高井赤和地区は、高山村役場の南約1.5kmのところ紫子萩山(標高1113m)の北西麓に当ります
県道112号大前須坂線を南西へ、西ノ宮神社前を過ぎた次の変形十字路を左(南)へ入って先の三叉路を左へ沢沿いを上がって行きます
急な細い道を進むと防獣柵が有りますので、開けて先へ進むと間も無く赤和観音参道入口です
手前の石垣の上にシダレザクラの大木が在ります
桜の下に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました
間も無く参道入口です、左側の石垣の上にシダレザクラです
かなり斜めに成っているのを太い支柱に支えられています
説明版です
景観重要樹木
指定番号 第5号「赤和観音のしだれ桜」
指定年月日 平成21年12月1日
樹高約15m、推定樹齢200年余りで、比較的桜の花の赤みが濃いのが特徴です。
崖上にあり、支柱で支えられながら山側に伸ばした太い根のみで踏ん張っていて、生命力の旺盛さを見せています。
村の五大桜の一つと言われています。
高山村
西側から
では、観音堂へ行って見ましょう
参道入口の目印は大きな岩です
石仏が並びます
説明版です
赤和聖観音菩薩
仰ぐ当山を大巌山といって、聖観世音菩薩を安置し奉る由来は、当山より遙か東の岩窟に悪鬼が住り、ゆえに「字鬼岩」と称し、しかるにある時、当山大巌に光明赤々として聖観世音菩薩が現れ給いければ、悪鬼は目がくらんでにわかに退散してしまいました。里人は衆生済度の霊徳はこの聖観世音菩薩の利生と感じ、大巌山を安置し奉ったのが始まりと言われています。
然る後、桃山時代の文亀元年(1501)の頃、了誉上人常陸国茨城郡水戸徘徊の節、夢相によりて当山に訪ね来たり、岩窟に本堂を建立し、祈念を怠らなかったので、知識の明達なるとぞ。
幽現名誉の菩薩の霊徳を感じ信仰する者が多かったといいます。然るに上人寂滅の後、何故にや菩薩が隠れ給いければ、当所喜右ヱ
門という者が深く愁い、元禄15年(1702年)甲斐国巨摩郡猿橋村安居の由、夢相に依って正観世音の尊像をお供えし、大巌山麓に本道再建してより霊徳が益して再び盛大となりました。弘化年(1845年)には上赤和組内に本堂を相設安置し奉っています。
明治になって廃堂の規則により、古(故)赤和浅吉さんの名義をもって守護することになりました。その後、明治13年上下赤和組合併のみぎり、現在の大巌山を復旧し奉り、赤和組の共有となって現在に至っています。
4月18日と8月9日の両日は、赤和観世音の縁日で、本堂で法要が執行されます。
六地蔵様です
岩の先からシダレザクラを見ました
参道を進みます
延命地蔵尊です
急な石段が出て来ました、左に迂回路が有ります、(楽だったので登りだけでなく下りも利用させて頂きました)
山の神の祠です
山の神の祠前からシダレザクラを見ました
中段まで上がって来ました、もうすぐですね
目的の大杉が見えて来ました
下側から見上げました
説明版です
赤和観音の大杉
1、所在地 高山村大字高井鬼岩7607番の2
2、樹長 約35m、目通り5.9m
3、樹齢 400年余
4、由来
古老の伝承によると赤和観音がこの地に勧請されたのは遠く桃山時代でありこの大杉の脇の観音再建は元禄15年(古文書による)である。
赤和観音は近郷近在の信仰をあつめている場所であり,大杉は遠く望まれ杉として典型的な美樹である。
高山村教育委員会
左側から、説明版に有るように幹は綺麗です、手前の木々に隠れて全体を見る事ができませんでした
すぐ上に見える懸崖造りの本堂へ行って見ましょう
左側へ水平移動して・・・・
参道を登って来ましたもうすぐです
本堂の祭壇です
中をのぞかせて頂きました
本堂から高山村を見下ろしました
本堂から大杉を見ました
天井画です
奉納額です
では、次へ行きましょう
県道112号大前須坂線を南西へ、西ノ宮神社前を過ぎた次の変形十字路を左(南)へ入って先の三叉路を左へ沢沿いを上がって行きます
急な細い道を進むと防獣柵が有りますので、開けて先へ進むと間も無く赤和観音参道入口です
手前の石垣の上にシダレザクラの大木が在ります
桜の下に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました
間も無く参道入口です、左側の石垣の上にシダレザクラです
かなり斜めに成っているのを太い支柱に支えられています
説明版です
景観重要樹木
指定番号 第5号「赤和観音のしだれ桜」
指定年月日 平成21年12月1日
樹高約15m、推定樹齢200年余りで、比較的桜の花の赤みが濃いのが特徴です。
崖上にあり、支柱で支えられながら山側に伸ばした太い根のみで踏ん張っていて、生命力の旺盛さを見せています。
村の五大桜の一つと言われています。
高山村
西側から
では、観音堂へ行って見ましょう
参道入口の目印は大きな岩です
石仏が並びます
説明版です
赤和聖観音菩薩
仰ぐ当山を大巌山といって、聖観世音菩薩を安置し奉る由来は、当山より遙か東の岩窟に悪鬼が住り、ゆえに「字鬼岩」と称し、しかるにある時、当山大巌に光明赤々として聖観世音菩薩が現れ給いければ、悪鬼は目がくらんでにわかに退散してしまいました。里人は衆生済度の霊徳はこの聖観世音菩薩の利生と感じ、大巌山を安置し奉ったのが始まりと言われています。
然る後、桃山時代の文亀元年(1501)の頃、了誉上人常陸国茨城郡水戸徘徊の節、夢相によりて当山に訪ね来たり、岩窟に本堂を建立し、祈念を怠らなかったので、知識の明達なるとぞ。
幽現名誉の菩薩の霊徳を感じ信仰する者が多かったといいます。然るに上人寂滅の後、何故にや菩薩が隠れ給いければ、当所喜右ヱ
門という者が深く愁い、元禄15年(1702年)甲斐国巨摩郡猿橋村安居の由、夢相に依って正観世音の尊像をお供えし、大巌山麓に本道再建してより霊徳が益して再び盛大となりました。弘化年(1845年)には上赤和組内に本堂を相設安置し奉っています。
明治になって廃堂の規則により、古(故)赤和浅吉さんの名義をもって守護することになりました。その後、明治13年上下赤和組合併のみぎり、現在の大巌山を復旧し奉り、赤和組の共有となって現在に至っています。
4月18日と8月9日の両日は、赤和観世音の縁日で、本堂で法要が執行されます。
六地蔵様です
岩の先からシダレザクラを見ました
参道を進みます
延命地蔵尊です
急な石段が出て来ました、左に迂回路が有ります、(楽だったので登りだけでなく下りも利用させて頂きました)
山の神の祠です
山の神の祠前からシダレザクラを見ました
中段まで上がって来ました、もうすぐですね
目的の大杉が見えて来ました
下側から見上げました
説明版です
赤和観音の大杉
1、所在地 高山村大字高井鬼岩7607番の2
2、樹長 約35m、目通り5.9m
3、樹齢 400年余
4、由来
古老の伝承によると赤和観音がこの地に勧請されたのは遠く桃山時代でありこの大杉の脇の観音再建は元禄15年(古文書による)である。
赤和観音は近郷近在の信仰をあつめている場所であり,大杉は遠く望まれ杉として典型的な美樹である。
高山村教育委員会
左側から、説明版に有るように幹は綺麗です、手前の木々に隠れて全体を見る事ができませんでした
すぐ上に見える懸崖造りの本堂へ行って見ましょう
左側へ水平移動して・・・・
参道を登って来ましたもうすぐです
本堂の祭壇です
中をのぞかせて頂きました
本堂から高山村を見下ろしました
本堂から大杉を見ました
天井画です
奉納額です
では、次へ行きましょう