ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

富山県射水市、橋下条「日宮社の杉」です!!

2019-08-31 06:37:06 | 巨樹・大木
橋下条地区は、射水市役所の南東約4kmのところ

国道472号線を南へ、下条川を渡った信号が橋下条です

二つ先の交差点を左(南東側)に入ります

右手に大きな緑色のガスタンクの左側の丘陵に

北西向き参道で日宮社が鎮座します

参道入口に車を止めさせて頂きました



大きなガスタンクが目印になります

参道入口です灯籠が並びます

参道石段前の鳥居です

村社 日宮社です

石段脇の説明版です
  日宮社叢(県・天然記念物)
 社叢は、独立の塊丘上一面にひろがり、緑林はうっそうと
昼も薄暗く、様々の草木や苔類が茂っている。用水を渡り参
道の石段となるが、先ずアカシデ林でおおわれ、社殿の右は
ウラジロガシ林、左側は古来より「めおと杉」と呼ばれ崇敬
されてきた巨大なスギ老樹を中心とした杉林、背後の丘には
シイ林などがあり、それらの林の下にはシロダモ、ヒサキ、
ヤブツバキ、ベニシダ、テイカカズラなどの暖帯性の植物要
素が生えていて内陸側に残った照葉樹林であることを示して
おり、学術上貴重な存在である。
 また、この台地の東側は日宮城の跡で、過ぎし戦国時代に
は上杉謙信と越中勢、あるいは加賀の一向一揆など激戦が展
開された場所でもある。
  昭和4年10月1日指定   富山県教育委員会
                射水市教育委員会




城跡の説明です
  日の宮城跡(市・史跡)
 日宮社叢の東側丘陵上にある別名火宮、二上山城ともいわ
れ、永禄・元亀・天正年間(1558年から1592年)の
頃、神保氏が居城したと伝えられ、その時代における要害の
地で北陸道を制するには格好の地であった。
 元亀3年上杉勢の最前線として、加賀越中の一向一揆勢と
の攻防戦が行われた著名な史跡である。
                富山県教育委員会
                射水市教育委員会



さ、長い石段を上ります

狛犬(狛獅子)です

手水舎です

水盤です

拝殿です

本殿覆い屋です

本殿右手の境内社です

拝殿右手境内の杉の大木です、目的のスギはもっと大きいものです

本殿脇から
src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/1e/5d028521e3a250fa22b226cc52114219.jpg" border="0">
南西側から

西側から


拝殿前左手一段下に境内社の祠が有りますこの前を通って先に進みます

南側薮の中に杉の巨木が有ります、ことらは2番目のスギです

手前右側に目的のスギが在ります、幹の3分の1が空洞になっていたセメントで補修されていたようですが~

南側は綺麗ですんね、目通り幹囲8,5mの巨木です


北東側から、根元は薮で判りませんね~

戻って社務所脇から見ました

拝殿脇のモミの大木です

拝殿前から

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富山県富山市、小杉北野「熊野社の舟つなぎの椎の木」(県指定)です

2019-08-30 06:21:27 | 巨樹・大木
小杉北野地区は、富山市役所の西約kmのところ

県道31号線と県道237号線の北西側に

富山市立池田小学校が有ります

小学校の北西側約300m集落の北西側に

熊野社が鎮座します

熊野社の南側の杉が立ち並ぶ広場に

「舟つなぎの椎の木」が在ります

南側の道路脇に車を止めさせて頂きました


境内入口鳥居です

熊野社です

手水舎です

社殿です

社殿脇から椎の木方向を見ました

杉の木の間に椎の木です

北側から


北西側から

西側から

南西側から、目通り幹囲7,9mの巨木です

説明版です
   舟つなぎの椎の木
 孤立した椎の大木で地上3m位で数本に枝分けして
繁茂し、根元や幹から小枝を出し樹勢を盛り上げてい
る。
 その昔この木の近くを流れる鍛治川は、山本地区の
奥から放生津潟に注いでいたもので、上り下りの舟の
つなぎ場所になっていたものと伝えられている。
 この木は大きさから見ても本県の代表的なものであ
り過去の植物分布を知る資料としても貴重である。ま
た舟つなぎの場所になっていたといわれる呼び名の由
来から、かつての地理的変遷をも知ることができる。
   平成14年3月 富山県教育委員会
           富山市教育委員会

根元の様子です、中心の幹は枯れてしまっている様です

南側から

西側の田圃の畝から見ました

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富山県富山市、田中町「本誓寺の椋の木(ケヤキ)」です!!

2019-08-29 06:49:18 | 巨樹・大木
田中町は、富山市役所の東約3kmのところ

富山地方鉄道新庄田中駅の南西約200mに

本誓寺が有ります

境内東側に駐車場がありますので利用させて頂きました


本誓寺入口です

南側から参道を入ります、正面に目的の椋の木の樹冠です

左手の建物が本堂です

正面には弁才天様?の御堂です




椋の木です

説明版です
  椋の木の大弁才天女と本誓寺の由来
 富山の南田町の売薬吉田吉兵衛は、奥州の売薬先で
親しくなり懐妊させた「おたえ」を連れ北陸路の田中
村にさしかかった。故郷に帰り、両親や妻子に対する
呵責の念が高まり、「おたえ」を殺し、椋の木の根元
に埋め帰宅した。それからは、熱病に罹り狂い死にし
た。以後、この椋の木に白蛇が現れるようになった。
 一方、女の両親は巡礼となり娘を探し乍らこの椋の
木の下で野宿した。その夜夢に、娘が弁才天の御姿に
なって現れ「自分の不幸不義の罪を悔い仏法に帰依し
た。せめて乳の出に悩む人を救たい」と告げた。
 両親は、剃髪し黒衣をまとい、椋の木の際に草庵を
結んだ。現れる白蛇は女神の使者だと言われる。この
椋の木に弁才天が宿ると悟り、これを奉るとともに、
観世音菩薩の石像を彫り娘の菩提を弔った。
 時は、1712年(正徳2年)の事である。これが
本誓寺の由来である。
 その後、椋の木は、「乳の木弁才天女」と呼ばれ、
乳の出ない多くの人が訪れたと言う。
      新庄町史、本誓寺の縁起より
平成22年4月   設置(寄進)





東側駐車場から

北東側から、目通り幹囲5,3mの巨木です

北側から

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長野県小諸市、八満「雨宮大明神のケヤキ」です!!

2019-08-28 08:10:18 | 巨樹・大木
八幡町は、小諸市役所の南東約1kmのところ

国道18号線の原町信号の東約600mに原町下宿バス停が有ります

ここを北に入り700m程で右手に雨宮大明神が鎮座します

境内西側の道路脇に車を止めさせて頂きました


参道脇の道路から社殿を見ました


鳥居です、境内は管理する方がいないのか雑草で覆われています

拝殿です

拝殿の右側に目的のケヤキが有ります

南側から近づけないので社殿の裏側へ回りましょう


本殿は多い屋の中ですね~

本殿裏側道路から見上げました

北側から

小諸市保存樹 昭和50年9月4日指定No97号のプレートが掲げられています

東側から、目通り幹囲 6,1mの巨木です

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長野県小諸市、八幡町「八幡宮のケヤキ樹叢」です!!

2019-08-27 06:22:36 | 巨樹・大木
八幡町は、小諸市役所の南東約1kmのところ

国道18号線の南町信号を北東に進みます

右手に小諸市立野岸小学校が有ります

門のところを右に入ると八幡宮の参道です

西向きに八幡宮と北側の熊野神社が鎮座します

参道脇に車を止めさせて頂きました


小諸市立野岸小学校です


参道です

「八幡神社」石柱です

鳥居です、鳥居の額には「八幡宮」の文字があります、傍らにケヤキの大木です

道祖神の石碑が並びます

手水舎です

拝殿です

拝殿軒下の額も「八幡宮」です

本殿です

由緒説明版です
  八幡宮由緒
祭神 仲哀天皇 神功皇后 應神天皇
 当八幡宮は、第54代仁明天皇皇子滋野親王が望月城の
牧監として御在任当時、其地に勧請せられたと伝えられる
。其後幾星霜を経て慶長13年小諸城主仙石秀久公、右御
祭神の御霊験あらたかなるに感銘し、小諸の蛇の地に勧請
し、城附き鎭護神として祭祀を厚くした。
 以来小諸城主もこの御社を尊崇、又領内民も守護神とし
て崇敬した。
 当社は通称子育て八幡宮と謂われ子供の安産生育に霊験
あり、家内安全家業繁栄交通安全に効験がある。




拝殿前の土俵です


北東側から


東側から

北東から

南側から、目通り幹囲5,9mの巨木です

拝殿脇から

北側から

本殿北側のケヤキです

南側のケヤキです

境内北東側のケヤキです


境内には、祠が点在しています


西側の熊野神社です

小諸市保存樹林の安内板が有ります


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長野県小諸市、与良町「長勝寺のケヤキ」です!!

2019-08-26 06:11:00 | 巨樹・大木
与良町は、小諸市役所の南東約1kmのところ

県道40号線を南東へ進みます、荒町与良町信号を過ぎて

左手に長勝寺の参道が南西に開いています

すぐ先に小諸高濱虚子記念館が有りますので

こちらの駐車場を利用させて頂きました


観光案内板です

記念館です

高浜虚子記念館入り口の説明版です
   市立 小諸高濱虚子記念館
 本館は、近代俳句の巨匠、高濱虚子の小諸時代の
偉業を顕彰し、あわせて虚子文学研究に資するため
、作品や資料を展示・保存する目的で、平成12年
3月会館しました。
 この地は、虚子が昭和19年9月から同22年1
0月まで疎開されていたところであり、その旧居「
虚子庵」が隣接しております。
  中部北陸自然歩道  環境省 長野県




西に約50mほど進みます

参道入り口に長勝寺の石柱です

長い参道を進みましょう

途中の石碑です

山門が見えてきました

右手に鐘楼です

石仏です

左手には十九夜堂です

説明版です
  十九夜さん(じゅうくやさん)
 「如意輪観音(にょいりんかんのん)」ことで、女性を
守護し救済する仏様。古くより地元の女性たちの信仰を集
め「十九夜さん」として親しまれています。
 毎月旧暦の十九日の夜には、地区の女性たちが十九夜さ
んのまわりに集まってローソクを灯し、お供物を供え、お
線香をあげ念仏を唱えながら、子宝・安産・子供の無事成
長を祈ってきました。
 当時のならわしや信仰は薄れましたが、赤ちゃん、子供
を祈る心は、昔も今も変わりません。今でも十九夜さんは
、山門前に鎮座し、そんな女性たちの祈りを静かに聞いて
おられます。               合掌


水盤です

本堂です

本堂の額です

本堂裏側の墓地の中に目的のケヤキがあります

南側から

南東側から、目通り幹囲5,1mの巨木です

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長野県小諸市、田町「健速神社のケヤキ」です!!

2019-08-24 07:24:43 | 巨樹・大木
田町は、小諸市役所のすぐ北側の地区です

県道40号線諏訪白樺湖小諸線の長野銀行小諸支店前から

大和屋小路を北に入り、堀を超えると駐車場が有ります

西向きに健速神社が鎮座します

参道石段前に2台分の参拝者用駐車スペースが有ります




参道の石段です

説明版です
 健速神社(江戸中期の建物)
 この神社の歴史はたいへん古く、城下町がつくられる前から田町の
一本松宮ノ窪にあったものです。今の場所に移ったのは江戸初期の延
宝3年です。建物の中をのぞくと、中にとても立派な本殿が見えます

 御神木のケヤキは、樹齢400~500年と思われます。
 この神社は、須佐之男命を祀る祇園さんと呼ばれる神社で、江戸時
代には祇園宮と呼ばれていた。
 祇園祭(健速神社例祭 7月13日)

境内真ん中に目的のケヤキです

拝殿です

本殿は覆屋の中です

拝殿前から

境内北東側から

北西側から

西側から、目通り幹囲5,5mの巨木です

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長野県東御市、滋野「中屋敷熊野神社のケヤキ」です!!

2019-08-23 06:24:08 | 巨樹・大木
滋野地区は、東御市役所の東南東約4kmのところ

国道18号線を東へ、東御市立滋野小学校の手前2つ目を

北へ入り坂道を上がって行くと左手に中屋敷熊野神社が鎮座します

鳥居前道路脇に車を止めさせて頂きました


参道入り口の鳥居です

鳥居の額には熊野神社の文字です

水盤です

拝殿です

本殿です

本殿脇に目的のケヤキです

東側から、古い幹を守るように屋根が作られています

北東側から

北側から

西側から

南西側から、全体をまとめた目通り幹囲は15,3mの巨木です

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長野県東御市、滋野「片羽稲荷神社の皀莢(さいかち)」です!!

2019-08-22 06:16:03 | 巨樹・大木
滋野地区は、東御市役所の東約4kmのところ

国道18号線を東へ、東御市立滋野小学校の東側が片羽信号です

すぐ東側から北側に上る道路を入ると稲荷神社が鎮座します

西側の道路脇に車を止めさせて頂きました


案内板が出ています


西側の駐車スペース?から見ました

南へ回りましょう


南側参道です

鳥居の後ろ側にの皀莢の巨木です

標柱です

傍らに境内社の祠があります

説明版です
  滋野(片羽)稲荷神社の皀莢
 この皀莢の木は、伝承による推定樹齢が350年で、
樹高12m、胸高周囲約4,7mという巨木です。県下
はもとより、国内でも有数のサイカチの木で、戦前には
この木の下で子供相撲大会が開かれたそうです。また「
サヤを集めて風呂に入れると肌がなめらかになり、体が
温まる」と言って、入浴剤として利用した時代がありま
した。         東御市教育委員会



稲荷神社社殿です

本殿は石の祠のようです

左側の祠です

北側から


北東側から見ました、いまでは目通り幹囲5,3mの巨木です

境内には石仏が並びます

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長野県東御市、滋野「片羽八幡神社のケヤキ」です!!

2019-08-21 06:15:20 | 巨樹・大木
滋野地区は、東御市役所の東南東約4kmのところ

国道18号線を東へ、東御市立滋野小学校の先の信号が片羽です

ここを北へ入ると小学校の北側に八幡神社が鎮座します

社殿の西側道路脇に車を止めさせて頂きました

参道入口の鳥居です

参道から目的のケヤキを見ました

南東側から、手前には湧水が出ています

説明版です
  東御市指定天然記念物
    片羽八幡水
 この湧水は「八幡さまの清水」といって、古くから地元の
人々の飲み水・生活用水・かんがい用水として大切に守られ
てきた。明治11年に明治天皇の北陸巡行が行なわれ、天皇
御一行が当地を訪れた際、牧家の御小休所で休まれた。その
折にこの八幡水で茶をたてて差し上げので、御膳水とも呼ぶ
ようになった名水である。
 滋野小学校は、大正14年位置争いの末、この地に建設さ
れたのは、「尽きることなく湧き出でる御膳水」に村の繁栄
の願いをこめてのことだった。それは、湧水が学校での飲料
水に利用できると共に「源泉混混」尽きることのない湧水の
さまは、又、教育理想の表徴であって、学びの場として申し
分のない好環境要因となttからである。
            東御市教育委員会

拝殿前から

西側から見ました、目通り幹囲5,6mの巨木です


拝殿です

本殿で

本殿東側のケヤキです

拝殿西側のケヤキです

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長野県東御市、本海野「白鳥神社のケヤキとエンジュ」です!!

2019-08-20 06:14:27 | 巨樹・大木
本海野地区は、東御市役所の西約2kmのところ

千曲川右岸に曾ての中山道海野宿が観光池となっています

海野宿の東詰に白鳥神社が鎮座します

観光客用の駐車場がすぐ東側に有ります

東御市観光マップです



境内入口です

郷社 白鳥神社です

海野氏・真田氏の氏神だったのですね

説明版です
  白鳥神社の社叢
    昭和56年指定東御市天然記念物
 海野宿の東端に位置する白鳥神社は、中世豪族・海野氏
の氏神であったが、現在は本海野区の産土神として祀られ
ている。
 この神社の社叢は、けやき、杉、槐などの大木によって
構成されており、立派な鎮守の森となっている。
 拝殿前のけやきの御神木は、胸高周囲約5,8m・樹高
30mにもおよぶ大木である。
               東御市教育委員会


水盤です

境内に入ると参道左側に目的のケヤキの御神木です

南東側から

説明版です
  重要伝統的建造物群保存地区
    昭和62年4月28日選定(環境物件)
御神木
  欅(ケヤキ)
  樹齢700年以上
  目通り幹囲7,3m
 建久2年(1191年)海野幸氏が現在の場所に白鳥神社の
社殿を遷したと伝わります。木曽義仲の嫡男・清水冠者義高の
側近として鎌倉入りした海野幸氏は、のちに源頼朝に仕え、鎌
倉武士の弓馬四天王として名を馳せました。一族の中興の祖で
もあった幸氏。樹齢から推定して、その時代に植えられた古木
であるのかもしれません。
 海野の地の栄枯盛衰、その永き歴史を見続けてきた御神木で
す。                     とうみ

拝殿です

本殿です

境内南西端のケヤキの大木です

北東端のケヤキです

境内への東側入り口のケヤキです

境内内側から境内東端にはケヤキの大木が並びます


境内南東端に槐(エンジュ)の大木です

木曽義仲公挙兵の地の説明版です
  木曽義仲挙兵の地
   (白鳥河原の勢揃)
 治承5年(1181)6月、後白河法皇の第二皇子、高倉宮
以仁王の発した平家討伐の令旨に応じ木曽に旗挙げした木曽次
郎源義仲は、丸子の依田城を経て、ここ白鳥神社前に広がる千
曲川原「白鳥河原」に挙兵しました。平家物語、源平盛衰記に
語り継がれる「白鳥河原の勢揃」です。義仲のもとに馳せ参じ
たのは樋口・・今井・根井・楯といった木曽四天王の家臣団を
はじめ、地元の海野・弥津・望月・小室ら滋野一族とした東信
濃の豪族と、西上州の武士団が集結。その数、二千騎とも三千
騎とも云われています。当時の海野郷は滋野一族の宗家、海野
氏の本領であり、経済、交通、軍事の要衝であった。
 義仲は長野の横田河原、越中の倶利加羅峠で平家大軍を撃破
し破竹の勢いで京都に上洛。寿永3年(1184)1月、征夷
大将軍に任ぜられるも、その十数日後、近江粟津で戦死、旭将
軍の挙兵はわずか3年の悲運に終わります。
 木曽義仲挙兵において中格を担った海野氏。中原兼遠から義
仲を託された当主・海野幸親のもと、嫡男・海野幸広は侍大将
を担い(備中水島の海戦で戦死)次男・海野通広は義仲の祐筆
で軍師としても活躍した大夫房覚明であると云われています。
また、幸広の嫡男・海野幸氏は義仲の滅亡後に源頼朝に仕え、
鎌倉武士の弓馬四天王として名を馳せた。
              東御市教育委員会



海野宿の現在の地割図です


海野氏の石碑です

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長野県上田市、塩川石井「火産霊神社のケヤキ樹叢」です!!

2019-08-19 10:24:09 | 巨樹・大木
塩川石井地区は、上田市役所の南東約7kmのところ

国道141号線から国道18号線を東へ

大屋信号で国道152号線を南へ

千曲川を渡って直ぐ県道147号線を東へ

間も無く県道の右下に神社の幟支柱が見えて来ます

少し先の道路脇の広い所に車を止めさせて頂きました

参道入口です、道路が新しくなって参道が無くなったようです

鳥居の側にはケヤキの巨木が門状に立って居ます

正面から

説明版です
   鎮守の森
         上田市塩川石井
 この石井の鎮守の森は古くから(少なくとも江戸期)
荒神様と呼ばれて、畏敬されていました。
 参道入口に立つ二本の欅(樹齢400年位)の大木が
あり、石造りの八幡鳥居には「三寶大荒神」という額が
掲げられている。
 「荒神様」は民間信仰では、屋内では「かまどの神様
」、外では「氏神」「地神」「田の神」「火の神」とさ
れている。
 明治9年の政府神社制度で火産霊神社(ほむすび)は
石井村の村社にさだめられている。そのほか「山の神」
「愛宕社・永代常夜灯の石燈籠」「三峯社」「道祖神」
「弁財天社」「天満宮社」と「袈裟掛地蔵尊・お地蔵様
」「薬師堂」等が祀られている。また石井区民の憩いの
広場にもなっている。
 平成31年  石井区自治会
        上田市わがまち魅力アップ応援事業
 

 
説明版の通りに額には三寶大荒神の文字が見えます

鳥居越しに左側の大きな方のケヤキです

境内側参道から、目通り幹囲5,7mの巨木です

北北西側から

根元には水盤です


境内には土俵です、後方には石燈籠や境内社の祠が5つ見る事が出来ます

山の神・愛宕社・天満宮社のようですが、良く解りませんね~


社殿です

社殿前から見ました、位置関係が解かりますね


境内社の弁財天です

西側斜面には三峰社です

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長野県上田市、生田「二柱神社のケヤキ」です!!

2019-08-18 10:12:57 | 巨樹・大木
生田地区は、上田市役所の南東約5kmのところ

国道141号線から国道18号線を東へ

大屋信号で国道152号線を南へ

千曲川を渡って間もなく県道186号線へ

千曲川の支流依田川を渡って道なりに進んだ所です

二柱神社は県道186号線を更に上へ登って行きます

上池、下池の二つの溜池が右手に見えて来ます

下池の所で集落の中、左手の坂道を更に登って行くと

欅の巨木が見えて来ます、直上に二柱神社が鎮座します

手前道路脇に車を置かせて頂きました

北東側から坂道を登って行くと、大きなケヤキが見えて来ました

ケヤキの巨木です

目通り幹囲5,1mの巨木です、道の先にもう一本のケヤキが見えます

西側から




ケヤキの蔭に神社への参道石段です、先のケヤキを見ましょう



こちらも目通り幹囲5mを越えているようですが

西側から見ました

では、神社へ


二柱神社です

手水舎です

説明版です
  二柱神社
 創建年月日不詳であるが、旧村誌によると、この神社の地籍
が小字宮地にあり、日吉山王講が行なわれていた古くからの村
社であった。
 その後、明治16年、日吉神社と改称し、同43年村社、美
弥置神社(茂沢地区)と合祀し二柱神社と改称された。
 祭神は大山昨神(日吉)建御名方命(美弥置)が祀られてい
る。
 春と秋に祭りが有り、10月の秋祭には、五穀豊穣の感謝祭
として上田市指定無形文化財の三頭獅(安土桃山時代)と式三
番叟(江戸時代中期)が、尾野山獅子三番叟保存会のみなさん
で奉納される。
     尾野山史跡めぐり協議会 平成27年3月

急な石段を上ります

舞台状の拝殿です

本殿は土壁の玉垣の中に大小二棟並んでいます

境内社が並びます、こちらは金毘羅社です

本殿西側には七福社と稲荷社の名前が確認できますが、4つの祠が有りますが~

西端一段下がって護国神社です

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長野県上田市、下武石「大宮諏訪神社赤鳥居の一本サワラ」(市指定)です!!

2019-08-17 07:27:57 | 巨樹・大木
下武石地区は、上田市役所の南約12kmのところ

国道141号線から国道18号線を日橋へ

大屋信号で国道152号線を南へ進みます

下立石信号の南側の交差点を西へ進みます

先に集落が見えてくると間も無く右手に

赤い鳥居と傍らのサワラの巨木が見えて来ます

鳥居の北側道路脇に車を止めさせて頂きました

東から鳥居に近づきます

赤鳥居です、鳥居の蔭に目的のサワラです

南西側から

説明版です
  上田市文化財
    サワラの木
種類  記念物
所在地 上田市下武石809番地1
 さわらは山地に自生する常緑喬木で、葉はヒノキに似ているが
鱗片が尖っている。このさわらの大木は、樹齢約450年と言わ
れており、28mの樹高を誇っていたが、台風により頂部に亀裂
が生じ、危険なため上部を切ってしまった。
 現在目通りの幹まわりは4,6mで、七ケの入り口という位置
から、別れの一本杉ならぬ一本サワラとして村人から親しまれて
来ている。
   昭和47年4月27日指定(第5号)上田市教育委員会
(表記から約50年が経ち、現在5,1mを越えているそうです)

北側から見ました

では、北側の大宮諏訪神社に行きましょう


入り口の神苑に架かる橋には屋根が付いています

説明版です
  上田市指定文化財
     日吉神社社殿
種類  有形文化財
所在地 上田市下武石508番地1
 この社殿は、大宮諏訪神社の諏訪神社本殿と並んで祀られており、
同じ覆屋の中にある。
 一間社流造りで、向拝の蟇股、木鼻、文様などの彫りや社殿全体
も整っている立派な社殿建築である。
 一見室町時代の作風にも見えるが、安土、桃山時代の天正年間(
1573~1591年)に建築されたもので村では最も古い神社建
築は上小地方にもあまり見られない大変貴重な社殿である。
 日吉神社は、武石城主の守り神として信仰されて来た。
   昭和51年6月19日指定(第12号)上田市教育委員会


正面に拝殿です

本殿は覆屋の中で見る事ができません

本殿右手には境内社の八幡社です

熊野神社です

石柱も神様の様です

山の斜面には切株で作られた祠のような物が並んでいます


本殿左手には神明社と子安社です


神苑側の大岩にも祠が有ります

三嶋神社には鳥居が有りますね

愛宕社です

陰陽石です

出hあ、次へ行きましょう
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長野県上田市、腰越「諏訪宮のケヤキ」です!!

2019-08-16 12:55:05 | 巨樹・大木
腰越地区は、上田市役所の南約9kmのところ

国道141号線から国道18号線を東へ

大屋信号で国道152号線を南へ進みます

千曲川を渡って支流の依田川の右岸を南(白樺湖方面)へ

丸子市街を過ぎて右岸から左岸に変わるところです

右岸に渡って間もなく右手に諏訪宮が鎮座します

国道からの入り口から鳥居前は広い広場になっています

広場に車を止めさせて頂きました


目立つ赤鳥居です

額には「諏訪宮」の文字が見えます

手水舎です

拝殿です

本殿は覆屋の中です

南側の建物です、神楽殿(舞殿?)のうようです

拝殿と神楽殿?の間にケヤキの大木です

ケヤキの隣には「御柱」が建ちます

立札には「御柱祭 山出平成27年11月8日 本祭平成28年4月24日」とあります

目的のケヤキは拝殿の右手、宝蔵の前に在ります

社殿脇から見ました、目通り幹囲6,3mの巨木です

では、次へ行きましょう
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