ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

徳島県板野町、矢武鏡松「矢武八幡神社のイチョウ」です!!

2024-06-30 18:31:33 | 巨樹・大木
 矢武鏡松地区は、板野町役場の南西約3kmのところ

 板野町役場の東側の道路を南へ、約100mで右(西)へ、旧撫養街道です
 
 JR鳴門線の踏切を越えて「郡頭橋」を渡って直ぐ左(南)へ

 約350mで信号を右(西)へ、県道12号徳島引田線です

 道成りに約2.9kmの「⇐石井・県道34号線」の標識に従って信号を左(南)へ

 約1.0kmの「紅梅苑」の看板のある所を左(東)へ入ります

 間も無く左に矢武八幡神社が南向きに鎮座します

 境内入口の鳥居です

 手前(西側)の金剛院境内に車を止めさせて頂きました
 *矢武八幡神社の創建年は不詳です。
 社記によれば、当地は武内宿禰との縁があり、紀氏により石清水八幡宮を勧請し創建したと、当初は上庄八幡大権現と称していました。
 明治3年(1870)に八幡神社と改称し村社に列し、明治14年(1881)に郷社に昇格しました。
 平成3年(1991)に社殿を改築しました。隣接して高野山真言宗の金剛院があり、境内を共有しています。
      (以上ウィキペディア一部抜粋です)

 金剛院と八幡神社の境に目的のイチョウです

 西側から

 南西側から

 南東側神門前から

 東側参道から、樹高約18m、目通り幹囲6.5mの巨木です

 北側から

 拝殿前から見ました

 手水舎です

 拝殿です


 本殿です

 境内社の御名前は判りませんでした


 境内北端にクスノキが並びます、東側の2本

 中ほどの2本
 
 西側の1本です

 では、次へ行きましょう



 
 2024・6・7・15.45
 
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徳島県板野町、羅漢林東「地蔵寺のイチョウ」です!!

2024-06-30 12:46:41 | 巨樹・大木
 羅漢林東地区は、板野町役場の西約3kmのところ

 板野町役場の東側の道路を南へ、約100mで右(西)へ、旧撫養街道です

 JR鳴門線の踏切を越えて「郡頭橋」を渡って直ぐ左(南)へ

 約350mで信号を右(西)へ、県道12号徳島引田線です

 道成りに約2.9kmの「地蔵寺⇒」の標識に従って信号を右(北)へ

 約300mで左手に地蔵寺の駐車場が見えて来ます

 駐車場に車を止めさせて頂きました

 南向きの参道の仁王門です

 地蔵寺寺号標です
 山門を入ると正面右手にイチョウです

 大銀杏・樹齢約800年のプレートです、樹高20m、目通り幹囲5.4mの巨木です

 南側から、根が地面に露出していますのでカラーコーンで一部囲われています

 西側から、後方に大師堂です

 北側から、後ろに見えるのは鐘楼と、山門の仁王門ですね

 では、納経所に依って寄って次へ行きましょう


 2024・6・7・15・00
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徳島県板野町、羅漢林東「四国八十八ヶ所第5番・地蔵寺」です!!

2024-06-30 06:30:13 | 四国八十八霊場
 羅漢林東地区は、板野町役場の西約3kmのところ

 板野町役場の東側の道路を南へ、約100mで右(西)へ、旧撫養街道です

 JR鳴門線の踏切を越えて「郡頭橋」を渡って直ぐ左(南)へ

 約350mで信号を右(西)へ、県道12号徳島引田線です

 道成りに約2.9kmの「地蔵寺⇒」の標識に従って信号を右(北)へ

 約300mで左手に地蔵寺の駐車場が見えて来ます

 駐車場に車を止めさせて頂きました

 南向きの参道の先の門前町北端から

 山門の仁王門です

 四国霊場 第5番 地蔵寺寺号標です

 日本遺産プレートです


 手水舎です

 山門を入ると左手に本堂ですが、現在屋根の修理中のようで防風ネットで覆われています、お参りは出来ました

 本堂北側の六角堂は観音堂でしょうか

 本堂に対面するように大師堂です、お参りしましょう

 修行大師御尊像です

 説明石碑です
   修行大師様御縁起之碑
 都に上り一人の沙門に虚空蔵救聞持法を教わった空海様は、四国の地で厳しい山野修行に若き情熱を傾けられました。
 こちらの修行大師様はそのお姿にあやかり、まさにこれから人々のために御慈悲の道を志されんとする若き人間大師の御尊影でございます。
 台座の向かって左は高野山御縁起でございます。狩場明神伝説、奥の院御廟、燈籠堂が描かれ、根本大塔の大日如来を御本尊とし、阿弥陀如来の御座より若き僧が四国の方に手を合わせ、遍路の無事と衆生の救済を願っておられます。
 台座の右は修行大師様御縁起でございます。2001年3月18日、まるでお大師様が使わされたかのように一匹の猫が現われ、大切な長男を亡くし悲しみにくれる私どもを導き、2002年5月3日、イチョウから舞い降りるように弘法大師様が御来降されました。
 この時、自らに厳しく、人に優しく、星を愛し、ひたすら輝き続けた子は、同じ志を持つ若者達とともにお大師様の元で永遠の命を授かったのでございます。
 心をこめ念ずれば、必ずお大師様は皆様にも救いの手を延べられることでしょう。
 なお台座の中には、高野山、四国八十八ケ所をはじめお大師様に御縁の深いお寺の御石を納めております。
 本日はようお参りなされました。
   南無大師遍照金剛     願主敬白
 

 山門東側に鐘楼です

 淡路堂です

 では、境内のイチョウを見て行きましょう 

 
 2024・6・7・15・00
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徳島県板野町、黒谷居内「四国八十八ヶ所第4番 ・大日寺」です!!

2024-06-29 18:54:00 | 四国八十八霊場
 黒谷居内地区は、板野町役場の西北西約3kmのところ

 板野町役場の東側の道路を南へ、約100mで右(西)へ、旧撫養街道です

 JR鳴門線の踏切を越えて「郡頭橋」を渡って直ぐ左(南)へ

 約350mで信号を右(西)へ、県道12号徳島引田線です

 道成りに約2.9kmの「大日寺⇒」と「地蔵寺⇒」の標識に従って信号を右(北)へ

 約300mで左手に地蔵寺の駐車場が見えて来ますが先へ進みます

 約800mで徳島道の高架を潜って坂道を更に上がります
 
 道路の終点、約800mで大日寺駐車場に入りました

 東寺真言宗 第4番札所 大日寺の寺号標です

 日本遺産のプレートです

 細い参道を進みます

 山門の鍾楼門です

 説明版です
   鐘楼門 建立時期:平成30年(2018年)
 山門は平成30年(2018年)に新再建された楼門である。
 伽藍の南側に位置する門は、柱、控柱には欅材を用いその他は、檜材を用いた二層からなる鐘楼門となっている。
 屋根は入母屋造り本瓦葺として、大棟及び鳥衾には、本山、京都、東寺の寺紋である”東寺八雲”が施されている。
 上層には旧山門(江戸時代1861年建立)にあった梵鐘を再建時に移したものである。
 朱色の彩色は弁柄を用い、桐油を上から塗布し対候性に配慮した。
 設計及び施工は、阿波市土成町の大工(棟梁大工 新居哲夫)が施工した。

 参道を進みます

 参道左手には弁財天のようです

 手水舎です

 薬師堂です

 本堂です、お参りしましょう

 石仏が並びます

 大師堂です

 大師堂前には羅漢槙です

 説明版です
   大日寺「羅漢槙」
 (分類)マキ科 マキ属 常緑針葉
 この木は、江戸時代宝暦4年(1754年)頃、本堂の再興時に植樹されたと考えられている。
 ラカンマキはイヌマキの変種で、秋に生る実の形が袈裟をまとった僧侶に見えることから”羅漢槙”と名付けられた。
 *イヌマキの巨木としては、長崎県平戸市亀岡公園のイヌマキが目通り7.1mの巨木で、羅漢槙としては、石川県穴水町の地福院の羅漢樹(このブログの2019年9月19日に紹介)が目通り幹囲4.3mで最大と思われます。

 東側から見ました


 仏像修理説明版です

 それでは、納経所に寄って、先ほど前を通って来た地蔵寺へ戻ります


 2024・6・7
 
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徳島県板野町、大寺亀山下「四国八十八ヶ所第3番・金泉寺(こんせんじ)」です!!

2024-06-29 06:50:00 | 四国八十八霊場
 大寺亀山下地区は、板野町役場の東北東約1kmのところ

 板野町役場の東側の道路を南へ、約100mで左(東)へ、旧撫養街道です

 道成りに約700mで道路奥に山門が見えましたので左(北)へ

 山門の仁王楼門です

 山門の西側が普通車用駐車場に成っています

 お遍路さんの道標です、第2番極楽寺から約2.5km、徒歩で35分、車で8分です

 「四国第三番 金泉寺」の寺号標です

 仁王門建立石碑です
   亀光山 釈迦院 金泉寺仁王楼門建立之誌
 当山は徳島県板野郡板野町大寺と謂う地名に所在し、亀光山釈迦院金泉寺と称す。本尊は釈迦、阿弥陀、薬師の三如来を奉祀し、高野山真言宗に属し、四国霊場第三番なり。
 抑々当山の創建は、人皇第45代聖武天皇の勅願にて、天平年間に鎮護国家のため、行基菩薩をして此の地に寺塔を建立せしめ、金光明寺と号せり。その寺域は頗る広く、今の地名を大寺と云う。その後、大同年間、弘法大師四国霊場御開創にて御巡錫の砌、住民常に水不足に苦しむを知り、井戸を掘らせられるに、不思議や霊水湛々として湧出す、住民これを見て黄金の泉と称えり。 
 大師金光明寺を再建し、寺号を金泉寺と改め四国第三番の霊場と定められたり。
 その後、人皇第90代亀山天皇文応元年、即位し給うも在位2年にし譲位し、上皇となり給うて院政を行い給い、文永、弘安の役には自ら伊勢神宮に籠り身を以つて国難に当らせ給い、また朝廷訴訟の法を制定なし給いて徳政の興行と呼ばれ給いしも、皇統継承順位の乱れに失意なし給い2年後には譲位し法王とならせ給うて、大師の遺跡また霊場を順拝し給うに、当山への御叡信殊に浅からずして玉履を留まらせ給い。寺内に御座所を設らい、寺背の丘陵をして亀山と名付け、寺の山号を「亀光山」と賜号なし、荒廃の諸堂は新たに改修し給い。また特に御勅命にて洛陽の蓮華院を擬して三十三間堂を建立し、千手観音を勧請なし給い、寺を経所房となし、いつまでも遠近の学侶相集り講論研鑽の肆となし給い、更に当山の寺紋を菊水と定め給う等、七堂伽藍の偉容は愈々整い隆栄たりき、其の頃、長慶法王辛酉革命にて当山に御駐輩あり、久しく御不豫なれど、応永5年3月19日、御宝壽53才にて崩御遊ばされしぞ傳う。
 斯の如く由緒交々にして威勢ならも、時は戦国の世にて天正10年8月、長曾我部元親氏の兵火にて当一山の伽藍並びに開創以来841年に亘る寺績も悉ごとく灰燼に帰せり。誠に惜しむ可さなり。その後の復興は至難にして容易ならざるも時の住房、寛昌、宥由、義渕、の先師に依り、36年の歳月を経て元和6年、護摩堂を再建し續く法印、宥昌、宥義、宥盛の先師にて現存の寺域を確定し天保3年現在の本堂を再建せり。
 その後、方丈、大師堂等々の復旧を見らも既に老朽化の現象多く顕現せり、依って以て宗祖、弘法大師御入定一千百五十年御迷忌に係り報恩謝徳の御為めに裏面の如く、山内諸堂の整備を営なみ、且つ当山守護の金剛力士を新たに勧請せんが為の山門を新築し落慶して、大師の報恩に奉答し且つ永えに由諸を後世に伝え、当山護持の資にあらん事を希い、是が銘をして残すもの也。
   亀光山金泉寺中興25世住職 弦元和信 合掌

 日本遺産プレートです

 仁王門を潜りましょう

 参道を進みます

 手水舎です

 鐘楼です

 参道脇の祠は「天満宮」です

 本堂前です

 本堂です

 倶利伽羅龍王です

 説明版です
   倶利伽羅龍王(くりからりゅうおう)不動明王の化身といわれる龍王
     十二支の御守本尊
 ◎千手観世音菩薩(ねずみ年生まれのお守本尊)
  千手の手とその手に目をもつ観世音菩薩で、千とは方便が無量であると意味します。延命、減罪、除病を祈り、さしのばされた手は、永遠の幸福をさずけることでしょう。
 ◎虚空蔵菩薩(うし・とら年生まれのお守本尊)
  虚空が無辺の功徳を包み入れるように限りない智恵と慈悲とをそなえた大菩薩で、人々に福徳円満をさずけます。
 ◎文殊菩薩(うさぎ年生まれのお守本尊)
  「文殊の智恵」といわれますように智恵と戒律をつかさどる菩薩です。我々の日常生活に普遍に智恵と悟りをみちびくことでしょう。
 ◎普賢菩薩(たつ・み年生まれのお守本尊)
  釈迦三尊に文殊菩薩と共に左右にお並びになりますこの尊像は一名遍吉菩薩ともいわれます。理智と慈悲の徳によって永遠の幸福な人生を得ることでしょう。
 ◎勢至菩薩(うま年生まれのお守本尊)
  阿弥陀様の脇に観世音菩薩とお並びになり智恵第一の菩薩と称されます。合掌されたお姿からは、一切の苦難から離れ安楽ならしめるでしょう。
 ◎大日如来(ひつじ・さる年生まれのお守本尊)
  宇宙すなわち昼夜の別なる日の神の力よりも、もっとはるかに上まる智恵と慧の光明をもってすべての現象の根源とされる仏様です。全世界の平和と繁栄をつかさどる仏様といっても過言ではないでしょう。
 ◎不動明王(とり年生まれのお守本尊)
  慧刀、羂索を保持し一目でにして威怒身で猛火の中岩盤上に立っているお姿より御仏の守護であると申せましょう。不動の明王は私たちの煩悩を除ぞき一切の災いを打ち砕いてくれます。
 ◎阿弥陀如来(いぬ・いのしし年生まれのお守本尊)
  無限の慈悲と永遠の存在と徳を与えられます。すべての人々に大悲をもって永遠の救いをなされます。

 大師堂です

 六角形の観音堂です

 地蔵堂の中には黄金地蔵尊です

 こちらは閻魔堂です

 六地蔵様です

 多宝塔です

 源義経阿波進軍物語ですね

 おへんろさん道しるべで、次4番大日寺までは約6.5km、徒歩で90分、車で15分ですね

 では、納経所に寄って、次は「巨木・大木」を見に行きましょう


 2024・6・7・14・15
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徳島県板野町、大寺岡山路「岡上神社・岡の宮の大クス」(県指定)です!!

2024-06-29 02:25:00 | 巨樹・大木
 大寺岡山路地区は、板野町役場の直ぐ西側の地区です

 板野町役場の東側の道路を南へ、約100mで右(西)へ、旧撫養街道です

 JR鳴門線の踏切を越えて約400mの右手(北側)に

 南向き参道で岡上神社が鎮座します

 手前の道路幅の広いところに車を止めさせて頂きました

 岡上神社の社號標です

 玉垣に「徳島県指定天然記念物 岡の宮の大クス」の標柱です

 境内に入って南側から

 石碑です

 説明版です
   徳島県指定天然記念物
     岡の宮の大クス
       所在地 徳島県板野郡板野町大寺字岡山路7
       指定年月日 昭和48年(1973)8月21日
 樹齢約700年と推定されるクスノキです。
 樹木の高さは約35m、枝の広がりは東西約27m、南北約37mとみられます。
 大クスの北側に、江戸時代の明和5年(1768)に建てられた石碑があります。
   岡大明神御神鏡木 当村氏子中
   郡御奉行  比楠明和五子二月御改往古ヨリ之運
   安宅御目附 御立置奉願処御聞届之上印者也
 船を造るから、大クスを差し出せとの命令がありましたが、御神鏡木だからと願い出たところ、許されたという記念碑です。
 氏子たちが、命がけで護ってきたこの大クスは、今に受け継がれ保護されています。
    平成21年(2009)7月1日
      徳島県教育委員会
      板野町教育委員会

 南西側から

 西側から見上げました

 北西側から

 北側から

 東側から

 石段を上って社殿にお参りしましょう

 石段から見ました

 まだ見えて来ません

 拝殿です

 本殿覆い屋です

 では、戻って次へ行きましょう

 
 2024・6・7・14・40
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徳島県北島町、北村水神原「光福寺のイチョウ」(県指定)です!!

2024-06-28 18:33:00 | 巨樹・大木
 北村水神原地区は、北島町役場の北北東約1.5kmのところ

 北島町役場の南側の県道14号線を東へ直ぐの信号を左(北)へ

 約1.6kmの信号を右(東)へ、約400mで道路左手に光福寺の入り口です

 本堂では法事が行われている様でしたので、車を南側の神社境内に止めさせて頂きました

 目的のイチョウです

 東側から

 「徳島県指定天然記念物 光福寺のイチョウ」の標柱です

 説明版です
   徳島県指定天然記念物
    光福寺のイチョウ
      平成14年(2002)壬午年8月6日指定
  説明事項
 主幹周7.75m、樹高20m
 地上4mで二幹となっている。
 枝張りは東西18m、南北18mであり、樹形雄大な雌樹である。
 このイチョウの木は、糸引き婆さんの伝説でも、有名である。
 文化財保護条例第35条の規定により、天第346号指定
   徳島県教育委員会 北島町教育委員会

 北側から見上げました

 では、次へ行きましょう


 2024・6・7・11・15
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徳島県鳴門市、大麻町桧「極楽寺の大杉(長命杉)」(市指定)です!!

2024-06-28 12:30:02 | 巨樹・大木
  大麻町桧地区は、鳴門市役所の西約11kmのところ

  鳴門市役所の西側の国道28号線を南西へ進みます、約1kmの「大津町吉永」信号を右(西北西)へ、県道12号川北街道です

 約11.9kmで斜め右(西)へ入ると、極楽寺の駐車場です

 霊山寺から約1.2km5分程で到着しました

 案内図です、長命杉と表記された大杉は薬師堂前ですね

 参道を進みます

 一段上がって

 左手に目的の長命杉(大杉)です

 説明版です
   鳴門市指定 天然記念物
     大杉
       昭和42年11月9日指定
 寺歴によると、真言宗租弘法大師が四国霊場開創の折、当山において21日間修法を修せられ当山を末永く守護せよとの祈りをこめて、この地に大師自らお手植されたと記録されている。
 自来1000余年の風雪に耐え実に雄大となった大杉は参詣者から長寿をさずかるといわれ、別名長命杉と呼ばれている。

 *鳴門市のホームページによれば・・・
 四国八十八ヶ所第二番札所極楽寺の境内にある老巨樹である。寺伝では弘法大師お手植えの杉と伝えられ、この樹の肌に触れることによって長命を保ち天寿を全うするといわれ、そのため「長命杉」と呼ばれている。
 樹齢は不詳だが、幾百年の星霜、風雪に耐えた生命力のたくましさは見る者を驚嘆させる。
 平成5年(1993)樹が北側に傾き始めたため、鉄の支柱で支えている。

 南側から、目通り幹囲4. 65m、樹高15m、樹齢1100年の大木です

 南西側から見上げました、太い注連縄が巻かれた御神木ですね

 本堂と大師堂にお参りしてきました

 北側の参道から見ました

 四国八十八ケ所 遍路道中図です

 では、納経所に寄って次へ行きましょう

 
 2024・6・7・13・55

 
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徳島県鳴門市、大麻町桧「四国八十八ケ所・第2番・極楽寺」です!!

2024-06-28 06:42:29 | 四国八十八霊場
 大麻町桧地区は、鳴門市役所の西約11kmのところ

  鳴門市役所の西側の国道28号線を南西へ進みます、約1kmの「大津町吉永」信号を右(西北西)へ、県道12号川北街道です

 約11.9kmで斜め右(西)へ入ると、極楽寺の駐車場です

 霊山寺から約1.2km5分程で到着しました

 東向きに山門の仁王門です

 「四国霊場第二番極楽寺」の寺号標です

 日照山 極楽寺の案内図です、本堂は仁王門の北西方向になるようです

 願掛け地蔵です

 本堂・大師堂で誦る般若心経の説明です
   般若心経のその心〈般若心経・現代語訳〉
 全知者であるさとった人に礼してたてまつる。
 求道者にして聖なる観音は、深遠な知恵の完成を実践していたときに、存在するものには5つの構成要素があると見きわめた。しかも、かれは、これらの構成要素がその本性からいうと、実体のないものであると見抜いたのであった。
 シャーリブトラよ、この世においては、物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象で(あり得るので)ある。
 実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。また、物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。
 (このようにして)およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことである。およそ実体がないということは、物質的現象なのである。これと同じように、感覚も、表象も、意志も、知識も、すべて実体がないのである。
 シャーリブトラよ、この世においては、すべての存在するものには実体がないという特性がある。生じたということもなく、減したということもなく、汚れたものでもなく、汚れを離れたことでもなく、減るということも、増すということもない。
 それゆえに、シャーリブトラよ、実体がないという立場においては、物質的現象もなく、感覚もなく、表象もなく、意志もなく、智識もない。眼もなく、耳もなく、鼻もなく、舌もなく、身体もなく、心もなく、かたちもなく、声もなく、香りもなく、味もなく、触れられる対象もなく、心の対象もない。眼の領域から意識の領域にいたるまでことごとくないのである。
 (さとりもなければ)迷いもなく(さとりがなくなることもなければ)、迷いがなくなることもない。
 こうして、ついに、老いも死もなく、老いと死がなくなることもないというにいたるのである。苦しみも、苦しみの原因も、苦しみを制することも、苦しみを制する道もない。知ることもなく、得るところもない。それゆえに、得るということがないから、諸々の求道者の知恵の完成に安んじて、人は、心を覆われることなく住している。心を覆うものがないから、恐れがなく、転倒した心を遠く離れて、永遠の平安に入っているのである。
 過去・現在・未来の三世にいます目ざめた人々は、すべて、知恵の完成に安んじて、この上ない正しい目ざめをさとり得られた。
 それゆえに人は知るべきである。知恵の完成の大いなる真言、大いなるさとりの真言、無上の真言、無比の真言、すべての苦しみを鎮めるものであり、偽りがないから真実であると。その真言は、知恵の完成おいて次のように説かれた。
 往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ。彼岸を全く往ける者よ、さとりよ、幸いあれ。
 ここに知恵の完成の心を終わる。

 *シャーリブトラは、釈迦十大弟子の一人です。

 招福弁財天です

 更に参道を進みます

 多くの地蔵様達がいらっしゃいます

 平和観音様です

 一段上がります

 薬師堂です

 鐘楼です

 観音堂です

 大きな線香立てと仏足石です

 石段を上がります

 本堂です

 右手奥に大師堂が見えます

 御大師様です

 大師堂です

 長く成りそうなので続きにさせて頂きます

 次は、境内の長命杉を見てみましょう

 
 2024・6・7・13・50
 
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徳島県鳴門市、大麻町板東塚鼻「四国八十八ヶ所・第1番・霊山寺(りょうぜんじ)」です!!

2024-06-27 18:30:17 | 四国八十八霊場
 四国八十八ケ所は、四国にある空海(弘法大師)ゆかりの88ケ所の仏教寺院の総称で、四国霊場の最も代表的な札所であります。他に「八十八箇所」「お四国さん」「本四国」などの呼称があります。
 四国八十八箇所を巡礼(巡拝)することを「四国遍路」や「遍路」といい、四国八十八ヶ所霊場会では「四国巡礼」といい、他に「四国巡拝」などともいいます。(ウィキペディアの一部抜粋です)

 そんな四国巡礼の第1番 霊山寺です

 大麻町板東塚鼻地区は、鳴門市役所の西約10kmのところ

 鳴門市役所の西側の国道28号線を南西へ進みます、約1kmの「大津町吉永」信号を右(西北西)へ、県道12号川北街道です

 約10.8kmの県道右手に霊山寺の山門の仁王門が見えます

 手前の「一番札所 大駐車場」に車を止めさせて頂きました。此処や山門西側の「門前一番街」で「四国巡礼」の準備が出来ます

 駐車場入り口の納経所を兼ねた売店で巡礼装束や用品・納経帳を買うことが出来ます

最低限の装束と納経帳を買いました、一緒に「四国遍路・作法とお経の意味」という冊子も頂きましたよ、まずはこれを読んでからですね

 他に持ち物は、菅笠や金剛杖、輪袈裟、念珠に経本、線香やロウソク等を入れる山谷袋などもあったら、一人前の「お遍路さん」の出来上がりなのかもしれませんが・・・

 また、正式には「本堂」や「大師堂」にお参りしてから、納経帳に印や文字を記入して頂く訳ですが、この納経所(売店)では既に記入されて販売していました

 なので、片意地張らずに第1番から順に「巨木・大木」巡りをしながら回ることとしました

 「四国第一番霊山寺」の寺号標です

 山門を入ると手水舎です

 左手に鐘楼です

 西側奥に多宝塔です

 右手池の奥に大師堂ですが、先に本堂へ行きましょう

 参道脇の「三鈷松」です

 木々の奥に本堂です、

 ここでお参り(謹行次第に従って般若心経や御本尊の真言などを誦えること等)します

 手前左手に不動明王堂です

 十三仏堂に並ぶ仏像です

 戻って大師堂でもお参り(同上)します

 駐車場に戻って、二番の極楽寺へ向かいましょう、わずか1.2km西です


 2024・6・7・13・35

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徳島県鳴門市、大麻町板東広塚「阿波一の宮大麻比古神社」です!!

2024-06-27 12:30:04 | 文化財・寺社
 大麻町板東広塚地区は、鳴門市役所の西約10kmのところ

 鳴門市役所の西側の国道28号線を南西へ進みます、約1kmの「大津町吉永」信号を右(西北西)へ、県道12号川北街道です

 約9.4kmの「徳島学院」の標識に従って右折車線に入ると信号の先に「阿波一の宮大麻比古神社」の案内板が有ります

 約300mの高松自動車道の高架を潜ってすぐを左(西)へ

 約300mで右(北)へ曲がると赤い大鳥居です

 大麻比古神社社號標です

 道成りに石灯籠が並ぶ参道を進んで約700mで赤い欄干の祓川橋です

 石鳥居です、鳥居を潜った境内が駐車場に成っています

 境内案内図で確認しましょう

 幅の広い石段を上がります

 右手に手水舎です

 古神札納所です

 拝殿が見えてきます

 説明版です
   阿波一宮 大麻比古(おおあさひこ)神社神社由緒
 御祭神 大麻比古大神 猿田彦大神
 由緒 社伝によると、神武天皇の御代に天太玉命(大麻比古大神)の子孫である天富命が勅令により肥沃の地を求めて全国各地を巡り、阿波国に到り麻や楮を育て麻布・木綿を作り、殖産興業の基を築き、当国の国利民福を進めた。
 太祖である天太玉命(大麻比古大神)を阿波国の守護神としてこの地にお祀りした。
 猿田彦大神は、大麻山の山頂にお祀りされていたが、後世に当神社に合祀された。
 延喜式神名帳には「名神大」と記され、また平安中期には朝廷より「阿波国一宮」と、当国内で第一の地位と称えられた。阿波・淡路両国の総氏神として崇敬された。
 第56代清和天皇貞観元年(859)には、朝廷より神階・従五位を賜り、以後順次進階し、第114代中御門天皇享保4年(1719)に正一位を賜った。
 当国代々の国司・領主・藩主の厚い崇敬を受け、社殿の造営や祭費の献上や神田・山林が寄進された。
 明治6年(1873)6月13日国弊中社に昇格した。また、明治13年(1880)1月には、3年の月日をかけ国費をもって本殿・拝殿以下諸舎の造営が行われた。
 祝詞殿・内外拝殿は、昭和45年(1970)8月に県内外の氏子崇敬者の浄財によって造営。昭和58年(1983)6月に社務所・昭和59年(1984)7月には参集殿が竣工した。
 平成14年(2002)7月には、祓川橋の架け替え・参道石灯籠・駐車場舗装工事など境内整備工事が進められた。同年12月に2代目大鳥居が朱塗りも鮮やかに建立した。
 令和4年(2022)10月には令和御大典奉祝記念事業として御社殿群御屋根葺替及び改修工事が県内外の方々の御奉賛により、銅版御屋根が竣工した。

 拝殿です


 本殿です

 本殿西側の豊受社です

 山神社です

 中宮社です


 左奥へ進むと「心願の鏡池」と「めがね橋」です

 説明版です
   心願の鏡池
 第1次世界大戦のさなか、中国青島(チンタオ)の戦いで捕虜になったドイツ兵士約千人が大正6年から9年にかけて、異郷の地坂東俘虜収容所に過ごした。
 ドイツ兵士達が、遠い祖国を偲びながら一日も早く故国に帰れることを願いつつ当神域を散策し、記念のため境内に池を掘ってメガネ橋を配し、小谷にドイツ橋を架けた。
 坂東の地で、日々を送った兵士達は、地元の人々と国境を越えた暖かい友情で結ばれ、今も尚、日独友好の灯をともし続けている。
 以来七十有余年を経て、この度当神社では、神池を拡張し、メガネ橋の周辺を整備して、「心願の鏡池」と命名した。
     平成4年3月吉日  阿波国一の宮 大麻比古神社社務所
    めがめ橋
 ドイツ橋と共に現存する一つで、本殿裏の心願の鏡池に架けられている。
 完成はドイツ橋より少し前の大正8年4月(1919)である。
 全長4.3m、全横1.2m。撫養石製、石積二重橋。

 奥宮 峯神社遥拝所です

 ドイツ橋へ行ってみましょう

 ドイツ橋です

 説明版です
   ドイツ橋
 第1次世界大戦当時、近隣の坂東俘虜収容所で捕虜生活を過ごしていたドイツ兵士が、地域との自由な交流の中で地元への感謝の気持ちを込め、母国の優れた土木技術を生かし、大正6年6月から大正8年6月までに10の橋を造った。
 木橋が6橋、石橋が4橋で、現存するドイツ橋は同8年6月に神社境内の丸山公園に造った最後の石橋である。
 今では日独両国の友情の架け橋とされている。
 県の史跡(平成16年1月)に指定されている。全長9m、全横2.1m、高さ3.2m、撫養石(和泉砂岩)製、総重量約195トンの石積アーチ橋。


 下流側からドイツ橋です

 もう一枚の説明版です
    ドイツ橋
 第1次世界大戦の際、中国の青島で捕虜となったドイツ兵953人が、大正6年から9年までの間、大麻町桧の坂東捕虜収容所に収容されていました。
 この間地元住民との間に”国境を越えた人間愛と友情”がめばえ、高い水準のドイツ文化が伝えられました。
 バターやチーズの製法、博覧会の開催、楽団による演奏会等地元の発展に大きく貢献しました。
 帰国を前に記念として母国の土木技術を生かし近くで採れる和泉砂岩を使ってドイツ橋が造られました。
     四国のみち  環境庁 徳島県

 奥宮へのルートですが、ここまでにします

 戻って、次は境内の大楠です
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徳島県鳴門市、大麻町板東広塚「大麻比古神社のクスノキ」(市指定)です!!

2024-06-27 06:33:34 | 巨樹・大木
  大麻町板東広塚地区は、鳴門市役所の西約10kmのところ

 鳴門市役所の西側の国道28号線を南西へ進みます、約1kmの「大津町吉永」信号を右(西北西)へ、県道12号川北街道です

 約9.4kmの「徳島学院」の標識に従って右折車線に入ると信号の先に「阿波一の宮大麻比古神社」の案内板が有ります

 約300mの高松自動車道の高架を潜ってすぐを左(西)へ

 約300mで右(北)へ曲がると赤い大鳥居を潜ると

 道成りに石灯籠が並ぶ参道を進んで約700mで赤い欄干の祓川橋です

 石鳥居です、鳥居を潜った境内が駐車場に成っています

 境内案内図です

 広い参道石段を上りましょう 

 もう一段上参道右手に目的のクスノキが見えて来ます

 南側から、太い注連縄が巻かれています

 クスノキの前に賽銭箱です

 南西側から

 西側から

 案内板です
   御神木 楠
 樹齢約千年余、大麻比古神社の御神木として崇められています。
 目通り 8.3m、樹高22m
   平成7.6.12 鳴門市指定 天然記念物

 北東側から

 東側から見上げました

 拝殿前参道から境内中央東側のクスノキを見ました

 では、次へ行きましょう


 2024・6・7・13・00
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徳島県鳴門市、大麻町津慈「津慈八幡神社のクスノキ2本」(市指定)です!!

2024-06-26 18:37:57 | 巨樹・大木
 大麻町津慈地区は、鳴門市役所の西南西約10kmのところ

 鳴門市役所の西側の国道28号線を南西へ進みます、約1kmの「大津町吉永」信号を右(西北西)へ、県道12号川北街道です

 約9.0kmの「藍住⇑」の標識に従って信号を斜め左(南南西)へ、坂東跨線橋を越えます

 約1.4kmの「鳴門藍住大橋」の北詰信号を左(東南東)へ、旧吉野川の土手道です

 約200mで道路左手に大な木の樹冠が見えました

 土手道を下ると大きなクスノキ(南樹)です

 津慈八幡神社の南向き参道入口に立っています

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 南側から

 南東側から、後方には下って来た旧吉野川の土手です

 参道を進みましょう

 説明版です
   鳴門市指定天然記念物
     津慈八幡神社のクスノキ
       平成19(2007)年6月5日指定
       所在地:鳴門市大麻町津慈字宮ノ本154
 津慈八幡神社は、戦国時代、勝端城主三好氏の家臣であった斎藤氏が当地に居住し、武人の守護神として勧請したと言い伝えられている。
 また、当地は旧吉野川北岸に接して、勝端城館から約2kmの場所にあることから、水上交通の要衝に位置していたと考えられる。
 2樹のクスノキは参道東側にあり、社殿に近い一樹(北側)は、幹周り7.43m・樹高約20m、旧吉野側寄りの一樹(南側)は、幹周り7.05m・樹高約18m、に達する。
 津慈八幡神社の2樹のクスノキは、両樹ともに八幡神社の神木として保護されてきたものであり、クスノキの自然な樹形が保たれ鳴門市屈指の巨樹として貴重である。
     〈この説明版は、鳴門市ふるさと納税寄付金を活用して設置しました。〉
     鳴門市教育委員会

 更に参道を進むと

 2本目のクスノキ(北樹)です

 南西側から

 西側から

 北西側から

 北側から

 お百度石です

 手水舎です

 拝殿です


 本殿を覆い屋の中に見ることが出来ます

 本殿裏側にもクスノキの大木です

 南側から

 南西側から見ました

 境内社が並んでいます

 では、次へ行きましょう


 2024・6・7・12・15
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徳島県鳴門市、大麻町萩原アコメン「萩原春日神社のスダジイ(林)」(市指定)です!!

2024-06-26 12:35:29 | 巨樹・大木
 大麻町萩原アコメン地区は、鳴門市役所の西約9kmのところ

 鳴門市役所の西側の国道28号線を南西へ進みます、約1kmの「大津町吉永」信号を右(西北西)へ、県道12号川北街道です

 約8.0kmの萩原地区で信号を斜め左(南西)へ、JR鳴門線の踏切を渡って右(北西)へ、旧撫養街道です

 約600mで右手に春日神社が南向きに鎮座します

 西側の「自治会萩原集会所」前に車を止めさせて頂きました

 鳥居です

 手水舎です

 拝殿です

 本殿です、本殿は古墳の上に載っています

 本殿後ろ側に大きなスダジイが見えました

 拝殿東側に説明版です
   鳴門市指定天然記念物
     萩原春日神社のスダジイ林
       平成19(2007)年6月5日指定
       所在地:鳴門市大麻町萩原字アコメン11-1,12
 萩原春日神社の社叢林は、スダジイが優占する暖温帯の常緑広葉樹林が広がっている。
 その構成は、40種以上ある。スダジイの他、ツブラジイ、マテバジイ、ムクノキ、クスノキ、ホルトノキ、ナナミノキの高木と、アラカシ、クロガネモチ、モッコク、イヌガヤ、イスノキ、クスノキ、センダン、ヤブツバキ、スダジイ、ムクノキ、フユズタの亜高木が主体となり、社叢林を構成している。
 特に本殿背後のスダジイは、幹周り6.8m、樹高18mと県内屈指の巨樹であり、自然に近い樹林の姿を留めていることが貴重であると評価されている。
 また、この春日神社は、天文3年(1534)阿波国守護細川持隆のとき、阿波郡秋月より萩原の地に遷祀したと伝えられる。
 阿讃山脈から南流する樋殿谷川左岸の扇状地上にある春日神社の森には、古来より「七盛り七池」と伝えられる古墳群が願存する。
 神社本殿下にある直径22m、高さ3.3mの1号墳(円墳)をはじめ、直径10m前後の円墳6基を含む7基が確認され、過去の発掘調査成果などから、6世紀中頃~後半の築造と推定される。
 当地は豊かな自然と悠久の歴史を感じることのできる場所が、地域で永く守り伝えられてきた点において貴重である。
     〈この説明版は、鳴門市ふるさと納税寄付金を活用して設置しました。〉
     鳴門市教育委員会

 社殿西側に廻って見ました

 本殿脇に上がりました

 スダジイを見上げました

 北側から

 北北東側から

 北東側から

 東側から

 本殿前に戻って来ました

 社殿東側の境内社です

 では、次へ行きましょう


 2024・6・7・11・50
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徳島県鳴門市、大麻町松村羽坂「観音庵のクスノキ」です!!

2024-06-26 06:30:11 | 巨樹・大木
 大麻町松村羽坂地区は、鳴門市役所の西南西約8kmのところ

 鳴門市役所の西側の国道28号線を南西へ進みます、約1kmの「大津町吉永」信号を右(西北西)へ、県道12号川北街道です
 
 約4.1kmで信号を左(南)へ、県道39号徳島鳴門線です

 約1.1kmで「坂東⇒」にお標識に従って信号を右(西)へ、県道226号津慈広島線です

 約1.1kmの「第二大谷川 河川管理境界標」の所を斜め右(北西)へ

 約300mで左(西)へ橋を渡ります、道成りに約600mで右(北)へ進むと

 交差点の中央付近に大きな木が見えて来ました

 南側から、両側を道路に囲まれて目的のクスノキです

 東側から、頂部は完全に枯れてしまっています

 北東側から、目通り5.82m、高さ9mの巨木です

 北側から

 クスノキの北東側に観音庵です

 宝篋印塔です

 モチノキです

 観音庵です

 *高野山真言宗、創建は不詳ですが、現在の建物前の石の階段の手すりに天保二年(1831)と書かれています。
 *観音庵前の道路中央の大きなクスノキは、以前は観音庵の敷地内にあつたと推測され、道路拡幅によって道路内に取り残されたものと推察されます。

 では、次へ行きましょう



 2024・6・7・11・30 
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