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ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

宮城県角田市、鳩原「福應寺毘沙門堂の千年榧」(市指定)です!!

2020-02-29 06:37:45 | 巨樹・大木
鳩原地区は、角田市の北の端です

角田市役所の北北東約1kmのところ

国道349号線で阿武隈川左岸の田圃の平地を北へ

東根橋で阿武隈川右岸へ渡ると

県道28号丸森柴田線を北へ

県道沿いに案内板が有りますので東へ入ります

山際に福應寺が有り山門手前に駐車場が有ります



県道脇に案内板です「曹洞宗福應寺、重要文化財毘沙門天」ここを東へ入ります


参道入口です

山門です

説明版です
  福應寺案内
1、寺号 臥龍山 福應寺
2、開山 明応元年(西暦1492年)
      審岸正察禅師の開創
3、境内 1300坪(4297㎡)
     建坪 110坪(363㎡)
4、毘沙門天尊像は90cmの立像で、
 銘はないが、これは運慶に作と伝えら
 れ。福島県石川庄(旧)片平新大夫の
 守り本尊であったが、1600年地頭
 として移された際ここにお堂を造りお
 祀りしたものです。なおお堂には吉祥
 天女及び「善尼童子」の像も祀られて
 います。
5祭典 例祭5月3日、初寅祭5月初め
 の寅の日。昔より福の神として、お祭
 には遠近からの参拝者で賑わっていま
 す。
6、景観 つつじ園(百数十本)及び、
 樹齢千年を誇る名木「かやの木」があ
 ります。
昭和54年10月 角田市観光協会建立
 





左手奥に本堂です

毘沙門堂への石段上り口の鳥居です

右手本堂側に目的のカヤが在ります

近付いて見上げました

「千年榧」の札が有ります

南西側から、目通り幹囲5,5mの巨木です

説明版です
  福應寺の文化財
(略)
毘沙門堂の榧
  (平成3年5月28日 市指定)
 地際幹周り5,5m、樹高32m。
地上から6,7mで、東西二大幹に分
かれ、更に大枝が分岐しています。
 樹齢800年~1000年と推定さ
れており、地元では「千年榧」と呼ば
れています。
 平成28年3月 角田市教育委員会



鳥居の左手にもカヤの大木が在ります、目通り幹囲4m程でしょうか

毘沙門堂への石段途中から見ました


毘沙門堂です

毘沙門堂の説明板です


毘沙門堂前門の脇から千年榧を見ました

門の脇に縦に割れた説明版があります
  毘沙門天がここに祀られた因縁
 戦国時代の戦乱も終わり、伊達正宗の
仙台城も確定したころ(1610年)、
正宗の家臣、片平新太夫が、伊具郡鳩原
村(現角田市鳩原)に福島県の封地から
、ここに赴任替えになった。その時自仏
(守り神)の毘沙門天を自ら背負って来
て、福應寺境内に堂宇を造営し奉祀した
。毘沙門天には脇侍として、左脇下に妻
の吉祥天女、右下に子の善尼童子も祀っ
ている。
  秘仏毘沙門天(三尊)
 毘沙門天は秘仏であるが、全く御開帳
が無い訳ではなく、新住職(別当)が就
任して最初の寅の年に限り一回だけ御開
帳が許されている。(最近では平成22
年48年振りの御開帳)
 秘仏のこともあってか、然るべき権威
者の鑑定に、長く触れる機会に恵まれな
かったが、元住職(17世運良和尚)の
遺言もあり、昭和44年頃、鑑定を得る
ことが出来た。鑑定によれば、平安の末
期か鎌倉の初期頃の作かという。銘は見
つかっていないが、運慶の作と伝えられ
ている。


では、次へ行きましょう
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宮城県柴田町、西船迫「大光院のイチョウ」です!!

2020-02-28 06:46:26 | 巨樹・大木
西船迫地区は、柴田町役場の北約1kmのところ

阿武隈川の支流白石川の左岸

国道4号線の西船迫信号の北西側丘の中腹に

真言宗智山派 松光山 大光院 神宮寺が有ります

南側墓地入口の駐車場を利用させて頂きました

大光院参道入口です

真言宗智山派 松光山 大光院 神宮寺です

長い参道石段を上ります

途中左手に目的のイチョウが見えました、まずは本堂へ行きましょう

本堂です

参道を戻って庫裏への通路脇に目的のイチョウです

南側から見上げました目通り幹囲5,0mの巨木です

南西側から

では、本堂へ戻りましょう

本堂東側の鐘楼です

本堂の東側屋根の庇に接近してタブノキです

町制40周年記念名木古木選定の「大光院のタブノキ」平成10年10月設置の標石です

観音堂のようです

宝蔵です

説明版です
 宮城県指定重要文化財
   鉄造阿弥陀如来坐像(四躰)
「文永3年(1266年)」
 この阿弥陀如来は、阿閦如来・宝生如来・
無量寿如来・不空成就如来の4躰であり鎌倉
時代の鋳造の鉄佛で我が国に現存する鉄佛と
しては屈指の古さを誇り「略縁起」によれば
昔此の地の立石長者が旅僧の勧めによって5
躰を鋳造し一体を娘の身代わりに供養し無限
地獄の難を免がれたと言われ。に異変が
あるときは全身に汗をかいてその徴を村人に
知らせたと言われる。以来「あせかき阿弥陀
」と称され崇敬され地方の人達の絶大なる信
仰を得て今日に及んだものであります。
      昭和46年10月4日
          宮城県教育委員会
          柴田町教育委員会
          真言宗智山派大光院


墓地の入り口にお地蔵様が並んでいます

では、次へ行きましょう

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宮城県村田町、村田「白鳥神社巨木群」(町指定)です!!

2020-02-27 06:38:39 | 巨樹・大木
村田地区は、村田町の中心地です

町の北西側から北側を回って東側を南に流れる荒川の北側

村田町役場の北約500mに白鳥神社が鎮座します

参道入口の赤い神橋の南側に駐車場が有ります


「奥州の蛇藤(巨木群)」の案内板が出ています

参道入口に駐車場が有ります


白鳥神社です

参道の赤い橋を渡ります

参道鳥居です

参道左手には五重塔でしょうか

手水舎です

手水舎脇から参道を横切って「奥州の蛇藤」です


説明版です
  田村町指定天然記念物
     フジ
長さ   約25,0m
最大直径 約 1,0m(周囲3,1m)
 マメ科。蔓は右巻。花は薄い紫色で、長く
しだれ20~80cmになる。平成4年、日
本樹木保存協会により樹勢回復の治療が行わ
れた。 
 前九年の役の際、源義家が父頼義に従って
東征し、この付近で敵軍に追い込まれ窮地に
陥った時、このフジが大蛇に化けて敵兵を敗
退させたという伝説から「奥州の蛇藤」と言
われている。
  昭和44年12月22日指定
     村田町教育委員会
     平成26年3月設置

直先の参道右手にはケヤキの巨木です


説明版です
  田村町指定天然記念物
     ケヤキ
樹高 24,00m(以前の樹高です)
直径  2,35m(周囲7,4m)
 ニレ科の落葉高木。4mで日本の幹と
なり瘤が多い。
 平成4年、日本樹木保存協会により樹
勢回復の治療が行われた。 
  昭和44年12月22日指定
     村田町教育委員会
     平成26年3月設置


南側から

南東側から

境内で一番大きな杉です、大きな枝が折れた痕があります

郷社 白鳥神社の石柱が倒れています

ニノ鳥居です

狛犬です

銀杏の巨木です


説明版です
  田村町指定天然記念物
     イチョウ
 イチョウ科の落葉高木。葉は秋に黄変
する。樹高28m(以前の高さ)直径2
,1m(周囲6,6m)あった。
 平成4年、日本樹木保存協会により樹
勢回復の治療が行われた。
 平成22年11月2日未明、当地を襲
った暴風により、根元から倒伏した。 
  昭和44年12月22日指定
     村田町教育委員会
     平成26年3月設置

参道奥側から

神楽殿です

拝殿前の狛犬は丸く可愛い造形です

拝殿です

本殿です


説明石碑です
  白鳥神社の歴史





記念碑です





明神社です

八幡神社です

甲子神社です

松尾神社です

拝殿右(東)側には、杉の大木が5本密集しています

本殿裏側のシラカシです


説明版です
  田村町指定天然記念物
     シラカシ
樹高 17,00m
直径  1,35m(周囲4,2m)
 ブナ科。常緑の高木で、福島県以南
に多く、宮城県内では数が少ない。
 平成4年、日本樹木保存協会により樹
勢回復の治療が行われた。 
  昭和44年12月22日指定
     村田町教育委員会
     平成26年3月設置

南東側より

更に奥側には祠が並んでいます

出hあ、次へ行きましょう
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宮城県蔵王町、小村崎「狐塚のさいかち」です!!

2020-02-26 06:47:07 | 巨樹・大木
小村崎地区は、蔵王町役場の北北東約4kmのところ

県道25号岩沼蔵王線を北へ

小村崎地区に入り水無川を渡ってすぐ左(北)の道へ

道なりに進むと村田町境手前の三叉路です

三叉路手前山側の道を戻るように道なりに進むと

道路右手にサイカチの大木が在ります

前の道路から南側に下った田圃脇に車を止めさせて頂きました

右カーブで突然あらわれましたサイカチです

南東側から、北側の主幹は枯れてしまっているようです

南側から

案内板です
 蔵王町指定保存樹木
   第12号
 狐塚のさいかち
  (サイカチ)
平成14年3月1日指定
 蔵王町教育委員会


根元には石塔が並んでいます、馬頭観音とお地蔵様等です


北側から、目通り幹囲5,0mの巨木です

南西側から

道路には沢山のサイカチの鞘(種)が落ちていました

見た目より、まだまだ元気なサイカチですね

では、次へ行きましょう


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宮城県川崎町、龍雲寺前「龍雲寺の砂金氏・川崎伊達家墓所」です!!

2020-02-25 06:28:11 | 文化財・寺社
龍雲寺は、曹洞宗の寺院で、陽廣山龍雲寺と号します

(常正寺の説明版に有った銀杏が気になってやって来ました)

川崎町役場の東約1kmのところ

県道14号線亘理大河原川崎線を東へ

龍雲寺の案内板が有りますので左の農道へ

田圃の風景の中にぽつんと龍雲寺が有ります

山門東側に広い駐車場が有ります


案内板です

龍雲寺入口です

陽廣山 龍雲寺です

六地蔵様です

山門です

山門右手に鐘楼です

山門と鐘楼の間の鶴仙堂です


本堂です

本堂前にはシダレザクラが在ります

墓地は、境内から南にすこし離れていますので又車で移動しました

墓地前の説明版です
  龍雲寺と川崎館主
 龍雲寺は、川崎館主砂金氏と
川崎伊達氏の菩提寺である。
 関ヶ原役後、中ノ内城主(本
城)砂金氏11代右兵衛実常が
川崎館(城山)を築き、龍雲寺
を勧請して、元和4年(161
8年)現在の町割りをつくり、
城下町兼宿場町川崎お出現させ
、川崎の館主となった。初代か
ら7代までは本砂金に眠り、8
代以降は川崎に依り、約百年続
いた砂金氏も元禄15年断絶し
た。
 肉眼で判読できるのは14代
藤常公の墓碑だけである。
 その20年後の享保7年(1
723年)5代藩主吉村公は、
要害の地川崎を重視して、伊達
一門を配し知行二千石を下賜し
た。便宜上川崎伊達氏と称する
が、ここに眠る館主は、2代村
詮公から明治維新を迎えた8代
邦賢公の七公である。
 この他、山門脇にある梁川庄
八の袈裟掛け地蔵が有名である

 平成12年8月
    川崎町教育委員会



墓地前の案内板です、まずは砂金家墓所に向いましょう

常正寺の説明版に有った銀杏でしょうか

砂金氏墓所です、大きい石碑が二代砂金佐渡隆常公のものです

川崎館主砂金氏 初代龍雲寺殿門州禅無大居士
       (砂金右衛門右兵衛実常)
        二代清浄院殿賢庵叟古大禅定門
       (俗名 砂金佐渡隆常)
        延宝5(1677)年7月19日没(55歳)


墓所の近くにはシダレザクラとイチョウの大木が3本あります



川崎伊達家墓所へ行きましょう

大きな標柱が建っています

二代 村詮(むらあき)公

三代 村敏(むらとし)公

四代 村煕(むらひろ)公

五代 村賢(むらかた)公

六代 宗和(むねより)公

七代 邦和(くにより)公

八代 邦賢(くにかた)公

八代室の墓石です

向かい側(墓地側)には、川崎館主子女の墓石が並んでいます

龍雲寺山門前から雪雲のかかった蔵王を見ました

では、次へ行きましょう
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宮城県川崎町、本砂金「常正寺の大銀杏」(町指定)です!!

2020-02-24 06:49:07 | 巨樹・大木
本砂金地区は、川崎町役場の北約8kmのところ

国道457号線を道なりに北へ進みます

本砂金小学校への案内板が良い目印になります

常正寺前まで砂利道ですが車で入る事が出来ます


本砂金地区の入り口に支倉常長のふるさと川崎町の看板です

看板を過ぎると国道は東を向いて進むようになります


本砂金小学校の手前、千葉酒店の橋のところです


道路左側に「町指定天然記念物 大銀杏・常正寺跡入口」の標柱が建っています

(電柱の陰で見付けづらいです)

砂利道を北へ入ります

銀杏の樹冠が見えて来ます

曹洞宗 龍虎山 常正寺です

常正寺の大銀杏です

説明版です
  曹洞宗 龍虎山常正寺
 陽廣山龍雲寺の末寺として、明応
6(1497)年暁堂門了和尚の開
創となっている。龍雲寺は長享2(
1488)年明応覚永和尚の開山で
あり、門了和尚は龍雲寺住職第2世
である。
 この常正寺は、
・ 初代砂金蔵人大夫常重公
・ 2代主計頭常清公
・ 3代新左衛門長常公(砂金邑守護人)
・ 4代主計頭常清次郎重常公
・ 5代市正常房公
・ 6代摂津守左衛門常重公
・ 7代摂津守左衛門常隆公まで砂
金に住み
 天正3(1574)年
 ・ 8代摂津守左衛門常久公が中ノ
内城(本城)を築き
 ・ 9代三河守次郎常長公
 ・10代左衛門又次郎貞常公は、
川崎中ノ内城に住んでいたが、菩提は
常正寺と考えられるが、墓碑が見当た
らず残念ながら不詳であり、常正寺は
明治初期山火事で類焼し、廃寺となり
今は敷き詰められた石群(墓石か?)
、堂宇(古寺山本尊如意輪観音)、大
イチョウ(町指定天然記念物)五輪塔
などの供養碑が静寂の中にあり、はた
して砂金家歴代の墓碑が確認できるか
が興味深く、今後の調査解明に期待を
したいものである。
 慶長15(1610)年砂金家
・11代右兵衛実常(常房)公の時戦
功があり、伊達一族となり、川崎館を
築き初代館主となる。
・12代佐渡右兵衛隆常公
・13代砂金将監昌常公
・14代砂金四郎兵衛藤常公
・15代伊達安芸二男又次郎臨吉重常
公にも跡継ぎがなく断絶となり、砂金
家は約100年間の歴史を閉じた。砂
金家5代館主は、陽廣山龍雲寺墓地内
に聳え立つ二本の巨木銀杏樹下に永眠
している。
 平成15年3月 川崎町教育委員会


大銀杏の前には観音像が有ります

南側から

南西側から

本堂前から見ました、目通り幹囲6,1mの巨木です


現在の常正寺本堂です

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宮城県川崎町、今宿「逆(さかさ)銀杏」(県指定)です!!

2020-02-23 06:38:43 | 巨樹・大木
今宿地区は、川崎町役場の西北西約5kmのところ

県道14号線から宮城川崎インターチェンジ入口で

国道286号線笹谷街道を山形方面へ進みます

(今回は、山形自動車道で宮城川崎ICまで来ました)

松並木を過ぎると間も無く右手に逆銀杏が見えて来ます

前の農道脇に車を止めさせて頂きました


インタチェンジの観光案内図です

案内図の真中、現在地表示の上側に逆イチョウの文字が確認できます

国道の北側に大きなイチョウが見えて来ました

逆いちょうです

東側から

天然記念物 逆(さかさ)銀杏の標柱です

説明版です
 逆(さかさ)銀杏
天然記念物(植物)
 昭和49年12月16日町指定
 昭和51年 3月29日県指定
所在地
 川崎町大字今宿字銀杏木6番地
由来
 永承6年(1051)に始まった
前九年の役の際、八幡太郎義家は、
父源頼義に従い、安部頼時貞任父子
と戦った。
 貞任の敗走軍を追って、この地に
さしかかって休息した時、持ってい
た銀杏の鞭を土中にさしたまま忘れ
て行ったものが成長し、今日に至っ
たものであるといわれている、これ
が逆(さかさ)銀杏と呼ばれる珍し
い大木である。
  現況
樹齢  約950年
目通り幹周り  9,0m
幹の高さ   28,0m
枝張り 東  11,7m
    西  10,3m
    南  12,5m
    北  10,3m
平成11年3月 再建
   川崎町教育委員会




根元には石塔が並んでいます


根元から見上げました


南側から

北側から

北西側から


北東側道路から見ました

では、次へ行きましょう
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新潟県阿賀野市,関屋「諏訪神社のイチョウ」です!!

2020-02-22 06:34:59 | 巨樹・大木
国道460号線と県道27号線の交差点関屋信号から

すぐ南を西に入ったところに諏訪神社が鎮座します

鳥居脇に車を止めさせて頂きました

参道から鳥居です、鳥居脇に目的のイチョウです

諏訪神社です

南東側から

南西側から、目通り幹囲を実測したところ幹に付いた枝を入れると5,1mの巨木です

手水舎です

手水舎の脇にはモミの大木です

拝殿です

本殿は覆屋の中です

拝殿前からイチョウを見ました

では、次へ行きましょう

(この日は、近くの食堂に大きな海老フライを食べに来ていました)

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山梨県南アルプス市、十日市場「神明石動社の大ケヤキ」(県指定)です!!

2020-02-21 06:26:43 | 巨樹・大木
十日市場地区は、南アルプス市役所の東1kmところ

県道12号韮崎南アルプス線の北側に道路沿いに法憧院があります

寺院の更に北側の住宅地の中に神明石動神社が鎮座します

駐車場が無いので、法憧院に車を止めさせて頂きました


境内入口から社殿です

正一位石動神明神社です

水盤です

社殿の中には本殿祠です

社殿の右手に目的のケヤキです

説明版です
 県指定文化財
天然記念物
  十日市場の大ケヤキ
 昭和51年1月1日町指定
 昭和61年3月1日県指定
   十日町区 
   神明石動社
 この大ケヤキは樹齢およそ500年
と推定されている。樹高三方への枝張
りとも24m強、根廻り11,3mに
及ぶ。
 特に樹根は80cmの盛り上げをみ
せ、北方に1m半の根廻りを示し、樹
勢きわめて旺盛である。
 神木として郷土人の愛護を受けてき
た壮年性をなおみせている地方の名木
である。
   山梨県教育委員会
   南アルプス市教育委員会

社殿脇から

北側から、目通り幹囲8,8mの巨木です

南東側から見ました

南側の道祖神の石塔です

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山梨県南アルプス市、湯沢「湯沢の思いスギ」(県指定)です

2020-02-19 06:28:01 | 巨樹・大木
湯沢地区は、南アルプス市役所の南西約3kmのところ

湯沢地区への目印になるのはJA落合支所です

南側の道路を堤野川を渡って西へ進みます

道なりに分かれ道を右へ右へと進んで山の麓へ

途中に茶色い案内板が有ります

道なりに曲がりくねって高度を上げると

道路脇に案内板が有り車を止める事が出来ました

前日の雪が残る遊歩道を東側の沢へと降りて行きます

杉林の中を進みます

枝に付いた雪が融けて雨のように成って来ました

間も無くです

大きな幹が見えて来ました

目的の思い杉です

天然記念物の石柱です

説明版です
  山梨県指定文化財
 天然記念物 湯沢の思いスギ
種類(Cryputomeria japonica(L.inn.fil.)D.Don)
山梨県中巨摩郡甲西町湯沢中丸2248番地
  昭和35年11月7日指定
 スギは日本固有の樹種で、各地にその大木が見
られるが、本樹は連理のスギである。
 湯沢の思いスギは思い沢の北に面した斜面にあ
り、高地面と低地面の差は2,45m、根の周囲
は10m、高地上1,30mで二幹に分かれ、さ
らに50cm上で癒着している。それからさらに
1,95m上で再び二幹に別れている。
 はじめに二幹に分かれるところの目通り幹囲は
指定当時、東幹5m、西幹4,80mで合着部の
はじめから70cm上で西幹からでた枝が東幹を
貫いて出ている。この状態が連理と呼ばれる現象
である。根回りは10m、枝張り、東西20m、
樹高33m、樹勢旺盛で樹齢約500年だと言わ
れている。
 本樹はその太さも5mを越えているが、その樹
形が典型的な連理の姿を示すもので、誠に希少価
値を有するものと言える。樹名もそこから発生し
たものである。
 本樹の癒着した下部にある隙間は指定時より6
0年前には、人が通り抜けられたと言われていた
が、現在は樹幹の成長によって次第に小さくなり
つつある。
 連理-樹幹もしくは枝が相互に接触しているう
   ちに、樹木の成長につれて、両木が癒着し
   、水分をはじめとする樹液が通じるように
   なる現象をいう。

山梨の巨樹・名木100選にもなっています

南西側から見上げました

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山梨県南アルプス市、下宮地「神部神社のケヤキ」です!!

2020-02-18 07:01:08 | 巨樹・大木
下宮地地区は、南アルプス市役所のすぐ南のところ

県道42号線富士川街道の下町信号の南側に

県道を背にして東向きに神部神社が鎮座します

鳥居前の生活道路脇に車を止めさせて頂きました

(境内にも県道側から入る事ができた様です)

東向きに鳥居です

延喜式内社 神部神社です

参道脇のケヤキの大木ですが、目的のケヤキではありません

手水舎です

拝殿です

本殿です

文化財説明版です

本殿南側の境内社の祠です

目的のケヤキは、県道沿い境内南西隅に在ります(東側から)

北側から

県道を渡った北西側から、目通り幹囲6,3mの巨木です

南西側から見ました

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山梨県南アルプス市、鮎沢「古長禅寺のビャクシン樹叢」(国指定)です!!

2020-02-17 06:17:03 | 巨樹・大木
鮎沢地区は、南アルプス市役所の南南東約1kmのところ

県道42号線富士川街道のJA大井支所の北側の通りを東へ入ります

鮎沢公会堂の先に無量寺が南向きに有ります

名前の古長禅寺は手前北側に有ります

無量寺山門前の駐車スペースを利用させて頂きました

ビャクシンの在る所は、古長禅寺の飛び地だそうです



無量寺山門です

臨済宗瑞雲山 無量寺です

本堂です

無量寺山門前から参道脇にビャクシンが並んでいます

古長禅寺側からが表のようです

大きな天然記念物石碑です

説明版です
  古長禅寺のビャクシン
 国指定文化財 天然記念物
  昭和28年11月14日指定
  樹齢約700年
  ビャクシン ヒノキ科 ビャクシン属
北東隅 地上部で東西に割れている。
  根回り幹囲 東側4,40m 西側2,35m
  目通り幹囲 東側4,15m 西側2,50m
  樹高     約10,9m
北西隅 地上約1mで4っの幹に分かれている。
  根回り幹囲  約6,30m
  樹高     16,00m
南東隅
  根回り幹囲   4,05m
  目通り幹囲   3,70m
  樹高     10,90m
南西隅 地上に近い所から東西に二股に分かれている。
  根回り幹囲   5,15m
  樹高    約14,00m
 瑞雲山古長禅寺は正和5年(1316年)に夢窓国師
が本尊釈迦如来を安置、禅刹を興したことに始まる。
 このビャクシン自生地は古くより古長禅寺の飛び地と
して「お釈迦堂」と呼ばれており、開山当時四天王をか
たどり、旧客殿前庭の四隅に約10mごとに植樹された
もので通称「夢窓国師お手植えの四つビャクシン」とも
呼ばれている。ビャクシンの自然分布は本州、四国、九
州で主に海岸地方に多く自生しており、栽培されること
も多い。
 この四つのビャクシンの自生地には、弘化2年(18
45)の青面金剛の庚申塔、天保8年(1837)の観
世音菩薩像、宝永、宝暦年間の一字一石塔などがあり民
間信仰の霊場としてその往時を偲ぶことができる。


説明版の近くから順に左回りで、北西隅のビャクシンです

南西隅のビャクシンです、これが一番太い巨木サイズですね

南側から

南東隅のビャクシンです

南側から

北東隅のビャクシンです

無量寺参道から



無量寺への参道です

南側から樹叢を見ました

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山梨県南アルプス市、清水「清水八幡宮(若宮神社)の夫婦ケヤキ」(市指定)です!!

2020-02-15 06:27:37 | 巨樹・大木
清水地区は、南アルプス市役所の南南東約3kmのところ

国道52号線の川原田信号を西に入った北側に

清水八幡宮が東向きに鎮座します

すぐ北側の道路脇に車を止めさせて頂きました




境内入口の赤鳥居です

手水舎です

社殿です

境内北側のケヤキ(婦)です

南側から

北東側道路から

北側から、目通り幹囲4,4mです

社殿の北側には大きな根株(夫)が残っています

北側から

根株をアップで見ました、目通り幹囲7,4mの巨木ですが~

説明版です
  天然記念物 清水八幡の夫婦ケヤキ
 所在地 南アルプス市清水92番地
 昭和42年10月1日指定
西方 夫
 古木にして根太く二本が合着したものでは
なく、長い歳月を経て現在の珍しい姿となる。
  根廻り   20,00m
  目通り    7,40m
  樹高    27,00m
  樹齢    約650年
東方 婦
  根廻り   12,10m
  目通り    4,40m
  樹高    25,00m
  樹齢    約450年
 樹齢は東西違うがともに樹勢は旺盛である。
仲良く並んでいるところから「夫婦ケヤキ」と
呼ばれている。
  平成元年3月
      南アルプス市教育委員会
*説明版の設置から30年以上が経過してしまって
夫ケヤキは根株だけになってしまっています、残念
です。


社殿の北側には祠が並んでいます


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山梨県富士川町、天神中條「天神中條天満宮の樹叢」です!!

2020-02-14 06:37:26 | 巨樹・大木
天神中條地区は、富士川町役場の北西約1kmのところ

北側を利根川が東西に流れています

利根川公園スポーツ広場の南側に

天神中條天満宮が南向き参道で鎮座します

鳥居の傍に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました




参道入口から

天神中條天満宮です

玉垣の中には赤い鳥居です

手水舎が二つ並んでいます

境内に入って直ぐ参道左の大ケヤキです

説明版です
 この大ケヤキは推定樹齢8百年といわれ
大切に育ててきましたが、近年急激に樹勢
が衰え、樹木医の診断によると充分手当を
しないと枯死するおそれがあり、今後水分
の補給をするように周囲を囲って踏圧を防
ぐ必要があるといわれました。
 今後樹木医の元、この大ケヤキの再生に
全力を尽くしますので、皆様のご協力を是
非ともお願いいたします。
   天神中條天満宮

*あちこちの巨木が根を踏まれることにより
枯死しているようです、気を付けてお参りし
たいと思います。


参道奥側から見ました

随身門脇から、目通り幹囲5,7mです





参道右手の大スギです

参道奥側から見ました

天神様のシンボル寝牛ですね

随身門です

随身門を入って直ぐ左手には舞殿です

拝殿です

本殿です



拝殿手前左手に境内で一番太い五本杉です

拝殿前から見上げました、5本の杉の合体木ですね

西側境内から、目通り幹囲8,2mですがそれぞれは若い木のようです

南西側から


拝殿の右手には、屋根の付いた御神木のケヤキですが~

すっかり枯れてしまっているようですが、数多くの願いを叶えてくれているようです

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山梨県富士川町(旧増穂町)、青柳町「昌福寺のケヤキ」です!!

2020-02-13 06:37:05 | 巨樹・大木
青柳町は、富士川町役場の南東側すぐのところ

国道52号線の三本西側を平行する県道42号

富士川街道に面して参道を東南東二開いて

昌福寺が有ります

境内に駐車場が有りますので利用させて頂きました


参道です

山門です

鐘楼です

本堂です

説明版です
寿命山 昌福寺 由緒と文化財
 この寺は小室山開山肥前公日伝上人の
肉弟昌福阿闍梨日全上人が承仁6(12
98)年に開いた寺である。
 寺の由緒によると宗祖日蓮聖人が小室
山において善智法印(後の日伝上人)を
論伏し青柳の里におりてきたとき、この
地に疫病が流行し里人が難渋していた、
これを見た宗祖日蓮聖人が一日一夜この
地にお留りになって病難退散の経札をし
たため祈念した。青柳の里人はこれを機
縁に一宇を建立することになり善智法印
と共に宗祖に帰伏した日全上人を開祖と
仰ぎこの寺を開いた。
  鰐口(県指定文化財)
 この鰐口は「甲州神座山常住」とあり、
もとは八代郡大石和筋の神座山権現、現
在の桧峰神社の常住(寺院の備品を常住
という)とするため永徳2(1382、
南朝弘和2年)年正月に礎部基 勧進寄
進したものであるが、何かの縁故により
正福寺にもたらされたものであり、南北
朝末期の甲州における宗教社会の一断面
をうかがわせる資料である。
  虫切加持
 寺の12代一道日法上人は、京都にお
いて霊元天皇が重い病気にかかり悩まさ
れていたとき召し出され加持を行った、
すると17日ののちに全快したと云う。
 この日法上人の虫切加持。護符の秘法
はこの寺に伝えられ、今日まで参詣者は
絶えず春秋の彼岸には虫切加持の願人で
にぎわった。


本堂裏側の目的のケヤキの樹冠が覗きます

日蓮上人様です

墓地南側から

墓地西側から見ました

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