ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県長野市、戸隠「戸隠流忍法資料館前のシナノキとミズナラ」です!!

2023-10-31 18:34:23 | 巨樹・大木
 戸隠しといっても広いのです、字名が無いので戸隠神社奥社の入り口を目指します

 長野市役所の北西約16km、長野市役所戸隠支所の北澤6kmのところです

 長野市役所戸隠支所前の県道86号線を北へ、約500mで左(北西)へ、県道76号線です

 道成りに約3.3kmで戸隠神社宝光社前を過ぎ、さらに約1.1kmで火之御子社前

 更に約900mで中社前を過ぎると約2kmで奥社参道前に出ました

 目的地は戸隠神社奥社入口の東側「戸隠流忍法資料館忍者からくり屋敷」があります


 北西側から目的のシナノキです

 北側から、目通り幹囲5.2mの巨木だそです

 北側に離れて見ました

 南西側からミズナラです
 
 西側から、こちらも目通り幹囲4.8mの大木だそうです

 西北西側から


 北西側から二本を見ました

 北西側に離れて見ました

 では、次へ行きましょう
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長野県長野市、鬼無里法戸「大望峠展望台からの展望」です!!

2023-10-31 06:30:44 | ドライブ
 鬼無里法戸地区は、長野市役所の北西約17km、長野市役所鬼無里支所の北東約6kmのところ

 目的の「大望峠展望台(標高約1055m)」は鬼無里と戸隠の境の峠です

 長野市鬼無里支所(標高約680m)前から裾花川を渡って国道406号線を東へ出ます

 間も無く鬼無里信号を直進すると県道36号線です、ここから約7.7km道成りに「小川」に沿って進みます

 「展望台」の案内板に従って右へ入り坂道を上ると

 「大望峠展望台」です

 広場に車を止める事が出来ました

 伝説の谷 大望峠です

 南西方向の展望版が有ります

 小川の谷と北アルプス後立山連峰です

 北側から一夜山の肩に初雪で白くなった白馬三山の杓子岳に白馬槍と不帰切戸を隔てて唐松岳です

 五竜岳です、武田菱の岩場が確認できました

 鹿島槍ヶ岳です、山頂の双耳峰は東側からでは確認しずらくなりますね

 爺ヶ岳です、北峰と本峰の南峰が長い稜線をつくっています

 立山黒部アルペンルートのある大町市扇沢の針ノ木や蓮華岳・燕岳方面です

 展望台の北側には戸隠西岳です

 西岳の展望板です

 妙高戸隠連山国立公園 西岳連峰が屏風の様な岩場を見せています

 右(東)側から、p1.p2.p3と1800m以上の峰が並びます

 広場の方位盤は45度ずれてしまっています、車をぶつけたのかもしれませんね~

 では、次へ行きましょう
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長野県長野市、戸隠栃原「戸隠田頭の岩窟観音堂の大杉」(市指定)です!!

2023-10-30 18:39:35 | 巨樹・大木
 戸隠栃原地区は、長野市役所の西北西約15km、長野市戸隠支所の西南西約4kmのところ

 長野市戸隠支所前から県道86号線を南へ道成りに進みます

 約1.2kmで案内板に従って「川手区折橋・国道406号線」方面の右(南西)へ、県道86・404号線です

 約2.4kmの折橋で案内板の「地質化石館」方面の右(南西)へ、県道404号線です

 道成りに約2.2kmで、折橋の案内板にあった「地質化石館」(旧柵小学校の校舎)を左に直ぐ先を左(西)へ入ります

 まだまだ県道404号線です、約1.1kmで左へ道成りに進み坂道を下って行きます

 約700mで橋の手前を右後方へ、「岩窟観音自然公園900m入口」と「岩窟観音堂大杉(周囲9m)」の看板が有ります

 登り返して約200mの案内板です

 また約200mで案内板です

 約200m急な坂道を上って、神社の幟の支柱の先を右へ細い舗装路に入ります、「林道上ノ入線」です

 道成りに約300m進んで砂利道となって、約400mで道路右手に

 看板が見えて来ました

 目的の大杉の説明版です
  天然記念物 岩窟観音堂の大杉
   樹種 熊杉
   目通り周囲 8,6m
   高さ   25.0m
 平維茂手植えの杉が起源と言い伝えられている。
   樹齢 約450年(推定)
     昭和47年11月1日指定

 岩窟観音堂の説明版です
  長野市指定有形文化財(建造物)
    戸隠田頭の岩窟観音堂
      平成30年3月9日指定
 戸隠栃原の田頭集落にある岩窟観音堂である。
 観音堂内には、52枚の絵馬が奉納され、古いものは天明6年(1786)の絵馬がある。
 建物の年代を確認できる史料として、拝殿板壁に記された文政8年(1825)の墨書があり、19世紀前半以降の建築と推定される。
 本建物は、山岳地域に立地する懸造の建造物である。
 全面の拝殿とその奥の巖窟を奥殿とした造りは、独特の宗教的雰囲気を醸し出している。
 また、床下の架構が独特で、曲がった水平材を巧みに組み合わせ、その上に垂直材をたてることで床を支える。
 一般的な懸造にみられる床を支える柱はなく、架構の形は他に類を見ない。
 岩窟観音堂の隣には、市指定天然記念物の大杉が立つ。
 懸造・・・寺社建築、住宅などにおいて山または崖に持たせかけて建物を造ること。懸崖(けんがい)造ともいう。
    平成30年12月26日
        長野市教育委員会


 100m程先に駐車スペースが有りますので利用させて頂きました、東屋のある岩窟観音自然公園です

 駐車場脇の説明版です
   岩窟観音自然園
 平安の昔から伝承された天然記念物の大杉と岩窟観音堂、そして鬼女紅葉伝説、更に多くの石仏は、地域遺産として今日まで語り守られてきました。
 地域住民が住みよい環境を願い里山として手造りで育て守っている公園です。
 樹木・野草・昆虫など大切にしましょう。


 説明版のところへ戻って岩窟観音への山道を行きましょう

 石仏は観音様でしょうか

 さらに進むと

 右手に天然記念物標柱です

 右上を見上げるようにして、目的の大杉を見ました

 ズームアップしてみました

 すぐ先の木々の間からも見てみました

 山道を折り返すと観音堂と大杉です


 斜め下側から見上げます

 岩窟観音堂は大きな岩屋の前に建って居ます

 軒下に説明書きです
   名稱及び所在地
 1、妙見寺(岩窟観音堂守護寺)奥の院岩窟観音堂と稱し長野縣信濃国上水内郡柵村(しがらみむら)大字栃原ノ内の裏山に存在す
   縁起
 2、本尊観世音(弘法大師御作)
   仝馬頭観世音(仝  松せり
 右観世音の起 たるや、康保安和(964~970)の昔、本村釜巖山(后は荒倉山と称せり)に鬼女紅葉云う者穴居し、徘徊出没しして遠近の人民の残害あり。
 安和2年(969)余吾将軍平維茂勅を奉じてこれを征す。
 先是将軍駕を當国に狂ぐるも鬼女の棲所を知るに由なし、仍て小縣郡別所村北向堂観世音に祈願を込め参籠て一夜深更堂宇北に向かうと、霊夢・感應あり、即ち鬼女北方に生息す、生息を知る。遂に釜岩山に じ鬼女及び妖邪徒を掃蕩して全て平 に帰す、是れ観音大士の霊験ありと感悦す、惜 之釜岩山脈の西南の凡り30丁奇巌聳えるの地を探索し、北向山観世音の霊を分ちて此所に安置し岩窟観音と尊し、人馬等参拝する。
 古今遍し境内に老杉あり、、周囲実に3丈3尺、今尚維茂将軍手植の杉と稱賛せり。
 如是由緒の深遠霊験顕著の観音大士を敬拝し信念、神ねん溢れ、終に国宝に編入すべく其節へ目下出願中。
 3、仝地に到る順路
 長野県県庁所在地を距る、4里30丁

 観音堂の前には石仏です

 少し下に大杉が立っています

 「岩窟観音堂・維持お手植えの杉」の看板です

 *維持は平安時代の平維茂(たいらのこれもち)のことで、鬼女紅葉を維茂が討伐した紅葉伝説の伝承地です(大昌寺の説明版にも「紅葉狩」の説明がありました)

 こちらからでは余り太く見えませんね~

 観音堂と大杉の間を通って境内端から見ましたがこれが限界でした

 では、次へ行きましょう 
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長野県長野市、戸隠栃原「大昌寺鎮守の熊杉」(市指定)です!!

2023-10-30 06:32:32 | 巨樹・大木
 戸隠栃原地区は長野市役所の西北西約12km、長野市戸隠支所の南西約3kmのところ

 長野市戸隠支所前から県道86号線を南へ道成りに進みます

 約1.2kmで案内板に従って「川手区折橋・国道406号線」方面の右(南西)へ、県道86・404号線です

 約2.4kmの折橋で案内板の「地質化石館」方面の右(南西)へ、県道404号線です

 道成りに約2.2kmで、折橋の案内板にあった「地質化石館」(旧柵小学校の校舎)を左に見て坂道を更に進みます

 約700mで道路左(西側)に大昌寺参道入口が東向きに開いています

 すぐ先右手に広い駐車場がありますので利用させて頂きました

 県道沿いに説明版です
  紅葉峰 万樹林 権現山大昌寺
 虫倉・荒倉の両山を背負い、東北になだらかな飯綱山を望む「鎮守の大杉」のある竜門頭から200m余りの平坦な直線路の参道を通って仁王門に達する。
 正面に雄姿本堂が建ち、左手に十王堂、右手は庫裡と鐘桜堂・不動堂がある。
 大昌寺の前身は、永正年間(1504~21)、当地の福平城主溝口信濃守の開基した真言宗蜜厳寺で、そのあとへ慶長年間
(1596~1616)僧麟蔵主が小庵を建て、蜜厳寺本尊地蔵菩薩(現位牌堂本尊)を拝して、禅を唱え、さらに松厳芳祝によって再興開山した。
 芳祝は青原寺(現穂高町)7世で竜門寺(現明科町)、松厳寺(現鬼無里村)を開創し、明松寺(現小川村)3世の5ヶ寺住職を兼ねた。
 慶長9年(1604)には松代藩主松平忠照の補佐大久保長安の内申で寺領十石三斗が寄進され、慶安2年(1649)将軍家光より朱印状を下附され、朱印寺となった恩恵をしめすため、「東照山大昌寺」と称したが、後に「権現山大昌寺」と改め、今日に至っている。
 本尊は釈迦牟尼仏。脇師は文殊菩薩と普賢菩薩。
 9世瑞応留守中の天明3年(1783)11月24日馬屋二階より出火、本堂・庫裡・禅堂など伽藍を全焼し、朱印状も焼失した。
 同7年に朱印状は再下附され、堂宇も寛政元年(1789)までにそのほとんどを再建した。
 当地は謡曲や能で有名な「紅葉狩」の舞台で、当寺にも、鬼女紅葉と平維茂の合祀の位牌、狩野派の絵師三村養益の描いた「紅葉狩」の掛け軸があり、平成3年22世普山の機に「紅葉慈母観音」が建立され、「歳時記」にも”鬼女の寺”として載っている。
 他に、9世瑞応書写になる道元禅師の「正法眼蔵随聞記」、螢山禅師の「伝光録」は学問的に高く評価されている。

 参道に入ると直ぐ左手(南側)に石仏を中心に石塔が並びます


 石仏です

 参道右手に目的の「鎮守の熊杉」です

 熊杉の入り口には鳥居です 

 南側から見上げました、二本の太い幹が並んでいます

 根元には「大昌寺鎮守」の祠です

 案内板です
   天然記念物 鎮守の熊杉
     樹種 熊杉
     目通り周囲   6.7m
     高さ     23.0m
     樹齢 約450年(推定)
     昭和47年11月1日指定

 参道の西側先に大昌寺本堂の屋根が見えました

 西南西側から

 西北西側から

 北側から、二本の幹が良く解かります

 北東側から

 車を止めさせて頂いた駐車場入り口から見ました

 では、次へ行きましょう
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長野県長野市、塩生甲「塩生のエドヒガン(巡礼桜)」(市指定)です!!

2023-10-29 18:55:19 | 
 塩生甲地区は、長野市役所の西南西約7kmのところ
 
 長野市役所の北側の国道19号線を西へ、約1.1km県庁前信号で左(南)へ、まだ国道19号線です

 約1kmの中御所信号を右(西)へ、まだまだ国道19号線を道成りに松本・信州新町方面へ向かいます

 約4.4kmの小市西信号(標高約380m)を斜め右へ入って坂道を上って行きます、県道406号線です

 道成り名約4.3km上ると(標高約600m)右手に

 目的の「巡礼桜」です

 側には乗り合いタクシーの停留所です

 南東側から見ました、東へ大枝が伸びています

 そばには馬頭観音と馬像が祀られています

 ここは戸隠神社への巡礼道です

 南南東側から

 説明版です
  長野市指定天然記念物
    塩生のエドヒガン(巡礼桜)
       昭和47年11月1日指定
 この桜は塩生集落の南方に位置する。
 古くは、小市の渡しから、小野平・下峠を経て戸隠方面へ通ずる古道にあたり、巡礼桜の名はそこから生まれたものであろう。
 エドヒガンは、バラ科に属し、アズマヒガン・ウバヒガンとも呼ばれ、桜のなかでは非常に長寿の種である。
 本州・四国・九州に分布し、花が若葉の前の咲くのが特徴である。
 指定木は、樹高18.2m、目通り幹囲7.3m、推定樹齢約700年の古木である。
 4本の株立ちになっているが、傍に3m程の枯株が残っている。
 その昔8~9mの目通り周囲をもつ大木であったものが腐朽して枯れ死に近づいた頃に根ぎわから新芽が出て、今日に見られれるものになったと思われる。
 それまで加えると、実に1500年になる。
 「巡礼桜」として旧県指定を受けた名木である。
    平成30年1月30日
        長野市教育委員会

 南側から太い幹を見上げました

 西側から見上げました

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長野県長野市、大岡丙「樋知大神社の大杉とブナ」です!!

2023-10-29 06:41:34 | 巨樹・大木
 大岡丙地区は、長野市役所の南西約22km、長野市役所大岡支所の南東約3.5kmのところ

 長野市役所大岡支所(標高約820m)から県道12号線を北東(篠ノ井)方面へ

 約1.1kmで案内板に従って聖山高原方面の右(南東)へ、県道501号線です

 道成りに約2.9kmで、ひじり親水公園です、ガイドマップが有りました、目的地は「ごんげん池」の手前ですね

 更に約1.8km進むと右手に句碑があります「水音の いつも身近や 秋の山」ちょうどこの時期に詠まれた句でしょうか

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 樋知大神社(奥宮:標高約1140m)が北東向き参道で鎮座します

 (ちなみに郷宮は、長野市役所大岡氏余の北北東約1.5km大岡甲荻久保地内標高約890m付近です)

 社號標です

 道路脇に「御鳥居建設記念」碑です、文面には略縁起が記されています
  樋知大神社略縁起
 樋知大神社は諏訪大明神建御名方刀美命第二の御子武水別命で、清和天皇貞観8年6月朔日、従二位に昇叙格調高い神社である。
 ひじり山を頂点とする農業開拓の守り神で、自然と共に農民を慈む、(樋)は水路で(知)は民のくらしを治め司る大神である。
 往古は、ひじり山を高栖の山と称し、峯にかかる雲の状態で天候を占い、雨乞により雨を降らし給いし事は、広く安曇野・筑摩・川中島平の農民の信頼するところであった。
 神嶺より別れ下れる農業用水は、八峯の源泉湧出点に四十八口の武水別の神恩に浴する村々七十五ヶ村におよぶもので、その尊崇敬神はもとより旧きものである。
 御社は始め峯に御坐あったが、お田苗地のほとりへ御坐なされ、武(嶽)水別の神と奉称され、今を去る717年の昔、亀山天皇の文応元年、修験僧学道が高栖の峯に登られし時、すでに戌亥の方に当って華表(鳥居)が望まれたと記されている。
 この度鳥居建設を記念して樋知大神社のら略縁起の碑を建て、大衆の周知を望む。
 

 「樋知大神社境内のブナ林」と「お種池」に案内板です

 参道杉並木の間を進みます

 参道左手に手水鉢です

 拝殿が見えて来ました

 拝殿を左側から回ると本殿です

 まず一つ目の目的の大杉を東北東側(拝殿裏側)から見上げました、拝殿の軒でスギの頂部が隠されてしまいましたね~

 北側から

 こちら側からも本殿を見ました

 北西側から

 本殿前(西南西側)から

 南側から、目通り幹囲5.1mの巨木です

 ブナを見に行きましょう


 本殿北側に綺麗な水の池があります

 お種池の石碑です

 池の西側の斜面には多くのブナの木が見られました

 二つ目の目的のブナは行けの北側の斜面に在ります

 お種池の流れ口に並べられた石を渡って行きます

 南側から見上げました

 南南東側から、これ以上近付くのはやめました、目通り幹囲3.5mの大木です

 南東側から見ました

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長野県千曲市、桑原横手山「ブナ巨木観察路入口のブナNo1」です!!

2023-10-28 18:31:52 | 巨樹・大木
 桑原横手山地区は、千曲市役所の南西約8kmのところ・・・とわ言っても

 千曲市と長野市、麻績村の市町村境にある聖高原の三和峠の西側に当たりますので、道路距離約20kmになりました

 千曲市役所(標高約360m)から国道403号線を千曲川を千曲橋で渡って道成りに進みます

 約14km猿ヶ馬場峠(約960m)を越えると聖湖が左手に広がりました

 (国道403号線は聖高原を越えて麻績村から安曇野市明科で国道19号線へ合流しま)

 間も無く、聖高原観光案内センター手前を右へ、別荘地に中野道をひたすらに上って行きます

 約4,8kmで三和峠(標高約1200))を越えると

 約500mで道路右手に大きなブナが在ります

 少し先の道路脇に車を止めさせて頂きました、カーナビの画面はこんな場所です


 「ブナ巨木観察一周コース」入口です

 高低差がありますので、距離は1065mですが・・・今回は諦めてNo1だけです

 すぐ脇に「ブナ巨木観察一周コース」の案内板です

 南東側から

 南西側から

 No1の案内板です、幹周3.2mの大木です

 北西側から見上げました

 北西側へ離れてみました


 すぐ北側の道路脇に水が湧いていました

 前の幹には「自己責任で・・・」と書かれていますが、おいしい水でしたよ


 水場前からブナを見ました

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長野県千曲市、新山漆原「漆原のくまの水木」(市指定)です!!

2023-10-28 06:30:26 | 文化財・樹木
 新山漆原地区は、千曲市役所の南約8kmのところ

 国道403号線の千曲市役所信号を東へ進みます、約700mで右(南)へ国道18号線です

 約6.4kmの戸倉上山田温泉入口信号を右(西)へ、県道498号線です

 約800mの千曲川を万葉橋で渡って直ぐ右(南)へ土手道です

 約1kmから先は、県道55号線となって南西へ、坂道を上って行きます

 約1.8kmで左(南南東)へ、リンゴ畑を左下側に見てほぼ水平に進みます

 約1.7kmで突き当りを右へ、坂道を上って行くと

 道路左手に標柱が見えました

 目的の「くまの水木」です

 天然記念物標柱です

 クマノミズキは、ミズキ科 サンシュユ属で、山地でみられる高さ8~12mになる落葉高木です(ウィキペディア一部抜粋です)

 側の石祠です

 北東側から、目通り幹囲2.23mだそうです

 北東側へ離れて見ました

 南側から

 南側へ離れて見ました

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長野県青木村、田沢横馬場「西禅寺墓地のカヤの木」です!!

2023-10-27 18:42:00 | 巨樹・大木
 田沢横馬場地区は、青木村役場の西約1kmのところ

 青木村役場から国道143号線を西へ道成りに進みます

 約1.1kmで左(南西)へ入ると、右手に

 西禅寺の参道です

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 境内前にはお地蔵様が並んでいます

 北側の墓地の中に目的のカヤの木です

 南側から、環境省巨樹データベースでは、目通り幹囲10.66m、主幹幹周2.8mとされているカヤです

 南西側から、太い幹の1本は伐られてしまっています、全体の幹周は6m程でしょうか

 
 北東側から見ました

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長野県青木村、殿戸「農業構造改善事業記念碑のケヤキ」です!!

2023-10-27 06:29:00 | 巨樹・大木
 ここからは、2023年10月17日取材分です

 殿戸地区は、青木村役場の東約1.5kmのところ

 青木村役場の国道南側の国道143号線を東へ、道の駅あおきを過ぎた約1.7km運送会社の前を右(南)へ


 約500mで交差点のところにケヤキの大木が見えて来ました

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 北西側から

 西側から、目通り幹囲約5.2mの巨木だそうです

 南西側から

 南西側に 能の流派、 観世流の名誉師範 小林義人翁碑です

 北側には、農業構造改善事業の記念碑です

 北側から、幹には大きな穴が開いて空洞化しています

 東側から見ました

 では、次へ行きましょう
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長野県東御市、和中井(和田沢)「美都穂神社のケヤキ群」です!!

2023-10-26 18:29:00 | 巨樹・大木
 和中井地区は、東御市役所の北約4kmのところ

 東御市役所の南側の通りを北西へ坂道を上って行きます、約500mで斜め左(北東)へ長沢池の脇を通って道成りに進みます

 約1.2kmで県道79号線の井高信号を越えて更に高度を上げて行きます

 約600mで左変形十字路を鍵の手に曲がって進みます

 約700mで上信越高速道路を橋で越えて直ぐに右(北東)へ入って、また直ぐに左(北西)へ県道4号線です

 約500mで田沢信号を右(北東)へ、約500mで斜め右(ほぼ直進方向)へ

 約300mの十字路を左へ進むと右手に美都穂神社が南南西向きに鎮座します

 手前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 まず1本目は境内南東端のケヤキの大木です

 南西側から

 南側から見ました、樹高16m、目通り幹囲6.0m(環境省巨樹データ?)の巨木はこの樹のようです

 美都穂神社の社號標です 

 境内に上がると水盤です「水石」の文字が刻まれています

 拝殿です

 説明版です
   美都穂神社
 祭神 建御名方富命
    前八坂刀賣命
 地籍 和字中井5132番地
 境内 504坪
 氏子 180戸
 社殿 本殿 3尺5寸=3尺流造
    拝殿 6間=3間
 神徳 五穀豊穣・家内安全・諸願成就
 由緒 元和5年(1619)上田領社寺改によれば、社号は東田沢八幡社であり、享保(1716)頃は諏訪大明神と呼ばれていたが、慶応3年(1867)社号改称で美都穂神社と改名され今日に至っている。
 拝殿は、明治5年に再建され、明治6年4月に村社に列した。
 祭儀 元始祭  1月25日
    例大祭  4月12日
    新嘗祭 11月23日
    大祓式 12月15日
    御柱祭 寅年申年に斎行され、記録では文政13年(1830)寅年4月3日の棟札が最古である。


 本殿です


 拝殿前のケヤキの大木です

 西側から

 南側から、樹高18m、目通り幹囲5.6m(環境省巨樹データ?)の巨木です

 本殿西側に山神様に鳥居です

 石の祠が4つ並んでいます、祠の中に神に名前が書かれていますが取り出さないと読めませんでしたので不明です、ちなみに、右から天神社?こやす社・不明・蚕影社のようです

 拝殿東側のケヤキ

 拝殿東側にも山神社の鳥居です

 東側に並ぶ石祠です、右から一番目と五番目が社口社、二つ目は三峯社、三番目は山神社でしょうか

 石仏の様な荒神宮です

 沢山の石祠が並んでいます、右から大山ノ神、金毘羅社、左から二番目は神明社、左端の石仏は御子安社のようです

 本殿東側のケヤキ二本です

 本殿よりの一本は、樹高23m、目通り幹囲5,2m(環境省データ?)の巨木です

 右側のもう一本は幹の傷みが進んでいました

 では、次へ行きましょう

 上田市内を抜けるのに時間が掛かってしまって、陽が沈んでしまいましたので、あすの取材地である小県郡青木村の「道の駅あおき」で車中泊させて頂きました。

 ちなみに、約2kmの田沢温泉くつろぎの湯は安く入浴出来ました
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長野県東御市、新張奈良原「弘法大師のさかさ杖(シナノキ)」(森の巨人は百選)です!!

2023-10-26 06:31:00 | 巨樹・大木
 新張奈良原地区は、東御市役所の北東約8kmのところ

 「弘法大師のさかさ枝」が有るのは、更に2kmほど奥のところ、湯ノ丸スキー場のある地蔵峠の手前4kmのところです


 道の駅雷電くるみの里の説明版です

 観光案内マップです、中央上にシナノキの表示が確認できます

 東御市役所前の国道18号線田中信号から東へ直ぐの、中央公民館入口信号を左(北東)へ道成りに上って行きます

 約1.7kmで信号を右(東南東)へ県道79号線です、約2.2kmの別府信号を左(北)へ県道94号線です

 「県道94号線東御嬬恋線の脇には、各種観世音菩薩が丁石の様に並んでいます(小さなものがほとんどでした)

 別府信号から約600mの新張信号の直ぐ西側には第1番の如意輪観音様がいらっしゃいます、約1kmで第6番の千手観音様が擁壁の上に見えました」

 別府信号から約4.97kmで奈良原地区の「奈良原温泉 あさま苑」の前を過ぎます、更に約3kmで

 道路に覆いかぶさる様に大きな樹冠が見えました

 手前の道路の広い場所に車を止めさせて頂きました


 大クヌギの手前右手に大きな馬頭観音様です

 第50番です


 南東側から

 南側から

 根元に石の祠です、一つは崩れてしまっています

 南西側から

 説明版です
   シナノキ弘法大師のさかさ杖
     森の巨人たち百選
 ここは古くから、長野県と群馬県鹿沢の湯への峠道で、新張地籍1番観音を基点として、群馬県旧鹿沢温泉までの沿道に百体の観音石像が安置されている。
 その50番、馬頭観音像を守るかのように、この大木シナノキがある。
 このシナノキは別名「弘法大師のさかさ杖」とも呼ばれている。
 平安の昔、嵯峨天皇の御代に弘法大師諸国行脚の折、大師がこの峠にさしかかり、この地で休まれた。
 その時、手にしていた梨の木の杖を大地にさしたところその杖がさかさに根付き、このシナノキの大木となったと伝えられている。
 また、他の伝説には「義仲雨宿りしな」とも伝えられ、この付近に木曽義仲の駒返しという場所がある。
 所沢川の一渓沢に平坦地に生え、樹相根本より、二つにわかれ、樹齢300年以上(推定)、周囲3.7m、高さ17m、枝張り18m余もあり、シナノキとしてのこれだけの大木は珍しく、林野庁による、「森の巨人たち百選」にも選定されている。
   湯の丸高原・地蔵峠まで4km

 北西側から見ました

 では、次へ行きましょう
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群馬県甘楽町、福島「天王塚古墳のクヌギ」(甘楽の名木)です!!

2023-10-25 06:31:00 | 巨樹・大木
 福島地区は、甘楽町役場の北北東約1.5kmのところ

 甘楽町役場前から県道197号線を北北東へ進みます

 約1.1kmで斜め左(西)へ入ります、直ぐに右へカーブして進み突き当りを右(東)へ

 間も無く左手に広場(ゲートボール用か?)があります

 東側に公衆トイレがありますので、駐車スペースを利用させて頂きました
 

 南側の広場から古墳の後円部です

 前方部です、古墳は前方部を西北西に向けています

 墳丘の接続部分に目的のクヌギです


 後円部の南面に天王塚古墳の説明版がありますが、草に覆われてしまっていました
  甘楽町指定史跡
    天王塚古墳
      甘楽町大字福島1277ー1-2
      昭和53年6月13日指定
 この古墳は別名神明塚と呼ばれ、鏑川流域に分布する前方後円墳の中では最も古いものです。
 墳丘の全長約76m、後円部径50m、同高さ10m、前方部幅39m、同高さ7.5mで後円部は前方部より高くなっています。
 墳丘上には、葺き石として使われたと思われる、河原石が各所にみられますが、埴輪は見られず使用されていなかったと思われます。
 また、周囲にが堀がめぐらされていたと推定されていますが、水を湛えていたかは不明です。
 埋葬施設は未発掘のため詳しいことはわかりませんが、墳丘の形態から竪穴式石室が後円部にあると考えられたいます。
 この古墳が造られた時期は、日本一の仁徳稜古墳より前の時代で5世紀の初め頃と推定され、近くには笹森古墳、(7世紀前半・県指定)があり、両墳とも、鏑川流域一帯にかけて、それぞれ大きな支配力をもっていた、首長の墓ではないかと推測され、当時甘楽町は文化の一大中心地であったと考えられます。
      甘楽町教育委員会

 *笹森古墳は、このブログの2023年3月20日に「笠森稲荷神社と笠森古墳」で紹介させて頂いております。

 南東側からクヌギの樹冠を見ました

 南側から

 南西側から、根元南東側に説明版が見えます

 墳丘に登って見ました

 北西側から幹を見上げました

 南東側から

 説明版です
   認定証
     かんら名木十選
   認定樹木 クヌギ
   樹木名  天王塚の大クヌギ
   所在地  福島1277-1
   所有者  笹森稲荷神社
 天王塚古墳の南側墳丘上にあり、県内でもこれほどの巨樹は見られない。
 半径10m四方に枝を張り、樹に傷も無く樹勢は盛んである。
 樹高約15m、胸高周囲約3.3m、推定樹齢約350年の巨木。
    平成13年3月  甘楽町

 では、後円部に登ってみます

 頂上部には東屋(瓦が載っていますので、社殿だったのかもしれませんね~


 東屋前から大クヌギを見ました

 前方部です

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埼玉県東秩父村、大内沢居用「居用観音堂のビャクダン」(村指定)です!!

2023-10-24 18:38:40 | 文化財・樹木
 大内沢居用地区は、東秩父村役場の北西約2.5kmのところ

 東村役場前から県道11号線を北西へ、槻川に沿う様に進みます

 約1.4kmの落合橋信号からは県道294号線と変わって大内沢川に沿う様に進みます

 約1.2kmで居用バス停の先を右へ入ります、つずれ折りの坂道を上って行きます

 第三カーブの手前に右下への道路が有ります

 すぐ先の道路脇に車を止めさせて頂きました

 坂道を下ります

 居用観音堂です

 北側から目的のビャクダンです

 *ビャクシン(柏槇)には色々な別名があり、「イブキ(伊吹)」「シンパク(槇柏)」「ビャクダン(白檀)」ともよばれる、ヒノキ科の針葉樹です。


 天然記念物標柱です

 南東側から、幹は細いですが樹齢300年のようです

 南南東側から見ました

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埼玉県東秩父村、坂本「坂本のエノキ」(村指定)です!!

2023-10-24 06:30:16 | 巨樹・大木
 坂本地区は、東秩父村役場の西約1.5kmのところ

 東秩父村役場の前の県道11号線を北西へ槻川に沿う様に進みます

 約1.4kmの落合橋信号を左(南西)へ、まだまだ県道11号線です

 約500mで松下公衆トイレ前に大きな観光案内板があります

 「坂本のエノキ」の表記は有りませんでしたが、約200mほどなので

 ここに車を置いて歩いて「坂本のエノキ」へ向かいましょう

 県道11号線沿いには駐車するところが有りませんし、小川警察署 槻川駐在所のそばですので・・・

 駐在所の前から大きな樹冠が見えました

 住宅の前の県道沿いに天然記念物標柱です

 南側から、根鉢の大きなエノキです

 ズームアップしてみました、っ目通り幹囲3.86mの大木です


 南南西側から、樹高は17m、樹齢300年以とのことです

 南西側から

 南南西側から見ました

 戻って、次へ行きましょう

 
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