まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

しくじりを ほらコスモスに わらわれた

2017年10月01日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、気圧の谷や湿った空気の影響で、昼過ぎから曇ってきた。気温は16.4度から25.7度、湿度は88%から50%、風は1mから4mの東の風が少しばかり。明日の2日は、前線や湿った空気の影響で雨が降る見込みらしい。

 

 今日から10月。と、言われても何の感慨もないし、何の感想もない。今日の予定は全くない。

 

 そこで、昨日、おへんろつかさの会長から頂いた宿題のイベントを、公式ホームページに更新をしておいた。

 

 昼食後、町内の「富田神社」に行ってみた。昨日、今日が「秋の例大祭」だということだった。12時過ぎに行ったのだが、こんなものだ。我が大川町の人口は、2,300世帯、5,700人余り。過疎と高齢化の町になった。

 

 露店も数えるほどになってしまった。

 

 それでも、こうした獅子舞の連中は元気だ。衣装も整備されているし、サポートする連中もユニフォームの統一ができている。そうした面では派手になってきているよう。文化の継承という点では、「なんたら保存会」ということで継承が、まだまだできているみたい。

 

 13時から拝殿で神事が行われた。一連の神事の後、中学生あたりの巫女さんによる「浦安の舞」の奉納があって、いよいよ、お神輿の御幸式がはじまる。

 

 例年、自治会長になると、この時期が辛い。三年に一度、こうしたお役目が当たるのである。誰も手を挙げるものがいないと、自治会長が引き受けることになってしまうのだ。うちの自治会長は、4年に一度、交代する。で、3年に一度、こうした、太鼓係とか、御輿守などが当たる。まさに、秋祭りは大変なのだ。

 

 続いて、小学生のような鉄砲隊が続く。この子供たちは毎年交代するので、しばらくは安泰だろう。

 

 奴さんたちの後に、「みたま」が降りてくる。この白い幕の中に、みたまを抱いた宮司さんがいる。少し前までは、お神輿に乗せて降りたものだが、今は危険で降りられないということで、御輿守になる人がいなくなったのだ。もう、重い材木や米俵なんぞを運ばなくなったので、重い荷物をかつぐ習慣がなくなってしまったということ。

 

 階段の下には、台車に乗せたお神輿が待機している。ここに「みたま」を移して、8人の御輿守が引いていくという訳。私らが子供の頃には、もっと大きなお神輿が三台もあった。時代の趨勢だなぁと思う。

 

 さらにである。「おいおい、それはないだろう・・」という声が吹き出した、この台車。太鼓までもが台車で運ばれることになった。こういう状況では、いつまでおまつりが続けられるのだろうか・・・という気になった。

 

 でもでも、若者たちは元気だ。人は変わり続けていくけれど、伝統文化はしっかりと継承されていくように思った。

 

 こうして、秋祭りのクライマックスがやってくるのだった。

 

  今日の掲示板はこれ。「ときにしくじりながら 一日いちにちの 味ふかくなる」というもの。榎本栄一さんのことばである。「結果が全て」とは、勝負事などでよく聞く言葉だ。何事も勝者が賞賛されればされるほど、敗者の存在は希薄になり、そのまま「優/劣」や「幸/不幸」とそれぞれの印象を強くしていく。「負ける=劣る」という価値観は、周りにも自分にも、完璧であることを求め、失敗は劣る事だとプレッシャーをかける。そんな環境では「失敗は成功の母」という言葉も空しく響くだけかも知れない。失敗が大きいほど後悔や孤独を強く感じ、苦しみや悩みも深くなる。しかしそこには、悩めば悩むほど、単なる反省ではなく、自分自身を問うということが始まる。当の本人には気づけないが、失敗して味わう苦悩や問いこそが、その人を味わい深い人間へと育てているのだという。

 

じゃぁ、また、明日、会えたら、いいね。


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