行われ、幕やちょうちん、のぼり、おみこしなどの一切を片付けしまうと、例祭はおしまい。こどもたちはお菓子をもらって喜んで帰り、おとなたちは「直会:なおらい」ということで、宴会になる・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

花冷えの 宮に子供らの はしゃぐ声

2010年04月10日 | 民俗
万里の河/チャゲ&飛鳥・MoviePhoto


 香川県丸亀市沖にある、さぬき広島の春の行事に「こんぴらさん」のお祭りがある。海に生活の糧を求め、海で生活し、海に生きるしかなかった島人たちが、こころを込めて信仰してきたおまつりの一つである。

 

 このお祭りは、金刀比羅宮の例祭(毎月十日)に合わせて、四月の十日に行われてきた。だから・・「おとおかのおまつり」と呼び習わせてきた。今年は、十日、十一日に例祭が行われる。で、前日の土曜日には「でごと:出事」として、神社の掃除やら草抜き、社殿の清掃、例祭の準備が行われる。

 

 この「でごと」には、江の浦集落の全員が出ての奉仕作業になる。ここでの歓談やら世間話も楽しいらしいし、役所からの伝達事項もここで連絡される。集落のほぼ全員が顔を合わせるのも、このこんぴらさんや秋の例大祭くらいなものになった。

 

 作業は午前八時からはじまり、およそ十時過ぎには終わる。あとは宮総代さんらが、おしめを作ったり、紙垂(しで)を切ったり、玉串を作ったりする。住民たちは思い思いのお供え物を持ってきたりする。

 

 このこんぴらさんも、昔には別な場所にあったが、明治の「一郷一社令」によって、広島神社の境内に移されたものだとか。娯楽のなかった時代には、おこもりと称して、一晩中世間話に夢中になったとか。今は「宵宮」ということで、二時間ほど、世間話や情報交換を楽しんでいる。

 

じゃぁ、まあ、来週に会えるといいね。

花冷えの 里に小鳥の 二羽三羽

2010年04月09日 | 自然
 昨日の春めいた天候とは一転して、今日はまたもや曇って肌寒い朝になりました。山の旧宅へ行って、タアの芽やらわらびやらを採って来ようと思っていたのだが、それどころじゃない。またしても風邪がぶりかえしてはいけないと・・早々に戻ってきてしまった。

 

 近くのダム公園の桜も満開から散り始めの様子だけれど、お花見の人もワラビ探しの人影も見えない。ヘラブナ釣りのおじさんがぽつんと座っているだけ。あれも寒いやろうにね。まさに・・・花冷えのような今日で、我が家の温度計は9度をさしているが、もっと寒いような気がする・・・。

 

 我が家の旧宅付近のタラの芽はまだまだ堅くて・・・少しも伸びていない。先週とほぼ変わらないような形。気温が低いせいなのかなぁ・・・。これではタケノコも伸びてこないように思う。

 

 丸亀市役所広島支所に掲示してある「咸臨丸乗り組み水夫のお墓マップ」を受け取るために、今日の午後からさぬき広島に向かうので、そろそろ・・出発しなくてはいけない。役所は土日がお休みになるもので、今日中に受け取っておかねばならない。そんなんで慌ただしい・・・。

 

 途中でおうどんも食べねばなあないし、食材も少しばかり買っておかねばならないもので、今日はここまで。また、帰ってから報告するね。

じゃぁ、また、来週に会えるといいね。

ゆらゆらと 白象の背の 花御堂 

2010年04月08日 | 自然
 今日はまた、昨日とは打って変わって春らしい暖かい一日になった。まるで、猫の目のように変わるこのごろの天候・・・。

 さて、今日は「潅仏会(かんぶつえ)」で、花祭りとか仏生会、浴仏会とも呼ばれているが、お釈迦さまのの降誕を祝して行う法会の日である。日本では原則として毎年4月8日に行われる。

 

 この灌仏会は、釈尊(ゴータマ・シッダルタ)が旧暦の4月8日に生まれたという伝承に基づく。降誕会(ごうたんえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、浴仏会(よくぶつえ)、龍華会(りゅうげえ)、花会式(はなえしき)、花祭(はなまつり)の別名もある。


 日本では、様々な草花で飾った花御堂(はなみどう)を作って、その中に灌仏桶を置き、甘茶を満たす。誕生仏の像をその中央に安置し、柄杓で像に甘茶をかけて祝う。甘茶をかけるのは、釈尊の誕生時、産湯を使わせるために9つの竜が天から清浄の水を注いだとの伝説に由来する。

 この行事は、宗派に関係なくどの寺院でも行われ、甘茶は参拝者にもふるまわれるし、甘茶で習字をすれば上達すると言われたり、害虫よけのまじないを作ったりもする。

 

 なお、「花まつり」の名称は明治時代にグレゴリオ暦が導入され、灌仏会の日付の読み替えが行われた後の4月8日が、関東地方以西で丁度桜が満開になる頃である事から浄土宗で採用された呼称で、それ以来、宗派を問わず灌仏会の代名詞として用いられている。

 お寺が経営している幼稚園や保育園では、こちらの名称の方がよく知られている。子どもたちにとっては、甘茶をいただく日。また、白象を引く稚児行列を出す寺も多い。仏教系の学校でも行う場合が多い。

 失敗して物をダメにする事を「おシャカになる」と表現するが、これは灌仏会に因むもので、江戸の鍛冶職人の隠語として、あぶり過ぎて鈍ってダメにしてしまった金物に対して、江戸っ子訛りで「しがつよかった(火が強かった)」→「四月八日だ」→釈迦の誕生日、というつながりで成立したとされる。

 

 さて、今年は咸臨丸が太平洋を横断をしてアメリカ合衆国のサンフランシスコに向かった年から150周年目であることは何度も触れているが、その航跡をたどるということで、昨日に練習船「海王丸」(2556t)が子孫の正井さんらを乗せて東京港を出港した。海王丸は船員教育のために建造された大形帆船で、ディーゼル機関を搭載した四本マストの帆船で、全長は約100m。

 

 この海王丸には、咸臨丸が掲げていた「幕府軍艦旗(吹き流し)」の「中黒長旗」がメインマストに掲揚されて出発した。咸臨丸は36日間かけて太平洋を渡ったが、この海王丸は30日をかけて金門橋を五月五日に通過する予定。神戸大学などの見習い船員の実習などを兼ねてサンフランシスコに、咸臨丸と同じ「中黒長旗」を掲げて入港する。

 さて・・、昨日の宿題の・・咸臨丸フェスティバルに資料を運ぶための円筒形の書類入れ商品名は「ジョイントボックス」っていうのだが、それをようやく購入した。それと、肩掛け用のベルトをつけて。卒業証書などを入れる円筒形の筒の大型バージョンみたいなもの。

 そのついでに、今日のお昼はここになった・・。

 

 ここも・・・知ってる人しか入れないようなお店で、うどんという文字もなければ、お店の名前もない・・。黄色い回転灯が回っていて、白いのれんが出ているだけ・・。商売っ気のないようなお店だ。お店は、高松市川島本町にあって、川島郵便局のすぐ南側・・・。看板も標識もないので見落とさないように。お店の名前は「むらお」。

 で、メニューも・・「かけ」「ざる」「ぶっかけ」の三つしかない。かけも、そのまま・あつい・冷やの三種類。

 

 で、「あついかけ小(200)」を注文して、揚げ(100)を載せて・・・300円。トッピングはフリー。天ぷらもフリーなものがある。麺はしっかりとしているし、自信があるんだろうね、余分なメニューは置かないところをみると。麺と天ぷらに自信があるようなお店に見えた・・・。

 

 そうそう・・、今日は「健康保険証」の手続きに行った。最近は知力にも体力にも自信がないものだから、いつ、病院に駆け込むかも知れないもので、手続きだけはきっぱりとやっておかねば・・・と。で、証拠書類とかをわんさかと抱えて行ったのだけれど、電子事務っていうか、OA化というのはすごいもので、申請書類を書くわけでなく、証拠書類が必要な訳でなく・・・いとも簡単に保険証が発行された・・・。少し前の「お役所仕事」ではなくなったみたい。まさに・・私らが推し進めてきた・・「Eガバ」・・電子政府が見えてきた感じやね・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

 

 

薄淡く 桜ほのかに 寺の鐘

2010年04月07日 | 自然
 今朝はまた・・・寒さが戻ってきて冷たい朝になった。昨日の暖かさがまるで夢の中だったのかと思えるような朝だった・・。ぽちの散歩をさせていても震えるような風の冷たさだった・・。

 この時期に・・・けいこばぁは「イカナゴの釘煮」を作るのが趣味なようで、たくさんたくさん作っては近所・知り合い・友人知人に配り歩くのだが、昨日は三男の弟の家に、今日は次男の弟の家に配達をして・・・。

 書斎のレーザープリンターのトナーが少なくなったというエラー表示が点滅するようになったので、トナーカートリッジを買うために高松市内に出かけた。こういう・・トナーカートリッジは、どこのお店にもは置いていない。だから・・このプリンターを買った電気屋さんに行ったわけだ。

 

 ところが・・こうした特殊なものはお店には常備していないみたいでお取り寄せになるらしい。それはそれとして・・洗濯機が不調だし、乾燥機が壊れたし・・・というので、市内のあちこちの大型量販店を歩いてみたのだけれど、急ぐ間に合うものはない・・。

 で・・最初の・・ケーズ電機さんに戻って、サービスカウンターで相談をしてみたら、すぐさまに在庫調査をしてくれて、十分後には・・そのカートリッジを運んできてくれた。

 「たった今、入荷しました。お客様が先ほどお探しだったようなもので・・」には感動した・・・。へぇ・・・、そんなことができるんだ・・・みたいな。

 

 で、今日のお昼はここになった・・・。高松市林町の「たもや林店」。ここもなれたものだね。

 

 お店の感じはこんなだったけれど、お店に入って驚いた・・・。お店中に若者が七割ほど・・・。ほぼ・・若者で埋まっている感じ。唯一の救いは行列がなかったこと・・。ここは、香川大学の工学部の真ん前だから・・・学生が群がっている感じ。

 

 だから・・並ぶのも待つのもいやだから・・「かけの小」を注文して・・ちくわの天ぷらを載せてみた。これで、「かけ小(180)」+「ちくわ天(100円)」の合計で280円。

 私が食べ終わって外に出ると・・・若者の行列が50人ほど・・・ぞろぞろと。間一髪だったな・・。

 

 その後・・・自動車屋さんに寄って、オイル交換をしてもらい、島の軽トラの修理依頼をしておいた。五月の連休に車が動かないと困るものね・・・。

 今日の予定はほぼ・・完璧にやったと思ったのだけれど、買い物忘れが二件ほどあって。あつむの中身がだんだんと怪しくなってくる・・・。

 

 浦賀に資料を運ぶための書類入れも買っておかないといけないし、我が家用のイカナゴも買っておかないといけないし・・・。今は覚えていても・・明日になるとわからんしね。

 横須賀へ行くための航空券の予約は終わったし、宿泊施設は用意してくれたので、浦賀の件はひとまず安心。

 

 この花だ・・。この花の名前がどうしても思い出せずに30分もいらいらしたなぁ・・。「酔う」「馬」という単語が浮かぶのだけれど、「馬酔花?」とか、「酔草花?」とかと・・連想ゲーム。「馬酔木」というのは連想できず、ましてや・・これをどう、読むのか・・?みたいなことで。「ああ、あせびだ・・」と思い出したのは・・三十分も過ぎてから・・・。なんだろうかねぇ・・。

 

 ようやくに健康保険証の切り替え時になったらしくて、前の会社から「資格喪失証明書」が送られてきた。今まで四十年あまりお世話になった健康保険組合から離れて、国民健康保険に切り替えるためのもの。だって、保険料が倍と半分だもの・・・。

 いよいよ・・あの会社から切り離されていくんだなぁという気がした。いや、高い保険料を払ってれば・・それなりなんだろうけれど、年金生活になると、そんな思い出や感傷には浸ってはいられない・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。
 

 

こんなにも 花満ちていて 一人ごと

2010年04月06日 | 自然
 昨日に病院で処方された風邪薬が強烈で・・・、昨夜はブログを仕上げる前になって猛烈な睡魔に襲われて・・・、話の途中のまんま・・寝てしまった・・。

 だからかどうなんだか・・、朝、起きてみても・・・夢ごこち・・。頭の中にかすみがかかったような・・おぼろ月夜みたいな・・・。

 そんなんとは関係なしに、「保険証がない」「年金手帳がない・」「お念珠がない・・」「お薬手帳がない・・・」っていうのは・・少しばかり異常かな・・・。やはり、痴呆症が進行してるのかも知れないね・・。おつむの中が春がすみ~・・。


 

 さて、ぽちの散歩をしていると、我が家の庭先に・・ワラビが生えている・・・。確かに・・ここに移転してきて驚いたのが、我が家の軒先に・・・わらびが生えるってことだった。以前の旧宅も山の中の一軒家だったけれど、タケノコが生えて来ることはあっても、ワラビが生えてくることはなかった。

  

 田舎育ちの私でも、これにはたまげたものだった。あれから四年か・・・。月日の経つのは早いものだ・・・。

  

 先週末の寒い風の中で、草むらを這いずり回っている老人夫婦を見かけたけれど、何をやってるんじゃろ・・と思ったが、今は・・こういう時期になっているのかと驚かされた。

 

 さて、今日のお昼はどこにしようかと思ったのだけれど、たまたま・・目についた、このお店に寄ってみた。ここ矢田うどん」は・・・東バイパス沿いにあって、交通量も多く、車の出入りがしにくいし、駐車場も数台分しかないもので、面倒くささが先立ってしまって、滅多に立ち寄ることはしなかった・・。

 

 ここも開店当時には、もの珍しさもあってたびたび立ち寄ってはいたのだけれど、ついつい・・。

 

 で、毎日のことになると・・「何を食べようか・・・」みたいなことになってしまって。で、ついつい・・「カレーうどん」を注文してしまう。もう、「しっぽくうどん」はおしまいだしね・・。

 

 これが・・ここの「カレーうどん」で、400円。これが甘くてねぇ・・。私は・・甘いものが苦手だから・・・この甘たるさには往生したけれど、ま、仕方がないとばかりに全部を食べて飲んでしまったのだけれど、少し胸焼けがするような・・・。

 しかしのかかし・・。今日は昨日までとは一転して・・・暖かい一日になった。讃岐弁では・・「ぬくいなぁ・・」やね。ここのマシン室の寒暖計は26度にもなっていた。五月並みの気温になったんやないのかなぁ・・。私はテレビは見ないのだけれど。

 

 午後からもワラビ採りに出かけたのだけれど、汗まみれになって戻ってきた・・。先週のあの寒さとは雲泥の差だ・・。なんたるこっちゃ~。惨たるこっちゃ~・・・。

 

 もう、こんなにもワラビが出ているのに、たらの芽とかタケノコが出て来ない・・・。なんだろうかね・・・。つくしの季節はほぼおしまいかな・・。桜の花は今が満開かな・・。山桜はもう、花むしろ・花筏の時期になったような・・・。

 

 私たちがなんだかんだと世間の波にもまれている間に、自然というものは・・それなりに、それなりに・・・ひたむきに生きているように思う・・・。

 

 そんなんで・・、またまた・・睡魔が襲ってきた・・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

 

侘び助の 花に愚痴する 春夕日

2010年04月05日 | 自然
 土曜・日曜とまる二日間・・・、寝てばかりでいたせいもあってか、ようやくに体調が戻ってきた・・・。まだ、水ばなが流れるけれども・・・。こんなに寝たのも、昨年の入院していた時以来・・・。全く・・・よく寝たものだ・・・。

 

 まごのなぎちゃんが風邪を引き、ついではやてちゃん、その次に私か・・・。こんなにきつい風邪もめずらしい・・・。だんだんと体力が落ちていくんやね・・。このくらいの寒さなんて・・・みたいな気持ちやったんだけれど、やはり・・木曜・金曜日は風が冷たくきつかった・・・。油断大敵・風邪強烈やね。

 

 で、いつもの病院で診察。レントゲンを撮ったり、点滴をしてもらったりして・・さらにさらにどっさりの風邪薬を処方されて・・・。そんなには飲みきれない・・・。「風邪薬・一セット処方・・」みたいなものか。風邪の診察なんてしないのにね。熱を測るでなし、身体に触るでもなしに・・「あ、風邪・・。お薬だしときます・・」みたいな。

 痛み止め・頓服薬・朝の抗生物質・毎食後の顆粒薬・うがい液まで・・・。そんなん・・いらんのに・・・。でも・・点滴のききめはすごい・・・・。みるみるうちに元気になった・・・。

 でも・・朝の九時半から・・・なんだかんだで・・12時半になった。風邪の分だけ余分な時間を費やしたかな・・・。ここんとこ・・食事らしい食事もしていないもので、おなかがぐぅぐぅ~となるのには困ってしまった。

 で・・うどん仲間で話題になってるお店に行ってみた。東かがわ市引田にある焼き肉屋の「華もん」が、昼間だけ・・うどん屋を開いているらしい。

 

 場所は東かがわ市引田支所前(国道・JR高徳線を越えたすぐ)、旧東高校正門前。確かに店構えは割烹料理店風・・・。

 

 お店の形式は一般店風やけれど、注文してお会計して、おうどんを受け取ってトッピングして席について食べて、食べ終われば・・・カウンター超しに食器を返却しておしまい。つまりは・・・プチセルフのお店ってことか。

 

 で、あれこれ考えた末に(あれこれ迷うなメニューもないけれど)・・いつもの・・「カレーうどん」にした。ネギとかゴマとかはフリートッピング。これで、380円は少しばっかり高いなぁ・・。

 

 ここは・・「丸木製麺所」の麺を使っているらしい・・。お店に行ったのが13時前やったから・・・「おなかがおきればいいだけ・・・」みたいなおうどんやった。時間が悪かったかな・・。麺がのっぺりぃとしている感じ・・。うどんが風邪を引いた感じ・・・。ABC評価のCランク。

 

 で、今日は「清明(せいめい)」とうことで、二十四節気の1つの時期らしい。または、この日から穀雨までの期間を指して言うことばらしい。一般的な定気法にあっては、太陽黄経が15度のときで四月五日ごろ。恒気法にあっては冬至から106日目で四月七日ごろまでをいうらしい。

 

 万物がすがすがしく明るく美しいころとされており、三月節。暦便覧には「万物発して清浄明潔なれば、此芽は何の草としれるなり」と記されている。様々な花が咲き乱れ、お花見シーズンになるのだとか・・。。

そんなんで、また、明日、会えるといいね。

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