ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

三重県いなべ市、大安町丹生川上「鴨神社のクスノキ」です!!

2025-02-11 20:53:30 | 巨樹・大木
 大安町丹生川上地区は、いなべ市役所の南約5km、いなべ市役所大安支所の北西約4kmのところ

 いなべ市役所大安支所を北東側へ出て、丁字路を左(北西)へ

 約1.3kmで「石榑東」信号を右(北東)へ、県道140号線です

 両ヶ池の中を通って約1.6kmで「JAみえきたいなべ総合センター」の手前に「⇐鴨神社」の案内板がありますので、左(西)へ

 約1.8kmで「鴨神社」境内前に出ました、 鴨神社は東南東向きに鎮座します

 「延喜式内 郷社 鴨神社」社號標です

 掲示板の中に説明書きです
   延喜式内 鴨神社  いなべ市大安町丹生川上字街道429番地鎮座
 御祭神 鴨別雷神・玉依姫命
 相殿  伊邪那岐命・伊邪那美命・誉田別命を祀る
 合祀  明治41年(1908)9月20日次の諸社を合祀した
      稲荷社  (宇迦之御魂命)宇野田鎮座     野田城主勧請
      源太神社 (須佐之男命)  宇野田鎮座     牛頭天王社とも言う
      高岡神社 (市寸島姫命)  上村正法寺山麓鎮座  弁財天社とも言う 
      神明社  (天照大御神)  丹生川中鎮座
      走井社  (火産霊神)   丹生川上・丹生川中の二社
      八天社  (火産霊神)   丹生川久下鎮座
      山神社  (大山祇神)   丹生川上二社・丹生川中一社・久下二社の計五社
      天満宮  (菅原道真)   丹生川久下鎮座
   由緒
 創始年代不詳であるが、延喜式神名帳に伊勢国253座、員弁郡10座の社にして「大安寺伽藍縁記流資財帳並に式内神社撿録」に、天武天皇2年(673年)に朝廷から大安寺へ寄進された墾田の中に、鴨神社の名が記されていることから(平成29年より遡り)1344年前の此地に鎮座せし事明らかなり。
 建治元年(1275年)7月20日神階従二位を宣下。明治6年3月郷社に指定される。
   祭儀
 屋奉(やほ 夜火、野火)松明祭り
 この神事は鴨神社創建のとき、京都から御神宝を迎えたときの模様をかたどって始められ、10月20日の大祭(現在は3年に一度、20日に近い土曜日)の夜に行われ、勇壮で厳粛な神事である。
 神社境内屋形収納庫の絵巻は、平成27年・28年の夏休みに、いなべ総合学園美術部の教師・生徒の皆さんに暑い中で描いて頂いたものです。
 また、屋奉松明等の文字は同学園書道部の皆さんの揮毫を写したものです。
 絵巻は社殿側から、屋奉ふり、七度半の使い、大松明による鳥居奉焼、神事を締めくくる飛角力が描かれています。
   伝承
 鳥居南の楠の大木(幹回り約6m、樹齢約500年)は、天正2年頃(1574年)織田勢が北勢地域に侵入したおり、信長が馬を繋いだと伝わっています。
      平成29年9月(皇紀2677年・西暦2017年)

 鳥居の左手(南南西側)に目的の「鴨神社のクスノキ」です

 北東側から

 東側から、目通り幹囲6.6mの巨木です

 南側から見上げました

 境内に入ると右手に手水舎です

 境内北側には、説明版にあったいなべ総合学園の先生や生徒さんたちが描いた神事の様子の、大きな屋形収納庫が並んでいます

 境内中央には土俵の様に盛り土がしてありますので、神事の「飛角力」が行われるのでしょう

 拝殿です

 拝殿前南側にもクスノキの大木です

 本殿の屋根が見えました

 境内社です

 赤い鳥居の境内社は稲荷社のようです
 
 では、次へ行きましょう



 2025・1・24・15・10
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三重県いなべ市、北勢町東貝野「宝林寺のコウヨウザン」です!!

2025-02-11 06:44:39 | 巨樹・大木
 北勢町東貝野地区は、いなべ市役所の北東約4km、いなべ市役所北勢庁舎でも北東約3.5kmのところです

 いなべ市北勢庁舎南西側の「北勢庁舎前」信号を、南東へ、約300mで次の「東貝野口」信号を鋭角に左(北北東)へ、県道608号線です
 
 道成りに約3.5kmで建小津は左へそれますが、直進します

 約300mで前方に「宝林寺のコウヨウザン」の特徴的な姿が見えてきました

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 「宝林寺」寺号標です

 「悟入山 宝林寺」本堂です

 *いなべ観光協会のホームページには・・・
 永仁3年(1295)に不動明王を祀ったのが始まりで、延徳3年(1491)に上木城主(あげきじょうしゅ)片山大和守が、阿下喜の見性寺を菩提寺として以来、両寺の関係は深く、片山氏の祈願所であった。
 万治3年(1660)虎巌宗仇が見性寺に来住してから禅宗となる。(臨済宗妙心寺派の宝林禅寺とも呼ばれる禅寺です。)

 南側道路から

 南西側から、目通り幹囲4.3mの大木です

 *三重県のホームページには、「コウヨウザンとはスギ科の樹木で、中国南部、台湾、インドシナが原産。日本語で「広葉杉」と書く。
 大正5年には、この子苗が明治神宮に献木されたという。
 1988年の環境庁の調査では、コウヨウザンとしては、これが全国一位の太さであると報告されている。
 樹高36m・胸高周囲4.26m」とあります。
 *人里の巨木たちの樹種別一覧では、1 大神神社の広葉杉5.6m(栃木県栃木市)・2 永泉寺のコウヨウザン4.5m( 福島県須賀川市・県指定)・3 龍性院のコウヨウザン4.4m( 三重県名張市)に次ぐ第4位です。(環境省巨樹データベース2000年調査数値)


 南側から見上げました

 南東側から

 南西側道路から見ました

 では、次へ行きましょう

 

2025・1・24・14・50

 
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三重県いなべ市、北勢町南中津原「南中津原のカヤ」(市指定)です!!

2025-02-10 18:36:37 | 巨樹・大木
 北勢町南中津原地区は、いなべ市役所の東約4km、いなべ市役所北勢庁舎の東北東約2.5kmのところ

 いなべ市役所北勢庁舎南西側の「北勢庁舎前」信号から南東へ、県道5号線です

 約1.1kmで斜め左上への道路へ、立体交差の道路を左(北東)へ

 約800mで斜め右(東)へ、「南中津原・北中津原」方面へ

 約1.4kmの「南中津原」バス停の所を左(北北西)へ

 間も無く左前方にカヤの樹冠が見えました

 周囲を一周しましたが、個人宅の庭に立っていますので、南東側の田圃の中の道路脇から撮影させて頂きました

 ズームアップで

  少し西側から

 ズームアップで

 *いなべ市のホームページには「三重県内では、伊賀市島ヶ原中村の西念寺のカヤに次ぐ幹囲を有する大カヤです」とありました。

 では、次へ行きましょう



 2025・1・24・14・40
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三重県桑名市、多度町美鹿「大杉神社の美鹿の神明杉」(県指定)です!!

2025-02-10 06:42:06 | 巨樹・大木
 多度町美鹿地区は、桑名市役所の北西約15km、桑名市多度地区市民センターの西北西約6kmのところ

 桑名市多度地区市民センター南側の県道26号四日市多度線を西へ進みます

 約1kmで県道5号北勢多度線に変わって更に道成りに進みます

 約3.2kmで「⇐県道5号線・いなべ5km」の標識の先の肱江川の橋を渡って右(北)へ

 約500mでまた肱江川を左岸側へ渡り返して川沿いを進みます

 住宅地の中の細い道を道成りに約500mで

 大杉神社が見えて来ます

 大杉神社境内前に出ました

 駐車場は無いので、境内西側の坂道を進んで約100mの林道脇に車を止めさせて頂きました

 「垂仁天皇(第11代)14年9月美勤の宮 大杉神社」の社號標です、正面には「祭神 天照皇大神」と彫られています

 鳥居脇に昭和18年4月22日指定「三重県指定 天然記念物 美鹿の神明杉」の標柱です

 手水舎です

 拝殿です

 大杉神社の由緒石碑です
   大杉神社由緒
 倭の笠縫邑より伊勢国伊須々川上に御遷幸の際、皇女倭姫命皇太神を御奉載あらせられ、垂仁天皇14年9月当地に御遷幸あらせ給い、御遷幸地に神殿祭神天照皇太神、境内に神木神明杉美勒村は伊勢大神宮の領地   内旧字此の方に伊勢田有り、其の田 今米を大神宮に奉納せしとある。
 *一部読めない所が有りました

 拝殿前(南東側)から神明杉の樹冠を見上げました

 南側から

 説明版です
   三重県指定天然記念物
     美鹿(びろく)の神明杉
       昭和18年4月22日指定
     樹高   約30m
     株回り    9m
     幹回り  6.5m(地上1.5m)
     樹齢   860年(推定)
     分岐枝幹回り 東4.52m
            西3.40m (昭和18年3月7日調査)
 右は、このスギが三重県天然記念物として指定されたころの樹勢である。
 その時からすでに50年が経過しているから、更に生育しているはずである。
 境内には、他に15m以上のスギが6本、「神明杉」にお東隣と北側にhあ20mを越えるクスノキと3本のコジイが生えている。 
 そのほかには、サカキ・イロハカエデ・ケヤキ・イヌマキ等が育ち、社寺林を形成している。
 これは、当町内では柚井の宇賀神社と共に良質な社叢ということができる。
            桑名市教育委員会

 大きな「美鹿之神明杉」の石碑です

 南東側から

 西側から

 本殿を見る事が出来ました

 北西側から見上げました

 では、次へ行きましょう

 


 2025・1・24・14・20
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三重県桑名市、多度町下野代「野志里神社のクスノキ」です!!

2025-02-09 18:51:42 | 巨樹・大木
 多度町下野代地区は、桑名市役所の北北西約8kmのところ

 桑名市役所南側の道路を東へ、直ぐの国道1号線を北へ
 
 約1,7kmの「宮前町」信号で「⇐東員・県道142号線」の標識に従って左(西北西)へ、直ぐの「宮前西」信号を右(北北西)へ

 約800mの一時停止で右(北北西)へ、美濃街道です、約1.1kmの「「桑名東インター入口」信号で右(北)へ、国道258号線です

 約3.9kmの「下野代北」信号を左(西)へ

 約400mの交差点北西側に「下野代区集会所」があります

 野志里神社南側の「下野代区集会所」前に車を止めさせて頂きました

 東向きに鎮座する参道に目的の「野志里神社のクスノキ」は、北へ向かう道路右脇です(南西側から)

 西側から

 「伊勢神宮御旧跡野代の宮」の標石です

 野志里神社の説明版です
   野志里神社
 野志里神社は延喜式(905年編さんの書物)に名を列ねる古社で、皇太神宮御遷座の旧跡です。
 「倭姫命世紀(やまとひめのみことのせいき)」という古典によると、垂仁天皇は、皇女倭姫命を御杖代(みつえしろ)と定められ、姫は天照大神(あまてらすおおみかみ)の御神霊と御神璽を(ごしんじ)をお持ちになり、新たに清浄な御鎮座の土地を求めて、大和の笠縫邑(かさぬいむら)を離れられた。
 この後、伊賀・近江・美濃・尾張などの各地を御巡幸、この伊勢国の野代の里に御遷幸されたと伝えられています。
 その旧跡が、この野志里神社だといわれていますが、その時代にはもう少し川寄りであったと考えられます。
 さて、ここにお祀りして4年、宇治の土公の祖(おや)、太田命(おおたのみこと)が地相を占い、「五十鈴の川上に霊地があります。御先導申し上げます。」と奏(そう)し、姫はこれを聞き入れ、現在の伊勢市宇治に御到着になり、ここに御神域と御神殿を整え、皇太神宮として奉祀(ほうし)することになりました。
 こののち、大鹿島命(おおかしまのみこと)が主祭神となり、倭姫命は斎宮となられて、奉仕されるようになりました。
             桑名市教育委員会

 北西側から

 北側から、目通り幹囲5.5mの巨木です

 東側から見ました

 野志里神社へお参りしましょう

 右手に尾社務所前に由緒石碑です
   由緒
 野志里神社は、天照皇大神遷座の御奮蹟にして人皇10祟神天皇6年皇女豊鋤入姫命(とよすきいりひめのみこと)を御杖代となし、皇大神を大和国笠縫邑に奉斎し給ふ。
 33年の後諸国巡幸大宮所を覚めさせ給いしが、斯くて垂仁天皇14年9月1日皇女倭姫命(やまとひめのみこと)、大神を奉載して伊勢国桑名野代の宮に遷幸奉斎、4年爾後伊勢国各地を経させられ、同天皇26年伊須々河上に御遷幸大宮所を奠め給ふ。今の内宮即ち是なり。
 仍て当社を野代の大宮と稱へ奉る
    神祇百首  「菫菜生ふ 聖代の宮の ある里とす 橋人なしに 弥つる春ら仍」でしょうか

 手水舎です

 ウナギとナマズの描かれた説明版です
   野志里神社(のじりじんじゃ)
 この神社は約2030年前、倭姫(やまとひめ)が天照大神を永遠にお祀りする地を求めて各地を旅されました。
 その時、天照大神をお祀りした旧跡です。
 お祀りしている間、人々は倭姫命から、農業、織物、治水など色々な事を学びました。
 そして4年が経った時、もっと良い地を求めて伊勢へ旅たたれました。そこが今の伊勢神宮です。
 野志里神社は天照大神を一時的にお祀りしましたので元伊勢とも呼ばれます。
           のしろおたから発見隊

 拝殿は塚の上です

 説明版です
   千人塚由来
 1、元亀2年(1571年)織田信長、長島一揆勢に敗北双方の戦死者が葬られた。
 2、天正2年(1574年)織田軍に敗れ、壊滅した長島一揆勢の戦死者が多数葬られた。
 3、慶長5年(1600年)関ヶ原の合戦に敗れた西軍の一部が当地に逃走、その時の戦死者が葬られた。
      供養 毎年8月15日

 拝殿です

 本殿屋根が見えました

 では、次へ行きましょう





 2025・1・24・13・45
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愛知県愛西市、東保町宮越「東保八幡社クロマツ」(市指定)です!!

2025-02-09 07:07:42 | 巨樹・大木
 東保町宮越地区は、愛西市役所の南西約1.5kmのところ

 愛西市役所北側の道路を西へ、直ぐの「愛西市中央図書館」手前横断歩道のある交差点を左(南)へ

 約1.3kmの一時停止の丁字路を右(西北西)へ、間も無く

 東向きに鎮座する「東保八幡社」が見えて来ます

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 境内入口鳥居です

 「八幡神社」社號標です

 境内右手に目的のクロマツです

 南側から

 説明版です
   天然記念物
     東保八幡社クロマツ
 東保八幡社クロマツの推定樹齢は、250年といわれ、江戸時代中期のものと思われます。
 このクロマツには複数のヤドリの着生も確認でき、学術的には珍しいと言われています。
              愛西市教育委員会

 南西側から

 西側から、目通り幹囲は3m程の大木です

 北側の道路から見上げました

 社殿に向かいます

 手水舎です

 拝殿です


 本殿です

 社殿南側には「東保招魂社」です

 昭和51年10月に建てられて招魂碑の裏面には、25名の戦没者名が並んでいます

 では、次へ行きましょう



 2025・1・14・13・10
 
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愛知県弥富市、西蜆1丁目「山神社の二つお宮の松」は伐られてしまいました!!

2025-02-08 18:37:05 | 文化財・樹木
 西蜆1丁目は、弥富市役所の東約6kmのところ

 弥富市役所南東側の「弥富市役所前」信号を南西へ、約400mの「前ヶ須新田」信号を左(東)へ、県道104号線です

 道成に約3.2kmの「こどもの国北」信号を左(東)へ、県道106です

 約2.4kmの「神戸新田」信号を左(北北東)へ、宝川を渡ります

 約200mの「東蜆」信号の手前交差点を左(西)へ、(旧東海道)です

 約200mで右手に「山神社」が南向きに鎮座します

 左手には「神明社」が東向きに鎮座していますので、前の旧東海道は狭いため、北側の道路脇に車を移動して止めさせて頂きました

 「山神社」社號標です

 水盤です

 拝殿です

 本殿覆い屋です

 目的のマツは伐られてしまっています

 オガクズがまだ新しいです
 *境内に建てられていた説明版も見当たりませでした
 「   弥富市指定文化財 天然記念物
      二つお宮の松
 正保4(1647)年以降、東蜆を含む十四山地区の北部の村々が新田開発され、安全平穏と五穀豊穣を祈願し、各村々には神社が勧請された。
 昭和34年の伊勢湾台風で壊滅的な被害を受けた当地域では、多くの樹木が枯死したが、山神社のこの老松は奇跡的に生き残こった。
 山神社は承応3(1654)年の勧請と伝えられ、この松もその頃の植樹と考えられる。
 現在、樹高は16m、根回り3.3m、目通り約1.9mに及び「二つお宮の松」として多くの住民に親しまれている。
    平成11年12月6日指定(十四山村指定第5号)
           弥富市教育委員会      」
 と、なっていました

 伐られたばかりのようでした

 北側の境内社です、脇のサクラも伐られてしまっていました、残念です

 では、次へ行きましょう





 2025・1・24・12・10
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愛知県弥富市、平島町西新田「おみよし松」(市指定)です!!

2025-02-08 06:45:03 | 巨樹・大木
 平島町西新田地区は、弥富市役所の東南東約1kmのところ

 弥富市役所南東側の「弥富市役所前」信号を西南西へ、約400mの「前ヶ須新田」信号を左(東)へ、県道104号線です

 道成りに約1kmで「ひまわり会館弥富」手間を右(南)へ入ります

 奥へ進むと「弥富市立日の出小学校」校庭東側の広い駐車場に入りました

 駐車場の東側に目的の「おみよし松」が見えました

 おみよし松は築山の上です、北側から

 「天然記念物 おみよし松」の石碑です

 左下のプレートには、平成18年(2006)4月1日に、海部郡弥富町が十四山村を編入合併して市制施行し、弥富市となったことが記されています。

 説明版です
   弥富市指定文化財 天然記念物
     おみよし松   平島町西新田
 この松は、正保3(1646)年の平島新田開拓のころに植えられたと伝わるクロマツである。 
 名前の由来は、すぐ南を流れる筏川の岸に、津島神社の天王祭の御葭(みよし:筏状に組んだヨシ)が流れ着いたを記念して名付られたものと考えられている。
 当時の筏川は木曽川の支流で、津島の天王川からは佐屋川、木曽川を経てつながっていた。
 ここより少し下流の六條新田(弥富市六條)でも御葭の漂着を記念して津島社が勧請されている。
 かつてはこの兄弟松が平島町地内にあったが、今は枯れて昔話に聞くだけとなった。
 昭和33年、ここに弥富中学校が建設され、この松は長い間校庭にあったため、生徒たちにも親しまれ多くの卒業生を送り出してきた。
 平成20年1月に中学校は移転したが、新しい中学校にはおみよし松の子孫が植えられている。
 現在の樹高は21m、幹周りは5.25mに及んでいる。
      昭和51年12月10日     弥富市教育委員会

 東側から

 近付いて見上げました

 南東側から

 築山に上がって、北東側から
 
 西側から

 南西側から見上げました

 北向に「水雉の碑」伊勢湾台風水難の碑があります

 裏側の銘板です・・・
 昭和34年9月26日夜襲来した伊勢湾台風は、沿岸の堤防を破壊し数千名の人命と巨億の財貨とを奪い、この地方一帯を約2ヶ月の長期にわたり泥湖の状態となし、未曾有の災害をもたらした。
 この地方は海抜0mの低地であり、治水は堤防が唯一の頼みである。 
 当時の水深を碑面に標し永く子孫に伝え、再びかかる惨禍を繰り返さぬよう。
 国際ロータリー他クラブよりの義援金を基として是を建立したものである。
      昭和34年12月     国際ロータリー津島クラブ

 *碑の下側の横線が、10月4日、19日及び11月3日の満潮時の水位標示の様です

 台座下側に「四つのテスト」のプレートです、国際ロータリークラブの言行の指針だそうです
   ・・・言行はこれに照らしてから・・・
  1⃣ 真実か どうか
  2⃣ みんなに公平か
  3⃣ 好意と友情を深めるか
  4⃣ みんなのためになるか どうか


 では、次へ行きましょう


 

 2025・1・24・12・30
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愛知県弥富市、前ケ須町小前ケ須「須盞之男社のイチョウ」です!!

2025-02-07 18:42:54 | 巨樹・大木
 弥富市は愛知県西端の市です、木曽川が県境になっていて、木曽川の直ぐ西側は三重県桑名市です、桑名市がわに成りますが、木曽川と長良川の中州状のところは「輪中」といって、大きな堤防に囲まれた低地です。

 前ケ須町小前ケ須地区は、弥富市役所の南約500mのところ

 弥富市役所南東側の「弥富市役所前」信号を西南西へ、約400mの「前ヶ須新田」信号を左(東)へ、県道104号線です

 間も無く左手(北側)に幹の途中で切られた大きなイチョウの幹が目に入ります

 須盞之男社が南向きに鎮座します

 道路南側の山車倉庫前に参拝者用駐車場が有りますので利用させて頂きました

 「須盞之男社」の社號標です、写真の上の部分が切れてしまいました

 西側から、切られた幹の上には鉄の輪が付けられています

 離れて見ました

 南側から、幹はボロボロ、枝は丸刈りにされていますが、黄色の葉が残っています

 東側から、目通り幹囲5.0mの巨木です

 境内に入って北東側から

 拝殿です
 
 *素盞之男社の創建は、平安時代初期と伝えられています。当時は、前ケ須村の鎮守社として祀られていました。その後、江戸時代には、素盞之男社は、五穀豊穣や厄除けの神様として、広く信仰されるようになりました。
 *素盞之男社のご利益は、五穀豊穣や厄除けです。素盞之男命は、日本神話に登場する神様で、ヤマタノオロチを退治した英雄として知られています。また、素盞之男命は、農業や漁業、航海の神様としても信仰されています。

 社殿東側の境内社は「尾張天満宮」です

 尾張天満宮の裏側(北側)にもイチョウの大木です

 見上げてみると、切られてしまった枝の跡から緑色の芽が吹き出しています

 本殿です

 では、次へ行きましょう




 2025・1・24・12・50
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愛知県東海市、荒尾町仏供田「観音寺の大樟」(市指定)です!!

2025-02-07 06:41:48 | 巨樹・大木
 荒尾町仏供田地区は、東海市役所の北約2kmのところ

 東海市役所を西へ出て「東海市役所前」信号を右(北北東)へ、名和養父線です

 約1.5kmの「二本木」信号を左(北西)へ

 約200mの変形十字路の交差点に観音寺の参道が西側から出ています

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 「細井平洲先生遺跡 新四国八十六番霊場 潮音閣 觀音寺」の寺号標です

 坂道を上っていくと大きな樹冠が見えます

 お地蔵様です

 南側から目的のクスノキを見上げました

 南西側から

 根元にはユキツバキです

 椿の説明版です
   師弟椿(ユキツバキ)
 細井平洲先生は69歳のとき、米沢藩主であった上杉鷹山公の招きによって米沢(出羽国、現在の山形県)を訪れました。
 そのとき、出迎え場所であった米沢関根・普門院の境内に椿を植えられ、今も青々と育っています。
 この椿は、普門院の故高橋有長ご住職が持参された枝を、荒尾町の坂野夫婦が挿し木して育てたものです。
 平洲先生と鷹山公の功績を末永く後世に伝えるため、ここに「師弟椿」を植樹するものです。
          東海市教育委員会

 参道石段を上ります

 右手に手水舎です
 
 その北側に鐘楼です

 観音寺の説明版です
   平洲の歴史を感じる散策路
      観音寺
   観音寺と細井平洲
 伊勢湾に面する丘陵の上にあり、古くから風光明媚な名勝地として有名でした。
 江戸時代に描かれ、尾張国中の名所を紹介した尾張名所図会にも描かれていいます。
 細井平洲が幼少時代に通った寺子屋が観音寺で、義観和尚と出会ったことは、後に平洲が名古屋へ出て学び、学者を志すきっかけとなる重要な出来事でした。
 境内には平洲が登って遊んだといわれる松の木もありましたが、空襲で燃えてしまい、現在はその子孫の松が植えられています。
 毎年8月10日の夜半には提灯まつりが行われ、沢山の提灯を灯した竹が献灯されます。
 お参りの後には、無病息災を願って提灯が奪い合うようにして取られていきます。
   観音寺文化財
     種観音立像(市指定文化財)
 鎌倉時代の作とされ、市内に残る仏像では古い段階に位置づけられています。
   如来山
 観音寺の南側、加家の切り通しを挟んだ南側にはかつて如来山という山がありました。
 現在は削られて低くなっていますが、伊勢湾を見下ろす風光明媚な場所でした。
 平洲は幼いころから如来山で遊び、学者として大成してからも「如来山人」という号を名乗るほど愛していました。
             東海市教育委員会
 左の小さな説明版には
   観音寺
 郷土の偉人細井平洲先生は、8歳(享保20年・1735年)から10歳(元文2年・1737年)にかけて、この寺子屋の義観和尚について教えを受けました。

 北東側から

 北側から、根元から大きな幹と小さな幹に分れています

 文化財説明版です
   観音寺  
    市指定文化財第7号(彫刻)
     聖観音立像
 ひのきの一本造り、像高 171cm、鎌倉時代の作。
 宝冠、瓔珞は江戸時代の作。
    市指定文化財15号(天然記念物)
     大樟
 高さ 約23m、幹回り 約10m、枝張り 南北約31m、東西約30m。
 根元に白竜照玉だいみょうじん)が祭られる。
     東海市教育委員会    東海市文化財標示板第8号

 保存樹標識です 

 北西側から見上げました


 観音寺観音堂です

 東側には本四国八十八霊場の「御砂踏」です

 境内西端にはは、三代目となる「草紙掛け松」です
 昔、平洲が寺子屋にいたとき、寺僧が松の下に通りかかると、頭上の枝に平洲がまたがって遊んでいた。
 そのとき、「これ、頭の上に足をたらすとは無礼だぞ」としかった。
 すると平洲は、「足ばかりじゃないぞ。今に学問だって、先生なんかに負けないよ」と、やり返したという。
 そういった逸話のある松の三代目、当所の松は空襲で燃えてしまった。
           東海市平洲会

 では、次へ来ましょう





 2025・1・24・11・00
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愛知県東海市、大田町上浜田「大宮神社の大田の大樟」(市指定)です!!

2025-02-06 18:34:13 | 巨樹・大木
 大田町上浜田地区は、東海市役所の北西約1kmのところ

 東海市役所南側の道路を西へ出て、「東海市役所前」信号を左(南西)へ

 次の「寺下」信号を右(北西)へ、大田川沿いの県道243号線です

 二つ目の「大田橋北」を信号を過ぎた約500mで右手に「大宮神社」の参道が南西向きに出ています

 参道の先を右に入ると大宮神社の駐車場です

 参道へ下りると「(村社) 大宮神社」の社號標です

 一ノ鳥居です

 ニノ鳥居です、すぐ先に大きな幹が見えました

 目的の「大田の大樟」を南西側から見上げました

 説明版です
   大田の大樟  市指定文化財第3号(天然記念物)
 樟はクスノキ科の常緑高木で、暖地に成育し、木全体に芳香を有する。
 この樟は、幹囲約10m、枝張り東西約22m、南北約24m、高さ約12mである。
 本幹はに大きな空洞があり、洞窟に祠があって「楠王大龍神」が祭ってある。
 樹齢は、800年とも、1000年とも伝えられている。
 樟は、昭和45年(1970)に「市の木」に選定された。
        東海市教育委員会    東海市文化財標示板第35号
 *このクスノキは、大宮神社の創建よりはるかに古いといわれ、大昔はこのあたりは小さな島で、嵐にあってここに流れついた人が、小さなクスノキにすがりついて助かりました。
 この人こそクスノキのほこらにまつられている「楠王大竜神」であり、このときの小さなクスノキが、今の大クスノキであるという言い伝えがあります。(東海市観光ホームページ一部抜粋)

 保存樹標識も有ります

 南側から、二本の大楠が一本に繋がったといわれます

 南東側から、真ん中に隙間が開いていますね

 北東側から

 北西側から

境内西側の建物は山車の倉庫です

 説明版です
   荒古組山車  市指定文化財第26号(有形民俗文化財)
 大幕は猩々緋、水引幕は全面に花の模様の縫いである。
 人形は唐子二人が蓮台を廻すと、もう一人の唐子がせり上ってきて、逆立ちして鉦を叩くみのである。
   天明2年(1782)の建造、長さ約5.2m、幅約2.3m、高さ約6.2m。
           東海市教育委員会  東海市文化財標示板第22号
 *大宮神社では、毎年10月の第1日曜日とその前日に、例祭として「大田まつり」が行われます。
  大宮神社に、荒古組・黒口組・市場組・里組の4台の山車が集まり、回転の優美さを競う「どんでん」や、山車を飾る「からくり人形」の演技も見どころのひとつです。(東海市観光協会ホームページから)

 手水舎です

 鉄筋コンクリート製の拝殿です

 本殿覆い屋です
 *御祭神  天照皇大御神 ( あまてらすおおみかみ )・日本武尊( やまとたけるのみこと )・建稲種命( たけいなたねのみこと )・素戔男命( すさのおのみこと )・宮簀媛命( みやすひめのみこと )・天忍穂耳命( あめのおしほみみのみこと )の六柱です


 本殿東側の境内社の「御嶽社」です

 「八劔社」です

 更に東側の二社はお名前が分かりませんでした

 では、次へ行きましょう




 2025・1・24・10・40
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愛知県知多市、八幡観音脇「栖光院のクスノキ」(保存樹)です!!

2025-02-06 06:33:46 | 巨樹・大木
 八幡観音脇地区は、知多市役所の名鉄常滑線を越えたすぐ東側です

 知多市役所南東側の道路を南西へ、直ぐの「知多市役所南」信号を左(南東)へ、名鉄常滑線の高架を潜ります

 また次の「知多市役所東」信号を左(北東)へ、国道155号線です

 また約150mで右(南東)、坂道を上って行きます

 約300mで左(北東)へ入って道成りに北へ下って行きます

 約300mで「八十番栖光院⇐」の案内板を左へ

 東南東向きに「海嶋山 栖光院」参道です

 山門前右手(北側)に駐車場が有ります

 山門(仁王門)です
.
 山門を潜ると目的のクスノキです

 東側から

 南側から

 保依存樹標識です、指定番号1番、昭和48年4月1日指定、推定樹齢800年です

 西側から、目通り幹囲7.8mの巨木です

 2020年に完成した新しい本堂です
 *元亀年間(1570~73)以前の開創、天正5年(1577)真言宗から曹洞宗に改宗しているそうです

 更に「名物の白壁築地塀 」の石段を上ります

 手水舎です

 正面に観音堂です
 *寛文二年(1662年)に建立された観音堂に祀られる本尊聖観世音菩薩は、仏師春日の作と伝えられ、33年ごとに御開帳の秘仏となっています

 大師堂です


 境内には石仏が並んでいます

 では、次へ行きましょう




 2025・1・24・10・05
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愛知県知多市、金沢稲荷山「稲荷神社のヤマナシ」(市指定)です!!

2025-02-05 19:45:18 | 巨樹・大木
 金沢稲荷山地区は、知多市役所の南西約7kmのところ

 知多市役所南東側の道路を南西へ出て直ぐに右(北西)へ、約300mで橋を渡ってすぐを左(南西)へ、西知多産業道路を進みます

 約6.2kmの「新舞子駅入口」信号を左(東)へ

 約250mで左(北)へ、稲荷神社の参道です、先に一ノ鳥居が見えます

 ニノ鳥居で稲荷神社境内です

 境内東側に道路脇に車を止めさせて頂きました

 「村社 稲荷神社」の社號標です

 手水舎です

 マメナシの説明版です
   マメナシ(イヌナシ)
     天然記念物 稲荷神社 市指定文化財(昭和53年3月7日指定)
   樹高 約15m、推定樹齢150年以上
 バラ科の落葉広葉樹でナシの原種。イヌナシともいいます。
 4月の中旬頃、桜の花に似た白い花を咲かせ、夏から秋にかけ、ナシに似た1cmほどの実を付けます。
 マメナシの名は、アズキくらいの大きさの実がなることから、名付けられたと思われます。
 また、地球が氷河期であった頃からの植物で「生きた化石」ともいわれています。
 現在、知多半島では、これだけ大きいマメナシは珍しいです。中部地方では、愛知県・長野県にまれに自生しています。
            知多市教育委員会

 拝殿です

 本殿です

 境内社の石祠が並びます

 東側の社務所脇に「⇐マメナ」の案内板です

 ヤマナシへ向かいます

 右手奥(境内北東角)に目的の「ヤマナシ」です

 南西側から

 少し壊れた説明版です
   マメナシ(市指定天然記念物)
     昭和53年3月7日指定
 バラ科ナシ属の小高木。落葉広葉樹でナシの原種。
 樹高14m、(根際から2幹に分かれている)樹齢は推定130年。
 4月の中旬頃、桜の花に似た白い花を咲かせ、夏から秋にかけ、ナシに似た1cmほどの実を付けます。
 マメナシの名は、その実が小豆ぐらいの大きさであることから、名付けられたと思われる。
 また、地球が氷河期であったときからの植物で「生きた化石」ともいわれている。
 現在、知多半島では、これだけ大きいマメナシは珍しいです。中部地方(三重県・愛知県・長野県)にまれに自生している。
            知多市教育委員会
 *ほぼ内容は前出の説明版と同じですが、こちらの方が古いものと思われ、推定樹齢が20年違ています

 南側から見上げました、暗い社叢のなかからお明るい空を背景にして、黒くなってしまいました

 祠は「奥山霊神遥拝所」です

 では、次へいきましょう




 2025・1・24・9・40
 
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愛知県常滑市、大野町6丁目「常滑市大野町のイブキ」(市指定)です!!

2025-02-05 06:35:41 | 巨樹・大木
 ここからは2025年1月24日取材分です

 大野町6丁目は、常滑市役所の北北西約6kmのところ

 常滑市役所北側の「市民病院北」信号から北西へ、「中央線」という名前の道路です

 約4.8kmの「晩台」信号で左(北西)へ、県道266号線です

 約1.2kmの「大野町3丁目」信号を左(南)へ、県道267号線です

 約200mで「矢田川」の橋を渡って直ぐに左へ入ります

 間も無く右手にイブキの大木のある家が有ります

 すぐ先の大野児童センター「とこキッズ」前に車を止めさせて頂きました

 先ほどのイブキを西側から見ました

 目的のイブキは、民家の前庭にあるようです

 道路からもう一枚写真を撮らせて頂きました
 *目通り幹囲3.95m、樹高15m、 枝張東西7m、南北10m、樹齢約680年だそうです。
 *昭和53年8月4日に常滑市の文化財(天然記念物)に指定されています。
 
 *イブキは本州、四国、九州の主として海岸地域に自生し、またよく栽植もされている樹木です。
 * 昭和28年(1953)の13号台風、昭和34年(1959)の伊勢湾台風によってかなりの被害をうけたものの、その後樹勢は回復しているとのことですが、大分枝が少なくなっています。
 樹齢約680年といわれ、長く大野地方の大庄屋を務めた家の庭にあり、徳川家康も二度滞在し、この木を称賛したと伝えられています。
 このイブキは、県指定天然記念物となっている知立市の「万福寺のイブキ」及び安城市の「本證寺のイブキ」に比較しても勝るとも劣らない県内屈指のイブキの巨樹とされています。(巨樹と花のページさんの記事の一部引用)

 では、次へ行きましょう




 2025・1・24・9・25
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愛知県東浦町、生路森腰「伊久智神社の大楠の森のクス群」(町指定)です!!

2025-02-04 18:49:00 | 巨樹・大木
 生路森腰地区は、東浦舞役場の南約3kmのところ

 東浦町役場の東側の「東浦役場前」信号を東へ進みます、県道24号線です

 次の「東浦役場東」信号を右(南)へ、国道366号線です

 道成に約2.5kmの横断歩道の先を右(西)へ、細い住宅街の道です

 約100mの丁字路を右(北)へ、間も無く「伊久智神社」の一ノ鳥居です

 鳥居を潜り坂道を登って行くと

 境内入口とニノ鳥居です

 境内西側に車を止める事が出来ました

 「村社 伊久智神社」社號標です

 参道を進みます

 説明版です
   伊久智(いくち)神社
 昔は八剣大明神と呼ばれた。創建年代は不明。
 享徳3年(1454)長坂近江守等が社殿を修造した記録がある。
 祭神は塩土老翁(しおつちのおじ)と木花開耶姫命と伝えられる。
 塩土老翁が海水から塩を作る事を教えた海岸を神塩浜と称し、これが延喜式にある尾張国の名産「生道塩」の起こりであると伝えられる。
 社叢の「大楠の森」は町指定天然記念物であり、又この神社の氏子が奏する神楽も町指定無形民俗文化財となっている。
     昭和59年9月    東浦町教育委員会

 手水舎です

 こちらは神楽殿の様です

 三ノ鳥居です

 拝殿です

 本殿の屋根が見えました

 説明版です
   日本唯一 潮霊を祀る
       伊久智神社の建速
     ◇主祭神  塩椎神(塩土翁神) 木花之開耶姫命
     ◇相殿神  道祖神  天照大神  建速須佐之男命  大山祇神  応神天皇  菅原道真 以上8神生道大神と申す
 伊久智神社の創祀は、古事記・日本書記の海幸山幸に登場する塩椎神(しおつち・塩土翁神)「潮霊(しおだま)」の御鎮座に始まります。境内全体が、古代祭祀の場であります。
 古くは「生きる道の神」・「生命の満ち引きの神」生道八剣大明神(いくぢやつるぎだいみょうじん)・本盬竈(もとのしおがま)さんと称され、熱田神宮の神領で、古来より人々に篤く崇敬されてきました。
 「潮霊」とは潮流を司る霊「潮つ霊(しほつち)」「潮つ路」「潮盈瓊(しおみつたま)」「潮涸瓊(しおひるたま)」であり御祭神の塩椎神(塩土翁神)がこの地に製塩法を教えて下さり、素晴らしい「生道塩(いくぢしお)が出来たので都(京都)に調(税)ではなく、東寺(京都)に御供物として奉納していたことが平安時代の「延喜式」巻24・巻33に記載されています。
 又「延喜式」巻9・10両巻の「神名帳」に記載されて知多半島の式内社は3社で、羽豆神社〈師崎〉阿久比神社〈阿久比〉入見神社〈内海〉伊久智神社は式外社で町内では唯一の神社です。
 例祭の日にちは、今では9月の第3日曜日となっております。明治以前は8月17日(旧暦)以後は、9月17日です。この日は伊勢神宮の新嘗祭の日(旧暦)でもあります。
 古来より新嘗祭は夜のお祭りで満月の光の中で斎行されています、このことから考えますと伊久智神社の御祭神が、潮の満ち引きにつながる神様と解ります。祭礼当日に於いても以前は、祭りの終盤で境内にて両組別れの前に若衆が沢山の塩を撒きながら太鼓の打ち合いをしておりました。その塩を浴びると無病息災につながると多くの人が塩をかけてもらいに集りました。
 人の生死は潮の満ち引きに深く関係があるとされ、「この世に生を受けてから亡くなるまでを護って頂ける神様」として古くより信仰があります。 
 安産祈願では、江戸時代には、行列を成して尾張はもとより、三河からも多くご参詣頂けたことが「安産御祈祷覚帳」に記載されております。
 生命のみちひきの神・安産の守護・延命長寿・厄祓いの神、産業開発、交通安全の神様として信仰されています。
 神社も以前は「生道神社」生路地区の「生路」は、御祭神から発生・誕生した地名です、また三白発祥の地、塩・白砂糖・木綿ともいわれております。
 明治4年に明治政府より「伊久智神社」と改称する。
 明治42年「合祀令」により秋葉神社・金毘羅社に八柱を合祀。
 ○ 本殿の右末社に天照大神・本殿の左末社に道祖神・建速須佐之男命・大山祇神・応神天皇・菅原道真・事代主神・大国主命他をお祀りしております。
 ○ 伊久智神社の社叢が大楠の森(東浦町天然記念物指定)
 ○ 伊久智神社神楽(東浦町指定民俗芸能)
 ○ 境内末社・摂社 神武天皇遥拝所・熱田社・楠之御前社・素婆倶羅社

 相殿です

 社殿の北西側には「大楠の森」です、境内端のクスノキです

 説明版です
   大楠の森  町指定文化財
 伊久智神社境内北の樹林を大楠の森と呼んでいる。
 奥隅にある目通り4.78m、推定樹齢450年の巨木をはじめ、樹齢数百年を数える楠の大木が鬱蒼たる森をなしている。神社境内一帯に広がる樹林には楠や榎など、およそ30本もの町指定保存樹がある。樹木の洞には野鳥が営巣するなど貴重な住宅地の森となっている。
 この大楠にちなみ、昭和52年町の木を「クスノキ」とした。
     平成19年3月    東浦町教育委員会

更に奥へ行くと、説明版に有ったクスノキの大木です

 南西側から

 保存樹標識ですが、NOなどの表示が消えてしまっています

 南側から

 南東側から

 境内端にも二本の大木です

 神社西側の道路に出て見ました、社號標が建っています

 境内側から見えていた境内角のクスノキの大木です

 では、そろそろ夕暮れが近付いています、今日の宿へ向かいましょう




 2025・1・23・15・55

 
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