まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

5月19日の日記:雨脚は 沼田に消えて 鍵の音

2010年05月19日 | 自然
 さぬき広島でのご用も終わったし、食材もあらかた片付いたし、何よりも持ってきた薬が底をついた・・・。いよいよ・・帰らねばならない・・。

 丸亀市への報告は終わったし、青木石という広島の石も手に入ったし、レキ祭り実行委員会の打ち合わせも終わったし、魚釣りも楽しんだし、手術後の休養もしっかりとできたし・・・。

 

 朝から・・小雨の中で・・釣り道具やらを片付けたり、食器やら室内の片付けをやったりして・・・帰り支度を粛々とこなす・・・。お風呂もしっかりと洗っておいた・・。

 すると・・「草創の会」の方からの連絡で、今月末あたりに・・塩飽の島々の取材に行きたいので協力して欲しいという話があった。昨夜も自治会長さんと、「そろそろ段取りを考えておいて欲しいものやねぇ・・」と話したばかりだったので、グッド・タイミング。

 マイボート「あかつき」の調子はいいから、来週あたりは天候さえ良ければいい旅になるだろうと思う・・。それはそうと、金星探査機「あかつき」は打ち上げ延期になったとか・・。がんばれ、あかつき!

 

 その草創の会では、今年の目標として、塩飽の島々を巡って、いろいろな自然や風景を撮影して・・本としてまとめ、出版するらしい・・。そこで、塩飽の島々の案内役として、わがあかつきⅡで、島々を巡って行けば早く回れるから・・・ということで・・。

 個人的に・・行政単位に・・坂出市の岩黒や櫃石・与島・沙弥・瀬居などを回り、丸亀市の本島・牛島・広島・手島・小手島を回り・・・、多度津町の高見・佐柳を回れば・・・あという間に秋になってしまいそう・・・。

 

 で、今日は・・帰りに県立図書館で「幕府軍艦咸臨丸」という本を借りた。あの・・青木の岡田源之助のお墓を発見してから・・咸臨丸という幕府軍艦にとりつかれて、40年間以上も取材や調査を繰り返して・・上記の本を完成させた男、文倉平次郎の書いた本である。

 前にも何度か読んだのだが、来月に「塩飽史談会」の総会後の記念講演をするので、その・・・モチベーションをアップさせるために・・・再度、読み直そうと思った訳だ。

 で、帰りが遅くなったもので、近くの・・高松市三谷町の「釜八」というセルフのお店に寄った・・・。

 

 途中で・・・高松に移転してきた「宮武うどん」に寄ったら・・今日が定休日だったもので、次々と・・パスされてきて・・ここに落ち着いた。

 時間的に・・どうでもよかったもので、かけうどん小に天ぷらを載せて・・280円。

 

 なんか・・おおざっぱな盛りつけで・・・おうどんがどんぶりからあふれている・・。ま、こんな日もあるさ・・みたいなことで・・。

 帰ると・・、今度は読売新聞社から取材の電話・・・。もう、話があっちこっちへ飛び回るので・・・私も何がなんだかわからんようになって・・・。

 

 あ、私の術後はなんら異常はないけんね・・。悪い部分を封鎖したものだから、何をやっても大丈夫みたい・・。ただ・・お酒は御法度なんだけれど、少しくらいは仕方がないものね。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。
 

5月18日の日記:夏が来る 島の形の ありありと

2010年05月19日 | 自然
 18日の火曜日もまた・・夏のような朝になった。だからという訳でもないのだろうが、朝の五時半には目が覚める・・・。それからゴミを片付けたり、洗濯物を干したりしながら・・朝のニュースを聞くともなく聞きながら・・・朝食の準備・・・。

 

 お布団も干しておいたり、和室に掃除機をかけておいたり・・・。なかなかに島の生活も健康的なんだ・・・。朝の散歩も済ませておいてから・・・甲路という集落の堤防に釣りに行った・・・。

 

 だと・・早速に・・20センチはあろうかと思われるキスが相次いでかかった。こういうのがかかると・・竿も曲がるし・・引きもあって楽しい・・。しかしのかかし・・、こういうものは長続きはしない・・。今日は二匹のみ・・。あとは・・月面と一緒で・・「静の海」・・・。おやじギャグを聞いた後・・みたいに・・・「しら~・・・」。

 早めの昼食を食べて・・12時半に船着き場に集合・・。集合たって、自治会長さんと私の総勢二名・・・。「よこせⅡ」に乗り組んで・・小手島(おてじま)へ向けて出港!

 

 私のお友達の・・「笠井さん」という・・草刈り仲間が・・この島へ来ているらしい・・。私にすれば草刈り仲間なんだけれど・・丸亀市では有名な方らしい・・。ま、こういうメディアであれこれと言うべきではないのだけれど、丸亀市民ならば・・「笠井部長」っていうと・・「ぎょ!」というらしい・・。私はさぬき市民だから関係ないけれど・・。

 

 その人や、その仲間の女性がいる・・というので、救援に来たもの。島だから・・・島に上がるのはいいのだけれど、帰ろうとすると船がない・・・。そういうことで、足代わりに・・自治会長さんと私がお迎えにきたもの・・。

 

 で、その一行を・・さぬき広島まで連れて帰ってきたのだけれど・・。

 

 すると・・いきなり・・。その・・「笠井さん」主導で、「さぬき広島レキ研究会」の準備委員会が行われて・・・。「レキまつり準備委員会」みたいなもののスタートを目指す会になった・・・。レキまつりねぇ・・・。

 皆さんの中で・・「英国士官レキ」に関する情報をお持ちの方は・・ぜひともお知らせくださいな・・。英国測量船「セルビア号=シルビア号」に関することとか・・。ぜひともよろしくお願いいたしますね・・・些細なことでもいいので、おしらせくださいな。

 

じゃぁ、また。

 

5月17日の日記:古くから 海の墓みな 西へ向き

2010年05月19日 | 自然
 月曜日の朝もすっきりと晴れて・・やがてにはじりじりと照りつけるようになってきた。朝の間・・、堤防から竿を出してみたのだが・・・海は静かそのもの・・。魚の影すら見えては来ない・・・。

 

 たまに竿先が震えるからと引き上げてみれば・・大きなふぐ・・。これも数匹ほど釣り上げたら喜ぶ人もいるのだけれど、一匹だけでは調理するのが面倒だからと嫌われる・・。仕方がないから・・お帰り願う・・・。

 サンフランシスコへ持ってゆく・・青木石を石材屋さんにお願いしてあったので、8時半という約束なもので時間待ちをしていたのだけれど・・。「好きなものを持って帰ってちょうだい・・・」と言われても・・・。

 

 こんな大きな石はいらないし・・、こんなにもたくさんはいらない・・・。

 島をぐるりとまわってみたのだけれど、平日だからか・・どこにも釣り人がいない・・。潮の加減もよくはないのだろうけれど、島中を走ってみても・・人っ子一人もいない・・っていうのは気分的にむなしくなってしまうし、私一人だけが暇なんじゃろうか・・と思ってしまう。

 

 その後も・・あちらこちらで竿を出してはみるのだけれど、ぴくりともしないし、エサもなくならないのでは面白くもない・・・。

 

 これは・・自衛艦みたいやねぇ・・・。沖を行く船ばかりを見ていてもつまらないし、家に戻ってもテレビは面白くないし、一人でお勉強をするのもつまらない・・。

 そうそう・・。先月に神奈川県浦賀市で行われた「咸臨丸フェスティバル」。そこに掲示展示していた「咸臨丸乗り組み水夫のお墓マップ」を持って帰ったので丸亀市に返納。広島支所に再掲示することになった。それと同時に、「咸臨丸フェスティバル実行委員会」から届いた「お礼の文書」や、「当日の会場風景の写真集」などを支所長を通じて丸亀市長へ報告してもらった。これで、一応、フェスティバルの一件は落着とさせてもらった。

 

 午後からも似たようなもの。あちらの堤防、こちらの埋めたて地と・・竿を出してみるが皆目・・・。釣りエサも弱ってきたし、元気がないから余計においしそうなエサには見えない・・・。

 

 ま、術後の安静と休養やなぁと思うしかない・・。ま、そんなたいそうな手術ではなかったのだけれど。

 夜はまた、自治会長さんとこれからのことや、さぬき広島をどうしていくか・・みたいなお話をして・・夜が更けた・・・。

じゃぁ、また。

5月16日の日記:紛れ込む つばめの夫婦や 船の影

2010年05月19日 | 自然
 さて、日曜日、海から戻ったみんなはお昼寝モード。孫たちは相変わらず川遊びに夢中・・・。

 すそう・・海から戻ってから、けいこばぁらも一緒に合流して、お昼を食べに出たのだけれど、日曜日っていうのは意外とうどん屋さんがお休みなところが多い。会社員とか電気工事屋さんとか電話工事屋さんとかがお休みになると・・お客がぐんと減ってしまうかららしい・・。ま、一般的はともかくとして、セルフのお店ではそうした傾向が強いみたいで・・。

 だから・・、ここもお休み・・。ここもお休み・・、ここもおやすみ・・・みたいで、どこもここもお休み。そうはいうても、香川全県的におうどん屋がお休みになることは決してないのだから、どこかはやってるというもの。

 

 ようやくに・・三木町のセルフのお店、「麺喰:めんくい」に入った。ここは大型商業施設の敷地内になるから、次から次へとお客がやってくるが、行列になるほどではない・・。

 まごたちは時期的に・・「ざるうどん」を注文したらしい。

 

 私は・・・かたいうどんは苦手なもので、相変わらず・・「カレーうどん」この暑い時期にねぇ・・。だから・・鼻の頭からアセを流しながら・・おうどんを食べていた・・。

 

 神戸から二人・娘家族が四人に私とけいこばぁの合計・・八人だから、けいこばぁもお昼ご飯を作るのが面倒になったんやね。だから・・「おうどんに行こう・・」みたいなことで。みんなも・・お肉やお魚はもう飽きたみたいだったし・・・。

 

 で、みんながお休みモードに入ったもので、三時過ぎから丸亀に向かい・・、食材を少しばかり買い込んで・・17時半の高速艇に乗ってさぬき広島に入った・・。海上・・15分ほどで広島の江の浦港へ・・。

 空も海も雲も・・すっかりと夏のそれ・・・。気分のいい船の旅になった・・・。

 

 夜は自治会長さんと、塩飽史談会の講演会の打ち合わせとか、今月末からの「船の祭典2010」の話とかで・・22時過ぎまで話し込んでしまった・・・。

じゃぁ、また。


心房粗動アブレーション エピソード3 オペ準備

2010年05月19日 | 日常
 懸案であった「心房粗動」の根治治療「カテーテルアブレーション」の治療を受けるために県立病院に入った。成功率95%~98%との説明は受けるが、不安は不安……な気持ちもあったもので、この一年間、保留を続けてきたのだが、最近は胸の動悸の音が大きくなったし、胸が重苦しくなってきて、とうとう・・ドクターに白旗を揚げた。で、一度、決意をしたら、あとはまな板の上のコイの心境だ。なるようにしかならないし、今まで好きなように生きてきた人生だから未練も悔いも残らない。2%から5%の失敗率もこわいとは思わなくなった。

 この治療を受ける前には、インターネット検索で既に治療を受けた人のブログ日記も検索して随分参考にした。だから、このブログも、これから受けようとしている人が検索しているかも知れないから参考になるようなことを書いておこうと思う

 

 まずは初日は午前中に病院に出向き、受け付けなどを済ませ、病棟看護師さんに案内されて三階の心臓病センターの二号病棟に入る。 ここの病院は、今月六日にリニューアル・オープンしたばかりで、誰もかれもがウロウロキョロキョロ・・・。看護師さんも、案内役の職員もまごついてばかり・・。その新築の三階に「心臓病センター」があって、私はそこの差額ベッド(個室)に案内された。この部屋に入るのは私が最初だとかで、看護師さんの準備もうろうろするばかり・・・。

 
 
 ここの差額ベッド(個室)に入り、同意書や入院手続きなどを行う・・。そうそう、大事なことは手術料で、カテーテル一本が100万円ほどになるので、必ず、健康保険組合の了解を得ておいて、その認定証をもらっておくこと。あとで目玉を向くような請求書を見ても慌てないためにも。

 

 午前中は病院着に着替えて・・心電図測定、心臓エコー検査、胸部X線検査・眼科検査・眼底検査などが行われた。手術前のデータ収集みたい・・。動脈硬化がないか・・などと。

 こういう場合、伝票も書類も持って行かない。腕のアームバンドだけで処理される。

 

 これを、スーパーのバーコードリーダみたいに読み取って、電子カルテを参照して検査が行われ、そのデータが電子カルテに貼り付けられて、書類や写真は持って出ない・・。

 一応の検査が終わったのが十二時半過ぎ・・。おなかが空いていて・・お昼ご飯の味もメニューも全く覚えていない・・。いつもは11時におうどんだものね。

 十四時過ぎに・・「シャワーをつかってください」と言われてシャワーを浴びて、頭の先から足の指先まできれいに洗った。今日明日はお風呂には入れないのだろうし。これが最後のお風呂になるかも知れないし・・・。

 

 病室には患者名を書いていない。「在室」という字だけ。誰にも面会はされたくないし、お見舞いも拒否。ま、そうはいうても、現職でもないから誰も来ないのだけれどもね。でも、地元だから、どこに知り合いがいるかわからんもので、完全にお忍びモード。

 

 この部屋も私が最初に使うらしく・・あわてて、バタバタと片付けてくれた。トイレと洗面台がついているだけの差額ベッド。でも、最新式の地デジ対応で、ハイビジョン放送も見られるテレビ付き。これは全室共通なんだろうけれど。 ま、ビジネスホテルみたいな病室だ。

 で、身体を洗ったら、担当の看護師さんがやってきて、両足の甲にある動脈血管にマーキング。それから足首とふくらはぎの寸法採り。手術の際に、肺臓血栓防止用のストッキングをはくのだそうだ。ゆるいと効果がないし、きついとはけないのだそうだ。予定表には運動負荷試験とか尿検査とかがあったが、これらはパス・・・。

 その後は病院内フリーなもので、新しい病院内を散歩して回ったが、所詮は病院で何も珍しいものはない。ただ、やたらと廊下や室内が広い・・・。大型機械が動き回るからだろうか・・・。それだし、大型ディスプレーが至るところにあるし、パソコンなどの端末の数がやたらと増えている。

 

 この「血液造影室」という不思議な名前の部屋こそ、「心臓カテーテル用X線治療室」らしい。このドアは、左にある細長いスイッチに職員のIDカードをタッチすれば、屏風のように折りたたまれて広い通路になって、ストレッチャーとか大型機械が通れるようになっている。

 その奧には・・・

 

 これの倍もあるような大型ディスプレーが六台も並んだ大きな手術台があるらしい・・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

心房粗動アブレーション エピソード2 焼灼技術

2010年05月18日 | 日常
 近年、薬剤抵抗性で反復性の頻拍性不整脈に対して心臓カテーテルを用いた治療法が開発され、これまで開胸的に行われてきたものに代る根治療法として広く行われてきている。薬剤が有効な例においても、長期にわたって服薬を必要としなくなるという利点により、考慮に値する方法であり、この高周波カテーテルアブレーション(以下アブレーション)について、原理、適応疾患を簡単にお話しておく。

 

 アブレーション(焼灼(しょうしゃく)=焼きつけ は、不整脈の原因となる心筋の部位を高周波により加熱し、ピンポイントに凝固壊死せしめることで不整脈を根治するもの。不整脈の生じるメカニズムは、(1)異常自動能 (2)triggered activity (撃発活動) (3)リエントリー の3つに分類されるが、(1)(2)においては異常な興奮を起こす病変部を、(3)においてはリエントリー回路を断ち切る部位を標的にする。不整脈のメカニズムを診断し、アブレーションを行う至適部位を探す作業をマッピングという。

 アブレーション用のカテーテルの先端の電極で心内心電図を観察しながら操作してマッピングを行い、心内心電図のパターンと透視上の解剖学的部位からカテーテル先端が至適部位に当たっていることを判断し高周波通電を行う。

 アブレーション用カテーテルの先端は温度センサーを内蔵しており、50~60℃の設定で30~60秒間通電する。1回の通電で凝固壊死になるのは直径6mm、深さ4mm程度の半球状の領域で、不整脈を根絶するまでこのように高周波通電を数回から十数回繰り返す。

 

 心房粗動の多くは右心房の三尖弁輪周囲を旋回するリエントリーを機序とするもので、この回路を横断するように三尖弁輪と下大静脈を結ぶように線状に右房壁をアブレーションすることで根治可能だが、点状の個々の焼灼巣を切れ目なく連続させる必要があるので通電回数はやや多くなる。

 心臓には、刺激伝導系と呼ばれる特殊な心筋組織があり、これに電気が流れ、その電気的興奮が心筋全体に伝わることで心臓はリズムカルに収縮と拡張を繰り返す。 この心臓の電気系統に相当する刺激伝導系の最も上流にある洞結節は、右心房と上大静脈の接合部に位置しており、ここから電気が流れることでまず心房が収縮し、ついで電気的興奮が心室に波及することで心室が収縮する(下図)。


  心臓の電気系統(刺激伝導系)
 


 洞結節を含む刺激伝導系は自律神経に支配されていて、安静時の心拍数は60-80/分だが、運動や緊張により自律神経が興奮すると、心拍数は徐々に上昇し、最高150-200/分にまで達することがある。これは、運動や緊張により全身のエネルギー消費が高まるのを受けて、それに見合うだけの血液を供給するためである。つまり、正常な心臓では自律神経と刺激伝導系の連携により、常に必要なだけの血液が全身に供給されるように心拍数が自動的に調節されているわけである。このような仕組みが破綻し、心臓がうまくリズミカルに動かなくなった状態を"不整脈"という。

 不整脈は大きく分けると徐脈と頻脈に分類される。徐脈は心拍数が低下し、全身に十分な血液を供給できなくなるもので、治療としてはペースメーカー植え込みを行うのが一般的で、一方、頻脈は心拍数が必要以上に増加し動悸や胸部不快感を生じるもので、薬物治療やカテーテル・アブレーション(経皮的カテーテル心筋焼灼術)が行われる。

 ここでは頻脈性不整脈に対するカテーテル・アブレーション(経皮的カテーテル心筋焼灼術)についてご説明する。カテーテル・アブレーション(経皮的カテーテル心筋焼灼術)は、頻脈性不整脈の原因となる心筋組織をカテーテルで焼灼する手術で、現在ではカテーテル先端から高周波電流(交流電流)を流すことにより心筋組織を熱凝固させる高周波アブレーションが主流であるが、液体窒素を用いた冷凍凝固アブレーションなども実用化されているらしい。アブレーションの手術では、まず大腿ソケイ部・首・肩などの血管を穿刺して数本のカテーテルを挿入し、心臓の要所に配置する。つぎに、頻脈発作をわざと誘発して頻脈の種類・原因を特定する。最後に焼灼用カテーテルを標的に押し当て、高周波電流を流して頻脈の原因となっている組織を熱凝固させる。

 X線透視を用いたアブレーションの様子

 

 コンピューターによる不整脈の解析の様子

 

 対象となる不整脈には、WPW症候群、房室結節回帰性頻拍、心房頻拍、心房細動、心房粗動、心室性期外収縮、心室頻拍などがあるが、手術の成功率、危険性、所要時間は不整脈の種類によって異なる。また、同じ種類の不整脈でも、人によって心臓の大きさや形が異なるため、難易度も異なってくる。


 心房粗動というのは、心房が200~400/分で興奮する不整脈で、心房細動に比べると、心房の興奮するペースが遅く、やや粗い動きになるため、心房粗動というわけで、通常型と非通常型があるが、ほとんどが通常型であるという。

 通常型の心房粗動は、右心房内の三尖弁輪を回路とする頻脈発作です(下図-左)アブレーションでは三尖弁輪に線状焼灼を加えることで、不整脈回路を遮断する。(下図-右)

 通常型の心房粗動のアブレーション



 非通常型の心房粗動は三尖弁輪以外の部位を不整脈回路とするもので、ほとんどの場合過去に外科的な心臓手術を受けられた方にみられる不整脈で、外科的手術を受けられた患者さんの心臓には、手術の時に生じた傷痕・縫い口が何ヶ所もあるのだが、この部分を回路として頻脈発作が起きてくるもの。 アブレーションでは、どの傷痕・縫い口を回路として不整脈が起きているかを特定して、その部位の焼灼を行います。多くの場合、不整脈回路を特定するには3次元マッピングシステムという専用の機械が必要になる。

 不整脈回路の焼灼には95%程度の確率で成功するが、他の縫い口を回路とした別の心房粗動の再発が20%程度みられるため、長期的な成功率は75%程度。再発した場合には2回目の手術を受けることで成功率の向上が期待できる。

 非通常型の心房粗動

 

 アブレーションに要する手術時間は約3時間で、局所麻酔で可能である。カテーテルの挿入は標準的には大腿静脈、内頸静脈より行い、症例によって(左心系に病変がある場合)大腿動脈を追加する。入院期間は数日から1週間程度。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

心房粗動アブレーション エピソード1 不整脈

2010年05月17日 | 日常
 お久しぶりです。元気にやっております。

 さて、お話を始める前に、このエピソードの主人公について考えておかねばならない。その主人公こそが心臓であって、その心臓の働きについて少しばかり勉強しておきたい。

 心臓は血液を全身におくりこむために収縮、拡張の心拍動をくりかえす筋肉のポンプであって、心臓の右半分(右心系)は肺へのポンプ、心臓の左半分(左心系)は全身へのポンプの役目をはたしている。ここが基本だからね・・・。

 全身をかけめぐってきて、炭酸ガスを含んだ古い血液は、静脈を通って心臓に帰って来る。静脈の血液は、まず右心房にためられた後、右心室におくりこまれる。右心室の収縮により血液は肺に送られ、呼吸によって炭酸ガスが酸素に交換されて、きれいな血液になる。

 

 新鮮になった血液は、肺から左心房にためられる。そして左心室(全身に血液を送るポンプ)におくりこまれ、左心室の収縮により血液は動脈を通って、全身に勢いよく送られていく。

 心臓の筋肉(心筋)を栄養する動脈は大動脈から分岐する冠動脈であり、心臓を灌流した後、冠静脈を経て右房に戻ってくる。各心房-心室間、各心室-動脈間には一方向性の血流を保証する弁が存在していて、弁に障害が生じると心臓弁膜症となる。

 心臓のポンプ機能が弱ると心不全となり、息切れやむくみなどの危険な症状が出る。 

心臓そのものを養うものは、大動脈 →冠動脈 →左主幹部 右冠動脈 左回旋枝 左前下行枝 →心筋 →冠静脈 →右房という流れで、心臓の筋肉自体に酸素や栄養を送るパイプライン(血管)が、冠動脈 [かんどうみゃく] で、心臓を冠(かんむり)のように取りまく血管のこと。

 この冠動脈が動脈硬化などでせまくなったりつまると、狭心症 [きょうしんしょう] や心筋梗塞 [しんきんこうそく] となり胸痛などを生じるから、すぐに治療が必要となる。

では、心臓はなぜ、規則正しく動くのだろうか。誰かに命令されている訳でも、私自身が制御できる訳でもない。それはなぜなのか?

 

 心臓は、右心房の上部にある洞結節[どうけっせつ]から規則正しく出る電気シグナルがネットワークすなわち刺激伝導系 [しげきでんどうけい] を通じて心臓全体に電気シグナルが伝わって収縮、拡張の心拍動をくり返し、血液を送り出している。

 上の図で黄色が刺激伝導系を示している。

 洞結節、心房、房室結節、ヒス束、(左右)脚、プルキンエ線維、心室の順で電気シグナルが伝わっていく。心臓は1分間に約70回、1日にしておよそ10万回も収縮、拡張の心拍動をくりかえしている。

 心拍動は自律神経や心臓自体でも調節されており、身体活動、精神活動や心臓のポンプの状態によっても刻々と変化するが、この電気シグナルやネットワークに異常がおきると不整脈の原因となり動悸や失神などの症状をおこすことになる。

 この電気シグナルを体の表面から記録するのが心電図検査であり、24時間にわたって心電図を記録するのがホルター心電図検査というもので、みなさんすでにお馴染みのもの。

 さて、先にも述べたとおり、心臓は血液のポンプということで、心臓の働きとして、心臓は血液を全身に送り込むために収縮、拡張の心拍動を規則正しく行っている筋肉のポンプであることは話したが、心臓の右半分は肺へ血液を送るポンプ、心臓の左半分は全身への血液を送るポンプの役目を持っている。この心臓のポンプの働きによって、全身の臓器は酸素や栄養分を血液から受け取ることができるのだ。

 さて、血液の循環ということで、全身を巡ってきた血液(静脈血)は、静脈を通って、まず右心房に貯めらる。三尖弁を通り右心室送りこまれ、右心室の収縮により血液は肺動脈弁を通り肺動脈へと送られていき、肺動脈は静脈血が流れている。

 肺で血液は二酸化炭素を放出し、酸素を取り込む。酸素を取り込んだ血液は鮮やかな赤色(動脈血となって、肺静脈を通り左心房に戻ってくる。左心房から僧帽弁を通り、左心室へと送られ、左心室の強い収縮により全身に血液が送り出されることになる。

 



 私たちが生きているあいだ、心臓は規則正しく休むことなく動き続けている。心臓は一回の収縮で約60ミリリットルの血液が送り出す。成人男性は1分間に約60~70回収縮するので、1分間では約5リットルほどの血液を送り続けていることになる。1日に心臓は約10万回、約7000リットルの血液を送り続けているという計算にもなる。1年では約4000万回、一生には約40億回、すごい量ということらしい。こうして、私たちが生きているあいだ、心臓は休むことなく動き続けて、送り出された血液は身体のすみずみまで巡っていく。

 


 ①右心房 ②右心室 ③左心房 ④左心室 ⑤三尖弁 ⑥肺動脈弁 ⑦僧帽弁 ⑧大動脈弁

 この私たちの心臓の重さは普通、成人の場合で約200~300g、大体こぶし1コ分くらいの大きさ らしい。

 心臓の内部は、右心房・右心室・左心房・左心室と4つの部屋に分かれており、特に左心室の心筋は全身に血液を送り出す必要があるために右心室よりも厚くなっている。

 心臓には、右心房と右心室の間にある三尖弁(さんせんべん)、左心房と左心室の間にある僧房弁(そうぼうべん)、右心室と肺動脈の間にある肺動脈弁(はいどうみゃくべん)、左心室と大動脈の間にある大動脈弁(だいどうみゃくべん)の四つの弁がある。これらの弁は、血液が逆流するのを防ぐ働きがある。

 聴診器などで心臓の音をきくと、「ドックン、ドックン」と聞こえると思うが、この音は、「ドッ」の音が三尖弁と僧房弁が閉じる時の音で、「クン」は大動脈弁と肺動脈弁の閉じる音でたいう。「ドッ」から「クン」のあいだ心臓は、三尖弁と僧房弁が閉じるので、心室が収縮して血液を送り出している状態(収縮期)になる。また、「クン」から次の「ドッ」のあいだ心臓は、大動脈弁と肺動脈弁が閉じるので、心室に心房から血液が流れている状態(拡張期)になる。

 全身を循環した静脈血は、右心房に入り、三尖弁を通って右心室へ入り、右心室から送り出された静脈血は肺動脈弁を通って肺に送られ、ガス交換(酸素をもらって、二酸化炭素を排出)をして動脈血となり、左心房へ入る。この経路を肺循環と呼ぶ。

 左心房に入った動脈血は、僧房弁を通って左心室へ入り、左心室から送り出された動脈血は、大動脈弁を通って全身へ送り出され、各組織で酸素を消費して静脈血となり右心房へ戻ってくる。この経路を体循環と呼ぶ。

 心臓の働きは、血液を全身に送ることである。心臓は、収縮と弛緩を繰り返すことによって、全身に血液を循環させていて、だいたい1分間に安静時で60~80回心臓は収縮して、血液を送り出しています。 1回の拍動で送り出される血液量はおよそ60ml、1時間で約300リットルに及ぶ。

 心臓が一定のリズムで動くのは、電気刺激によるもので、まず、洞結節で発生した電気は房室結節へと伝わり、次いでヒス束、左右脚、プルキンエ線維へと伝わる。

 

 ①洞結節  ②房室結節  ③ヒス束 ④右脚  ⑤左脚  ⑥プルキンエ線維 

 1・洞結節(どうけっせつ)洞結節は別名、ペースメーカー(歩調とり)とも呼ばれている。位置は右心房にあり、ここで発生した電気刺激が左右心房に伝わって、心房がその電気刺激によって収縮している。

 2・房室結節(ぼうしつけっせつ)心房に伝わった電気刺激は房室結節に伝わり、ヒス束へと刺激を送っている。房室結節内の電気刺激の伝導速度は他(ヒス束、左右脚など)と比べると非常にゆっくりと伝わっている。理由は、心房内の血液を心室内へ十分に送らせるためである。もしも、この電気刺激が他と同じ位のスピードで伝わると、心房内から心室内へ血液が流入している途中で心室が収縮してしまい、十分な血液を全身へ送ることができなくなってしまう。

 3・ヒス束・左右脚 室結節から伝わった電気刺激はヒス束へと伝わり、左右の脚へと伝わる。右脚は1本に対し、左脚は2本存在している。

 4・プルキンエ線維 洞結節から発生した電気刺激は、最終的にプルキンエ線維(もっとも電気刺激の伝導速度が速い)へと伝わり、そこから心室筋へと伝わり心室が収縮する。

 ずいぶんと前書きの長いお話なのだが、その・・①洞結節から②房室結節 ③ヒス束あたりの異常電流によって、心臓自体が不規則な動きをしているらしい・・。それを一般的な言葉で「不整脈」という一言で片付けてしまっているらしい・・。

 私が・・こういう診断を受けたのは30歳を過ぎてからの頃からで、その当時は「先天性心筋症」とか「先天性拡張症」とかと言われて、遺伝的に壁の厚い大きな心臓だから、不正脈が発生する・・・と、高松日赤の循環器科で言われたもので、それ以来、不整脈を制御し、血圧をコントロールする薬をずっと飲み続けてきたのだが・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといね。

夏が来て 大きな峠を 超えている

2010年05月16日 | 自然
 今日はまた・・すっきりと晴れて五月らしいさわやかな一日になったです。このまま・・夏になるんだろうか・・。

 子供らは・・朝起きると、もう、すぐに川で水遊び・・。このあたりの川は水量もないし、川幅も狭いし、川底も浅いもので安心と言えば安心・・。私が睡蓮や水草を育てるために、コンクリート工事用の「舟」を神戸からもらったんだけれど、それを川に浮かべて・・「舟遊び」・・・。

 

 竹と板とで舵やらオールを自作して舟遊び・・。まだまだ・・水は冷たいと思うのだけれど・・。

 その後、朝食を食べて終われば、みんなそろって海へ釣りに出かけた。今日は手近なところで、東かがわ市の三本松港へ行ってみた・・。

 

 今日は天気がいいし風も冷たくもないので、家族連れなどで大勢が堤防に集まってきているが、どこをみても魚の釣れたような人は見えない・・・。潮もいい具合だと思うのだけれどお天気が良すぎるのだろうか・・・。

 

 サビキ釣りやら投げ釣りやらといろいろ試してみるが・・まるでアタリがない・・。たまにキスゴのこどもなどがかかるがあまりにも小さいのでお帰り願う・・。

 で・・、今日の獲物といえば・・・。

 

 空き缶が一個だけ・・。これではやってられない・・・。10時半過ぎには撤収・・・。

 空は青く・・海も凪いでおだやか・・・。釣りにはいい天気なのだが、天気が良すぎるのだろうか・・・。

 

 その後はしばらく休憩し、昼食におうどんをみんなで食べて午後には解散・・。私はさぬき広島の広島支所へ浦賀出張の報告やら青木石の受け取りに行って来ようと思う・・。天気が良ければ、今日の海釣りで残ったエサで釣りでもしてのんびりとして来ようと思う・・。

 そうそう・・丸亀市役所の教育委員会にも足を伸ばして来たいと考えているのだが・・。

 

 ここは・・例によって・・ユーチューブこそ外したけれど、予約投稿機能がそのまま働くので安心して出かけられるというもの。一応・・四日分は用意できているので、それまでには戻ってきたいもの・・。

 

 ま、これで家庭的にも、私的にも・・大きな峠は越えられたように思うので、すこしはしばらく・・ゆったりとできるといいのだが・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

風薫る 芝に孫らの はしゃぐ声

2010年05月15日 | 自然
 一週間ぶりのご無沙汰です。お元気でしたでしょうか。

 ずいぶんとお休みをさせていただいておりました。ま、いろんなことがありました。

 

 ふっと気がつけば、はやくも五月の半ば・・・。月日の流れは速いものです。今年のカレンダーも半分になりました。でも、今日はいい天気なんだけれども、いかんせん、空気が冷たい・・。なんか、肌寒いっていう不思議な気持ちにおそわれてしまう・・・。

 

 今日は・・朝からメール確認やらブログの確認、HPの確認なんぞで忙しい午前中を過ごしてしまう。わずか数日留守にしただけでメールなんぞは140通を超えていた。ま、どうでもいいものがほとんどなんだけれど・・。

 で、久々に・・さぬきうどんを食べに行った。東かがわ市三本松の「かま八」さんだった。別に・・うどん中毒でもないし、麺通団予備軍でもないので、おうどんを食べなくても平気なんだけれど、さぬきの人は・・・やっぱり、お昼はおうどんが似合うね。それだし、簡単だからね・・・。

 

 で、マイブームになりつつある「きつねうどん」を頼んでみた。420円であったような。ま、取り立てておすすめするようなおうどんではなかったが、可もなく不可もなく・・・みたいなおうどんだった。

 

 所詮は・・おうどんだし、所詮はきつねうどんなんだ・・・。大騒ぎするほどのものではない。おいしく食べられたらそれでいいのだと思うのだけれど。

 

 さてだ・・。けいこばぁのお嫁入り道具の三点セットが、未だに山の旧宅の無人の母屋に残ったまんま・・。台風被害から6年も経つのにそのまんまになっていた。それを・・思い出したように移転救出作戦が始まった。

 神戸のよしつぐさんがダンプカーを持ってきて、整理ダンス・洋服ダンス・和タンスの三点セットを旧宅から運び出し、この今の家の物置に運び込んだ・・。ま、いろんなことがあったのだけれど、なんとか、無事に収納できた・・・。

 

 その間に・・孫たちは・・川遊びに夢中・・・。洋服を濡らし、どろんこになって川遊び。それはそれで楽しい遊びなんだろうな・・。

 

 なぎちゃんは、そのあたりのお花を使ってのケーキ作り遊び・・。いろんなバリエーションのお花を組み合わせてのお遊び・・。女の子らしい遊びやね・・・。

 

 

 お仕事が終わると・・、私の快気祝いを兼ねての祝賀会・・・。神戸から二人、娘家族四人、弟家族二人に我が家が三人・・・。にぎやかなバーベキュー大会と夜の二次会・・・。

 

 

 ともかく・・にぎやかな・・私の退院お祝いの会になりました・・・。

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

かたつむりと今日は何の日

2010年05月15日 | 自然
かたつむり


 

 今日から伊豆の下田で伊豆下田黒船まつりが行われる。

  

 今日は5月15日。さわやかな五月晴れになった。

 今日は「国際家族デー(International Day of Families)」で、1993(平成5)年9月20日の国連総会で制定された。国際デーの一つ。

 また、「沖縄復帰記念日」 1971(昭和46)年6月17日に宇宙中継によって東京とワシントンで結ばれた「沖縄返還協定」、1972(昭和47)年5月15日午前0時をもって発効し、沖縄の施政権がアメリカから日本に返還され、沖縄県が誕生した。

 日本政府側は「本土並み」の復帰を目指したが、実際には30以上の米軍基地や弾薬庫、演習場等が残され、その面積は全県の12%にも上った。

•沖縄県 http://www.pref.okinawa.jp

 関聯記念日•沖縄慰霊の日 <6月23日>

  
 また、今日は「5.15事件記念日」で、1932(昭和7)年のこの日、5.15事件が起った。

 海軍の青年将校・古賀清志中尉らと陸軍士官学校の生徒らが首相官邸等を襲撃し、犬養毅首相が射殺された。国家改造、軍部政権樹立のため、東京を混乱に陥れようとしての決起だった。翌日、内閣は総辞職し、海軍大将斎藤実を首班とする挙国一致内閣が発足して、政党内閣制に終止符が打たれた。

 

 前日に来日して犬飼首相と面会する予定だったチャップリンも標的になっていたが、直前に急遽予定を延期して大相撲観戦に行った為に難を逃れた。

 

 それだし、「ストッキングの日」でもあるらしい・・。1940(昭和15)年のこの日、アメリカのデュポン社がナイロン・ストッキングを全米で発売した。それまでアメリカのストッキング市場は日本の絹製のもので独占されていたが、これ以降、ナイロン製のものに王座を明け渡した。

•デュポン http://www.dupont.com

 それにこの日は「ヨーグルトの日」ヨーグルトを研究したロシアのメチニコフ博士の誕生日。明治乳業が制定したが、現在では特にイベントは行っていない。

  

 メチニコフ博士はブルガリアに長寿者が多いのはヨーグルトに含まれる乳酸菌のためであることを突き止めた。また、免疫に関する研究によりノーベル生理学・医学賞を受賞した。

じゃぁ、また、来週に会えるといいね。

ゆりかごの歌 かんざきゆうこ

2010年05月14日 | 自然
ゆりかごの歌 かんざきゆうこ


5月14日
○種痘記念日
1796年のこの日、イギリスの外科医ジェンナーが初めて種痘の接種に成功した。

 

 種痘の登場以前は、天然痘は最も恐ろしい病気の一つだった。発症すると、高熱に引き続いて、全身に化膿性の発疹ができるため、運良く治った人もあばた面になった。

 以前より、一度天然痘にかかった人は、二度とこの病気にならないことが知られていた。また、ジェンナーは、乳絞りの女性から牛痘にかかると天然痘には罹からないことを聞いた。そこで、牛痘にかかった乳絞りの女性サラ・ネルムズの手の水疱からとった膿を、近所に住んでいた8歳の男児フィップスの腕に接種した。10日後に発症したがすぐに治癒し、その後天然痘を接種しても感染しなかった。この実験は、学会には認められなかったが、ジェンナーは貧しい人たちに無料で種痘の接種を行い、次第に認められるようになった。

 天然痘による死亡者は劇的に減少し、1979(昭和54)年10月末に世界保健機構(WHO)によって根絶が確認された。

 

 また、この日は「温度計の日」でもある。水銀温度計を発明し、華氏温度目盛り(°F)に名前を残すドイツの物理学者ファーレンハイトの、1686年の誕生日。

 華氏温度は、塩化アンモニウムを寒剤として得られる当時人間が作り出せた最低温度を0度、人間の平均体温を96度とし、その間を等分して得られる。この温度目盛りによると、水が凍る温度は32度、沸騰する温度は212度となる。ファーレンハイトが1724年に発表し、現在では主にアメリカ・カナダ・イギリスで用いられている。

 

 中国では、ファーレンハイトに華倫海の字を当てたことから、「華氏」と呼ばれるようになった。ちなみに、摂氏温度(せっしおんど、せしおんど)というのは、セルシウス度(セルシウスど、記号:℃/°C)とは温度(セルシウス温度)の単位である。欧米では考案者の名前から「セルシウス度」と呼ばれており、日本などではセルシウスを中国語で書いた摂爾修斯(摂尓修斯、繁体字:攝爾修斯、簡体字:摄尔修斯)から摂氏温度(せっしおんど、せしおんど)というている。

 例えばセルシウス度による温度は、日本語では「15℃」または「摂氏15度」という。「C」または「摂氏」を省略しない書き方が正式であるが日常生活においては単に「15度」と表現することも多く、同様に「度」という表現を用いるファーレンハイト度(華氏温度)や角度と混同される恐れがある。英語では“fifteen degrees Celsius”または“fifteen degrees centigrade”と読み、"15 deg C"と略記する。日本語の場合にも科学の学術の発音では上記誤解を避けるため「度C:ドシー」と呼ぶこともある。

 

 さらにこんな日までもある。「イエローデー [韓国]というものがそれ。4月14日の「ブラックデー」を過ぎても恋人ができなかった男性は、この日に黄色い服を着てカレーライスを食べないと恋人ができないと言われている。

 ローズデー [韓国]というのは、2月14日のバレンタインデー、3月14日のホワイトデー、4月14日のブラックデーを経て、この日までにカップルになった男女が、この時期に満開となる薔薇を贈りあう日。

 

じゃぁ、また、来週に会えるといいね。

【初音ミク 鏡音リン】太平洋行進曲【 戦時歌謡】

2010年05月13日 | 歴史
【初音ミク 鏡音リン】太平洋行進曲


 今日は元気一日に行進曲で明るく楽しくゆきたいもの・・。このミクちゃんらの歌がかろやかで、昔の戦争の歌・・という雰囲気は・・・軽くなったかな。

 冗談なのか、ホントの話なのだかどうなんだか・・。今日は「メイストームデー(5月の嵐の日)」だというのだ。「バレンタインデー」から88日目、「八十八夜の別れ霜」ということで、別れ話を切り出すのに最適とされる日。

 2月14日の「バレンタインデー」、3月14日の「ホワイトデー」、4月14日の「オレンジデー」と、14日あたりは恋人に関連した記念日が続く。これを乗り切れば、6月12日には「恋人の日」が待っている。

 関連した記念日には、聖バレンタインデー <2月14日>•ホワイトデー <3月14日>•オレンジデー <4月14日>•恋人の日 <6月12日>•サマーバレンタイン <7月7日>•セプテンバーバレンタイン・メンズバレンタイン <9月14日>•恋人達の日(くつしたの日) <11月11日>•ダズンローズデー <12月12日>・・・と目白押し。ついでに•遠距離恋愛の日 <12月21日>というものもある。

 

じゃぁ、また、来週には会えるといいね。

月の沙漠 - 小鳩くるみ

2010年05月13日 | 自然
月の沙漠 - 小鳩くるみ


 いきなり・・なんで月の砂漠かと思うかも知れないけれど、昨夜の夢がそんなふうな夢だったもので。夢ってとんでもない夢を見ることがあるものね・・・。

 この前も・・安く譲ってもらった民家に入ったら、屋敷はぼろ家なのに、裏庭にはお寺や神社がそびえていて、御神輿から太鼓台、まといやら消防車までそろっている・・・・。そんなバカな・・・みたいな夢。

  

 王子様とお姫様がラクダに乗って旅をするのが「月の沙漠」だが、この五月に「婚」という風習は昔はなかった。というのも、この時期は農作業には忙しい時期で、田起こしやらもみまき、苗代作りなどとあわただしい。だから、初春には結婚式をすませていたし、足入れ婚という風習で、この農作業を終えた秋に結婚式をしたからだ。

 また、今日は「愛犬の日」、FCI(国際畜犬連盟)デーだそうだ。ジャパンケンネルクラブ(JKC)が1994(平成6)年に制定したもの。

 

 1949(昭和24)年のこの日、同クラブの前身である全日本警備犬協会が創立されている。

•ジャパンケンネルクラブ http://www.jkc.or.jp

じゃぁ、また、来週に会えるといいね。

我は海の子(唱歌)

2010年05月12日 | 自然
我は海の子(唱歌)


 ご案内のとおり、この「ユーチューブ」の画面が午前中に現れたら、しばらくお出かけしますのでここは留守になりますし、コメントもしばらくは受付なくなりますのでご了承ください。

 で、今日は「ナイチンゲールデー」ということで、赤十字社が、1820年のナイチンゲールの誕生日に因んで制定したもの。

 

 フローレンス・ナイチンゲール(Florence Nightingale, 1820-1910)(別名 Lady with a Lamp)イギリスの看護婦、女性の職業としての看護専門職の創立者。 ひたすら、やさしい「母性愛」と「忍従」と「奉仕」の社会的ステレオタイプを押し付けられる看護従事者のために、むしろ「統計データ」を理論的武器に髪を振り乱し、権威主義的軍医たちに対し戦いを挑み、ついに一つの専門職の確立をかちとった、元「お嬢様」の苦闘の成果を紹介しよう。彼女が数学・統計好きだったことを覚えていて欲しい・・・。

 両親の滞在地イタリアのフローレンスに生まれ、父からギリシャ、ローマ、フランス、ドイツ、イタリアの各国語・歴史・哲学・数学等の教育を受けた。このリベラルアーツ教育が後の偉業の礎となる。17 歳で宗教的召命を受け、後にこれが看護と知る、当時のヨーロッパでは看護はカトリックのシスターたちが中世以来の修道会組織のもとに献身として行っていたもので、看護婦という職業は一部の病院を除き有名無実であった。

 

 ナイチンゲールの名を歴史に残したのは、クリミア戦争(1853-56)勃発の翌年、黒海のトルコ側スクタリの英国陸軍病院での彼女の目をみはる活躍である。彼女が最初に見たスクタリの病院は収容過剰で混乱し、設備・物品は不足していた。ベッドは不潔でネズミとシラミが跳梁し、飲料水の供給は一日一人当たり 1 パイント(0.57l)と極度に低かった。病院とはいえないこの病院での死亡率は 40 %にも達し、しかもその何通りもある統計はみな食い違っていた。

 

 両親との旅行日記を時間と道のりの数字で埋めるような彼女は、病院の兵士たちの生活と衛生の改革を手のつけられるところから進める一方で、すぐに精力的なデータ収集にとりかかった。現代と違い統計学はケトレーの時代、まだ統計理論とてなく、独自の分析を武器に当局や現場を相手に改善計画の交渉が始まった。医者はおしなべて敵対的だったが、結局彼女の提案に納得し、従った。彼女と部下の看護婦一行が病院に入って 6 ヶ月後死亡率は 2 %と目覚しく改善された。ときにナイチンゲールは 34 歳、分析は実際は帰国後に追試とともに行われたのがほとんどであった。

 

 帰国後、収集分析した統計資料により 1,000 ページにも及ぶ「英国陸軍の健康、能率および病院管理に関する諸問題についての覚え書き」を書き上げ、次いで史上最初の看護についての専門書「看護覚え書き」を著し、1880 年はじめて近代的看護専門学校(Training School for Nurses)(通称ナイチンゲール・スクール)を設立、これを伝え聞いたビクトリア女王も彼女を引見した。この情熱こそ現代イギリスの有名な伝記作家リットン・ストレイチーのいう「輝けるビクトリア人」(Eminent Victorians)の資質であったのだろう。これは統計的な見識は、人の知性と能力にいっそうの輝きを加えるものである、ということの立派な実例である。

 で、有名な「ナイチンゲール誓詞」というものがあるが、これは彼女が作ったものではなく、後世の人が彼女の意志を引き継いでいるものだとか・・。これを知らなきゃ看護師の資格なしだとか・・・。

 われはここに集いたる人々の前に厳かに神に誓わんーーー
 わが生涯を清く過ごし、わが任務を忠実に尽くさんことを。
 われはすべて毒あるもの、害あるものを絶ち、
 悪しき薬を用いることなく、また知りつつこれをすすめざるべし。
 われはわが力の限りわが任務の標準を高くせんことを努むべし。
 わが任務にあたりて、取り扱える人々の私事のすべて、
 わが知り得たる一家の内事のすべて、われは人に洩らさざるべし。
 われは心より医師を助け、わが手に託されたる人々の幸のために身を捧げん。

 また、同時に「国際看護師の日」というものがるらしい。国際看護師協会(ICN)が1965(昭和30)年に制定。2002年3月に「看護婦」の呼称が「看護師」に変更されたのにあわせて、この記念日も「国際看護師の日」に改称された。

 同時に、「看護の日」でもある。厚生省(現在の厚生労働省)・日本看護協会等が1991(平成3)年に制定。1990(平成2)年8月、文化人・学識者による「看護の日制定を願う会」が厚生大臣に要望書を提出し、12月に厚生省が5月12日を「看護の日」と定めのだとか。

じゃぁ、また、来週に会えるといいね。 

しゃぼん玉 神崎ゆう子

2010年05月12日 | 自然
しゃぼん玉 神崎ゆう子


 NHKのラジビタの・・村上信夫が紹介します。

 

神崎さんは、こんな人です。とにかくよく歌います。とにかくよく笑います。とにかくよく話します。天性の明るさ、屈託のなさ、それがみんな魅力です。元気の源です。歩くビタミン剤です。

スタジオでよくお腹の音が聞こえます。互いに秘蔵のチョコを交換して、栄養補給しています。でも、チョコがなくても、神崎さんと一緒にいるだけで、悩みごとなど吹き飛んでしまいます。 ちょっと褒めすぎかな(笑)

 

プロフィール東京都出身。武蔵野音楽大学声楽科卒業。大学3年生の時(昭和62年)、「おかあさんといっしょ」の第16代歌のお姉さんとなり、6年間番組に出演。さわやかな笑顔と透明感のある歌唱力で全国の親子のアイドル的存在となる。現在は、オーケストラとの共演やファミリーコンサートなどで活躍中。2児の母。

 私もおすすめのパワーのあるおばちゃんです。

じゃぁ、また、来週に会えるといいね。

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