まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

あれこれと 秋雨を聴く 月曜日

2017年10月16日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で雨が降っている。気温は今期最低の16.8度から15.9度、エアコンを暖房モードにした。湿度は92%から94%、風は2mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の17日は、引き続き、前線や湿った空気の影響で曇り、昼前にかけて雨が降る見込みらしい。

 

 昨日に引き続きさぬきの国は雨ばかり。遊びに行きたし下駄がない。

 

 さぬき市内は弱雨ばかりの一日。今日もお出掛けはなし。

 

 明日のおはなし会の準備でもとあれこれ並べてみた。庄松さんのお話を聞くだけではrつまらないだろうけれど、「庄松さん人形」とか「庄松さんまんじゅう」とか「庄松さんケーキ」とかいうものない。少し前には「庄松さん」というお菓子があったのだけれど、そこも廃業してしまったし。

 

 A4版ファイルのほうはできているのだけれど・・何かつまらない。

 

 何かおみやげでもと、「庄松ありのまま記」を整理したものを両面印刷二枚にまとめてみた。手元資料として。

 

 それでも何か落ち着かない。

 

 気分転換で、ガイド用小旗を貼り付けてみた。百円ショップの化繊の旗でもきれいに接着できた。ガードマン用だと500円近くする旗が百円ショップだと1本108円だ。アイロンで溶けるかと思ったが意外にも強い。

 

 ああだ、こうだと試行錯誤しながら、またもや8本の小旗ができた。

 

 時間があるのだからと、ノートPC+テレビのディスプレー+パワポを予備システムとして用意することにした。やっぱり、こちらがお話しやすい。

 

 画像は、A4版ファイルのものを、文章は手持ち資料のものを使えば10数分でできあがった。

 

 私のホームページも少しばかり更新しておいた。10月、11月、12月の予定表など。

 

 今年のイベントの消化表とかも。

 

  今日の掲示板はこれ。「皆と違うと不安 皆と同じと不満」というもの。これまた、どこの誰の言葉か不詳。子どもの頃、幼稚園や小学校なんかで、皆と違う服装の子がいるといじめられた。皆と違う行動を取ると嗤われた。とくに左利きの子がいるといじめたりからかったりした。だから、皆と同じようなことをしたのだけれど、それって、とても退屈で、ほら、こんなことができるんよ~と自慢したいのにできなくて不満・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


楚々と咲く 十月櫻の 憂い顔

2017年10月15日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で雨が降っている。気温は18.2度から16.7度と下がり、湿度は87%から92%と高くなった。風も1mから4mの東北東の風が強くなってきている。明日の16日は、引き続き、前線や湿った空気の影響で雨が降る見込みらしい。

 

 今日は一日中雨・・・。会長から古墳巡りに誘われていたが、雨の中、古墳を歩くのはイヤだからお休みにした。

 

 今日は香川中が雨マーク。どこに行っても雨ではつまらない。

 

 さぬき市の天候もずっと雨だ。

 

 それでは・・・と、「おへんろつかさの会」公式ホームページの更新をやっておくことにした。昨日の特別研修の記録である。

 

 昨日の参加者が約4万歩歩いた・・と話していたが、山道で一歩が50センチだとしても20キロほど歩いたことになる。言うちゃ悪いが、おじいさん、おばさんばかりなのに元気なことだ。私の歩数計は7千歩ほど、歩きかねての7千歩だ。

 

 一つのイベントが終わるたんびに更新をするのだが、何ページもの更新が必要になる。お知らせ、スケジュール、プログラム、その詳細ページに、表紙の更新のお知らせなどと。

 

 忘れないうちに、鉄は熱いうちに打っておかねばならん。

 

 雨はだんだんとひどくなる。今日も奥方はお仕事でお出かけ。「女房、元気で留守がいい」。

 

 で、今日は、ガイド用小旗の「大窪寺観光ガイド用」を作ってみた。熱転写版と熱圧着版である。

 

 少しはボケ防止に役立つだろうか。

 

 今日の掲示板はこれ。「そのうち 暇ができたら そのうちそのうち 言うとる間に一生が終わる」という赤松先生の所にあった言葉から。

       「そのうちお金がたまったら
        そのうち家でも建てたら
        そのうち子どもが手を離れたら
        そのうち仕事が落ち着いたら
        そのうち時間のゆとりができたら
        そのうち、そのうち、そのうちと
        結局何もしなかった
        むなしい人生の幕が下りて
        頭の上に淋しい墓標が建つ
        そのうちそのうち 日が暮れる」

 

じゃぁ、また、明日、会えると、いいね。


伸びてきた ススキに明日の 夢をみる

2017年10月14日 | 観光ガイド的日常

 徳島県美波町は、前線や湿った空気の影響で曇り、南部を中心に雨が降っていた。気温は20.0度から22.7度、湿度は90%から77%、風は1mから2mの東の風が少しばかり。明日の15日は、引き続き前線や湿った空気の影響で、雨が降る見込みらしい。

 

 今日は29年度特別研修の最終回で、さぬき市役所を5時50分集合、この津田の松原SAが6時10分。阿波一国歩き遍路22番から23番の研修である。もちろん、私は歩かない。

 

 こういうバスでのツアーである。今日の参加者は16人。初回の11番からのメンバーばかりらしい。

 

 阿南市阿瀬比町の「道の駅わじき」から歩き遍路は歩き出したが、私たち4名はそのままバスで平等寺に向かった。一行は、およそ、4Kmの山道を歩いて平等寺に向かう。

 

 弘法大師がこの地でご修行のみぎり空中に5色の霊雲がたなびき、その中に黄金の梵字が現れた。大師が歓喜して加持されると薬師如来の尊像が現れて光明が四方に輝いたので、大師がさっそく加持水を求め杖で井戸を掘られたところ、乳のごとき白い水が湧き溢れた。その霊水で身を清められた大師は100日の修行の後に薬師如来像を刻み本尊として安置し、人々が平等に救済されるようにとの願いをこめて山号を白水山、寺号を平等寺と定められたのだという。

 

 山門前には十月櫻が咲いていた。

 

 私が、ここに来たわけはこれである。犬小屋やネコの小屋ではない。私の研究テーマの「箱車」である。これは徳島の男性のくるまである。四輪式だった。

 

 こちらも徳島県の男性の物で荷車式になっていたらしい。ここには三台の箱車があった筈だがもう一つが見つからない。あ、ちなみに、この箱に足の悪い男性が乗ってお遍路した物である。布団を敷いて寝られる長さである。

 

 ここの手水場(ちょうずば)である。蘭の花ともみじの若葉が浮かべられていた。

 

 ここの住職さんにお尋ねしたところ、大師堂にあるということで、ようやくに、これを見つけた。刀鍛冶の息子さんのためにお父さんが作ったものだという。このお寺の近くで地震に遭った。慌てて立ち上がったら歩けるようになっていたので、ここに奉納したのだという。

 

 中務茂兵衛は22歳の時に出奔、四国巡礼を続けて、東かがわ市に279度目の道しるべを建てたのが最後。大正11年に高松市内で逝去、78歳だった。その間、生家には戻っていないという。その人の建てた160回目の道しるべである。

 

 一行が10時過ぎに23番薬王寺に向かったが、私たちはそのまま11時50分まで平等寺にいて、その後、昼食のため。鉦打休憩所で合流して昼食。13時前に出発。しばらくはバスで移動し、由岐で分かれた。一行はさらに7Kmあまりを歩いて薬王寺に向かった。

 

 バス班は足の悪い4人が先行して13時半には薬王寺に着いた。待つこと2時間。雨は降るし、気温も下がってきた。

 

 この観光ガイドの様子を観察して参考になるものはないかと考えていた。歩き部隊が到着したのが15時半。参拝をすませてバスに乗り込んだのが16時。そのままさぬき市目指して戻って来た。我が家に着いたのは18時過ぎだった。

 

 

 今日の掲示板はこれ。「いくら長生きしても幸せのド真ん中に居ても おかげさまが見えなけりゃ一生不幸」という、いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。

夏がきたら 冬がええといい
冬になりゃ 夏がええという
太りゃ やせたいといい
やせりゃ 太りたいという
忙しけりゃ 暇になりたいといい
暇になりゃ 忙しい方がええという
かりた傘も 雨があがればじゃま
金を持ったら 古びた女房もじゃま
所帯もったら 親さえじゃま
義理も 人情も 愛情も 両親も
肉親の情も あればこその 世の中となる
誰も彼も どこもかしこも
かさかさ かわききった あじけない このころ
衣食住は昔に比べりゃ 天国やが
上を見ては 不平不満のあけくれ
隣を眺めては グチばっかり
なんで 自分を 見つめないのか
静かに 考えてみるがええ
一体 自分てなんやろうか
親のおかげ 先生のおかげ 世間のおかげ
おかげの固まりが 自分やないか
いくら長ごう生きても
幸せのド真ん中に居ても
おかげさまが 見えなけりゃ
一生 不幸

 「おかげさま」
         (かみどころ・じゅうすけ)

 

 じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


木の実踏む 不動尊堂 屋根の反り

2017年10月13日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で曇り、昼過ぎまで雨が降っていた。気温は17.4度から18.9度と涼しくなった。湿度は92%から82%、風は1mから4mの東北東の風が一時は強かった。明日の14日は、引き続き前線や湿った空気の影響で曇り、夕方から雨が降る見込みらしい。

 

 朝方は細かな雨が静かに降っていたが、傘がいるほどではなかった。

 

 てくてく通信の秋号、「秋てく!」が届いた。香川の魅力をてくてくで再発見しようというもの。

 

 秋・・・というよか、もう、冬という時期に歩くコースである。私は取材班兼伴走という形での参加になる。

 

 そして、早くも来年三月の春分の日の柴燈大護摩供養を拝観するもの。これは、「大窪寺観光ガイド」と、「へんろみち観光ガイド」が合同で案内するもの。

 

 で、またもや、このホームセンターにやってきた。もう、雨は気にならなくなっている。雨用のウエアかウインドブレーカーでもと思ったのだが、気に入るものがなかった。

 

 で、ついつい、またしても、こんなものを買った。大窪寺ガイド用のものを作ろうとして。

 

 だから、こういうものも準備した。歩くのは苦手だが、口だけはお任せあれ。

 

 その後は、17日の「庄松講話」の準備。まさに「泥縄方式」。プロジェクターは大げさだし、ディスプレー持ち込みも面倒だから、観光ガイド方式に改良した。

 

 この本を参考にして、画像をスキャナーで取り込んで、A4版に拡大印刷した。

 

 それを、ファイリングする。

 

 これで、庄松同行のお話をすることにした。少人数のお参りなので、こういう形にしてみた。

 

 今日、FBのお友達から本が届いた。いろんな研究をやってはるんだなぁと驚いた。

 

 今日の掲示板はこれ。「おおいなるものにいだかれ あることを けふふくかぜのすずしさにしる」山田無文の闘病中に詠んだ歌である。「大いなるものにいだかれあることを けふふく風のしずしさに知る」 山田無文師が若かりしころ、結核を患ってしまった。その頃、兄も同じ結核で他界してしまい、自分もそう長くはないと思っていたらしい。無文老師が孤独感にさいなまれていたある日、庭に吹いてくる風に吹かれながら、「こんな気持ちのいい風に吹かれるのは何年ぶりだろう。私は一人ではなかったんだ。空気という大いなるものに生かされて居るではないか。」と、しみじみ思って、詠んだのがこの歌なのだった。「私たちは生きているのではない。生かされているのである。私は怪我をしたときに膿(うみ)が出てくるのを見て知った。膿は外敵と戦った白血球の死骸だった。どんな状況下でも自分を守り生かそうとしてくれるものがある。死の直前まで、私たちは大いなるものに生かされているのだ・・。」老師はそのことをうたったのだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


秋雨は 朝夕だけの 人の声

2017年10月12日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は、前線や湿った空気の影響で曇り、朝から小雨が降ったりやんだりを繰り返していた。気温は19.3度から22.0度、湿度は90%から86%、風は2mから3mの北東の風が少しばかり。明日の13日は、前線や湿った空気の影響で昼過ぎまで雨が降る見込みらしい。

 

 別に疲れている訳でもないのに、最近は6時半過ぎまで寝ている。年寄りは目覚めが早いものなんだけれど。明後日の土曜日には5時起きの6時出発のバスツアーなんだぞ。大丈夫なのか・・・。

 

 今日は第二木曜日・・ということで、空き缶回収日。さぬき市に何度お願いしても、アルミ缶用のネットを持ってきてくれない。このアルミ缶用は一袋だけ。もう、11年にもなるのに。だから、我が家の空き缶があふれてしまう。これ、みんな、我が家の空き缶である。それも一ヶ月分。

 

 で、小雨の降る中、県立病院での予約診察日。ドクターの都合で二ヶ月ぶりになる。その間で、薬だけの処方箋をもらいに来ている。病院に着いたのが9時過ぎ。

 

 まずは胸部レントゲン検査。着いたらすぐにやってくれた。この窓口の下に「放射線」と書いた紙が貼ってあって、外国人の写真が貼ってある。ヴィルヘルム・コンラート・レントゲン(Wilhelm Conrad Röntgen、1845年3月27日 – 1923年2月10日)は、ドイツの物理学者。 1895年にX線の発見を報告し、この功績により、1901年、第1回ノーベル物理学賞を受賞した。と書いてある。X線を発見したのはキュリー夫人ではなかったのか。

 

 その後、すぐに「検体検査」ということで採血も終わった。ここまでで5分とかかってはいない。

 

 それからが永い。血液を検査してデータが揃う時間がながいのだ。ドクターの診察が終わったのが10時前。精算も終わったのだが、早い時間に終わったものだから眼科に行ってみた。

 

 「今から受付しても、午前中に診てもらえますか・・」と聞くと、OKだというので、受付をした。

 

 すると、内科の受付番号と一緒だった。偶然かと思ったが、そういうシステムになっているのだそうだ。

 

 で、こういう検査とか、

 

 こういう検査をしたら、「まだ、大丈夫です」という。この眼であれば、来年六月の運転免許の更新は大丈夫だという。「でも、手術は可能ですから、来週あたりに精密検査に来てください」とのこと。まだ、大丈夫なのか。でも、右目は0.1も見えてはいないはず。

 

 昨日にこういうハガキが来ていたので、さっそくに「期日前投票」にやってきた。

 

 なんでも早くすませておかないと、明日の命が保証できないのだ。今日も、「あなたは平均寿命までは生きられません」と言われたし、何度も、そう言われている。昨日調べたら、男性は、80.98歳だそうだ。そんなに永くは生きたくない。

 

 今日の掲示板はこれ。「下り坂には 下り坂の 風光がある」という榎本栄一さんの言葉らしい。いつもの赤松先生のお寺の掲示板である。「くだり坂にはまたくだり坂の風光がある」。野球選手などは35歳を過ぎると、体力が下り坂になったことを感じるのではないだろうか。私は「65歳を過ぎると…」と言えるようだ。私の母はよく「体が言うことを利かなくなって・・・年を取りたくないものだ」と言っていた。私は、入歯が土台に当って痛く、柔らかいものを恐る恐る食べている。一日に一回くらい苦しくなることがある。歩くときには足が痛み出す。頭が一年中ボーっとしている。胸や腹のアチコチがよく痛む。膝を打ってからそこが痛む。脚がよく攣(つ)る。腰、背中、肩が痛む。しかし「年を取りたくないものだね」というような言葉を発したことがない。人間、年を取っていくのは当たり前で、年を取ると体力が落ち、アチコチが悪くなるのも当たり前だと思っているからだろう。下り坂の風光は上り坂の風光とは違う。初めて見る新鮮な風光だ。その風光を楽しみながら毎日過ごしたいものである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


金木犀 雲に誘われ にしひがし

2017年10月11日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は19.3度から28.2度、湿度は96%から71%、風は1mから2mの西の風が少しばかり。明日の12日は、前線や湿った空気の影響で曇り、夕方から雨が降る見込みらしい。明日からは少しばかり涼しくなりそうな予報が・・・。

 

 今日は水曜日ということで、高松市林町にある、香川県立図書館にやってきた。はっきりと、アキニレの紅葉が見てとれる。一週間で、こんなにも進むものなんだ。

 

 今日も農協さんの研修会があるらしく、大勢の車なのに、図書館には人は見えない。

 

 で、いつものように五冊の本を返却して、別な五冊を借りてきた。

 

 ま、毎回、似たような物を借りてきてしまうのだ。読んだか読んでないのかさえ分からなくなってしまう。これは老化なんだなぁと思い込むようにしている。

 

 お昼は久しぶりに、肉ぶっかけ小の冷やこいの・・を食べた。今日はまた格別に暑いように感じた。

 

 今日は、第二水曜日・・・ということで、民児協大川の定例会。昨年の12月に任命されて10ヶ月。お勉強ばかりの10ヶ月。その間にお亡くなりになった方が4名、入所された方が5名。田舎の中の田舎なんだが、それでも、なんだかんだとあったような。

 

 9月10月はさほどの行事も予定もなく済んだ。ま、会長や役員の方はそれなりに会議もあったようだけれど。当面は、赤い羽根共同募金の配分名簿作成と、年末訪問の準備くらいなもの。

 

 情報交換ということで、自治会に加入することと、ゴミ置き場の利用問題とかという些細なことが話題になったり。それでも、1時間ほどで会議は終わった。

 

 こういう冊子なんぞを頂いたが、たぶん、「積ん読」になるのだろうという予感。それではダメなんだろうけれど。

 

  今日の掲示板はこれ。「人は 幸運の時には偉大に見えるかもしれないが 真に向上するのは不運の時だけである」という、フリードリッヒ・フォン・シラーの言葉から。フリードリヒ・フォン・シラーは「シルレル」とも読まれている。18世紀ドイツの詩人・戯曲家・思想家で、1759~1805。シラーさんは劇作家として有名だが、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」の原詞で最もよく知られるように詩人としても有名。彼の書く詩は「ドイツ詩の手本」として、今なおドイツの教育機関で教科書に掲載され、生徒らによって暗誦されている。人は、幸福期の絶頂にあるときには偉人にも見えるけれど、人が成長するのは不運の時期にどう生きるかであると言うているのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


草伸びて 我が家の庭は 虫の宿

2017年10月10日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は18.9度から28.3度、湿度は92%から63%、風は1mから3mの西の風が少しばかり。明日の11日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 秋らしい空にはなってきたが、気温はまだまだ夏という暑さに戻った。

 

 で、早くも火曜日がやってきた。毎週火曜日は、ここ、「前山地区活性化センター」に出勤する。本来はここで産直野菜を販売する目的で作られた設備だったが、初代センター長が、ここを、「おへんろ交流サロン」にしたという。

 

 ここから左部分は香川県が作った設備らしい。そこを初代館長の木村照一さんが、おへんろ資料室に作り上げたと聞いた。今日も歩き遍路で外国人女性が休憩をしていた。

 

 こんなものが新しく展示されていた。

 

 で、作り上げた8本の旗を納品した。

 

 で、今日から渡邊会長が新兵器を持ち込んできた。会長のノートPCに増設のディスプレーを接続して、何人もの目で資料をチェックするという。左は納め札のデータを修正する中島先生。

 

 こういう画像を映し出して、みんなで解読していくのである。「奉納四国八十八ヶ所・・・」ん、札場? 「霊場」の誤りか、「札所」の間違いか・・・。などと、ワイワイ言いながらデーターを登録していくのである。

 

 これがデーターである。こうしたデータをみんなの目で確認し、修正していく作業である。

 

 今でこそ、緑や赤や銀色の納め札があるが、明治の43年頃にはそんなものの指定はなかった。これは特別な思いを込めた納め札で、回った回数ではない。ここでも「偏路」という当て字が見られる。そのまま記録しておく。

 

 この方が飯田さんで、このおうちにあったものをお借りして調査している。

 

 江戸時代の地名や人の名前が難しい。また、くずした文字も難解だ。

 

 そんなことで火曜日は過ぎた。

 

 今日の掲示板はこれ。「何もできない自分がダメなのではない 何もできないと思ってしまう自分がダメなのである」というもの。京都府福知山市にある丹波あじさい寺・観音寺の住職「小籔実英」さんの言葉がとても温かく心安らぐ。人生で少し疲れた時、悩みや迷いがある時、悲しい時、辛い時、そんな時にぜひ思い出してほしい言葉である。五月初めの藤、梅雨の時期にはあじさい、晩秋には紅葉、立春の頃には蝋梅…と、一年を通じて花や古木、紅葉が境内を美しく彩るという。花が満開になる時期には特にご参拝の方が多く、はるか遠方からもお参りがあるという。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


萩の花 お人好しさを 見透かされ

2017年10月09日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は18.8度から26.1度、湿度は90%から71%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の10日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

今日も暑い一日になって、車ではエアコンを冷房モードにし、自宅でも冷房モードで作業をやっていた。だから着る物も薄くしたり厚くしたりと忙しい。

 

 なかなかに気分転換もできないし、手足の筋肉痛もあったりして、今日はのんびりモード。またしても、ホームセンターにやってきた。

 

 で、工事用赤白旗というものを2セット、4本買ってきた。幾らでも・・とは言われたが、そんなに沢山作っても行方不明になるばかりになりそう。皆さん、自分の物ではないと、忘れたり紛失するらしい。

 

 続いて、おなじみの電機の量販店さん。ここには品物はたくさんあるが、必要なものはプリンターのインクやトナーと印刷用紙くらいなもの。

 

 布用プリント素材と熱転写シートの二種類を買った。白い布には「熱転写」赤い布には「布プリント」。その方がきれいに仕上がると思った。

 

 原稿を、「左右反対」モードで印刷する。必要な部分を切り出して、裏にひっくり返して・・・。

 

 保護シートの上からアイロンを掛けると・・・。

 

 こんな風に熱転写される。シャツとかのような薄いやわらかな物には、こちらがいい。

 

 赤い物には布プリントがきれいに仕上がるとの感想を持った。で、赤白3本ずつで計6本と、

 

 交通整理用のコットンの布地には、「布プリ」がいいとの感想を持った。都合8本の納品になる。私個人用が3本できている。これは、少しばかりのミスがある。最初は要領がわからず、失敗ばかりだった。

 

 このあたりでも、普通の稲の収穫が始まって、ほぼ全ての田圃から稲は消えた。暑い時に大変だなぁとひとごとのように眺めていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「どこへ行くのか白い雲 流れる水に聞くがよい」というもの。禅宗では、一所にとどまらずに各地を行脚する僧侶のことを雲水(うんすい)という。「行雲流水」という言葉は、空に浮かんで行く雲と野を流れる水という、いかにも のんびりした風景をあらわす言葉である。転じて、少しの執着もなく淡々として成り行きに身を任せる生き方を意味する言葉らしい。どんなにしがみついても、離したくないと思っていても、全てのものは 移ろい行くと説く佛教の教えである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


秋祭り 今日の鋏は よく切れる

2017年10月08日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 丸亀地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は18.5度から26.3度、湿度は94%から70%、風は1mから4mの気の風が少しばかり。明日の9日は、引き続き高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 昨夜は地元、広島神社の宵宮だというので出掛けてみた。土曜の夜たって、何もない島の夜だから、何もすることもないし、行く場所もない。

 

 例年、足が悪いからとか、夜道はこわいとかで、お参りの数が減ってきた。昨夜はこんなもの。でも、楽器のリード作者夫婦と、東京からの美大生二人が江の浦に住み着いて絵を描いている。そういう人が集まって、0時近くまで呑んでいたらしい。私は早々に退席した。

 

 朝の間、残った裏側の草刈りをやっておくことにした。できることからこつこつと・・・。

 

 ここには、400平方mの土地があって、南半分が私の物で家のある部分。裏手は、登記手続きの手前、弟の宅地ということで許可をもらったもの。そこが草ボウボウなのだ。

 

 半分ほどは昨日に刈ったので、残り半分を刈ってみた。よく切れる刃に交換したので、どんどんとはかどった。

 

 一応、刈り払うだけは刈っておいた。来週にでも、乾燥した草を処分することにした。今は重くて重くて・・・。

 

 おじいさんの植えた柿も三分の一ほど収穫した。まだまだ、熟していない物が多い。それが終わったのが8時半。それから洗濯して干しておく。残飯の処理とか生ゴミの処理とかも・・。

 

 一応の片付けが終わったので、帰る支度もすませておいてから、広島神社に出掛けてみた。ご承知の通り、私は神社仏閣にはお参りはしない。ここはあくまでお手伝い。

 

 少し前までは、株内・・というものがあって、よそものには祭礼神事には触れさせなかった。戦後、ゆるやかにはなったそうだが、ひどく叱られてからは、お手伝いのみ。

 

 そういう株内のボスの方針で、数年、御輿も出したことがないのに、ここまで出して、「さぁ、行くで」というかけ声で「御幸(みゆき)」が始まった。男性6人で担ぐのだから大変だ。そういう場合には「あんたも!」という声が・・・。

 

 御旅所までは50mほど。それでも重い・・・。よろよろしながら、ようやくに安置。御輿台は女性が運んでくれた。

 

 この日のお参りは20人ほど。関係者とお手伝いの女性と最近やってきた若い人たち。この中央の夫婦は珍しいことばかりの連続に大喜び。何もかもが感激の嵐。

 

 30分ほどで後片付け。私は電線やら電球とかの電気工事。重い物は持たない。その後、「直来(なおらい)」である。神主さんはお箸に手も付けずに、午後の集落へと向かって行った。今日、この島の七集落の内の四集落で秋祭りなのだそうで、家族で分担してのお式だそうだ。

 

 私も手を付けずに早々に失礼した。私は13時40分の高速艇で島を後にする。我が家でゆっくりと頂くことにした。

 

 冷たいお茶を飲み干して、しわく広島を後にした。丸亀港に14時着。我が家に戻ったのは16時だった。今は稲刈りのシーズンらしく、大型コンバインや籾を積んだ軽トラなどが我が物顔に走るのだから仕方がない。

 

  今日の掲示板はこれ。「うれしい時も、悲しい時も、かけがえのない我が人生である。」というもの。世間一般的には人生が長いほうがより価値があるように言われたりするものだが、いのちというものが単に抽象的に長さだけで考えられてはならない。真に人間のいのちならば、長さのみならず幅もあれば深さもあるはずである。年齢を重ねれば、それだけ人生をよりよく見、経験するわけだから、それだけものわかりがいいはずなのに、反対に我が強くなり柔軟心に欠け、思い通りにならないと人生を嘆き、時には怒るなんてことが無きにしもあらず・・・・・やはり人は、いのちを空しく長さだけに生きるのではなく、いのちを深さにおいて生きることが大切なのではないだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、会えれば、いいね。


お役目を ひとつこなして 秋の雨

2017年10月07日 | 自然ありのままに

 丸亀地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があった。気温は17,4度から24,5度、湿度は92%から73%、風は1mから3mの北西の風が少しばかり。明日の8日は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 8時から広島神社の「出事(でごと)」だということだったが、その頃に雨が降り出したので、13時からになった。え~、晴れているのに・・と思いながら、江の浦集落を歩いてみた。我が家の近くの沼。昔は水田だった場所。

 

 旧の広島中学校は廃校になって久しく、今度は広島コミュニティセンターや丸亀消防局の広島屯所ほかに建て替え中。平成16年の台風18号だかでは、高波の被害を受けたことがあるので、津波対策もあるのかしらん。

 

 この集落も過疎化が進み、次々と民家が竹やぶに飲み込まれていく。

 

 1時間ほどの散歩が終われば、昨日の続きの草刈りをやったが、30分ほどでギブアップ。蒸し暑くて呼吸困難になるのだ。無理はやめて休憩。

 

 休みながら、庭木の剪定という切り詰め。ぴんぴんと伸びた枝を切り落として散髪する。もう、そのあたりの草も庭木も伸び放題。それじゃぁダメジャン、春風亭柱昇。

 

 お昼からは、広島神社の「出事」。秋祭りの準備である。女性が10名ほど、男性が6名ほど。めっきりとメンバーが減った。私がこの島に来た頃は、30人ずつの班が3班あって、3年交代で頭屋(当番)になったものだった。20年もすれば、こんなにもなるんだ。

 

 男性陣は力仕事。こうした灯篭を吊ったり電気の配線をしたり、拝殿や幣殿に畳を敷いたりする。女性は神棚とかの清掃作業とか、境内の草引きとかお掃除。

 

 この黄色いツナギのお兄ちゃんはご夫婦で最近、島に住み始めた人。おまつりデビューになった。竹を栽培して楽器のリードを作っている。なかなかの研究家らしい。で、インターネット販売をしているという。

 

 こうした電気工事が私のお役目。元は電話工事屋さんだったのだけれど。島の電気屋さんが亡くなって、私のお仕事になった。

 

 一応の準備ができたので、私らは解散。こうしたお飾りなどは「宮総代」さんらのお仕事。

 

 一応、庭木の三分の一くらいの剪定が終わり、草刈りもあと少しを残すのみ。まぁ、草刈りはやろうと思えばこれの二倍くらいはあるのだが。

 

 一気にはできないので、二週間後くらいに弟と一緒に帰ってきて、乾いたこの草や枝を燃やしながら片付けたいもの。あ、二週間後といえば投票日か。来週の週末は予約なしか・・。その時期でもいいかな。弟の相談次第だ。 

 

 今夜の六時から宵宮だ。早めに夕食を済ませたいもの。

 

 今日の掲示板はこれ。「おほいなる ものの力にひかれゆく 吾が足あとのおぼつかなしや」というもので、九条武子さまのお歌である。武子さまは西本願寺第21代法主大谷光尊さまの次女で仏教婦人会の創設に参加したという。だからこの「大いなるもの」は仏に近い存在であるのは間違いない。そのほか、武子さまについてつぎのような記述がある。

 「侯爵家出身の銀行員、九条良致氏に嫁ぎ、夫とともにロンドンに随行したが、1年半で武子さまは帰国、夫はそのまま英国に残り、別居状態が十数年続いた。これには美貌・教養・家柄(大谷家は伯爵家)の誉れ高い武子さまに、良致氏がなじめなかったからではないかなど、夫婦不和の憶測もあったが、武子さまは離婚どころか浮いた言動一つとらず、良致氏の帰国をひたすら待ちつづけた。1920年末に良致氏が帰国し、夫婦同居が実現した。武子さまは関東大震災の復興に奔走し、築地本願寺の再建、負傷者・孤児の救援活動などさまざまな事業を推進した。その無理がたたり42歳の若さでお念仏のうちに往生した。2人の間に子供はなかったが、よき夫婦関係であったと伝えられている」好奇心をそそられる人間像が浮かぶ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


すすきの穂 いとしき人を 待つように

2017年10月06日 | 自然ありのままに

 丸亀地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雨が降っている気温は18.7度から19.3度、湿度は90%から94%、風は3mから6mの北東の風が一時は強かった。明日の7日は、前線や湿った空気の影響で明け方まで雨が降るらしい。その後は曇り、夕方からは高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 朝ドラが終わってから支度をして我が家を出た。まだ、雨は降ってはいなかった。

 

 途中のスーパーで飲み物や食材を買ってから、丸亀港に着いたのは10時半。トイレに行ったり、車を駐車場に置いたりしていると、すぐに11時になった。

 

 こんな日は乗客も少ないかなぁと思っていたが、時間になると、それでも20人ほどの乗客になった。

 

 丸亀港からしわく広島の江の浦に向かうのは、この高速艇のニュービサン。海上およそ20分。フェリーボートならば45分である。

 

 定刻に高速艇は丸亀港を出た。この頃から雨が激しく振り出してきたし、風も出た。

 

 我が家に着いたら、草ぼうぼう・・・。この前に来たのは5月の連休だった。4・5・6と奥方や弟、孫のはやて君らと弓道なんぞを楽しんだ。あれから5ヶ月かぁ・・・。

 

 安全対策上(危険物はこの高速艇には積み込めない)ダンボールに詰めて持ち込んだガソリンを軽トラに補充する。もう一個は草刈機用の混合ガソリン。

 

 この島にはガソリンスタンドは一軒のみ。それが多くはお休みか配達に出ていて留守がち。だから、予防のために、携行缶でガソリンを運び込んだりする。

 

 家に入ってみるとテレビがつかない。電灯もつかない。あれれ・・。分電盤を見てもONになっている。まさか、電気料金未納で電気を止められたのか・・。郵便受けを見ても、そのようなお知らせはない。再度、ブレーカースイッチをいれなおすと電気が通じた。

 

 しかしのかかし、冷蔵庫が止まったまんまだったから、冷凍庫からはいやなにおいがする。中にあったものをすべて廃棄した。たまにきたら、こんなことになる。

 

 昼食後に、早速、草刈をはじめた。まだ、この頃は雨は降っていない。できることから、こつこつと。しかしのかかし、草が硬いからか、思うように草が刈れない。

 

 おかしいなぁと、新しい替え刃と見比べたら、全部の刃のダイヤモンドチップが取れている。これでは切れるわけないじゃないか。ああ、どんくさっ。

 

 15時前に、ようやく、家の前だけ刈り払っておいた。で、家に入ったとたんに大粒の雨が・・・。そして本降りになってきた。

 

 今日の掲示板はこれ。「幸せそうな顔をしていれば 幸せになります」という荒良寛さんの言葉から。普段にはパソコンに向かって、むつかしい顔をして一日を過ごしているのだけれど、今回の思わぬ旅で、飲んで食べて、大声で話して、笑って・・・・。ずいぶんと顔の表情が変わった気がする。明日はまた、どんな旅になるのだろうか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


秋風が 吹いて山辺の 忘れ物

2017年10月05日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、気圧の谷の影響で曇り、湿った空気の入る夜は雨の降る所があるらしい。気温は16.3度から21.4度、湿度は74%から54%、風は3mから4mの東北東の風が少しばかり。明日の6日は、前線や湿った空気の影響で雨が降る見込みなのだとか。

 

 2017年の中秋の名月は10月4日であった。十五夜とも言われ、月見をするにはもっともよいと言われている。月見の習慣は古く、9世紀ごろに中国から伝来して以来、月を見て詩歌を詠んだり、祈りを捧げたり、月を愛でる風習が続いてきた。当然、中秋の名月=満月と思いがちだが、満月であることはまれで、たいてい1日か2日ずれている。一体、なぜ満月ではないのか。

 

 満月のようにも見えたけれど、暦によれば、「望」は6日の金曜日、3時40分であるとのこと。旧暦では、月の満ち欠けを基に暦をつくった。旧暦の1カ月は、月が地球の周りを1周する日数と同じで、つまり、新月が次第にふくらみ満月となり、やがて欠けてまた新月となっていく──。そのサイクルが約29.5日であることから、旧暦の1カ月は29日か30日と決められていた。月のサイクルは30日ぴったりで地球を一周するわけでないことや、月の軌道が楕円であることなどにより、実際の満月は1日か2日ずれることが多いのだという。今年の場合、実際の満月は10月6日。中秋の名月は満月一歩手前の月ということになる。

 

 ちなみに、似たような言葉に、「仲秋(ちゅうしゅう)」という言葉があるが、仲秋の候というのは「なかのあき」と読み、「季節の挨拶」の1つである。昔から使用されている言葉であり、仲秋の候ということで、「時候」や「季節」を示している。俳句にもよく使われることばで、秋は初秋・仲秋・晩秋と3つに分けることができる。仲秋は秋の丁度真ん中なので、秋の中頃という意味になる。また、「仲夏」や「仲冬」などとも使われている。

 

 さて、恒例の担当地区内パトロールをやっておいてから・・・。

 

 ホームセンターにやってきた。ここならば、交通整理用の赤白小旗がある筈だと踏んできた。

 

 案の定、ここにはたくさんの赤白小旗があったのだが、少しばかりお安い化繊のものだった。アイロンの熱で溶けたりはしないのだろうかと、赤白1本ずつ買ってきた。試験用である。

 

 ここでは、熱転写ではなくて、熱接着型のものを選んできた。このほうがきれいにできると思ったのだ。

 

 こちらは手間はかかるが、きれいなものができるような気がする。

 

 で、しっかりとできてきた。化繊でも溶けることもなくきれいにできた。

 

 次に、教育用のお話として、「地蔵和讃」をやっているのだが、こういうものを見つけてきた。これを、スキャナーで一個一個ごとにファイルに落として、それをパワポに取り込んでみた。それを、カラー印刷すると、A4サイズの紙芝居ができる。

 

 これをクリアーファイルに取り込むと、こうなった。これで、小学生や中学生に、いじめ防止や自殺防止のお話をする。

 

 先輩の前田さんは、スケッチブックにこうした絵を描いてお話するが、私はとても、こんな絵は無理だ。

 

  今日の掲示板はこれ。「ゆっくりだからこそ見えるもの えられるものも たっくさんあるよ」というもの。車で走ってしまえば何も見つけることはできないけれど、自分の足で、ゆっくりゆっくり歩いてみれば、思わぬものが見えて来る。あけびの実や落ちたクリの実や、思わぬものが見えてくることだってある。そんなものを、じっくりと見つめ続けてゆきたいものだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


秋ひとつ 暮れて明日が まだ見えぬ

2017年10月04日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は17.8度から22.3度、湿度は70%から54%、風は2mから4mの北東の風が少しばかり。明日の5日は、高気圧に覆われて晴れるが、気圧の谷や湿った空気の影響で昼前から曇り、夜は雨の降る所があるらしい。

 

 ようやくに秋らしい朝になった。あと一軒になっていた、赤い羽根共同募金のお願いに行って来て、この件は完了した。各種調査も終わっている。

 

 その足で、香川県立図書館に行って来た。ここのアキニレもわずかだが紅葉してハラハラと落ち葉が舞い散ってくる。

 

 で、いつものように五冊の本を返却して、また新たに五冊の本を借りてきた。もっと沢山の冊数を借りられるのだが、そんなに沢山の本を借りても読めないし重たいし。

 

 で、こういう郷土資料ばかりを借りてきた。

 

 こういう本が趣味的には会うている。民衆史や民俗史というものに興味がある。

 

 帰りに100円ショップでは「腕章」を買った。

 

 カラー印刷用紙に、こういうものを印刷して寸法通りに切って・・・。

 

 腕章ケースに差し込むと腕章ができあがる。大窪寺班は6名なので、6人分作ってOKとした。

 

 次に電気屋さんでは・・・

 

 こういう転写式のアイロンプリント用紙を買った。そのとき。ここにはっきりと「白生地用」と書いてあるのに気づかないでいた。

 

 その用紙に、左右逆転印刷をしてアイロンでプレスする。

 

 こうしてきれいな印刷ができた。ところが、これで赤旗に印刷したらとんでもないことになってしまったし、これの裏面にもプリントしたら、これまた、とんでもないことになってしまって、大失敗。

 

 今日の掲示板はこれ。「晴れた日と 雨の日があって ひとつの花が咲くように 悲しみも苦しみもあって 私の人生が深くなる」というもの。

  「悲しみの意味」

   冬があり夏があり
   昼と夜があり
   晴れた日と雨の日があって
   ひとつの花が咲くように

   悲しみも苦しみもあって
   私が私になっていく
                   星野富弘

 「雨はイヤだ。」と言う人もいれば「恵みの雨」と喜ぶ農家の方もいる。病気をしたからこそ健康のありがたさがわかったり、空腹だからこそ、一つのおにぎり が最高のご馳走だと感じたり、辛く悲しい思いをしたからこそ、人のここころの痛みに寄り添えたりするように、悲しみも苦しみもあって私が私になっていく。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


涼しさを 弥陀成仏と いただいて

2017年10月03日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は湿った空気や寒気の影響で曇り、夕方まで雨の降っていた。気温は21.7度から24.6度、湿度は94%から72%、風は1mから4mの北の風が少しばかり。明日の4日は、寒気の影響で朝まで曇るけれど、高気圧に覆われて昼前からは晴れる見込みらしい。

 

 今年は梅雨のまんまの一年になるのじゃないかと思うほどの雨とか曇りとかだったような気がする。こういう日は胸を圧迫されるようで息苦しくなってしまう。

 

 早くも火曜日がやってきた。月の初めの火曜日は「大窪寺ガイド班の勉強会」ということになったらしい。ま、行くところがない、することがない・・という退職者にとってはありがたいことかも知れない。「今日、用(教養)がある」、「今日、行く(教育)(所)がある」というのが、いいそうらしい。

 

 恒例の「俵札調査」のメンバーも集まって来る。毎週火曜日は「前山地区活性化センター」へ出勤日となっているのである。

 

 で、大窪寺班は、当面する行事の確認である。

 

 今月は下旬の27日に某観光会社主催のおへんろウォーキングがあるので、途中の丁石や遍路墓なんぞを観光ガイドと、大窪寺境内のガイドを頼まれている。ちゃんと、「へんろ路班」というのがあるのだが、いまだに機能していないのだそうで、大窪寺班に応援要請があったのだ。

 

 で、それまでに、この旗と・・・

 

 この腕章を幾つでもいいから作れ・・・というオーダーが入った。色などは一任するという。「お金は出すから・・」というのを聞いて安堵した。「そう、こなくっちゃ!」。

 

 で、戻ると、すぐに作業を開始した。

 

 試行錯誤しながらの旗屋さんである。

 

 これも、ぼけ防止になるかと、あれこれ試行錯誤ばかり。

 

 こういうものを、電気店で見かけたのだが、これだと「反転印刷」しないといけないらしい。今まで「反転印刷」という、裏返しの印刷なんぞしたことがない。

 

 いろいろなプリンターでやってみると、エプソンのものには「左右逆印刷」という機能があった。普通紙でやってみたら、裏返し印刷ができた。じゃぁ、これを使おうと思ったら、夕方になっていた。用紙を買いに行くのも、旗を買いに行くのも、腕章を買うのも明日にした。

 

  今日の掲示板はこれ。「もしこの時の苦しみを知ることがなかったなら 私は増長したままで どうしようもない人間になっていただろう」という稲尾和久さんの言葉から。「わずか21歳で「神様、仏様、稲尾様」と もてはやされたのですから、知らず知らずのうちに天狗の鼻は高くなっていったと思います。それをへし折り、野球ができることの喜び、させてもらえることへの感謝を教えてくれたのは、肩の故障でした。苦しんだ600日は、私にとっては人生最大の転機となったのです。」稲尾和久(プロ野球解説者)『致知』1998年12月号特集「人生の分岐点」より

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


あれこれと 思案ばかりの 神無月

2017年10月02日 | 観光ガイド的日常

 さぬき市地方は前線や湿った空気の影響で雨が降り、夕方からは雷を伴う所があるらしい。気温は20.3度から22.1度、湿度は77%から90%、風は1mから3mの東南東の風がすこしばかり。明日の3日は、寒気の影響で曇り、雨の降る所がある見込みらしい。

 

 今日は終日、雨ばかりだった。渇水時期には雨が欲しくてたまらなかったが、今の時期に雨はうれしくはない。

 

 さて、昨日から赤い羽根共同募金が始まっている。で、私たちには「法人訪問」というお仕事があるらしい。ま、こんな、「ど」が付く田舎のことだから、「法人」というような法人は少ない。

 

 だから、私の担当は、四法人だけ。それでも、「あ、店長は出ていますので・・」とかで、半分の二軒しかご寄付をいただけなかった。また、明日の訪問にする。

 

 それでは・・・ということで、こんなものを買ってきた。これで、何をするかと言えば・・・。

 

 まずは、古い詩集の補修作業用の製本テープ。若い頃の詩集である。山の家のゴミの中から探し出してきた物。

 

 つぎに色上質紙にこんなものを印刷して・・・。

 

 100円ショップで買ってきた腕章に差し込んでみた。

 

 この赤白の旗が見つからずに、6店舗のホームセンターを回ってきた。案外と、こんなものは売っていないのだ。

 

 インクジェットプリンターで印刷した物をアイロンで接着するというもの。熱転写とばかり思っていたら、熱接着なのだという。少しばかり以外だった。

 

 アイロンで数秒でぴっしゃりと接着したが、これでは面白くない。あんまりとヒラヒラとしないのだ。要研究だな。

 

 ものはついでだ・・ということで、A4版ファイルにも和紙で表紙飾りをつけてみた。なんか、ガイドアイテムが増えてきたぞ。

 

  今日の掲示板はこれ。「人は もう戻れない昨日と まだ知らない明日の間に生きている」というもの。これまた、どこの誰の言葉かはわからない。私たちは、昨日という過ぎ去ってしまった昨日と、まだやってこない明日という、まだ知らない世界の間に生きている。と言うことは、昨日のことは考えても仕方がないしどうしようもない。そしてまた、掴みようのない明日という日を、あれこれ考えても仕方がないということになる。それでも、私たちは昨日のことをあれこれと考え続け、明日のことをあれこれと思案してみたくなるのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


ツイッター

<script type="text/javascript" src="//platform.twitter.com/widgets.js"></script>